ましろシンドローム

佐野友希

終わらない夜

 貨物室カーゴベイの内部は酷く寒くて、僕は両手の平を擦り合わせると、はぁと息を吹きかける。司令室オペレーションルームでは今頃コーヒー片手に僕たちの活躍を頬杖付いて待っている偉い人たちがたくさんいるのだと考えると、急に下腹部に痛みを感じないでもない。


「大尉、グラフに乱れが出てますよ」

「すまない、ルイス」

「大尉は考え過ぎなところがありますから。制感剤の投与をおすすめします」

「冗談でも結構だ。あれはクラッカーよりもたちが悪い」

「もっともですね」


 視界内に映し出されていた部下ルイスの顔が消える。正直、僕はこの副眼グラスアイが苦手だ。

 作戦内容や周囲の地形情報、自身の生体情報から仲間の状況をも常時教えてくれる。読めない文字を見れば自動で翻訳してくれるし、わからない言葉を聞けば字幕が流れる。ピザを注文するのも一発だし、Amazonでドッグフードを注文するのだって視界の中だけで行えてしまう。

 先程のように部隊内での意見交換からくだらない話題まで手軽に行えるのはとても便利だし、いまさら副眼なしの生活に戻れるとも思えない。

 けれど、なんとなく、手放しでは喜べない。

 これは僕だけなのかも知れないけれど。


「バークス、口の横垂れてるぞ」


 ネガティブな思考を取りやめ、隣の降下筒メトリック・ルートに収まった部下に指摘する。白い血液ナノマシンが口の横から流れているのだ。バークスは若干乗り物酔いが激しいため、こうして指摘してやらないと間抜けな顔のまま気付かず敵地へ降り立つこととなる。


「……す、すいません」


 ぐっと口元を拭うバークス。やはり気分が優れないようで、僕は気を利かせてバークスへの緩和剤の注入を要請してやった。


『残り300で降下可能地点へ到達します。最終確認を』


 意識の中に声が流れる。

 あと5分で僕たちの部隊は8万5千フィートの高さから放り出される。それまでにもう一度作戦を整理しておく必要があるかもしれない。

 今回の任務は研究施設への潜入及びターゲットの回収。

 現在この輸送機べヴェブスは日本の佐賀県のとある研究施設へ向かっている。施設は湊重工業という企業が保有する施設であるが現在は廃棄されており、そこに今回の任務で回収する必要のある対象が保管されているのだ。

 目標施設周辺は既に臨時政府によって戦域指定を受けており民間人はいない。言い換えれば、施設周辺に存在している人間はすべて敵として処理しても問題ないということであり、だから僕たちの今回のパッケージの中にはヒト狩り専用のドローンも含まれている。

 先行して向かわせた無人航空機UAVからの情報で分かっている推定敵対勢力は5000人程度。固定銃座や装甲車両などは確認されていない。というか、歩兵ですら武装しておらず、存在しているのは丸腰の女性のみである。


「……ましろ、って言うんでしたっけ、彼女」


 ルイスが語りかけてくる。

 僕の部隊が日本へ投入されるのは今回が初めてだ。

 当然、それの実物を見たことはなく、殺したこともない。


「俺、女子供を殺したことないんですよ。出来ますかね」

「シミュレーターで散々やってきただろ」

「現実に、って話ですよ」

「…………」


 日本という国が崩壊する原因となった『ましろ』と呼ばれる少女。

 研究所周辺に限らず、日本の国土のほとんどの場所はましろによって埋め尽くされており、残された人間たちは僅かな安息地で日々怯えながら暮らしている。

 今回の任務はそんな日本の国民を救うためのものであり、ましろという負の連鎖を終わらせる為でもある。


「いいか。現地に降りて、が敵だと認識したものを撃て。考えなくていい。赤くマーキングされたものすべてを撃てばいいんだ」


 自分の目を指差し、ルイスに語りかける。人に考え過ぎだなんだと言っておいて、こいつも苦手なことはとことん苦手なのだ。ルイスは元々陸軍で狙撃手スナイパーをやっていた。こいつが磨いてきた銃の腕は国にとっての悪である敵を殺すためのもの。自分の意思とは関係なく勝手にしまった女の頭を吹き飛ばすためのものではない。

 酷な任務だとは思う。ただ、任務は任務だ。

 銃の引き金には常に指を掛けなければならない。


「バークスを見てみろ。こんな状況なのに、うなされて眠ってる。ーー起こしてやってくれ」

「そうですね、はい」


 ルイスはバークスを起こす。視界内に表示されたカウントは残り40秒となっていた。


『残り30。ハッチ開きます』


 その時、声と共にカーゴベイ下部が開放され、僕たちの入った6基の降下筒が宙吊りの状態となる。同時に輸送機右翼のミサイルポッドから地上制圧用のスマート爆弾が発射され、これは10秒ほど滑空した後子弾が切り離され施設周辺に爆弾の雨が降り注ぐのだ。

