第一幕 五場 再会(壊) 後編


 あのまま逃げ続けた村長は、村からおおよそ一里弱離れたところの墓地にやってきてしまった。

 無意識にここまでたどり着いてしまったのだ。変わらず、見えるものはそのまま、たくさんの墓と、枯れた雑草が生え散らかしただけの平地、そしてその奥に見える祠。それだけだ。


 ここまで来て、あたりを見渡して誰もいないことを確認した――そういえば、まだ村の中を走っていた時も誰も見なかった。


 その時はまさかだと思えるほど冷静でなかったが、そう考えられるほどに――が、とにかく奴はまだいないことに安心した。ほっとため息をつくと村長は途端に頭が痛くなり、内から、何かこみ上げるものを感じたが、その瞬間、全身から力が抜けその場で嘔吐してしまった。

 おかげかどうかは知らないが、なんだか頭がすっきりしたので、そこでとある仮定をしてみたのだ。というか、仮定を立てる以前、過程の時点からある程度、察してい

たというか、結論はわかっていた。


 間違いなく『奴』である。


 あの金属特有の鈍い光沢を放つ小刀を見て全て理解し、と同時に、今更ではあるが絶望感にうちひしがれた。奴の友が死んだり、村人が消えていたりしたのは奴が鏖殺を行ったからだ。村の人間を一人として残らず狩り尽くしたのだ。


 ただ、村長を残して。


 村長の中にどこかの下人の原型が輪郭を見せた気がした。

いま、奴をどうにかしないとまずいことになってしまう。野放しにすることなどできない。

 奴を今のうちになんとかせねば。

 村長はそう考えた。


 紛うことのない生存本能と圧倒的な善心、正義心である。

 決定的な勇気ある決意。


 しかし、この決断は決して英断と呼べるようなものではない。村長は今、何も持たずに村を出た。そのため、武器にできるようなものもなく、それにこの平地だ。身を隠せるようなところすらもない。真正面からの取っ組み合いになること――そのうえで殺されること――はもはや避けられないでいた。

 真正面から交戦すればまず負ける。向こうは、小刀を持っている。そんなことは村長にとってとっくに分かっていた。



 村長の本分とは、いや、全ての長においての共通した本分とは、『決断する』ことである。どんな時であっても最良の決断を迫られることへの重圧である。自分は常に最良の決断をしてきた。決して意志の強い人間ではないが、それでも儂は、決意し、決断し、決定してきた。たかだか貧しい村の一村長だが、自分の決意はいつも最良だった。今回、今もそうだ。きっと、これこそが最良である。


 儂は間違いなく死んでしまうだろうが、全てを儂の命で洗い、儂の生命を以て償おう。

 この命で事足りるかはわからないが、閻魔の大王に儂の決意を土産話に持っていこう。笑い話として、己が命をかなぐり捨てたことを許していただこう。それならば、何とかなるやもしれぬな。

 村長は一瞬微笑んだ。こんなにもくだらない物語をどのように脚色して閻魔のもとへ持って行こうか考えていたからだ。




 村長の立てた計画はこうだ。

 襲いかかってくるであろう奴の一突きをあえて受け、怯んだ相手が柄から手を離した隙に自身から小刀を引き抜き、それで相手の喉笛を一突きにしてやるという計画である。

 あまりにも、無茶がある。

 しかし、やらざるを得なかった。まさに自己“義”牲の精神である。うまくいくかも分からない計画に絶対的な自信を持ち、眉間にシワを寄せながら、そして、いよいよ。口を開ける。


「もうすでに来て、どこかで見ておるのだろう。早く姿を現せ」

目に見えることはないが、怒りが沸騰し、一切の感情の消えてしまった声色となった。

「どこだ、どこにいる」

あたりを見渡すが姿が見えない。

風が吹く。颪のような冷たい風だ。平地中の枯れた雑草がかさかさと音を立てる。墓にあった献花が一本飛んでいった。真っ白な西洋躑躅だった。確か、あの花の花言葉は、――なんだったか忘れてしまった。「妻に会いたくはないのですか」








 背後、いや耳元から声が聞こえた。あまりにも、突然の事で腰が抜け、その場に尻もちをついた。涙目になりながらもゆっくり体を持ち上げ、蜥蜴のような体勢で、男に背を向けるように、逆側へと逃げ出した。ちょうど墓の方だ。



 恐怖とはまさに絶対的な支配である。どれだけ大層なことを思おうと、どれだけ勇気を持とうと、生物としての本能として恐怖に抗うことは不可能なのだ。

 復讐の鬼と化した村長であったがあくまでも、正義の為に決意し、決断し、決定したことは、わずか数十秒でたった今、村長の踏み潰している雑草のように枯れ、萎れていた。それは、敗北者のあまりにも醜く惨めな姿だった。目を見開き、自分の心拍に押しつぶされそうになりながら地を這いずり、逃げる。


『逃げる』


 これこそが英断のはずだった。

 これこそが最良のはずだった。


 しかし、彼は戦うという選択をしてしまったのだ。余計な決断が、心に寄生している、そのせいか、今の村長にはただただ恐怖心と絶望感が頭の中に渦巻き、心の中を蝕んでいた。また、輪廻のように。

 たとえ、今この時、計画を変えていたとしてもだ、恐らく足がすくんで動けなくなっていただろう。

 それほどの恐怖。一体何なのか。得体の知れない――もはや得体があるのかさえ怪しいような殺意が矢のように鋭く突き刺さってくる。

 いや、もはや、殺意というのも違う。別の何か、もっと狂気的なものだ。

 あれに感情があるのかさえ分からない。喜びとも、怒りとも、悲しみとも、楽観とも異なる。どれでもない。どれにも当てはならない。一体何なのだろうか。


 村長の逃げた先にあったのは、石に荒く文字の彫ってある墓だった。名前にはもちろん心当たりがあった。目の前にいる奴の妻だ。    

 そうか、そうだったのか。奴はこれを狙っていたのか。ここで、ここで儂を殺すつもりなのだ。


 でも、そんなことはもういい。

「すまない。本当にすまない。申し訳ない。本当に申し訳ない」

 思いつく限りの言葉で謝罪した。目の前の墓に。

 ついさっきまで、今では消えかけていたとはいえ、正義感があったのにも関わらず。逃げだした者の末路は死人に頼り始めた。まるで神にでも祈るかのように。必死に目も閉じてただ祈り続けた。というよりも、ただただ謝っていた。




 やっと目を開いた村長の目が真っ先に捉えたのは、自分の首から飛び出している鈍

い鋼だった。切っ先から赤い汁が滴って土に染み込んでいくのが見えた。


「あ、あが、ぐ」


 人の使う言葉とも思えないようなことを発して、なんとも無様な姿で地に伏した。踏みつぶされたカメムシのような姿で。


 あぁ、思い出した。あの夢は、そうか、そうだったのか。

 だが、あの姿は、あの身体は紛れもなく……。


「まただ。」


 村長が死の間際。最後に捉えた言葉はそう聞こえた。













いや違う。これは。

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