17 トクイヒトクイ1




                   ■




「く――、」


 それは、倒れている死体(生徒)の横に屈みこんでいた。

 黒く、巨大なシルエットが奥の壁に映し出されている。

 そいつは死体(生徒)に覆いかぶさるようにして、ごそごそと何かをまさぐっていた。


 真代ましろは叫んだ。



「クマだぁああああああああああああ――!?」



 クマだ。クマがいる。

 野生のクマが!


「べ、ベアベアベアぁー……!? クマが! クマいるんだが! クマいないっつってたじゃん! いるだ! いますだぁーっ!!」


 ぎょろり!

 クマが勢いよく振り返った。


「!?」


 そこには、


「既に喰われてるぅ……っ!? ひっ、ひと喰ってんだがコイツ……!?」


 事件だ事案だと頭の中がパニックになる――


「真代さんそれ人の顔です!」


「分かってるけど!?」


 いや――


「か、顔だ……!?」


 顔だ。クマの〝顔に当たる部分〟から、人間の顔が覗いているのだ。

 喰われているのではない。

 これは――


「着ぐるみ!?」


 意味が分からなかった。


 ダンジョンの中に、クマの着ぐるみを着た人間がいる……。


 そいつが、のっそりと立ち上がった。


 真代や川内せんだいよりも頭一つ分高い身長、横幅は寸胴のようで、足は短く腕は太い。これが本当に着ぐるみならとても動きにくそうな形状だ。

 頭部はデフォルメしたクマのようなデザインで、大きく開いた口の部分から人間と思しき顔が覗いている。白いマスクで口元を覆っているため、相手の顔がはっきりとは分からない。


 そのマスクがうごめいた。


「バレてしまっては仕方ないクマ」


「喋った!!」


「いやバレるし喋るだろ」


 川内の冷静なツッコミに頭が冷える。


「な、何なんだ……!? お前いったい何なんだ!? 新種モンスターか!?」


 驚かされた反動からつい大声を上げると、ダンジョンの中でその声が反響する。

 その音が落ち着いてようやく、クマの方に動きがあった。


「…………」


 向けられる懐中電灯の明かりに顔をしかめながら、両腕で何やらお腹のあたりをさすりだす。


(なんだ……? スマホ……?)


 真代はクマの右手(?)に携帯端末が握られている(?)ことに気付いたが、動きがあったのはもう片方の腕の方だった。


 ジー……っ、と。


 クマのお腹でチャックが開く。

 ポケット、のようだった。

 クマはその中に右手の端末を突っ込むと、代わりにサングラスを取り出した。


「よ、4Dポケット……!?」


「くま」


 頷くと、クマはサングラスをかけた。

 肉球から人間の指がわずかに伸びているという程度にもかかわらず、とても器用な動きだった。

 これで着ぐるみを着た不審者の出来上がりである。


「……な、なんだ……? 眩しいのか……?」


 このクマの存在が意味不明すぎて、その一挙手一投足がなんだかとても怖すぎて(そしてどこか興味をそそって)、真代は固唾をのんで次の動きを見守る。


「…………」

「…………」


 その場を、静けさが包み込んだ。


「なっ、なんか言えよ! ていうか何なんだよお前!?」


 怒鳴る真代に、クマは「ふっ、」と息をつく。

 そして言った。


「くまの名は、クマモン――」


「く、くまもん……? いいのかそれ!? それはいいのか!?」



「熊に者と書いて、熊者クマモン! 『ぐるみん』が一人、クマモンだくま!」



 ――その時、真代は気付いていなかった。

 クマが、静かに距離をつめていたことに。


「見られたからには仕方ないくま! 喰らえ必殺、岩をも砕く着ぐる民式戦闘術・一ノ型――〝お先真っクマ〟!」


 シュッ! ――と。


 クマの拳が伸びたと思ったが直後、真代の腕に痛みが走った。

 瞬間、暗転する。


(ライトが……!?)