 今から30秒後降下筒が機体から切り離され、約20キロメートル滑空した後ドラグシュートとスラスターを利用し地上へ降り立つ。

 降下筒が開放され外の景色を見るまで、僕たちは何もやらなくていい。ただじっと、待つだけでいいのだ。


「幸運を」


 僕はぽつりと、つぶやいた。




     ※     ※     ※




 降下筒内に響いていた射撃音が鳴り止み、ポッドが開放される。事前に行われた制圧爆撃によって降下地点の構造物は破壊され、残骸に混じって黒く焼け焦げた人型が燻っている。周囲には肉の焼ける臭気が満ちているはずだが、フルフェイスのヘルメットを装着しているため匂いは感じられなかった。


「全員無事か」


 僕の呼びかけに、残りの5人が続々と応じる。6基の降下筒は10メートル範囲の中に綺麗に着陸しており、既に他の隊員がキャニスターを展開させドローンを飛び立たせている。研究施設までのルートはあらかじめ設定されているため、自動的に施設までの索敵及び敵の排除を行ってくれるのだ。僕たちはドローンの後を追いかけていけばいいだけである。

 現時点で敵の姿はない。光学式偽装迷彩ネイキッドスーツを起動するまでもないだろう。銃を構えると、僕たちは研究施設へと歩き出した。


「……暗いようですね」


 誰かが声を漏らす。

 時刻は午前3時。当然街灯などの人工光源などあるはずもなく暗視機能ナイトビジョンを介することで周囲の様子は認識している。大昔、21世紀初頭に使用されていた暗視装置を使ってみたことがあるけれど、あれは暗視装置だけで顔の半分を覆い、大きなバッテリーまで用意しなければならなかった。見える映像は肉眼で見る映像とは全く異なる色味であるし、これに関しては現在の副眼に標準で備わっている暗視機能による恩恵は大きい。

 副眼であれば、こんな夜であっても昼間と同じように見えるのだから。


「見えました。施設です」


 バークスが立ち止まり、向こうを指差す。

 乗り物に乗っているときとは一転、地上にさえ降り立てばバークスは頼れる仲間である。

 施設の地上部分は制圧爆撃により破壊されているが、貫通能力は皆無であるため地下に被害は及んでいない。ターゲットは地下のどこかに保管されているらしくこれから地下への降下口を探さなくてはならない。


「ピンコット、地下へ降りられる場所を探してくれ」

「もうやってますよ」


 すぐにピンコットが解析した情報が僕たちの視界内に共有される。見えている施設残骸の一部に青色のピンアイコンがオーバーレイされ、あそこから地下へ降りられるらしい。


「地上から行った観測では地下2階までの範囲に生体反応はないようです。ただ、施設の防衛システムが生きている可能性がありますが」

「システムを解除できないのか?」


 大規模な施設である為自前で発電施設を有しており、送電網がほとんど機能していない日本においてもシステムが生き続けているようだ。

 それには施設の維持管理以外にも侵入者に備えた防衛機能も含まれるのだ。


「……仕方ない。このまま行くぞ」


 時間をかければシステムの解除は叶うだろう。ただ、時間に余裕がない。研究施設周辺のましろは事前に排除している。しかし、それは一時的にこの場所にましろの存在しない空白が出来たということ。つまり、周囲のましろが場所を求めてこの場所に流れ込んでくるということだ。

 武器を持たないましろであっても、数が多すぎれば僕たち6人など簡単に飲み込まれる。上空輸送機からの支援爆撃を要請すればましろは排除出来ても僕たちも巻き添えを喰らうだろう。

 ましろが再びこの周囲にすし詰め状態になるのにかかる時間は約40分。帰還の時間まで含めればもっと時間は少ない。


「15分以内にターゲットを回収し、地上へ戻る。ピンコット、アウルを呼んでおけ。すぐ乗り込めるようにな」

「了解」


 僕の前方では隊員とドローンが残骸の下から昇降口を見つけ出していた。対爆仕様らしく扉は一切歪んでおらず、傷らしい傷もついていない。この下には余程重要な何かが隠されているのだろう。


「行け。降りるぞ」


 既に隊員がドアノッカーによって扉を無理矢理こじ開けている。その時点で防衛システムが作動するかと思っていたが、意外なことに変わった様子はない。もしかするとシステムは死んでいるのかもしれなかった。

