私はヒーロー

志賀福 江乃

第1話


 今日もまたやってきた。


 助けて!


 そう叫ぶ声が私の耳に届く。

 私は今日も誰かを救う。そう、私は無敵のヒーロー。





 ゆっくりと目を開ける。いつも通りの真っ暗な道。ここは通い馴れた近所の神社の本当の姿。暗闇からは白い手が伸び、石畳には不気味な影がうつる。木々にはギョロギョロとした目がいくつも張り付き、その木々の間を縫うように残像を残しながら人魂が飛んでいる。どこからともなく聞こえる女の笑い声に、小さい赤ちゃんの劈くような悲鳴。ぽぽぽぽ、と尺八様の声がしたと思えば、遠くには、白いものがゆらゆらと誘うように蠢いている。


「またか……」


 そう呟くと私の目の前を黒猫が走り去った。黒猫がポトリとアイテムを落とす。今日はどうやらスコップのよう。お前は宅急便か何かなのか。毎回アイテムを律儀に落とすそいつは、スコップを見つめている間に消えた。


 いつから始まったのかわからないこのゲーム。果たしてゲームなのか、神様たちの悪戯なのか、私にはわからない。これに巻き込まれて、唯一言えることは、失敗すると大事な人がひとり消えるということだった。最初は混乱して、このゲームをクリアできなかった。すると彼氏が消えた。死んだのではない。この世から元々いなかったかのように消えたのだ。彼の家族に尋ねれば、そんな子供はいない、そもそもお前は誰だ、と冷たく突き放された。


 2回目のゲームは、なんとか無事にクリアした。救い出した人は私の弟。夢に巻き込まれた人はこの夢の間の記憶はないらしい。朝起きて、弟の顔を見て崩れ落ちた私に、「どうしたの、お姉ちゃん。おはよう」と優しく声をかけてきた。


 それからというものの、私はこの夢に巻き込まれるたび、大切な人を守るために必死にクリアを目指した。その大切な人に次の日の朝、「おはよう」と挨拶するために。




 いつの間にか、私の心には恐怖はなくなっていた。このゲームは私をヒーローにした。平凡でつまらない毎日にやっと訪れたスパイス。むしろ、楽しんでいる。


 今日のお姫様はだあれ。私はスコップを握ると、悲鳴のする方に視線を向ける。どうやら私の大好きな親友が捕まっているようだ。私の目の前に現れた巨大なうさぎが何よりの証拠だ。


「いいよ、助けてあげる。ちょっと待っててね、すぐいくから」


 私は自分自身の口角が、きゅっと上がるのを感じた。スコップを握る手が汗ばむ。心臓のどくどく、という音が体の中から嫌というほど響く。ジェットコースターに乗る前のような緊張感、興奮感。それらを全て掻き消すかのように私は走り出す。




 まず目の前に立ちはだかる、巨大なうさぎをどうにかしなくちゃいけない。もふもふした肉垂れは本来可愛らしいはずなのに、口から漏れ出る唾液によってベタベタになっている。巨大な前歯は鋭く尖り、目は真っ赤に充血して血の涙を流している。


 私は助走をつけてそいつの背中に飛び乗る。ぐさ、ぐさ、とスコップを突き刺してやると、キュウッ、と悲しげな声を出す。そんな声出したって無駄だよ。なにせ、私は、今まで何人もの人を助けるためにあんたみたいなやつを殺してきたんだから。早くしね。


 ぴょん、と軽く飛ぶ。そう、この夢の中でなら、私の体は全て思い通りに動く。高いところへのジャンプだって、落下だってお手の物。まるで魔法少女や、戦隊モノのような動きが軽々とできてしまう。怖がって飛べなかった最初の頃とは違う。今じゃ、余裕しゃくしゃく、笑いながら戦える。


「あはは、よわぁい」


 ふと、視界の端が光った。肉垂れの中にチカチカと光る宝石を見つけた。ああ、あれだな。ゲームとかでよくあるわかりやすい弱点。


 槍のようにスコップを構え、真っ直ぐ突き刺す。パリーン、という音ともにうさぎが赤い欠片になって飛び散った。


「らくしょーらくしょー」


 可愛らしい見た目の敵を倒すのは、最初は躊躇ったけれど、今じゃなんにも感じなくなった。最初の頃は、あんなにこの夢が嫌で、いろんな敵を倒さなくてはいけないことが重荷だったのに、今ではむしろ、眠るのが楽しみになっていた。この夢のあとは心も体もすっきりするから。




 その後もどんどん現れる敵を倒していく。口裂けりんご、ひたすら汁を飛ばしてくるみかん、爆発するポッ○レモン。彼女の思考は一体どうなっているのか。なんなんだ。最もよくわからないのは爆発するポッ○レモンだ。近くで爆笑してしまい、まずい! と思ったが、爆笑しても吹き飛ばされるわけではなく、ただ、レモンの汁まみれになるだけであった。


 面白い友達だと常々思っていたが、ここまでとは。普通であればおどろおどろしい神社の境内も、今日ばかりはアメリカのB級ドラマのようになってしまっている。先程、レモンの汁を受けて、くねくねはきゅーっ! と叫び声をあげて、どこかへ消えてしまったし、尺八様はいつの間にかアクロバットな動きをして、鳥居の上へ避難している。彼女はどうやら、アクロバティックサラサラだったらしい。