 手にしていた懐中電灯が弾き飛ばされ、光はあらぬ方向を照らしながら壁に激突した。


「お、おまっ、それ学校の備品だぞ!?」


 壊れたのか、それともスイッチが切れただけか、光は明滅しやがて小さくなる。


「くっくっくっくっ、くまくまくまくまくまーっ!」


「それ笑い声のつもりかよ!?」


「お前こそ、脅しのつもりくまか? こっちはもっとあくどいことしてるくまよ?」


 その時、後方からだ。


「きゃっ!?」


 ことわの悲鳴、続けて破砕音。

 辺りが暗闇に包まれた。


「なっ――待月まつきさん!? 無事か!?」


「だ、大丈夫で、す……っ、でも明かりが……!」


「がうがうー」


 後ろの方から妙な鳴き声(?)がした。


「……どうやら、囲まれてるようだが……」


「こいつら全然気配感じないんですけど! 恐っ! キモっ!」


 情報を五感に頼るしかない真代にはこの暗闇の中、前方にいるクマの姿も見えないというのに、科学部の二人はさらにその〝先〟を見ているらしい。


(こんな存在感ありそうなクマに気配がない……? マナ感知も通じないってことか……!?)


 耳に入る声や音からおおまかな状況はつかめるものの――


「くっくっく、」


 必死に目を凝らす真代をあざ笑うかのように、


「ここに一本の魚肉ソーセージがあるくま。見えるくま? 見えないくまねー?」


 何かが目の前で揺れているのは空気の動きでなんとなく分かる。

 しかし手を伸ばそうとすればそれはひょいっと遠退き、足元も判然としないまま踏み出そうとすればつまづきかけ、


「うわっ!?」


 一瞬の弾力、そして鈍痛と衝撃。横合いからクマに突き飛ばされる。


「くそ……」


 地面についた手の平が痛む。今の一瞬で、自分の立ち位置が分からなくなったのがもっと痛い。


「ついでにモンスターも呼んでやるくまよ。くっくっく、頭のいいくまは自ら手を汚さないくま」


「存在からして頭悪そうなんだがな!」


 めちゃくちゃ不愉快だが、現状では手も足も出せない。


(何なんだよこいつ……!? 何がどうなってる!? なんでクマなんだ!? というかグラサンかけてどうして見える!?)


 分からないことが多すぎて苛立ちがこみ上げるくるも、怒りに任せたところで何も解決しないのは分かっている。

 ここは冷静になれ、と真代は自分に言い聞かせる。

 訳が分からな過ぎて、〝それくらいの冷静さ〟だけが頭の隅に残っていたのだ。


(……落ち着け……いくらぶっ飛んでるって言っても、相手は人間……そのはずだ。まずは落ち着いて、話をしよう――)


 周囲を警戒しながらゆっくりと立ち上がり、真代は闇の中に向かって問いかける。


「な、何が目的なんだ……?」


 そうたずねながらも、真代にはその目的におおよその見当がついていた。


(PK……?)


 すなわち、プレイヤーキル。MMORPGなどのオンラインゲームにおいて、他のプレイヤーを襲って金品などを得る――いわば、盗賊である。


(まさかとは思うけど……でもあいつ、スマホ盗ってたしな。学園の端末だ。端末にはポイントが……電子マネー相当のもんが入ってる――)


 真っ先にそんな考えが浮かんだのは、先刻、明里あかりから聞いた――生徒会の悪い噂。生き倒れている生徒の端末からポイントをかすめ取っているという話を思い出したからだ。

 可能性として、なくはない。


(じゃあ、あの倒れてた生徒もこいつらが……? でもこんなことバレないはずが……いや、着ぐるみをしてるのはモンスターに扮して人間の犯行であることを隠すため……? 生徒の反応を残してたのも、俺たちをおびき寄せるための囮――なんか頭いい気がしてきたぞこいつら!)


 今のところ全て真代の憶測にすぎないが――


(現に、こっちの動きはほとんど封じられてる……連携がとれてる。やり慣れてるんだ)


 少なくとも、並のパーティーではない。

 頭は悪くても、実力はあるはずだ。

 このままでは一方的に――


「お、俺たちに何するつもりだ……? ポイントを巻き上げるつもりか? そんなことしてみろ、お前たちのやったこと全部、生徒会に報告するぞ……!」


「うわぁ、エニグマ先輩カッコ悪う~」


 後ろから刺された。


「く……、と、とにかくな! もう全部バレてんだ! お前らは終わりだ。だからこれ以上、罪を重ねるな! な? ここは平和的に――」


 口封じなど出来る訳がないのだ。ここはダンジョンであっても現実、さすがに真代たちを殺して黙らせるなんて暴挙には出ない――


「くっくっくま――」


「な、なに笑ってんだよ……?」


「……エニグマ先輩」


 ぼそりと、いつになく険しい声音で川内が告げる。


「ボコボコにして記憶を飛ばす……という手段がある」


「そんなバカな!?」


「だいじょーぶくまよ……? 痛いのは最初の十数分だけ……」


「結構な時間だな!?」


 これは本格的に、マズくなってきた――



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