目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

山村 草

戦場にて


 ある男は左腕を肩から失くして地面に倒れ込んで死んでいた。


 その子供はおそらく弟であろうさらに小さな子供の死体を抱きしめるようにして死んでいた。埃だらけのコンクリート塀にもたれ掛かるようにして。


 地面に転がっていた死体は女だった。女性と判別出来たのは破れた衣服からはみ出た右の乳房のせいだ。顔は削り取られていた。両足はなかった。左腕はそれでもまるで這って逃れようとするように持ち上がっていた。


 道端に転がっている兵士の死体には頭の上半分がなかった。中身も殆ど残っていなかった。


 道路であった場所を歩いていると足が転がっていた。サイズから持ち主は子供らしかった。この足の持ち主は爆風で吹き飛んで何処かへ行ってしまったらしい。


 今度は腕が落ちていた。


 埃まみれの小さな筒を拾い上げるとそれは人の指だった。


 落ちていたヘルメットを拾うと中には肉とどす黒い血の塊と髪の毛が残っていた。


 なんだろう、と思って見た塊は焼け焦げた死体だった。



 戦場カメラマンならぬ戦場Youtuberを気取って戦場に足を踏み入れた私が見たものはまさに筆舌に尽くしがたい地獄だった。

 その戦場は宗教上の対立によって現出した地獄だった。教えの解釈の違い、それぞれの宗派特有の考え方や主張、そういった意見の対立がこのような戦場を生み出した。

 こんな宗教なんて人類にとって害悪でしかないではないか。

 左腕を失くしながら死んでいった男は果たして死にたかったのだろうか。

 弟を抱きかかえるようにして死んだ子供は?

 顔と足を奪われて死んだ女性は?


 私達と同じだ。きっと生きていたかったに違いない。


 日々を平穏に暮らせる環境の中でつまらない事に愚痴をこぼしながらも平和に生きていたかったに違いない。


 誰もこんな死に方をしたいはずがない。夢半ばで息絶えたいなんて思わない。死にたいとは思っても突然殺されたいなんて思うはずがない。



 この辺りにはもう人は来ないだろうと案内人は言っていた。もう戦場は別の地域に移動したのだ、と。

 私はカメラを回す。死体を目にすることは6人目を超えた辺りから気にはならなくなった。人は脆い。ちょっとした事で簡単に死んでしまう。カッターの刃で簡単に皮膚が裂けるように、5メートルの所から飛び降りれば足を痛めるように、タンスの角にちょっと足の小指をぶつけただけで激痛が走るように。

 ここでは迫撃砲の着弾による爆風であらゆる人が命を奪われた。必死になって抵抗した兵士達も飛び交う銃弾に撃ち抜かれて死んだ。それがこの惨状だった。


 今更ながらにビデオカメラに収めた映像が世に出す事なんて出来ない物だと理解する。この映像を見た人間がどう思うかなんて分かり切っている。まさかこんなショッキングな映像をYoutubeになんて公開できるわけがなかった。もちろんテレビ局に売り込んだって駄目だ。モザイクだらけで何がどうなっているのか分からない物を見せられたところで何も伝わらない。

 つまり私のしている事は無意味だった。


 それでもビデオカメラを回すのは現実にフィルターを掛けたいと本能で感じているからかも知れない。



 そうして歩いて行くと先に礼拝堂のような建物が目に入った。案内人によるとそれはキリスト教の建物らしい。

 そこに入りたくなったのは救済を求めての事だったのかは自分でも分からない。


 建物はあちこちが壊れている。屋根も壊されていて意味を成さなくなっている。だから建物内には陽の光が差し込んでいた。


 その光は聖母の像と、その前に横たわっている老婆の死体を照らしていた。


 恐らく老婆の流した血なのだろう。そこに至るまでの通路が赤黒く染まっている。私は血を踏まないように老婆と聖母の像に歩み寄る。老婆の顔を覗き込むと穏やかな笑顔を浮かべて死んでいた。


 慌てた案内人に声を掛けられるまで私はその老婆の顔を見つめていた。なぜこの状況でそんな表情が出来るのか。それが分からなかった。

 呆けている私の腕を案内人がよく分からない言語を叫びながら引っ張る。その瞬間老婆の手に紙片が握られている事に気付く。私がその紙片に触れると老婆の手は抗うことなく私の手にそれを委ねた。


 何やら切羽詰った様子の案内人に引かれ礼拝堂を出る。入り口でもう一度振り返る。陽の光に照らされた聖母の像とその足元に転がる老婆の死体。

 私にはなぜだかその光景が美しく感じた。



 その後、再び街を襲った銃弾と迫撃砲の中をギリギリのところで生還し帰国した私はその紙片について調べた。それは聖書の一片だった。

 それ以来、私はキリスト教への信仰心に目覚めた。最初はあの老婆の穏やかな笑みの正体を知るためだったがいつしか身も心も委ねていた。

 だが後悔はなかった。



 あれから十数年が経過した。

 未だ老婆のような穏やかな死を迎えられる人間にはなっていない。


 

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目覚めよと呼ぶ声が聞こえ 山村 草 @SouYamamura

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