第8話 この道の先には

 オリヴィエは迷う事なくドンドン進んでいった。彼女の日課に薬草採りというものがあり、森林地帯は頻繁に足を運んでいたそうだ。言葉通り手慣れた感がある。些細な目印を探し当てては時々向きを変えて、道なき道を行く。


 すると次第に文明の跡が垣間見えるようになる。人工の道に立て看板、小川にかかる橋。それらを通り過ぎる度、僕の胸には冷たいものが走るのだ。


「レインさん。後はこの道を進むだけで戻れますよ」


 真っ直ぐな口ぶりに対し、僕は返事は曖昧なものになった。所々雑草の生えた粗雑な道だ。その先では森が切れており、太陽によって明るく照らされていた。それがどうにも不吉に感じられて、思わず閉口してしまうのだ。


「ご安心ください。必ずや、あなたに降りかかった冤罪を晴らしてみせます」


 自信に満ち溢れた声だ。手も相変わらず繋いだままだ。僕は脂汗を沢山かいているハズなのに、彼女は嫌がる素振りすら見せない。なぜここまで肩入れしてくれるのかと、不思議でならなかった。


 正直なところ、オリヴィエを完全に信じた訳じゃない。今だって心のどこかで『僕を連中に引き渡すつもりでは』と疑ってすらいる。信じたくなる一方で疑惑の目も向けているのだ。相反する思考はせめぎ合い、右に左と傾きかけては揺り戻される事を繰り返した。


 そうして結論を出せないまま、その時は訪れた。


「ようやく森を出ましたね」


「そうだね、目が眩しいや」


「あそこに人だかりが……。確かにレインさんが仰る通り、大事になっているようですね」


 強い日差しに目を細め、空いた手で日陰を作った。そうして見えたのは町外れの長閑な光景ではない。今も先程と変わらず、物々しい空気を醸し出す住民たちの姿だった。


 集団の内で誰かがこちらに気づくと、鋭い声をあげた。すると先頭の男が単身で前に出る。その壮健な体にはロングソードと金属盾があり、一帯の警備を担う衛兵だと察しがつく。彼は緊張した面持ちを保ちつつも、どこか安心したような声をあげた。


「オリヴィエ、無事だったか!」


「はい。ご心配をおかけしました。こちらのレインさんのお陰で、どうにか事なきを得ました」


「……その男はッ!」


 男の目が僕の方へ向くと、歓迎ムードは一変した。体勢を整え、剣の切っ先がこちらに向けられる。いつでも切りつけられる構えだ。背後で見守っていた住民たちも途端に色めき出す。


 ここでオリヴィエが離れていった。何の前触れも無しにだ。手のひらから希望がすり抜けた錯覚を覚え、途端に世界が暗くなる。僕は騙されたのか。そうまでして僕を殺めたいのかと、心は激しく締め付けられた。


 けれど、それは僕の早合点だった。彼女は決して裏切った訳ではない。修道女らしく両手を組み、祈るような仕草とともに、怒り狂う人々を安らげようとしたのだ。僕を衛兵から身を挺して庇うように。


「皆さん。一度冷静になってください。まずは武器を収め、私たちの話に耳を傾けてください」


「オリヴィエ! そいつは悪の手先、いや、悪そのものだ。今すぐに離れろ!」


「いいえ。彼は決して、そのような忌まわしき存在ではありません」


「そこを退け、オリヴィエ! 巻き添えを食っても知らんぞ」


「どうしてもこの方を討つと言うのですか。ならば、まずは私をお斬りなさい。神の身許に参ったならば、事の顛末を包み隠さず申し上げるでしょう」


「な、何だと……!」


「ちょっと待ってよ、そこまでして僕を庇わないで!」


「レインさん。ご安心ください。今ばかりは我を失っていますが、本来は気の良い方々ばかりなのです」


 彼女はそこまで言うと、祈りを捧げたまま押し黙った。衛兵の男は困惑しているようだ。僕とオリヴィエを何度も見比べては唸り声をあげる。


 これはもしかすると、本当に誤解が解けるかもしれない。歓迎されないまでも、共存を許されるかもしれない。そう思った矢先だ。悪意に染まった暴力は、背後に控える集団によって再開させられてしまう。


