19 トクイヒトクイ3
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それは、通路を塞ぐ壁と見紛うほどの――ダンジョンの天井にも届くほどの巨体だ。
着ぐる民たちとはまた違う、それこそご当地のマスコットキャラクターのように、デフォルメされたクマのような外観をしているが――懐中電灯に照らされたそれは、子供が泣いて逃げ出しそうな存在感を放っている。
(モンスター……? それにしては……)
そういうモンスターもいるのかもしれないが――
あるいは、クマを象った……ぱんぱんに水の詰まったビニール袋――
(水風船っぽいというか……)
それは半透明の膜を無数に重ね合わせたような質感をしていて、ともすれば向こう側が透けて見えそうなほど、物体としての密度の薄さを感じさせる。
一方で、その〝内側〟にはまるで何かが澱んでいるかのように、外からあてられる懐中電灯の光をぐちゃりと歪めているのだ。
その見た目の印象で言えば……、
(科学部で見た……)
あまねが実践して見せてくれたビー玉状のマナの塊によく似ている。あれを巨大化してクマの形にすればこうなるのではないか。
(昨日はモンスターを観察する余裕なんてなかったけど……こいつは、昨日のゴブリンとかより――なんていうか、
まるで、実用性だけを優先したような――
その時、
「下がれ
止まっていたかのような時間を、その一瞬の静寂を裂く声が上がった。
「うわっ!?」
言うやいなや、
直後、巨大クマが動いた。
「ぐ……」
ブレる。
その図体からは考えられない速度で腕を振り抜き、それが川内に直撃する。
川内は寸前でガードしたようだが、それでも数歩よろめき転びかける。
(モンスターの攻撃はマナを削り取るもので、物理ダメージはほとんどない……)
それは、マナでつくられたモンスターには〝
「これは……くるな……」
川内がうめくように呟く。
「マナを重ねて〝
「ちょっ、まっ、冷静に分析してる場合か!?」
今にも膝をつきそうによろめきながらも、どこか満足げな川内には狂気すら感じるが、彼が身体を張って掴んだその情報が確かなら――
(とんでもねえバケモノなんじゃないか、こいつ……?)
真代より体格の良い川内でこれなのだから、美緒川なんて一撃でノックダウンされるのではないか。
現に視界の端、壁際で黄色いクマが……着ぐる民の一人がうつ伏せに倒れている。あの巨大クマに後ろからぶん殴られたのだろう。
(あいつらの仲間ではないっぽいけど……)
かといって、こちらの味方でもない。
どしん、と。
そんな擬音でもつきそうだが、やはり体重がないのか無音のまま巨大クマが大きく前進する。
退路の……通路の一つから現れたそいつは今や、二つの通路の前に立ちはだかる格好になった。
真代は巨大クマの方を睨んだまま、
「美緒川……」
「…………、」
「おいカワイコちゃん!」
「は、はい……っ!?」
尻もちをついたまま呆然と巨大クマを見上げていた美緒川が、弾け飛ぶように背筋を伸ばした。
「な、なななんですか!」
「モンスターは!?」
「はぁっ!?」
今それがどうしたと言わんばかりに振り向いた彼女は一瞬、真代が向けている懐中電灯の明かりに目を細めたのか動かなくなり――「あ」と、声を漏らした。
実は先ほどから、後方に嫌な気配を感じている――
(人のいっぱい乗ったエレベーターの中みたいな……)
まるで通路の一つが何かによって塞がれてしまったかのような――
(最悪だろ――挟み撃ちじゃんか)
その上、
「げ……予定より多いんですけど……!?」
「っ!?」
真代も一瞬だけ背後を振り返り光を当てると、まるで待ってましたとばかりにゴブリン型が現れる。
それもあろうことか、二つの通路から大量に――
「てめえクマ公! 責任もってなんとかしろよな!?」
「く、くま……!?」
壁際に倒れている仲間のそばにいた
「に、肉ならくれてやるくま……!」
お腹のポケットから取り出した魚肉ソーセージをゴブリンに向かって放り投げる。
…………。
………………。
……………………。
見向きもしなかった。
「ふざけんなよこの野郎! あぁもう今日は厄日かよ!?」
そもそも、封さえ切られていない魚肉ソーセージなんかにモンスターが反応する訳がないのである。
こうなると熊者に責任があるのかは怪しいが、ともあれ奥へと続く通路からモンスターが十数体、入り口へ繋がる通路側にはそれを塞ぐように巨大クマが陣取っている――ゴブリンの相手くらい着ぐる民に任せなければ――
「こうなったら運命共同体だ! そこお前らに任せ――あ……? お前ら……?」
はたと我に返り、真代は威嚇するように懐中電灯を巨大クマに向けたまま、周囲に視線を走らせる。
光の届く範囲でしか分からないが……、
「おい……、他のクマは? まさかお前ひとりしかいないのか!?」
「ひとりじゃなくて一匹だくま! 設定は大事にしろ、くま!」
「うるせえ知るかよ! ていうか、は? はあ!?」
まさか、たった二人しかいなかったのか? たかだか二人? それとも既に巨大クマの餌食になったのか?
(なんにしても、一人はダウンしてるし……、――そうだ!?
さっきから声も気配もしない。推測するに、ことわがいたのはちょうど現在、巨大クマのいる辺りだったはず――
(つぶさ……、いやたぶん逃げたんだ! 一番後ろにいたし――)
なんとか逃げられたのなら幸いだが、その通路から巨大クマは現れたのだ。あまり期待は出来ない。
「く、そ――」
――気付けなかった。
言い訳ならいくらでも出来る。それをしても許されると思う。
だけど、自分自身が許せないし、情けない。
運が悪かったにしても、そもそもが、真代が早く帰りたいと思ってこの場所を訪れたのが原因だ。
その弱気のせいだ。
そして――
(もしもマナを過度に失ったらどうなる? 意識レベルの低下……つまり気を失う。失神だ。どれくらいそうなるのかは知らないけど――肉体的な要因によるものじゃないから後遺症だとかは心配ないとしても――)
これが肉体的な要因からなる、たとえば脳卒中などによる失神であれば、長時間続くと目覚めた後も後遺症が残る場合がある。意識障害や運動障害を引き起こすのだ。
脳卒中の場合はそもそも、脳の血液循環に起きた障害という、気を失う物理的な理由がある訳だが――
この〝特異種〟だとかいう怪物の攻撃によってマナを削られたうえ、ダンジョンからも吸収され続けたら――マナを失い倒れ、その状態が長時間続いてしまったら?
(分からないけど……)
直観的に、それは避けるべきだと思うのだ。
少なくとも、気を失った状態が続くことで良い結果が得られるはずがない。
(わざわざモンスターが倒れた生徒をキャリーするのも、そういう理由からなんじゃ)
ならいっそ後ろのゴブリンに全滅させられたら方がまだ安全にダンジョンを出られるのではないか……そんな考えがよぎるも、不安なのはやはり、特異種の存在だ。
(モンスターはあらかじめプログラムされた通りに動く――いわばロボット。プログラムされてない、想定外の事態には対応しきれないかもしれない。それに……
もしもやりすぎることがあったら――待っているのは、最悪の結果だ。
それは多くの意味をはらんだ、〝取り返しのつかない〟ことに繋がる。
(万が一にもそういう可能性があるから、全滅はなしだ。弱気じゃダメだ)
なんとかしなければ、と前を向く。
ことわの安否も知れないし、この場には黄色いクマの他にも倒れている生徒がいるのだ。
一刻も早く脱出するために、せめて自分に出来ることを――
時間を、稼がなければ。
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