第一幕 四場 消えゆくもの
またある日のことだ。
今日も、村長の元へ一人やって来た。
何でもない娘である。一体どうしたのだろうか、心配を見せる村長はまず、
「一体何ぞ用か」と、優しく問いかけた。
すると、娘は、口を開いた。
「私の父が、家の中で死んでいたのです。村長様に心当たりはありませんか」
あまりに突拍子のないことを言うものだから、村長は一瞬何を言っているのかわからなかった。
父が死んでいた、だと。
このあたりの森はあまり人は足を踏み入れない。山賊が出るには人通りが悪い場所だ。
そう考えると、突然の発病、とも考えられる。しかし、どれも腑に落ちない。
村長の顔は違っていた。まるでなにかに気づいたみたいに。分かってはいけないなにかを察してしまった顔だった。
当然の話をしよう。人の生きる中で、死、というものにはそう何度も直面するものではない。況してや、比較的近しい間柄の人間を亡くすことはさらに少ない。
だから、村長の中で、死とは限りなく近いものになり始めていた。これまで、計二度の死を目の当たりにしている。
まただ、また人が死んでいく。
村長は、このことの全てを察してしまったのだ。
まず、村長は確認すべき事があった。
「その話を儂以外に誰かしたか」
「いいえ誰にもしておりません」
村長は、少しの安心感を覚えた。
「分かった。君はこのことを誰にも話すな。これは絶対だ。分かったか」
もしものために強く念を押す。これも全ては、気づかれないために。
「分かり……ました…」
娘の目は、いかにも訝しげだった。
その後、状況などを娘が話し終わる頃には顔の原型がわからぬほど嗚咽していた。あの日見た地獄の様相にも似たような苦しい顔だと村長は感じた。
村長は、あの日のことを思い出し、胸が痛くなりながらも泣き崩れている娘を介抱してやることしかできなかった。
また、己の無力さをかみしめることとなった。自分の立場、自分が何をするべきかさえ分からなくなりながら、村長は必死に女を介抱してやった。
娘が泣き止んだ頃、村長は、
「とにかくとして、村長の役目として、死体を看なければならん。家まで案内頂こうか」
赤く腫れた目を見ながら、村長はまた優しく声をかけた。
この娘の家は、村長宅から僅か数分程度でたどり着く。村の領を鑑みるに、ここから最も近いと言って過言ではない。
「分かり、ました」
まだ言葉を話すのに詰まるほどだが、娘は村長を娘の家へと案内した。
数分の後、たどり着いた娘の家に入る。
そこには、“何もなかった。”
正確には、娘が話していた父の死体が無かった。
感覚的に察しただけのことは、村長の中で確信に変わった。
隠さなければ。
村長もまた、あの男のように、不正解を敢えて選んでしまった。
村長はその後、その父の存在を隠蔽した。
あの男は、家に娘を置き、別の女の元へ行った。と言う適当な嘘を噂話として流したのだ。村は一時、あること無いこと騒いでいたが、しばらくするといつも通りに戻っていった。これが百合村の恐ろしさでもある。
一体、何があったのか。その全ては、なんとなく察していた。
死んだのではない。きっと殺されてしまったのだ。
もしも、殺人を犯すとするならば。
「そんなはずは、そんなはずは」
思わず声に漏れてしまい、その上、余計なことを思い浮かべてしまった。
絶対にそんなはずはないのに。
あり得ないはずなのに。
どうしてもそんなことを考えてしまう自分を呪うように、村長は思いきり壁に頭を打ちつけた。一部分だけ赤く染まった壁を見て、心なしか、頭が冷えたような。そんな気がした。
その後日。村長は不安に駆られていた。
村長からの命令とは言え、いわば口約束である。内容もあり、娘にとって隠す必要性は皆無と言える。
しかし、実際にはこの村にそんな噂などはいっこうに流れることなど無かった。村長の心配は杞憂に終わったのだろうか。
これは、取り越し苦労なのだと分かった上で、村長は、敢えて娘の家を訪ねることとした。
これもまた、杞憂に終わった。
探せど探せども、娘の姿が見当たらないのだ。家の中、周辺、山の中。何処を探そうと見つからなかった。
また。また消えた。この村から、また一人消えた。
一体、何が起こっているというのか。
さらなる心配を残したまま、時が過ぎる。
また後日。ほとんどの村人は、村長に元気がないことを察していた。
目には隈、腕や足もやせてしまっていた。自信の喪失や、こと様々な心労による身体の衰弱。それはもう見れば分かるほどに進行している。身体内外の抵抗力などはもってのほかで、いつ病に感染するかも分からないような、そんな状態になってしまった。
