第7話 試練と書いて

 小屋の中は不確かな空気で満ちている。あまり良い意味ではない。現状を表すのに一番しっくりくる言葉は『困惑』になるだろうか。


 成り行きだけで誘拐犯から助けた僕と、思いがけず窮地を脱した少女。本来なら感謝の言葉が聞けるシチュエーションだ。それでも役職(のろい)が厚い壁となって立ちはだかり、気安い対話を難しくする。お互いに話しかける事なく、ただ子猫が「ミャアミャア」と戯れのを眺めるばかりだ。


 それでも、居心地はこれまでに無いほど良い。自分の存在を許される事って、実はとても有り難いものだったんだ。少女と猫が睦まじくする様を見つつ、ボンヤリと思った。


 安息が心に余裕を与えてくれたらしい。次第にむず痒いような気配が遠退いていくのが分かる。やがて少女は平静さを取り戻すと、僕に柔らかく微笑みかけながら言った。


「助けてくださってありがとうございます。それから、ミクちゃんのお世話も……」


「ミクちゃん?」


「猫の名前です。この子は私のペットで、ミクロと呼んでいます」


「そうなんだ。ミクロって、身体が小さいから?」


「いえ、黒猫だからです」


「それって……」


 身が黒いからですか、とまでは聞かないでおいた。僕はとにかく人から嫌われてしまう宿命を背負っている。些細な指摘すら危険を伴うので、言葉の選択には細心の注意を払う必要がある。迂闊にセンスを嗜めて、不要な反感を買いたくはなかった。


 それにしても、この猫がシスターのペットだとは知らなかった。さっき突然走り出したのは、飼い主の気配でも感じ取ったからだろうか。


 今もミクロは彼女の肩に乗って甘え倒している。この子は居場所を見つけたのだと思うと、胸に痛みが走る。本来なら喜ぶべき場面だけど、何か裏切られたような気分になり、少しだけ戸惑ってしまった。


「ところでシスター」


「オリヴィエです。名乗るのが遅れて申し訳ありません」


「ああ、ごめんね。僕はレイン。よろしく」


「自分をさしおいて、ミクちゃんを先に紹介してしまいましたね」


「そ、そうだね。何だか可笑しいね」


「ふふ。本当ですね」


 オリヴィエと名乗った少女は、これまでの住民とは少し雰囲気が違った。僕に対して警戒はしても、一度だって敵意を向けていないのだ。今は友好的とすら思えてくる。


「レインさん。あなたは不思議な方ですね。そのような格好をされているから、邪悪な方かと思いきや紳士的です。そして勇敢でありながら、同時に礼儀正しくもあります」


「ええと、僕の外見は酷いものに見えてるらしいけど、ちゃんと普通の格好をしてるんだよ」


「まさか。どこから見ても際どいお姿ですよ」


「そうだなぁ、触れてみたら分かるんじゃないかな」


「触れる……ですか?」


「ごめんよ、何でもない。そんなの嫌に決まってるよね」


「いえ。そんな事はありません。失礼します」


 彼女はそう言うと、僕のお腹の部分に指を伸ばした。静かに触れられると、その感触は布越しに伝わってきた。自分からすれば、服の上から触られた時と変わらない。

 

 でもオリヴィエは違ったようだ。目は驚愕したように見開き、指を何度も何度も押し当ててきた。目の前で起きている出来事が、信じられなくて仕方が無いとでも言うように。


「確かに仰る通り、衣服の感触があります。これは魔法の一種ですか?」


「いや、違うと思う」


「では、何なのでしょう?」


「うぅん。試練、かな。女神様から与えられた試練……?」


「まぁ! そうとは知らず不躾な真似を……これまでの非礼をなんとお詫びすれば」


 そう言うと祈るような仕草をした。顔は悲痛一色という様子で、見せかけの謝罪では無さそうだと感じる。


「いやいや、気にしないで。僕は平気だから」


「誠に申し訳ありません。このお詫びは必ず。そして、助けていただいたお礼もです」


「それはともかく、早くここから出ようよ。連中が戻ってきたら厄介だよ」


「確かに、ここに留まるのは得策ではありませんね。町へと戻りましょう」


「道中は魔物が出て危険だから、町まで送ってあげる……」


「どうかされましたか?」


 常識で考えれば、これから安全な場所まで送り届けるべきだろう。でも僕はその『安全な場所』で殺されかけたばかりだ。だからどの辺りまで付き添えば良いか、その判断ができないでいた。


「町までは無理か。町の外れならなんとか……」


「レインさん。ご気分が優れないように見えますが」


「いや、その、何と言ったもんかな」


「もしや、お困りごとですか? そうでしたらお力添えさせていただきますよ」


 取り繕う理由も無かったので、これまでの経緯を全て白状した。この試練(のろい)のせいで全ての住民に疎まれる事。そして謂れなき罪により殺されかけてしまった事。今もまざまざと蘇る恐怖を、包み隠す事なく洗い浚(ざら)い話してみた。まるで牧師に告白する時のように。


 するとオリヴィエの瞳は潤み、肩が小刻みに震えだした。そして僕の頬を優しく撫でて言う。


「辛かった事でしょう……どれほど貴方の魂が傷つけられたか、私ごときでは想像することも出来ません」


「ありがとう。そう言って貰えるだけで、少し救われた気がするよ。そんな訳で、僕は町には戻れない……」


「貴方にかけられた嫌疑は、私が一身を賭して晴らしてみせましょう」


「……はいぃ?」


 予想外の申し出に、つい間抜けな声を出してしまった。オリヴィエは冗談やホラを吹いたつもりは無いらしい。濁りのない目のままで話を続けた。


「町の方々と仲違いしたままでは心苦しいでしょう。何かと不便でもありますし」


「いや、でも危険だよ。僕が戻れば大変な事になるよ」


「私はブレイメルに赴任してより、短くない時間を過ごして参りました。少なからず信用もあります。話くらいは聞いていただけるでしょう」


「そうかなぁ、でもなぁ」


「まずは試してみませんか。善は急げと申します」


 オリヴィエはにこやかに微笑むと、僕の手を握りしめて先導した。正直不安だ。あの場所に戻る事は恐怖そのものでしかない。


 それでもだ。この手を伝う温もりが僕を前へと動かした。彼女の金色に光る髪が風に揺れて靡く。それがまた、不思議な安堵感を与えてくれるのだった。


 この先に希望はあるのか。彼女が突破口を切り開いてくれるのか。その前途を占うように、木漏れ日が薄暗い森を明るく照らしていた。


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