第2話 最初の朝ごはん

 リサさんがやってきた次の日のこと。

「今日は家具とか諸々買いに行かないとなあ」

 時刻は朝の九時。俺はどちらかというと朝方の人間なので、いつもこのくらいの時間には布団から出て朝飯の準備をしていることが多い。とはいえ今日は昨日の影響もありまだ眠気が抜けきっていないが。

 冷蔵庫を開き適当な食料がないかを漁る。中は予想していたよりも貧相なもので、二人分の朝ごはんを作るには少し心もとない。

「やべ、食パン一枚しか残ってない……」

 仕方ない。食パンは分け合うか。

 冷蔵庫からパンの他に卵やベーコンを取り出す。フライパンに油を敷いた後、溶いた卵を流し込み火に掛ける。ここまで慣れた手付きで問題なく進める。いつもの朝と同じ光景だ。

 ただいつもと違うのは、我が家のソファで昨日知り合ったばかりの魔族系女性が眠りこけていることである。

 ヴァンパイアお姉さんことリサさんは未だに睡眠中。昨日のことでもう安心しきったのか、穏やかな顔ですやすやと眠りこけていた。長いまつ毛が微かに揺れている。

 昨夜、俺のベッドに潜り込んでこようとしたリサさんをなんとか止めてソファに寝てもらったが、ソファでも十分安眠できたようで何よりである。一方の俺は一つ屋根の下で女子とともに夜を過ごすなんて経験を小学生ぶりにしたので、緊張してほとんど眠れなかったといっても過言ではなかった。

「しかし、いろいろと危ないよなぁ……」

 ソファの上のリサさんを見る。

 ただでさえ露出の多い格好なので、横になって眠っている姿は色々と危険だ。

 少しでも動こうものなら谷間やふとももの肌色がちらついて目に入る。

「んぅ……」

 そういう艶めかしい声とかあげられるのもすごく困る!

 リサさんの体は華奢で骨こそ細いものの、付くべきところに付いているお肉はとてもボリュームがある。狭いソファの中ではあまり大きく体を動かせないのか、寝返りを打とうとしても体を小さく揺らすくらいしかできない。その度に大きな二つの果実がぷるぷると揺れるものだから、これまた目が離せなくなってしまう。

