『KAC7』専業主夫は家から出ない
チクチクネズミ
目覚めの朝は……
光が瞼を抜けて網膜に差し込みおれは目覚めた。この光はとても嫌だ。
おれが手を振るとカーテンが自動的に閉まると、隣に寝ていた彼女がいなかった。
さきに起きてしまったか。早く起きないと朝食がないって怒られるな。開けたくない目を無理やり開けて、ベッドから降りると早々に朝食の準備を始めた。
ベーコンがフライパンの中で自らの脂で弾け焼ける音がキッチンに響く。ベーコンがきつね色に変色してその横に卵を入れると、その香ばしい匂いに釣られてきたのかユリカが覗き込んでおれが料理するのを眺めている。
「おはよ。やっと起きたんだね。また手作り? ボタン一つでできるのに」
卵の白身が純白に焼けるのを見届けるとユリカは、横にある全自動料理機に目をやった。材料を入れて料理名を伝えてボタン一つで完成する代物だ。
だが、おれはそんな便利なものを使わずにフライパンとコンロという手間暇かかるもので料理している。ほかの人からすればおれは変人だろう。
「おれはローテクが好きなんでね。おれは専業主夫だから、ユリカには人の手が入ったものを食わせてやりたい」
「原始的なんだね。そういうとこが好きなんだけど」
ユリカは体を俺の肩に預ける。おれは少しかっこつけようと、一気に中の料理を皿の上に運んだ。だが、目玉焼きがフライパンに引っかかり、黄身がひっくり返ってきれいな目玉焼きがつぶれてしまった。……まぁ、人の手なんてこんなものさ。
しかしユリカはくすりと笑うだけで、文句ひとつ言わずフォークを取り出した。
「先に食べといてくれ、洗濯物を畳むから。トーストもオーブンに入っているから」
おれは少し居心地悪く、洗濯機のところに逃げていった。
世の中は便利になった。さっきのカーテンもわざわざ足を運んで閉める必要もない、品物だってネットで注文すれば家の中に設置されているボックスの中にすぐに品物が届く。洗濯物だって、洗濯はもちろん服を畳むのだって機械が全部やってくれる。外に出て物干し竿に服をかけることもない。究極的に言えば、家事仕事は外に出ることなく事が済んでしまうのだ。
しかし、おれはちょっとした手間が好きだ。ボタン一つは便利だが、多少の苦労も人生のスパイスだから。
おれは冷蔵庫大の大きさの洗濯機の中に手をやり、設定で折りたたまれていない洗濯物を畳み始める。洗濯物は外に干したようにふかふかで温かい。バスタオルもTシャツも、そしてユリカのパンツもまるで履きたてのようだ。おれはユリカのパンツをじっくりと見ながら悦に浸ると、後ろから足音が聞こえ慌ててそれを畳んだ。
「オサム、今日こそ外に出てみない?」
ユリカがそういうと、おれは全力で首を横に振る。
「外に出ないと近所の人たちが心配するし、美人な女の子にも会えないわよ」
「ユリカ以上の女なんていないさ。それに、おれがそっち向いたらユリカが嫉妬するだろ」
「するけど、それほどオサムの愛を確かめたいの」
ユリカは俺の横に座り、膝をよじっておれの隣に座って手を握る。だがおれは嫌だと拒否した。
あの時のことがあってからおれは、外が恐ろしい。外は危険なのだだから。
そもそもどうして外に出る必要があるのか、この家の中なら安全で、十分に不自由なく生活できる。しかしそれではユリカに申し訳ないから、おれはこうして専業主夫をして彼女の負担を軽減しているのだ。
すると、ユリカが哀感じみた声を上げて目に涙を浮かべた。
「私嫌よ。ずっとこの中で一生を終えるのなんて……ほらこの写真、隣の公園で撮ったものよ。この時のあなたはとても外が好きだったわ。みんなもう古すぎて持っていない懐中時計なんか見せびらかして」
ユリカが見せた写真には、新緑と色とりどりの花々が咲き乱れてた近所の公園でおれとユリカが肩を寄せ合って幸福そうに笑っていた。写真のおれの手には、もう骨董品でしか手に入らなくなった祖父の形見である懐中時計が握られて、ちょうど公園の時計と同じく長針が十二のところを指している。
