報告書A 箱庭プラネッツ

 もう何度電話しただろう。軽く二桁以上かけ続けているのに、聞けたのは無機質なコール音ばかり。受話器が油汗に濡れる。それでも拭い去る気持ちなんか、全くもって沸き上がって来ない。今はともかくリダイヤルだ。


「クソッ! 出ろよこの野郎! こちとらすっげぇピンチなんですけどぉ!?」


 朝から変わらぬ現状に焦燥感は鰻登り。受話器を力任せに叩きつけて一度切る。この職場で培った無駄技術により、微調整の必要もなしに電話機は本来の姿を取り戻した。


 しかし、この状況で振動はマズかった。デスクに積み上げたマニュアル本がバランスを崩し、雪崩を打って辺りに散乱した。自分の席札である『黒羽(祥)』も巻き添えを食らい、落ちた拍子に乾いた音をたてる。その瞬間、心の何かも千切れてしまった気にさせられた。


「へっ。開発部でもないアタシが、御大層な本を読んだところで解るわきゃねぇわ!」


専門書に罪はない。分かっていても毒吐きが止まらない。広い集め、再び明峰のように高々と積み上げていく。回収作業は両隣の新人さんたちも手伝ってくれた。ありがとうねと胸の中で感謝する。


 それにしてもだ。専門部署から技術的なサポートを見込めないとあっては、これら全てを読み解く必要がある。山を切り拓かなくてはならない。十分な知識も根気も足りない、この私がだ。なのでこうしてシステム開発部に問い合わせているけれど、なしのツブテだった。


 もう一度かけてみようか……そう思っていると、前触れなしに内線が鳴る。身を乗り出してディスプレイを覗き込むと、そこには課長の名前が表示されていた。反射的に顔をあげると、あの冷徹女が遠くから私を見ているのが分かった。目が合ってしまったからには居留守、いつものトイレ休憩には逃げられない。観念してヌメリ気のある受話器を手に取った。


「お待たせしました、黒羽ですー」


「ショーコ。今日はいつもに増して騒がしいが、どうかしたか?」


「いえいえ。大した事ないですホント」


「デスクで揺らいでる本の数々は何だ?」


「これはですね……しがないオペレーターですが、製品知識を伸ばしてみようかなーなんて」


「まさかとは思うが……次のイベントについて、何か厄介事でも起きたのか?」


 やべぇ。この女はマジで鼻が利く。どうにかして取り繕わなくちゃならねぇ。ここで素直に『悪ふざけで救世主役の子に変態なんて役職ふっちゃいましたー、しかもリカバリーできません、どうしましょッ!』などと抜かすほど世渡り下手ではない。


「嫌だなぁ。これでも私、ハコニワ管理は長いんですよ? もう完璧ですから。次回開催の『邪神軍撃退イベント』も完璧に運営してみせますって!」


「妙に余裕があるんだな。大言壮語の割には、やたらとシステム連中にちょっかいを出しているようだが」


「えっと、それは……飲みに誘おうかなぁって。あはは」


「オフの話よりも、ちゃんと業務に集中しろ。それから別件だが、ハコニワ内で暴動が起きてるぞ」


「ええ! どうしてですか!?」


「理由まで私が知っていると思うか。ともかく、管理画面から沈静化させろ。ユーザーからクレームが来る前にな」


「わっかりました、最優先で片付けます!」


「頼むぞ」


 私は受話器を静かに置いてから、急いでハコニワ管理画面を覗き込んだ。すると、東大陸のブレイメルという町で住民が総出になって、刃物を片手に大暴れしてる事が分かった。彼らは皆が発狂状態(オーバーヒート)となっており、徒党を組んで狭いエリアを右往左往している。


「何よこれ。初めて見たわ……」


 この時になってレイン君の事を思い出した。あの極めて異質な存在が、この稀少な事件と無関係とは考えにくい。そして原因が彼であるなら、危険の真っ只中に取り残されているかもしれない。焦りを感じながら画面を注視すると、彼を見つけた。町から離れた森の中に居たのだ。とりあえず無事を確認して大きく息をつく。


「良かった……。データとはいえ、冗談の結果で死なせちゃったら気分悪いもんね」


 レイン君を初めとしたハコニワの住民は全て、『箱庭プラネッツ』というオンラインサービス上のデータでしかない。つまり、この世に実在する生命ではないのだ。


 とは言っても、まるで生きているかのように動き回るキャラクターは、大きな人気を博した。それで会社は大きな利益を得ているのだけど、管理する私たちは中々に大変だ。業務のストレスも半端じゃない。社員は毎年大量に採用され、それと引けを取らない数が辞めていく。過酷な上に薄給というお役目が、帰属意識を根こそぎ刈り取るからだろう。


「さてと。マジギレしてるみたいだけど、ともかくは落ち着きなさいよねー」


 慣れた動きで編集画面を操作し、住民の詳細ページにアクセス。詳細設定から覗き込む。すると、異常に振れた感情値が目に飛び込んできた。数値はほぼ最大。現場は戦争でも起きてるかのような、殺伐とした空気に支配されているだろう。