 ※アクロバティックサラサラとは、尺八様のように大きい身長でありながら、アクロバティックな動きをして、屋根の上に登ったり、建物の間をジャンプしたりしながら、追いかけてくる都市伝説の女である。


 他にも見たら幸せになれるというランニングベイビーが、楽しげに木々の周りを走り回ったりしている。いつにもましておかしい。



 この夢の世界は、囚われている人のトラウマや、好きなもの、興味のあるもの、また私自身と関わりのあるものが出てきて襲いかかったりしてくる。それを倒したり、逃げたりすることで奥に進めて、どこかにとらわれている大切な人を、檻のようなところから出して助けられればクリア。助けても血塗れで現れた私に、大切な人たちは怯えたりするけれど、もう気にしない。きっと、親友である彼女も怖がるであろう。


 体についた返り血が生臭い。ベタベタして、気持ち悪い。


 ズルズル、カランカラン、と私がスコップを引きずる音が響く。


 神社の境内が見えた、と思い、目を凝らすと、ゆらゆらと真っ黒な影が揺れている。その影は、目ばかり赤く光らせ、こちらを見つめていた。ぐぁぁあ、と人間らしい声を上げる。その姿は見覚えがあった。ポニーテールを揺らし、スコップを引き摺っている。




「ははは、そっか、あれは」


 私だ。




 私は彼女に憎まれていたのか、それとも好かれすぎているのか。それを聞く勇気は、私にはない。彼女は普段から私に執着している節があった。それはもう、何をするにも私の側にいる。好かれている、と思いたいけれどつけあがりたくもない。




「あははは、自分と殺るのは初めてだなぁ」


 ぎゅっとスコップを握りしめる。自分と戦うことに、私はワクワクしていた。恐怖? そんなものはもうどっかにぽーん、と飛んでいった。さぁて、よろしく、私。楽しませてよね。体中から、笑いが溢れる。あー楽しい。もう、きっと私はおかしくなってしまったのだろう。こんな状況なのに、怖くないなんてまともじゃない。いつからこんなふうになってしまったのだろうか。







 からんからん


 べちゃ


 からんからん


 べちゃ


 からんからん




 真っ黒な自分を引き摺る。姿は黒いけれど血は真っ赤。


「ほら、これでいいんでしょ」


 境内の前にそいつを投げ捨てる。足が片方なくなっている。あら、引き摺ってきたから、足もげちゃった? かっわいそー!


「ねぇ、早く返して」


 そう言うと、動物園にあるような広い檻が現れ、中には親友が入っていた。私はおもむろに、真っ黒な『私』の心臓に手を突っ込んだ。ぐちゃぐちゃぐちゃと嫌な音が当たりに響く。こつん、硬いものが指先にあたった。


 その鍵をとって、檻を開ける。檻の中に入って、親友に駆け寄る。ぐったりと眠っている、彼女を揺さぶる。


「起きて〜、おはよぉだよ。ぐっもーにーん」

「ん……」


 寝起きがいい彼女なだけに、すぐにぱっと目を開けると、私の姿を見て、目をまんまるにした。あーあ、きっと、いつもみたいに気持ち悪い、だとか、怖いって言われるんだろうな……と、思っていたが、彼女の口から出た言葉は予想外のものだった。


「きれい……」


 思わず口から、は? と空気の抜ける音が出た。彼女が目覚めると同時にかだがたと周りが崩れだす。闇が割れ、光が溢れる。


 とろん、とはちみつが溶けたような目に、なんだか、そこしれない闇が漏れ出して、私を見つめる彼女の目。はぁ、と私の顔にかかる吐息は、艶めかしい温かさを持っている。


ーー怖い。


 久しぶりに怖いと感じた。何をしてても怖くなかったのに。どんな夢に巻き込まれても、どんなやつを殺しても、怖くなかったのに、初めて、彼女に怖い、と感じた。








 しゃーっとカーテンの開く音が耳に届く。ぶわぁ、っと顔を光が照らす。


「そろそろ起きなさい、あの子と待ち合わせしてるんじゃないの」


「う、うん……」


 なぁに、また変な夢でも見たの? と様子がおかしい私に話しかける。体は嫌な汗でベタベタになっている。いつもの、あの夢を見て無双したあとの心が浄化される感じ。それは残っていた。それなのに、何故あの目が忘れられないのか。おかげさまで私の心は恐怖心を取り戻したらしい。


 身支度を整え、家を飛び出した。待ち合わせ場所まで、走っていく。早く、いつもの彼女に会って確認したかった。


 長い髪が風に揺れている。こちらに気づくと振り返って、にっこり笑った。


「おはよう!」

「はぁ、はぁ、おはよう」


 なぁに、走ってきたの? と楽しげに笑う彼女はいつもと変わらなくてホッと安心した。彼女は私に駆け寄ってくるとギューッと抱きしめ、声を私の耳元で響かせた。


「助けてくれてありがとう、私のヒーロー」


 ひっ、と私の声が空気と共に漏れた。



 ずーっと一緒にいようね。



 かしゃん、と檻が閉まる音が何処かで響いた。最高の目覚めだわ、と彼女が呟いた。

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