確かに写真の中の時のおれは外が好きだった。外に出る必要が少なくなった時代に、おれはユリカを連れてスーパーで買い物したり、映画館で映画を見たり……
人は労して外に出るおれを懐中者と呼んでいたが、その労力が好きだといっても理解してくれなかった。ユリカを除いては。
けどもう写真のおれはおれでない、写真にいるおれはここにはいない。
「ねえ、もう一度だけ一緒に手をつないで外に出ましょう。今のままでは私たちもう限界だわ」
「だめだ。おれは出ていかない」
「意気地なし! もう私一人で出ていくわ。さよなら」
ついに癇癪を起したユリカが、立ち上がるや否や部屋から飛び出した。ユリカを追いかけると、ユリカが外に通じる玄関のドアを開けようとしているではないか。
「待ってくれユリカ! 外は危険だ! だめだ!!」
おれの制止も聞かずにユリカはドアを開け、あの恐ろしい光の中に消えていく……
――目が覚めた時に見えたのは、嫣然とした表情を絶えずにしている裸のユリカの姿だった。
『対象者が覚醒しました。コールドスリープモードを解除します』
おれの睡眠状態から覚醒状態に変わったことにより、コールドスリープモードが終わった。そして同じく隣でコールドスリープに入っていたユリカも同じように解除されていて、目覚めたのだ。
「おはようオサムさん。もう何年たったかしら」
「さあ、何百年かもしれないね。けどユリカがおれの前から去らなくてよかった。こうして本物の君に触れ合えるのはとても素晴らしいことだ」
横になっていた体を、背中の骨がポキポキ鳴りながら起こしてユリカを抱きしめると、彼女の肌はまだ氷のように冷たかった。しかしふにっと柔らかい本物の彼女の体はおれの冷たく冷えていた体をたぎらせるには十分な燃料になった。
体が温まると、重厚な鉄板で塞がれていた窓を外して窓を覗くと、光はなかった。
映っていたのは核攻撃によって瓦礫と灰塵と化した町の風景だ。隣に見えているかつての公園は、未だに緑は芽吹いてなく放射能で汚染された大地のまま。
おれたち夫婦は核戦争から逃れるために核シェルターに逃げ延びた。幸いにもおれたちは難を逃れたが、 核の光は高度に発達した文明を日常を崩壊させた。
インフラも崩壊し、シェルター内の蓄えも少なくなりつつあり、おれたちは物資節約のためコールドスリープに入っていた。コールドスリープモードの中では、夢の中でおれとユリカは生活していた。核攻撃をされる前のあの時の穏やかで平和な時間が家の中だけでずっと。
無残に破壊された日常をせめて夢の中だけで過ごし続けるために、おれは専業主夫をしていたのだ。
あれから何年も経ったはずなのにまだ復興できていない事実に、おれは力が抜けて体が崩れ落ちる。しかしユリカがおれの肩をつかみ、公園の方に指さす。
わずかな、本当にわずかで目を凝らさないと見えないほど小さな若葉が芽吹いていたのだ。
「ねえ、外に出ましょう。あの若葉のほかにも植物が咲いているかもしれないわ。それに食料のほとんどが賞味期限が切れているし」
「注文は……できないか」
おれが商品注文システムを起動させるが、うんともすんとも言わない。そりゃそうだ。わざわざ放射能を防ぐ鉄板を人力で外さなければならなかったのに、他の機能が動くはずもない。
「そうね。ボタン一つ押しても料理も洗濯もできないわ。買い物に行きましょう。手をつないで自分の脚でスーパーに行って、食材を選んで、火をつけてフライパンで朝食を用意する。あなたの大好きなローテクノロジー」
ユリカはそういうと、おれの服を投げて渡した。それはあの公園で撮った時に着ていた服だった。おれが服に袖を通すと、ポケットの中に何か固いものが当たった。それを取り出してみると、おれは小さな懸念が浮かんだ。
「ああ、それは素晴らしいことだ。けど気がかりなのは……スーパーがこの時間に開いているかだ」
ポケットのなかに入っていた懐中時計の針は、まだ朝の六時を示していた。
『KAC7』専業主夫は家から出ない チクチクネズミ @tikutikumouse
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