 全てを適正値に戻そうとしたその時、再び内線が鳴った。相手は開発部の真島。私は極めて迅速かつ精密に動いた。それは財布から散らばった小銭を拾う時の様に。


「はい、管理事業部です!」


「システム開発の真島だ。黒羽、待たせて済まなかったな。全員が緊急ミーティングにかかりきりだったんだ」


「本当よ。何回電話したと思ってんの」


「知るか。件数を数えるのもアホらしい数なのは確かだな」


 真島この野郎、散々待たせやがってこの野郎。競り上がる文句をズビャッと叩きつけたいが、ここは我慢。今は何よりもアレの対応を優先させなくては。


「さてと、じゃあ話を聞こうか。トラブルか?」


「当然でしょ。もしかしてデートのお誘いだと思った?」


「いや微塵も。そんで、お前の管理ハコニワってたしか……」


「17番。Fesー17よ。大きなイベントを控えてるやつ」


「……念のため聞いておくが、バグデータを流用したなんていう話じゃないよな?」


「何それ。初耳だけど」


「先週末にフラグ付きメールが出回ってたろ! もしかして読んで無いのか!?」


「あ、うん。ちょい待って。すぐ確認するから!」


 電話をつないだままでメールボックスを開いた。未読件数700超のゴミ箱みたいなフォルダ。『◯◯日深夜は全社清掃します』とかいう、クソどうでも良い連絡が放り込まれている吹き溜まりだ。絞り込み機能を使い、それらしきものを表示させる。するとそこには、目を疑いたくなるような言葉が明記されていた。


「ええと、Fesー17で、致命的な設定項目の存在を確認。管理不能に陥るため、扱いには十分注意すること……」


「おい黒羽。まさかとは思うが」


「ええと、やっちまったかも。これって役職の話で良いのかな?」


「その通りだ。確か、途方もない変態とかいう名称のものだ」


「ごめん」


「唐突に謝んなよ、さすがに冗談だよな?」


「ごめんなさい」


「黒羽ェーーッ!」


 私のメンタルはもう限界だ。知らなかったとはいえ、とんでもないミスをやらかしたもんだ。まさかちょっとした悪戯心が大事になるとは思ってもみなかったのだ。


 受話器から衝撃波が飛んでくる。まさか鼓膜を破るという処刑法なのか。拳一個分の距離をとり、供述を続ける事にした。


「お前マジかよ! ふざけんなよオイ!」


「いやごめんて。ほんの出来心だったんだわ。押しちゃいけないボタンをスイッと押しちゃった感じなんだわ」


「子供じゃねぇんだぞバカ野郎!」


「そんな事よりもさ、念のため聞いておきたいんだけど」


「誤魔化し下手か!」


「この役職って本当に変更できないの? マスター権限でも弾かれるなんて異常じゃないの」


 ここで真島は一気にトーンダウンしてしまう。今度は逆に受話器を耳に押し当てないと聞こえないほど、消極的な声に切り替わっていた。


 「……情けねえ話だが、ウチのチームじゃお手上げだ」


「それ、おかしいよね。アンタらで作ったデータなんじゃないの?」


「この珍妙な役職はかなり複雑な造りでな。自前で作れなかった。だから外部から凄腕を雇って、期間限定で出向してもらったんだよ。だがソイツはもうここには居ない。だから誰にも修正が出来ないという状況だ」


「何よそれ。じゃあその人をまた呼べば良いじゃないの」


「それが上手くいかないからミーティングしてたんだよ……」


 電話越しでも疲れがわかるほど、深い溜息が聞こえた。向こうは向こうで修羅場なのかもしれないと思う。そして、簡単には解決しない事を確信させられた。


「ええと、例のアレを救世主ポジションの子に設定しちゃったんだけど、どうしたら良いかな?」


「お前! よりにもよって大事な枠に何してんだ!」


「アタシだってすぐに戻すつもりだったよ! まさか変更不可になるなんて考えもしなかったからね!」


「まったくよぉ。次から次へとトラブルが……」


「んで、どうしたら良いの? 応急処置で良いから、この哀れな重病人を救ってあげてよ」


「ハァ……。その役職はだな、無条件で人から疎まれ、嫌悪されてしまう」


「それは知ってる」


「住民たちは負の感情を一定以上溜め込むと、暴動を起こしてしまう。その哀れな救世主とやらが殺されるとしたら、騒動に巻き込まれた結果に、というパターンも大いにあり得る」


「それも知ってる」


「なんだ、思ってたより勉強してるじゃないか」


 真島が意外と言いたげな声で言った。これで多少は悪評をチャラにできるかもしれない。内心で課長に感謝した。


「ともかく、例の救世主キャラの事は見守っていてやれ。危うくなったら即誘導。そうしてやらなきゃ、下手したら死なせちまうぞ」


「ねぇ、人と関わる事が危険なのは分かったよ。だとすると、山奥に隠れ住まなきゃいけないって訳?」


「いや、そうでもない。一度でも上手いこと信頼や好感を得られれば、無意味に嫌われる事も無くなる。キッカケ次第だ」


「ふぅん。色眼鏡が外れる感じかな?」


「そんな所だ。さて、そろそろ切らせてもらうぞ。業務がつかえてんだ。新しいことが解り次第連絡する」


「お願いね。こっちからも動きがあれば連絡するよ」


 受話器を置き、話の内容を振り返った。このトラブルは事実上の対処不能。レイン君は役職を据え置きのまま生きねばならず、他住民からの迫害と戦う運命にある。救世主枠のキャラクターが、だ。


 こんな人物が果たして、世界の中心となってイベントを盛り上げられるのか。それは夢のまた夢だと言えた。


「イベントの成功と、これ。どっちが夢物語かなぁ」


 レイン君が奇跡的にも英雄の座を手にすることと、私が全マニュアルを読み込んで事態を軟着陸させること。どちらも同程度に不可能だと、脳内の経験則が嗤(わら)いながら言った。それを証左するように、その日は資料の山をロクに切り崩せないままで業務を終えた。


 帰りの電車内での事。結局私は、ハコニワ住民の暴動状態を解いていないことを思い出し、手すりを冷や汗で湿らせてしまう。


ーーまぁ、明日の朝イチにやればいっか。


 そう思うことで、どうにか焦る心を宥める事に成功するのだった。

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