「反逆だ! 神への冒涜だ! オリヴィエは悪魔に魂を売り渡したぞ!」


「殺せ! どちらもまとめてブッ殺してしまえ!」


「殺せ、殺せ、殺せ!」


 凄まじいまでの憎悪の嵐。もはや理性の欠片すら感じられない。それを追い風にしてか、衛兵は剣に力を籠めた。カタリと禍々しい音を鳴らし、切っ先から殺気がありありと漲り始める。そして、その口から告げられた言葉は、酷く冷たいものだった。


「残念だがオリヴィエ、悪の手先と成り果てたお前には死罪が相応しい。せめて苦しまぬように葬ってやる!」


 掲げられた剣に躊躇は微塵もない。脅しではなく、本当に斬り殺すつもりのようだ。オリヴィエの額を狙った上段斬り。それが繰り出された瞬間には体が動いていた。


 僕も武器を抜いて、その攻撃を受け流した。鋭い剣撃だ。上手く捌(さば)けず、利き手が痺れたようになり、ビリッとした痛みが腕から伝わってくる。


「オリヴィエ。ここは危険だ。早く逃げよう!」


 僕の背後でオリヴィエが静かに立ち上がる。その顔は苦渋に満ちていた。


「仕方ありません。不本意ですが、落ち延びる事にしましょう」


 逃げるにしても、それは難しいかもしれない。衛兵は全く隙を見せておらず、下手な動きを見せれば即座に斬られかねなかった。真昼の日差しが切れ味を代弁するかのように反射される。落命する恐怖に耐えながら、どうにか対峙し続けた。だけど、事態は悪化する一方だった。


「良いぞ衛兵! そのまま逃がすんじゃないぞ!」


「殺せ! ブチ殺せぇーーッ!」


 向こうから町の人間までもが押し寄せて来る。一度でも囲まれれば逃げる術を失い、私刑(リンチ)によって無惨に殺されてしまうだろう。決断を迫られている。しかし踏ん切りがつかず、心は焦りで黒く塗りつぶされていった。


 しかしそこへ、予期せぬ変化がもたらされた。体が不意に軽く感じられたのだ。それはまるで、背中に羽でも生えたかのように。


「こ、これは!?」


「レインさん、俊敏の魔法を発動させました。急ぎ退きましょう」


「う、うん。そうだね!」


 初めて体験した俊敏魔法は、驚かされる程の身体能力を与えてくれた。軽く後ろに跳んだだけでも、普段では考えられないくらい遠退いてしまったのだから。立ち位置はすでに攻撃範囲の外。あとは脇目も振らずに逃げるだけだ。


 残念ながら、魔法効果は一瞬しか保たなかった。だから残りは実力で逃げるしかない。それでも追っ手を十分に引き離し、安全圏まで落ち延びる事ができたのは身軽だったからだ。皮肉にも手荷物の軽さが成否を分けたのだと思う。


「ふぅ。この辺まで来れば大丈夫、かな」


「はい。恐らくは」


 ここはブレイメル北の草原地帯だ。魔物の気配が感じられないのは、街道沿いを進んだためだろうか。


「オリヴィエ。これからどうするの? あの町に戻るつもりは……」


「残念ですが、それは難しいでしょう。たとえほとぼりが冷めたとしても」


「そうだよね。ごめん。まさか、君まで巻き込んでしまうだなんて」


「とんでもありません。私こそお力になれず申し訳ありません」


「そんな事ないよ。すごく助けられたんだから」


 オリヴィエは言葉の真意を理解できなかったのか、小首を傾げて僕を見つめた。それでも悲痛な顔がいくらか和らいだものになっている。きっと、あの状況では解決策なんてなかった。だったら気に病み続けるよりも、忘れてしまった方が良さそうだ。


 それから僕たちは進路を北に取った。5日も歩けばムシケという漁師町があるんだとか。王都も含め、他の町は遠すぎるとも言っていた。


 追放者という身分だけど、不思議と心は軽い。オリヴィエも行く手の空を指しながら「私たちの未来を祝うかのように、空は晴れ渡っています」と言った。彼女の明朗さには、どこか救われたような気にさせられる。一人で居たなら打ちのめされて鬱々としていたハズだ。


「ところでレインさん。お昼ご飯はいかがなさいます?」


「言われてみれば、お腹が空いたよね……ッ!」


 この時になってようやく気づく。僕には僅かな所持金があるだけで、ひと欠片のパンすら持ち合わせていなかった。身一つで飛び出したオリヴィエについては聞くまでもない。


 僕たちの門出はいきなり難題にぶつかり、激しい夕立にでも遭遇したような気分にさせられてしまった。

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