心労の正体とはつまり、潰されそうになっていたのだ。この村長という名前に。
村に住むものの命を三度も守ることが出来なかったのだ。況してやそのうちの一つは、自身の妻である。その申し訳のない気持ちと責任感で、あの日から少しずつ衰弱していった。目には見えなかったが、その精神的重圧は村長の心をゆっくり、ゆっくりと押しつぶしていた。本人さえも分からないところで、少しずつ浸食していく。それが今回でいよいよ暴走した。
しかし、それに気づいたところで、事はもう遅かった。村長の中で、すでに病は発病していたのだ。
それからというもの、村長は寝たきりの状態になった。側で介護をしてくれる妻や、友もいない。時折やってくる見舞いの者が身の回りの世話をついでにやってくれていた。
しばらくの間はほとんどの村人が見舞いにやってきた。しかし、変わらずあの男が来ることなどは無い。
苛立たされることや、訳の分からないことが多かったが、村長の中では、あの男は、あの夫婦は、友とも呼べるような間柄にまでなっていたはずだった。
男の妻が死んでしまった原因の一端には村長がいる。それは承知の上である。だからこそ、今、こんな状態になってしまったのだ。
謝りたい。彼の目の前で直接謝りたい。君の妻を守ってやることができなくて、本当にすまない。村長として不甲斐ないばかりだ。虚ろな自分の心に何度も反芻させた。が、胸の中に反響することなく、言葉はいつまでたっても胸の奥底に大きく残り続けていた。どうしようもなく、どうすることもなく、ただ誰でもない誰かに向かい謝ることしかできないような今の無力な自分を、ただただ呪っていた。
きっと、きっと、来てくれるはずだ。至極主観的な考えの元、村長はただただ待っていた。だから、――たとえ、気が狂っていたとしてもだ――自分の見舞いに来てくれないことを寂しく、且つ、どうにも心配になった。
一体何をしているのか。どんな風に過ごしているのか。
妻を亡くした私になら、あの男のことが分かるのかも知れない。ある種利己的な考えの元、村長は妻を亡くしたあの日からのことを追憶する。
はずが、どうにも思い出せなかった。病はいよいよ、後生大切にしていた自身の記憶。不可侵領域にまで足を踏み入れていたのだ。
自分の、自分だけの大切な何かが壊れたような。絶望的ともまた異なる、限りなく形容しがたい感情と共に、自分のあまりの不甲斐なさに憤慨するあまりだ。
少しばかりに残った理性が、頭を冷ませ、とでも言わんばかりに村長は憤怒をあらわにしたまま、眠りについた。
そんなことを考えながら、いつまでも寝苦しい夜が続く。いくら眠ろうとしても、いや眠ることは可能なのだが、いつも夢を見る。
夢の中で村長は、何かに向かって必死に謝りながら、怒り狂った何かに刃を向けられ、首を一突きに殺されてしまう。そこで目覚めてしまうのだ。
この数日間、そんな夢ばかり見る――余談ではあるが、夢というのは、その人間が実際に体感、体験したもの。あるいは、その人間がそうであれと強く願うものが、夢となって現れるようになると聞いたことがある。夢の中で自分が死んでしまったときに、はっと目が覚めてしまうのは、自身が経験したことのないものだから、と聞いたことがある。
この場合、村長の悪夢、死への恐怖、夢の中での死が、村長の“眠れない理由”と繋がっている。――ようになっていた。
そんな寝苦しい夜が続き、しばらく経った数日後、村長はあることに一つ、疑問が浮かび上がった。どうしようもない。くだらない疑問である。
そう、普段、いつもならば少なくとも二、三人は誰か見舞いにやって来てくれる、はずなのだが、今日は、一人たりと来ることは無い。寧ろ、彼の家周囲に人の気配が感じられないのだ。
ここで、頭が働かないなりに村長が浮かんだ疑問。
もしや、”また”村人がいなくなっているのではないのか。である。
限りなく下らない話である。昨日まであれほどやって来た村人が突然消えるようなことはない。況してや、わずか一夜で。いや、この数日間で少しずつ消えていったと言うことも考えられる。
村長はどうにも不可思議である、とは感じたものの、その時の村長の衰弱しきった脳では、何が起こっているのかは考えることさえままならなかった。
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