06 一人の夜、キミは考える。




                   ■




「はあぁ……、」


 本日何度目とも知れないため息が漏れる。

 それとも、日付はもう変わったのだろうか。


 枕元に置いていたスマートフォンを手探りし、その画面を確認する。

 それは保健室で聡里さとりから受け取った、この学園専用の端末だ。


 ――もうすぐ、これまでの人生でいちばん濃密だったかもしれない一日が、終わりを迎えようとしている。


 学生寮の一室、自分だけの一人部屋として与えられた広々とした部屋で一人、縁科えにしな真代ましろはまるで煙草の煙でも吐き出すように長く、長いため息をこぼす。


「眠れん……」


 いろいろと不安がつきないせいもあるが、何より、ダンジョンで気を失った影響だろう。倦怠感は消えないのに、どうにも目が冴えて仕方ない。

 気付けば夜闇にも目が慣れて、最初は馴染めなかった高い天井も見慣れたものに変わりつつあった。


 こうしてみると、「いい部屋だな」と思う。

 視界を区切るものがなく、部屋の入口からこのベッドがわずかに見えてしまうが、それ以外は本当に申し分ない。

 まるでホテルの一室のようだ。入口には土間があり、内線電話も備わっている。シャワー室にトイレもあって、小さいが冷蔵庫まで用意されている。

 現在横になっているこのベッドも、使い慣れた自宅のそれとはまた違った良さがある。初めてこの部屋を訪れた数時間前、人目がなくなって真っ先に行ったのはこのベッドに飛び込むことだったくらい、見た目からすごく清潔だし高価そう。


 学生寮なので規則正しい生活が求められるものの、共同調理室というキッチンがあるから、その気になれば自炊も可能だし、外に食べに行くことも出来る。しかも現状、とある理由から真代は実質タダで食べ放題な感じである。


(なんか超VIP待遇だ……)


 顔を横に向けると、部屋の隅に積まれた段ボール箱の山が見える。自宅から送った、真代の荷物だ。どうせ眠れないし、放置したままほとんど手を付けてないあれの整理でもしようか。


(でもなぁ……)


 ――初雪はつゆきくんを連れ出せなかったら、退学だからね?


 また引っ越すかもしれないことを考えると、全然やる気がおこらない。


「…………」


 まだ一日目だが、この部屋を、環境を、手放すのは惜しい。

 授業についていけるかはさておくとしても、このエリート校と言っても過言でない白咲しらさき学園卒業という肩書は、後々の人生においてもそれなりの影響力を持つだろう。

 これは社会的にみれば願ってもない人生逆転のチャンスなのだ。


 ただ――どうしてそんな幸運が舞い込んできたのか、その理由にまったく心当たりがないことが真代の不安を強くする。

 突然赤の他人から札束を渡されて、なんの躊躇もせず豪遊するものはいないだろう。まさにそんな感じだ。


(まあ、それなりの〝条件〟あってのものだけど……)


 あの日、この話を真代に突きつけた姉が言っていた――転校して、あんたにやってもらいたいことがあるらしい――


(いったい何をさせられるんだって戦々恐々としてたけど、予想の斜め上いってたというか……いやもう完全に想定外だよな)


 教室の床に空いた穴、その先に続くダンジョン、立ち塞がるモンスター……。

 その先にいるという見ず知らずの少年を、果たして自分は連れ出すことが出来るのだろうか。

 縁もゆかりもない赤の他人なのに――


(でも――)


 撮影された動画に映った、あの少年――誰も何も教えてくれないが、だいたいの外堀は埋まってしまっていて、知りたくもなかった事実に真代は感づいてしまった。


(俺となんの関係があるかは分からないけど……放っては、おけないよなぁ……)


 ごろん、と寝返りを打つ。


 窓は厚い遮光カーテンが覆っていて、その隙間から薄い月明かりが射し込んでいた。

 この部屋は寮の三階にあるのだが、不思議と静かである。防音加工でもされているのかもしれない。


 なかなか寝付けないが、とても落ち着ける良い部屋だ。

 かなうなら一生ここでだらだら寝転がっていたいとさえ思う。


 ……働かなければ追い出されるのだが。

 そして何もせず追い出されれば、待っているのは自宅じごくだ。


『俺は転校なんかしないからな……! そもそもなんで――』


『誰が頼んだかとか、なんであんたなのかとか、そういうことはどうでもいいの。もう決まってるのこれ。分かる? いやでも分かるよ。言うこと聞けないんなら、真代――あんたの女装写真、バラまくよ?』


『は……? 女装なんて――いやいや待て待て待て! 冤罪だ! 何かの間違いだ!』


『あんたのケータイに登録されてるアドレスに一斉送信しちゃおうか? そうしたら交友関係も何も、自ずから全部リセットするために転校したい心境にもなるだろうし? 背中押してあげようねぇ、優しいお姉ちゃんが』


 目の前は崖だけどね? と姉の目が笑っていたことを憶えている。

 それから、名案が浮かんだとばかりにぱぁっと微笑み手を叩いた母が、


『そうだわっ、真代ちゃんこうしましょう、あの写真、いとこのお姉ちゃんたちに送りましょう!』


『笑顔で何を言ってるの!? というか鬼か!? 悪魔だな!? あんたらは人の皮をかぶった血も涙もない化け物だ! 優しかった姉と母を返せ!』


『あらやだうふふ、うっかり写真添付するの忘れちゃった。ラインにしましょ』


『やめてくださいお母様お願いですから!』


 ――何もせず退学になんてなったら、どんな目に遭うことか。


 もう何も、考えたくない。

 今日のことも、明日のことも。これまでのことも、これからのことも――何もかも全てから――


『よぉーし! こうなったら先輩、二人で愛の逃避行と洒落込みましょう! 大丈夫、愛とお金さえあれば人生なんでも出来ます! うまくいく保証はありませんが!』


 ないのかよ、と心の中で突っ込んだいつかの情景が脳裏をよぎる。


 ――あの手を取って、逃げ出していれば良かったのだろうか。


 楽しかった日々を錆び付かせるような後悔が、胸のうちでどろりとわだかまっている。

 結果が全てだとするならば、これまでのかかわりは全て〝間違い〟だったのか。


「……憂鬱だ」


 小さく丸まって、ベッドの上で膝を抱えた。



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