第5話 僕の普通と彼女の話

「リョウくんはどんな人なの?」

 帰りの駅のホーム。多くの人の喧騒の中、リサさんにそんなことを尋ねられた。

 時刻はだいたい四時。向かい側とこちら側のホームの屋根の間から夕日が差し込んできていた。真冬は日が沈むのも早い。行き交う人々は寒そうに手を擦ったり、マフラーを巻き直したり、それぞれがそれぞれの小さな生活を送っていた。

「どんな人、というと?」

「私、まだリョウくんと知り合って一日しか経っていないでしょ? だから全然君のこと知らないんだなあって」

 言われてみればそうだ。

 こうして一日一緒に過ごしているわけだけだし、なんなら昨夜は同じ屋根の下で眠っていたわけだけれど、まだ互いのことなんて全然知らないのは当たり前だ。

 それでも俺はこの一日でなんとなくリサさんの性格や行動パターンを把握してきたつもりだった。それはリサさんが結構変わった人――人ですらないのだが――だからだろうか。

 対して俺はどうだろう。

 リサさんがこんなことをわざわざ聞いてくるくらいなのだから、俺のことがどんな人間かなんてわからなかったのか。それともあまりに俺が普通でなんの特徴もないってことなのか。

「彼女とかいる?」

「なんですかその質問。ていうかもし彼女がいたらリサさんを住まわせたりしませんよ」

 もはや煽りのような質問だ。

 リサさんはくすくす笑ってそれもそうかと呟いた。

「好きな人とかは?」

「なんでそういう質問ばかりなんですか……?」

「その人間の恋模様を知ればその人間の本質が見えるのよ」

 初めて聞いたぞ。それともヴァンパイア界の常識なのだろうか。

 いや絶対リサさんが勝手に言っているだけだろう。現に彼女の表情からは面白がってやろうという魂胆しか見えない。

「好きな人もいませんよ。少なくとも今は」

 大学で異性の知り合いはいるが、恋愛感情を抱いたことはない。そもそもそこまで親密になるような機会もないから仕方のないことかもしれないが。

 普段からよく遊ぶような仲のいい人間は基本的に男連中ばかりだし、女性と関わるのもせいぜいサークルとバイトくらいで、サークルはともかくバイト先の人間なんて忘年会や新年会くらいでしか飲みに行かない。連絡先を知っている子のほうが少ない。

「今はっていうと、昔はいたの?」

「なんですか。修学旅行の夜みたいなテンションにならないでくださいよ」

 グイグイ来るリサさん。なんだかこういう時はお姉さん感はほとんどなく、むしろ年下の親戚の子くらいに思える。

「そりゃ、昔はいたでしょう。俺だって恋の経験くらいあります。別に彼女がいたことだって――」

 と、言いかけて黙ってしまった。脳裏に一人の女の子の姿がよぎってしまったからだ。

 別に思い出したくないわけじゃない。

 ただ、甘い記憶ばかりじゃないというだけだ。

「ほー、リョウくんの元カノかー! どんな子だったの?」

「普通の子ですよ。別に特別なことがあったとか、ドラマみたいな恋愛をしたとかそんなんじゃないです」

 首を横にふる。思い出を振り払うように。

 無かったことにできるのなら、とっくの昔に忘れているだろう。それでも未だに彼女のことを思い返すのは俺にとって手放したくない何かがあるからなのかもしれない。

『まもなく、二番線に――』

 ホームを駅員のアナウンスの声が包む。

「俺の恋愛話なんて面白くないですよ」

 そう言ってから、俺たちは到着した電車に乗り込んだ。


「それじゃあ他のこと聞こうっと」

 リサさんは俺の顔を見てなにかを察したのか、回避するように質問を変えた。

 電車の中では他愛もない、ありきたりな質問ばかりが飛んできた。

 実家のこと、家族のこと、俺が何を好きだとか、大学ではなにを勉強しているのかとかそんなことを話していた。

 最寄り駅についた頃に、リサさんはある質問をした。

「リョウくんは将来何がしたいの?」

「…………」

 黙ってしまう。いや沈黙が答えみたいなものだった。

 しばらく考えて、

「今考えているところですね……」

 なんてことしか返せなかった。

「これも聞かない方が良い?」

「いや、そんなことはないです。むしろ最近悩んでたんで聞いてくれて助かります。人に聞いてもらえると多少は楽になる気がするので……」

 リサさんの気遣いに感謝を述べつつ、俺は今の自分の現状を語った。

「これまでの人生であんまり自分で何かやりたいことをやり通したって経験が無いんです。普通の家庭に生まれて普通に生きて、普通の生活を送ってきただけで。……大学に進学したのも人並みに勉強していたら有名大学じゃなくとも将来に困らないくらないのレベルには進めるようになっていたからで、自分から選んだ道かと言われるとそうじゃないんです」

