家に帰るとえっちなヴァンパイアのお姉さんが住み着いていた話

西梨アキ

第1話 家に帰るとえっちなヴァンパイアのお姉さんが寝てました。

 家に帰ってくるととてもえっちなお姉さんが居座っていました。

 お姉さんは俺の家のソファで横になりながら、九時から始まるバラエティ番組を死んだ魚のような目で眺めていました。

 そしてーー俺にはまるで家の主かのようにテレビを眺める彼女がいったい誰なのかさっぱりわからなかったのでした。


ーー


 世間からは暇人に見られがちな文系大学生といえども授業、サークル活動、バイトの三つが重なった日はそこそこに忙しい。朝から晩までくまなく活動した俺の身体は疲れ切っていた。

 そんな疲れた体で夜の帰り道を歩く。

 家は築十年のアパートのワンルーム。大学から近いというだけで選んだけれど、駅もスーパーも徒歩五分圏内にあり住み心地も悪くない。強いて不満を言うのなら、エレベーターがないので四階にある自分の部屋まで階段を登らなきゃいけないってことくらいだろうか。

 今日みたいな日はこの4階分の階段が最後の強敵として待ち構えているから少しだけ嫌になる。

 それでも今の暮らしそのものに文句はない。

 大学もバイトも充実していてなんの不満も抱こうか。

「これで彼女もいれば幸せなんだろうけどな」

 大学に入ったら誰だって彼女ができるなんて言っている奴もいたけれど、現実はそう甘くない。これといった特徴のない普通の人間である俺に人を惹きつけるような魅力もなく、結局大学二年の冬になってもこうして一人の生活を続けているわけだ。

 冬も終われば三年生。人生の夏休みと謳われる大学生活も半分を過ぎようとしていた。

 階段を上りきり、家のドアの前までたどり着く。かじかんだ手で鍵を取り出し鍵穴へと突っ込む。鍵の開く無機質な音。

「ただいま」

 慣れしたんだ無機質を誤魔化すように慣れしたんだ言葉を発した。

「ってあれ?」

 家の中の違和感に気づく。

 いつもであればほの暗い闇が迎え入れてくれるはずが今日はそうじゃなかった。

 部屋の電気がつけっぱなしである。さらに部屋の奥からはテレビの音声も聞こえてくる。

「俺、消し忘れてたっけ」

 不審に思いつつ廊下を進む。

 部屋に入るとやはりテレビも灯りもつけっぱなしだった。自分の記憶が正しければ今朝ちゃんと電気を消したことは確認していたのだが……。

 ふとソファに目を向けると知らない女が寝転がっていた。

「あ、いらしていたんですね」

 俺はそう口に出す。

 変に冷静だった。

 いや待て。

 知らない女が寝転がっている?

「あ、お帰りなさい」

「はいただいま」

 変に冷静だった。

 ん?

 パステルピンクの髪がまっすぐ腰のあたりまで伸びている。見たことない服だ。ぱっと見、OLの着るようなワイシャツをネグリジェに改造したようなそんな服だった。スカートと言っていいのかわからない、とても小さな布切れを腰に巻いていた。