 銃を構え地下へ続く階段を下っていく。内部は地上部分とは変わって破壊は及んでおらず、恐らくましろが発生したあの8日間以降誰も入っていないのだろう。


「内部構造をスキャニングしました。区画迷彩によって隠匿された部屋がいくつかあるようです」

「よし。二手に別れて探索するぞ。バークス、ルイスは僕と一緒に。ピンコットは他を連れていけ」


 部隊を二分し、僕たちは右側の通路を進んでいく。各部屋の生体認証パネルはどれも死んでおり、やはりシステムは機能していないのかもしれない。その度に小型のドアノッカーで扉を開けていくのはちょっと面倒だ。

 視界の隅に表示されるリミットタイマーは残り8分。8分以内にターゲットを見つけ出さなくてはならない。


「開けます」


 3つ目の扉をルイスが開ける。

 内部は他の部屋とは変わらず、しかし入り口正面の天井部分に取り付けられた何かが微かに光ったのが見えた。


「ルイス、止まれ!!」

「なんです、ーー」


 瞬間、ルイスの頭部が爆ぜた。

「扉から離れろ!!」

 慌てて扉の外へ退避する僕とバークス。二人の間には頭部のなくなったルイスの死体が転がっている。


「ここに来てですか」

「ああ、システムが生きているらしい」

「こちらバークス。ルイスがやられた。システムは生きている。そちらはどうだ」

『こっちは今のところ大丈夫です。これから4つ目の部屋に、ちょ、止まれ!!ピン、』


 通話が途切れた。

 視界に表示されたログ情報には6人中4人の生命反応が消失したと出ている。


「…………」

「……大尉」


 大損害だ。

 つい一瞬前まで6人だった僕の部隊は、今では僕とバークスのみ。この場で判断するのであれば撤退という選択をするのが一番賢明であろう。


「どうしますか」

「……任務を続行する。ターゲットはもう近いはずだ」


 しかし、撤退という判断は出来なかった。

 他の4人に申し訳が立たない。なんとしてもターゲットの回収を完遂しなければ。自分でも思うが、僕に部隊を率いる資格はないのかもしれない。カーゴベイでルイスが言っていたことが正しかったようだ。


「了解。ルイスは、他の隊員はどうしますか」

「今は無理だ。回収出来ない」

「そんな、置いていくんですか?! そんなの国民が、」

「違う」


 僕はルイスの死体にマイクロ爆弾をセットする。


「この作戦はこちら側の臨時政府には知らされていない。今ここにアメリカ人の死体が残ることは良くないことだ。この地下も撤退時に爆破する」

「……了解しました」


 タイマーを起動し、あと5分後にルイスの死体は消滅する。僕とバークスは今まで以上に注意を払い、いくつかの部屋の探索を続け、そして遂に見つけた。


「あったぞ」


 液化窒素の中に保管されている透明なアンプル。

 オリジナルのの遺伝子サンプル。


「……これがあれば」

「ああ」


 ましろの増殖を止め、日本を、ひいては世界を救う手立てになるかもしれない。


「よし。回収完了だ。上へ戻るぞ」

「了解」


 僕とバークスは来た道を戻り、地上部へ出た時リミットタイマーは既に残り10秒を示していた。

 僕たちの眼前にはすでに無人垂直離着陸機アウルがスタンバイしており、その向こうからはゆらゆらを蠢く人影がじりじりと迫ってくるのが見える。


「バークス、急げ!」


 乗り込む僕とバークス。機体はすぐに離陸を開始し、すぐにでも輸送機へ戻るだろう。


「バークス。爆破要請を」

「了解。こちらバークス」

『こちらべヴェブスどうぞ』

「貫通爆弾による地下破壊を要請する」

『了解』

 

 すぐに返答があり、20秒後、眼下の施設が大爆発を起こし吹き飛んだ。衝撃で機体が僅かに揺れるが、その揺れはなんだか心地良い。

 部下を4人も失ったというのに、僕は一体どうしてしまったというのだろうか。


「……これでましろは止まるんでしょうか」

「さあな。しかし、希望は繋がれた」


 2054年、『ましろ』という一人の少女が突如として増殖を開始し、8日間で日本列島はましろに覆い尽くされた。

 日本という国の社会体制は崩壊し世界経済にも深刻な影響を与える中、アメリカ合衆国は日本首都へ対する大規模爆撃を敢行。

 都市部のましろは一時的に排除され、そこに自衛隊と在日米軍が共同で臨時政府を設立させた。

 今の日本は辛うじて呼吸をしている状態だ。

 一日でも早くましろを殲滅しなければ日本に、世界に明るい未来はやってこない。


「バークス、戻ったら一杯やろう」

「俺、飲めないんですよ」


 申し訳なさそうに僕を見るバークス。窓の外では朝日が登ろうとしていた。

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