 現に大学に入って具体的な分野を勉強したいという志のようなものは無かった。就職に困らないのであれば大学に行くのが一番だと思ったからだ。

「中学高校の部活動だってすごい成績を残したわけじゃないし、人より秀でた特技があるわけでもなくて、写真が趣味だけれどコンテストに出すほどモチベーションが高いわけじゃない。そんなこんなで二十年も生きていたら、なんとなく察してきたんです。俺って中身の無い、からっぽの人間なんだって」

 何をやっていても中途半端。結局何も持たないまま二十年も生きてきた。

 そんな俺が今更何かやりたいなんて気持ちを抱くこともできない。あと一年もしないうちに就職活動だって始まる。それなのに未だに自分の進路さえ決められていないのだから恥ずかしい話である。

「そっか、リョウくんはそう思っているんだね」

 俺の話を聞いたリサさんはそう答えた。

 彼女は俺の言葉を聞いてどう思ったのだろう。リサさんは見た目は俺と変わらないくらいだけど、たぶん俺よりも長く生きているし、魔界を追放されるくらいなのだからそれなりに波乱万丈な経験をしてきているのかもしれない。

 ここはリサさんを人生の先輩と見越してありがたいアドバイスを貰いところだが……。

 しかし俺の期待を裏切るかのようにリサさんは一言、

「まあ、やりたいことなんてそのうち見つかるよ」

 と実にシンプルな言葉を投げかけただけだった。

 思わず拍子抜けする俺。

「え? それだけ……?」

「それだけだよ」

 なんてことだ。こいつ、人の悩みをたった一言で一蹴しやがった。

 俺は結構勇気を出してリサさんに悩みを打ち明けたのだが、彼女はどうやら俺の悩みを悩みとすら感じていないようだった。

「私だって将来なにがしたいかなんてあんまりわかんないしね。今はとりあえず魔界に戻るまで生活できればいいやって感じ。それから先のことは全然考えてないもの」

 リサさんの言葉はかなり軽い。

「将来何がしたいかって私が聞いといてなんだけど、絶対に実現するとは限らないでしょう? それでも何かやりたいことが一つあってそれを生きる目的にしているのであればそれはいいことだと思うよ」

「じゃあ、そんな生きる目的がない俺みたいなやつは……」

「生きる目的を探すことを目的にすればいいんじゃないかな?」

 実にシンプルな答えだった。

「大切なのは過程であり、かつ、結果だよ。目的を探すために生きて、もし最後まで生きる目的が見つからなかったとしてもその生きた時間が充実したものであればその人生はとても良いものになると思うわ。逆もまた然り、目的が簡単に見つかったら今度はその次の目的の為に生きていけばいい」

 過程と結果、両方を求める必要はない。どちらかが満たされればそれでいいのだと、リサさんは言った。

「なんていうか……深い事言いますね」

 数時間前までショッピングモールではしゃいでいた姿とは真逆だな。俺は思わず笑ってしまった。

「それに――」

「それに?」

「リョウくんのこと空っぽだなんて私は思わないな」

「まだ知り合って一日しか経っていないのに?」

「うん」

 自信満々に笑うリサさん。

「だって普通の人なら家に勝手に上がり込んできたヴァンパイアを住ませようなんて思わないもの」

「とんでもないことをしている自覚はあったんですね……」

「きっとリョウくんにも他の人にはない唯一の要素はあるよ。ただそれを君がまだ自分で見つけきれていないだけじゃないかな」

 リサさんの言葉はいとも簡単に俺の心まで入り込んできた。

 冷たく棘のあるわけでもなければ、熱く心を振動させるわけでもない。人肌のような心地の良いありきたりな言葉が今の俺にはとても嬉しかった。

「まあヴァンパイアなんて生き物と暮らしていれば普通じゃない生活が待っているに決まってるか……」

「そ、それは事実だとしてもその言い方はヴァンパイア差別よ!」

「差別じゃないです。区別です。むしろ特別扱いですよ」

「そうなの? ならよかったー」

「リサさんがチョロくて良かったです」

「え!? からかってる!?」

「別に、そんなことないですよ」

 二人で帰り道を歩く。

 夕日は今にも住宅街の向こう側へと消えていきそうだった。

 これから新しい生活が始まるのだと、夜の訪れが告げる。

 けれども不思議と不安なんて気持ちはなくて、むしろ今は楽しみに思うことのほうが多かった。

「今日の夕飯は何にしますか?」

「私、ハンバーグ!!」

 二人で帰り道を歩く。

 

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