「あの、コスプレイヤーの方ですか?」

 変に冷静だった。

 顔の造形も大変美しい。雑誌の中のモデルみたいに美人だ。だから思わずそういう仕事をしている方なのか尋ねてしまった。

「ううん、ヴァンパイア」

「なるほど」

 ヴァンパイアというよりもサキュバスと言われたほうがしっくりくる。それくらいに彼女の格好は扇情的だった。少し寝る姿勢を変えただけで色々と見えてしまいそうになる。

 しかも彼女の格好だけでなく、身体も色々とボリュームが満点なせいで色々危ない。

「お名前は……?」

「リサっていいます。よろしくね」

「よろしくお願いします」

 意外と日本人っぽい名前だ。

 なんとか頭が回り始めた、とっさのことに頭の回路がショートしてしまっていたけれど、なんとか冷静に状況を分析できるようになってきた。

 よし、ここで情報を整理しよう。

 家に帰るとヴァンパイアと名乗る女がうちでテレビを眺めていた、と。

 そう、つまりーー

「不審者だ!!?」

「ち、ちょっと、急に大声出さないでよ!」

「いや、出しますよ!誰なんですかあなた!警察呼びますよ!?」

 コスプレイヤーか風俗嬢か、はたまた頭のおかしい痴女か。なんにせよ不法侵入で通報しても問題ない。というかするべきだろう。

「やめてー警察はやめてー」

 すごく間の延びた声で抵抗するヴァンパイアガール。

「いや、通報しますから。それかはやく出て行ってください」

 すでに携帯に手を伸ばしている。

 110のダイヤルを押したのは人生で初めてだ。

「わかったわかった。ちゃんと事情を説明するから。説明だけでもさせてよ!」

 こっちのテンションに当てられてか吸血鬼も焦り出す。

「事情説明したら警察呼んでもいいわよ」

「いやなんであなたの話聞かなきゃいけないんですか」

 こんなの問答無用で通報である。

「いいの?」

「なにが。話聞かなきゃ何するっていうんですか。血でも吸うんですか」

「いや血は吸わないし、ゾンビにもしないわ」

「ならーー」

 スマホの発信ボタンに手をかける」

「でも、テレビ割るわよ」

 はっきりと彼女が言いつける。

「は?」

「いいの?そこの液晶テレビ割るわよ。バラバラにして掃除もめちゃくちゃ大変になるわよ。そんでもって新しいテレビも買わなきゃいけなくなるわよ」

 そう言って定価二万円の我が家のテレビを指差す。

「ふふ、テレビを破られて見なさい。今日掃除する労力に、粗大ゴミをまとめなきゃいけない面倒、そして新しいテレビを買うためにさらにバイトのシフトを増やさなくちゃならなくなるわよ」「くっ……」

 それは、結構…………面倒だ!

 卑怯なやつだ。まさかうちの家電の人質にとるなんて……!

 しかし焦ってはいけない。向こうのペースに乗せられてはこっちが損をくらいかねない。

「わかりました。話は聞きます。その後どうするかは俺が決めます。それでいいですね」

 俺は一度冷静になって彼女に向き直った。

「いい子ね!それじゃあ早速聞いてちょうだい私の悲壮で不憫な涙不可避のエピソードを!」

 このヴァンパイア、結構俗だな……と思いつつ俺は話を聞くことにしたのだった。


ーー


「つまり、魔界の揉め事が原因で人間界へと追放され、行くあてもなく彷徨い続けて食う場所も寝る場所も困り果てたので近場にあった若い男のウチに迷い込んだと……」

 ようはそういうことらしかった。

「えっと……君は、」

「リサよ。あとさん付け忘れないこと。これでも君より年上なんだから」

「はあ。それでリサさんは、なにが目的なんです?」

「できれば魔界に戻るまでの間住まわせて欲しいの」

「殴りてえ」

 まさか他人の家に勝手に上がり込んでさらに住まわせてほしいとのたまわれるとは思ってもいなかった。ヴァンパイアって高貴で慈悲は受けないみたいな奴じゃなかったのか。

「具体的に期間は……?」

 まさか100年とか言わないだろうな。

「そんなに長くはないわ。たぶんあと二年くらいじゃない?」

「あ、意外に短い……ってそれ俺が大学にいる間ってことじゃないですか!」

「そうなるわねぇ。っていうかもう住まわせる気満々でいてくれるのね」

 ニコニコと笑うリサさん。

「い、いやそうじゃなくてっ」

 しまった。変な期待を持たせてしまった。

 いや、そもそもこの人が本当にヴァンパイアなのかも疑わしい。第一俺には霊感もなければ、幼少期に不思議体験をしたという実績もない。ヴァンパイアなんてゲームかハロウィンの仮装でしか知らないぞ。

