第九話 任務開始【001】

001.


 魔法屋で修業を始めてから、一か月の時が経った。


僕は自身の得意であった技術と、老婆、もとい師匠の技術を融合させることで、今までとは全く異なったアプローチで魔道具を作成していた。


 ただ修行とは言っても、師匠は基本的に僕に不干渉であった。僕が何か成功しようが、逆に何か失敗しようが、そもそも師匠自体僕を弟子だと正式に認めている訳では無いため、基本的に何も言わなかった。


 しかしながら、毎朝僕が行くと、師匠は必ず準備をして待ってくれていた。


僕が集中して作業をしていると、いつの間にか隣には紅茶が入ったティーカップが置いてあったし、僕が悩んだ顔をしていた時は、参考になりそうな図書や自分の作った魔道具を隣に置いてくれた。


 それは何か言葉で言い表せるような思いやりという訳では無かったが、僕にとってはとても嬉しいものであった。


 しかし、楽しい時間は長くは続かない。

 今日から僕たちモブは、隣の街である「アクア・フェンテ」に行かなければならないのである。これは単純明快な理由であり、それは勇者がこのはじまりの町を出て、僕たちのこれから向かう街へそろそろ向かうというだけの理由である。


 そのため僕は、今日でこのはじまりの町を去る。従って、今日で修業を終えなければならない。


 僕は、最後の修行をするため、いつもの席に座って、師匠の方を見た。


 師匠はいつもと変わらず、黙々と作業をしている。しかし、その様子が少し寂し気に見えるのは、僕が寂しいと感じているからであろうか。



 僕は、師匠に今日で修業を終えなければならない、そして今日からはここに来れなくなってしまうという事実を告げる勇気が出なかった。その事実を告げれば、僕はもう二度と、一生師匠と会えなくなってしまうような気がして、それが僕に後ろめたさを感じさせているのである。


不意に師匠が僕に話しかける。


「スピカ。あの時はすまなかったね。」


師匠は悲し気に言う。


「本当はお前の技術を見た時、是が非でも自分の弟子にしたい、いやそれすら烏滸おこがましいことだと思った。それくらい、あたしはお前を認めていた。でも、だからこそあたしはお前を弟子にはしたくなかったんだ。あの日、あたしにとって最も大切だった弟子をあたしが失ってしまったのと同じに、もしあたしがお前を弟子にしたらお前を失ってしまうんじゃないか、そう思ったんじゃ。」


そう言う姿はまるで、「師匠」ではなく「窶れた老婆」のようにしか見えなかった。



「今日、この町を出るんだろう?」

僕は驚愕した。僕が言わなくても師匠はその事実を知っていたのか、と。

「誰かから聞いたんですか?」


僕がそう尋ねると、老婆は首を振る。


「いや、なんとなく思ってな。モブっていうのはこうして場所を移動しなきゃならん職業じゃからな。まあ、こうなるということは予想していたさ。」


僕はどっと肩から荷が下りた感覚を覚えた。しかしそれと同時に今までの思いが込み上げてきた。


「ごめんなさい……僕、勇気が無くて言えなかったんです。本当はもう何日も前にその事実を知っていて、伝えようとしていたのに、伝えられなかった。」


僕は嗚咽する。


師匠とは会ってから、まだ一か月しか経っていない。これは時間的に見れば、論理的に見れば、とても短い時間である。事実、僕は今まで、一か月をこれほどまでに長く感じたことは無かったし、これほどまでに大切だと思ったことは無かった。


「この一か月の間で、僕はたくさんのことを学びました。それは勿論、魔導工学のこともそうですけど、それだけじゃない、人間として大切なことも。」


僕は師匠からたくさんのことを学んだ。モブとしてどうあるべきなのか、人間として、どう生きるべきなのか。

そのようなことを、師匠はたとえ言葉を介さなくても伝えてくれた。



「モブとして活躍したいんじゃろ?」


師匠はそう言って、僕にネックレスを渡した。

それは美しく輝く、鏡のついたネックレスであった。


「あたしは昔、あたしの大切な弟子からこれを貰った。そして大切な弟子ができた時だけ、これを渡してくれと言われたんじゃ。」


そう言って師匠は、僕の首にネックレスをかける。


「お守りのようなものじゃ。あたしもようやく約束を果たす時が来たな。」


老婆はそう言う。


「僕、なんかがそれを貰ってもいいんですか?そんな「大切なもの」を。」


すると、老婆が僕の肩に手を置いた。


「スピカ。あたしはお前さんに何かを残してやることはできない。お前さんの代わりに魔王を斃すことも無理じゃ。でも、あたしは、お前さんに期待をすることならできる。」


そして眼鏡をずらし、「だって」と言う。




「だって、スピカはあたしの、大切な弟子なんだから。」

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