 渡しておいた毛布は床に無造作に転がっていた。改造されたネグリジェのような服からはおへそが丸見えになっていて、これもまたなかなかに色っぽい。

 中高とほとんど女子と深い関わりを持ってこなかった俺としては二十歳にもなって女性への耐性が皆無なことがここにきて致命傷となっている。

 というか、ずっと見てしまう。

 美女から目が離せないのは男の性かもしれないが、このままじゃこれからの共同生活に支障をきたしかねない。

 というか、現に――

 じゅぅううううう……。

 焦げ臭い香りが俺の鼻へと届く。

「やっべ!しまった!」

 焦りつつフライパンの方へ視線を戻すとそこには先程まで卵だったであろう黒い塊が鎮座していた。

 しまった。

「やってしまった……!」

 思わず声に出す。

 キッチンには卵の焦げた臭いが充満していた。

「んぅ?なんの声ー……?」

 ソファの上から声がする。どうやら俺の悲痛な叫びを聞いてリサさんも起きたらしい。

「おはようございます」

「おはよー……朝、はやいんだねぇ」

 間抜けた声で返事をするリサさん。こちらは俺とは違って朝は苦手なようだ。まあヴァンパイアだし当たり前か。

 起き上がったリサさんは重い瞼をこすりながらこちらへ歩み寄ってきた。

「何してたの?」

「朝飯を作っていたんですけど……」

 頭を掻きながらフライパンの上に広がる惨状を見せる。

 リサさんはくすくすと笑いながら、俺の肩を叩いた。嘲笑うような態度ではなく、俺を励ましてくれているようだった。

「すみません。すぐ作り直すので」

「ゆっくりでいいよ。私、全然待てるから」

「手伝う気はないんですね」

「寝起きだし。料理したことないし」

 なんと傲慢な。

 リサさんの態度に呆れつつも、励ましてくれる優しさは純粋に嬉しく思った。

「それじゃあテレビでも見ながら待っててください」

「うん、わかったー」

 再び居間へと戻っていくリサさん。彼女は昨晩の寝床だったソファに座り朝のニュースを眺め始めた。

「しょうがない。また作り直すか」

 スクランブルエッグとベーコンなら作り直すのもそんなに時間は掛からないだろう。俺は焦げた卵を捨ててから、再び一から朝ごはんを作り出した。

 先程と同じ失敗はしないよう、今度はしっかり目の前だけに焦点をあわせる。リサさんが気にならないといえば嘘になるが、無理矢理にでも手元へ視線を向け続けたおかげで今回は大した失敗もなく順調に作業が進んでいった。


「はい、お待たせしました」

 ソファの前に置かれたテーブルの上にお皿を並べる。

 焼き立てのベーコンが食欲をそそる臭いを醸し出している。スクランブルエッグも今度はキラキラと黄色の光を放っている。

「うわあおいしそう!」

 すっかり覚醒したリサさんは、いただきますと同時にトーストにかじりついた。

 サクッと心地よい音を立てて半切れのトーストが彼女の口の中へと運ばれる。

「うんまいっ!」

 極上の笑みを浮かべながらリサさんは声を漏らした。

「普通にオーブンで焼いただけなんですけど、喜んでもらえてなによりです」

「そもそも人間界にある食物自体が魔界と比べ物にならないほど美味しいのよ。人間の血も何十年と吸ってたら流石に飽きちゃうし」

 そういうものなのか。人間界に追放されたって言ってたからてっきり魔界のほうがいいとこなんだと思っていたけれど、どうやらリサさんにとってはそうでもないらしい。

「吸血鬼は普段人間界の物は食べないんですか?」

「ヴァンパイアって呼んでね。吸血鬼って呼ばれ方あんまり好きじゃないの」

「はあ、ごめんなさい」

 何が違うんだろう。

「基本的にヴァンパイアは人間を下に見てるから人間の物はなるべく触れないようにしているのよ。ご飯とかこっちのほうが圧倒的に美味しいんだけど、人間のものだからってだけでみんな敬遠してるの」

 なるほど。確かにヴァンパイアって聞くと貴族のような高貴な魔物のイメージを浮かべる。人間界に追放ってことはいわば島流しみたいなものなんだろう。

「でも私は正直みんなの言ってることもよくわかんないから、全然気にしないんだけどね。ていうか毎日こんなに美味しいものが食べられるのに文句なんかないわよ」

 半切れのトーストでも、とても満足気に食べるリサさん。こんなにいい顔で食事をする奴は人間の中にもそうそういない。

「なんだか久しぶりに人と食事していて楽しいと感じた気がします」

「そう?それじゃあ今日からはずっと楽しいわよ」

 笑顔で語るリサさん。

 彼女の言う通りだ。これだけ嬉しそうにご飯を食べてくれる人(ヴァンパイア)が一緒にいてくれるのであれば、これからの共同生活も案外悪くないんじゃないかと思う。

「今日は買い物に行きましょう。布団とか服とかいろいろ揃えないと」

「えぇー、私はリョウくんと同じベッドで寝てもいいのに」

「駄目です。その服だって外に出れば何度職質受けるかわかりませんからね」

「これもヴァンパイアの正装なのに……」

「人間界での正装を着てもらいますよ」

「むぅ、やっぱり色々と面倒な場所に来ちゃったなあ……」

「後悔しました?」

「いいえ。こんなに美味しいご飯があるんだもの。それにリョウくんとも出会えたしね」

 気恥ずかしいことを平然と言ってのけるリサさん。

 ……まあ、そう言ってくれるのなら素直に喜んどこう。

 意外とこの共同生活も悪くないんじゃないか。そう思った朝だった。

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