「ヴァンパイアである証拠とかってあります……その、身分証的な」

「んー身分を示すものはあるけれど、別にそれを見たところで君は信じてくれないだろうしなあ」 

 それもそうだ。吸血鬼界の免許証なんて見せられてもわかるわけがない。

「あ、そうだ。ほいっ」

 そう言ってリサさんは口を大きく開けた。

「やえはのろこ!」

 どうやら「八重歯のとこ」と言いたいらしい。

「りへ!」

「見て」と言いたいらしい。

 確かに歯は俺が想像していたヴァンパイアのように尖っている。八重歯だけじゃなく他の歯もギザギザしてまるでサメみたいだ。

 っていうか、なんかこう真っ赤な舌を伸ばして口を開けている姿は少し……変な気持ちを沸きたてられるな……。

 そんな俺の気持ちをよそにリサさんは歯の一点を指差す。ちょうど八重歯の先の部分だ。

 歯医者みたいに口の中を覗き込む。そこには通常の人間には無いはずの一ミリにも満たないくらいの小さな穴があった。

「穴があったでしょう? そこから血を吸うの」

 どうやらあの穴は吸血用の器官らしい。

 確かに歯は特徴的だ。人間のそれとはかなり形状が異なっている。そしてわざわざ人工的に作られたものとも思えない。

「実際に吸ってみようか?」

「痛そうなのでいいです」

 即答でお断りさせていただくとリサさんは露骨に悲しそうな顔をした。

「じゃあ、いいです。確かにあなたが、」

「リサ」

「リサさんが吸血鬼、」

「ヴァンパイア」

 細かいことを気にするなこの女。

「リサさんがヴァンパイアってことは納得しました。いやちゃんとは納得してないですけど、ひとまずはそういうことにします」

 リサさんは不服そうだが、話を続ける。

「それでウチに住むって言っても……」

「ダメ?」

「そりゃあお金もかかりますし……」

「贅沢は言いません!細かいことも全部君のルールに従うから!」

 ヴァンパイアは必死にウチに住みたい姿勢を見せる。

「でもタダと言うわけには……」

 しかしこのヴァンパイア、人間界で働けるとは思えない。髪はピンクだし。常識なさそうだし。

「じゃあ、じゃあ!」

 リサさんは何か思いついたように手を叩いた。

「今、何かほしいものとかある?」

 急にそんなことを尋ねてきた。

「欲しいもの?」

「実際の物で。靴とか時計とか食べ物でもいいし、なんならお金でもいいんだよ!」

「はぁ」

 欲しい物。俺はしばらく考えた後に、

「じゃあ一眼レフで」

 ちょうど新しい趣味としてカメラが欲しかったことを思い出して、なんとなくそれを口にしてみた。

「おっけー!」

 リサさんは大きく頷くと、静かに目を閉じて、手のひらで空の円を描くように動かし始めた。その動きは占い師が水晶を扱うみたいだ。

 やがてカタカタと音を立てて周りの物が振動し始める。

「地震……?」

 リサさんは何も言わずに手を動かし始める。

 そして徐々に彼女の手のひらが包む中心の部分に、彼女の髪色と同じ桃色の煙がふわふわと立ち込め始めた。

 煙は天井に上がることはない。彼女の手のひらの枠を出ないように蠢いている。見えないガラス玉の中に煙が閉じ込められているみたいだった。

 煙の動きに反応するように振動も大きくなる。机の上のコップがカタカタと揺れている。

 俺は煙を見つめる。生き物のように時にゆったり、時に素早く煙が手の中を動き回る。その景色は神秘的だった。

 ピンクの煙はやがて密度を増していく。

 そして粘土を捏ねるような動きで何かを形作っていった。

「ーーっ!!」

 声にならない声がリサさんから飛び出した。

 その直後に光の線が手のひらから生み出される。

「うわっ!?」

 目を瞑った。

 何が起きたか理解できなかった。

 数秒経ってから目を開くと、

「そ、それ……」

 リサさんの手の中には俺が欲しがった一眼レフカメラが握られていた。

「創造魔術っていう魔法。人の欲しいものを具現化するの。対象のイメージを素材とするから、ほら」

 解説しながらカメラを手渡される。受け取ると、確かな重さが感じ取れた。ハリボテなんかじゃない。

 それをまじまじと見つめると、見覚えのあるロゴがレンズカバーに記されていた。

「君の欲しいものを細部まで再現されているから、実際にそのメーカーから売られているものとまったく一緒だよ。見た目も中身も」

「なにこれすげぇ!」

 声を上げる。

 電源を入れると確かに起動する。

 憧れの一眼レフは新品同様の動きを示してくれた。

 本当に魔法?あんな現象見たこともない。種も仕掛けもなさそうだ。ただカメラを取り出すだけなら、そういう手品もありそうだけれど俺の欲しいメーカーのモデルまで完全に読み取ることは不可能だろう。

 夢かと思った。けれどいまだに目がさめる気配はない。

 この時、彼女が名乗るヴァンパイアという言葉が俺の頭の中で反芻していた。

「本当に魔族、なんですね」

「結構な魔力を使うから、多分一週間に一回が限界だけど……。私を住まわせてくれたら週に一回君の欲しいものをなんでもあげるっていう契約はどうかな?」

 リサさんは手を合わせお願いするように言った。

 なるほど。家賃は現物支給っていうわけか。

 ヴァンパイアとの契約、字面を見るとまるで魂でも持ってかれそうだが……。

「持っていくのは俺の生活か……」

 しばし考えた後にリサさんを見つめる。

 彼女は再び不安と焦りを露わにしていた。上目遣いでこちらを見つめる態度はまるで捨てられた子犬みたいだ。

 その瞳の奥の不安の色が決定打だった。

「いいでしょう……」

「ほんとに!?」

「はい。ただし基本的には俺の生活リズムに従ってもらいますからね。吸血鬼といえども早寝早起き!三食ちゃんと食べる!いいですね!」

「全然大丈夫!むしろ三食ついてくるなんてありがたいくらい!」

 さっきまでの不安はどこへ行ったのやらリサさんは子供のようにはしゃぎ始めた。

 まあ、悪い人(?)じゃなさそうだし、迷惑をかけるようなこともしなさそうだ。同居人が一人増えても養っていけるかどうかは不安だけど、少なくとも退屈とか一人暮らしの孤独感が消えてくれるのなら俺にとっても悪い話じゃない。

「これからよろしくね。えっと……」

「笹木です。笹木了ささきりょうです」

「よろしくリョウくん」

 二人で握手を交わす。こうして俺とヴァンパイアのお姉さんの不思議な共同生活が始まったのだった。

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