第四章 ―― 暁に響く 其の三


       ◇◆◇

 

 城内。先を進む裏白と、それを追う陽雨。陽雨はその背に問いを投げる

「あんた、黒羽楼にいたのか?」

「ご明察。五年前まで黒羽楼の城に仕えておりました」

「父とはそこで?」

「ええ。榊さまにはたいへん良くしていただきましたよ。良いお父上でしたね」

 裏白は屈託なく話した。それに違和感を覚えながら、陽雨は警戒を露わにその背を睨む。

「私は黒羽楼の、城に代々仕える一族の家に生まれました。文武両道が当たり前。ですが私は武の方が不得手でして。そんなとき榊さまにご指南を賜りました」

 陽雨は素直に感心した。どうも掴み所がない男と思っていたが、意外な一面を見た気がした。

「それにしても面白い人でした。偉丈夫と呼ぶに相応しく、豪放で快活。我流で剣技を編み出したり――それには私も少しばかりお手伝いをさせていただきました」

「眩耀流を知ってるのか?」

「知っていますとも。もちろん私に扱える代物ではありませんから、知っているというだけですがね」

 裏白はくすくすと思い出し笑いを零す。楽しそうに昔語をする彼に、ふと、陽雨は警戒を緩める――が、

「面白いと言えば、天威と夫婦めおとになったことなど仰天しましたよ。その上、まさかお子まで授かるとは。それを知ったときはもう一生分驚いたと言っても過言ではありません」

 それを語って振り向いたその目が妖しく光ったことに、陽雨は息を呑んで身構えた。

「……母を知っているみたいだが、それは父から?」

 陽雨はひとつ踏み込む。訊きたかったことのひとつだった。

 父親との繋がりは予想もできたが、天威の母親との繋がりが見出せなかった。父も天威と一緒にいることなど吹聴するはずがない。

「いえ。天威のことについては、榊さまから語ってはくださいませんでした」

 やはり、と思う。次いで問いを重ねた。

「ならばなぜ?」

「なぜ、ですか。うーん、なんと言うべきでしょうね……」

 裏白は顎に手を当てて考えを巡らす素振りで黙る。陽雨にはそれが、言葉を選んでいるようにも、何事か企んでいるようにも見えた。

 そして紡がれた言葉は、陽雨の予想だにしない事実へと続く。

「初めは黒羽楼の城下町で見かけました。榊さまと一緒に歩く照葉さまを。ひと目見て思いましたよ――なんだあの女性ひとは、と」

「見ただけで気づいたのか!? 有り得ない!」

 裏白の背に続く陽雨は足を止め、思わず声を荒らげた。

 ――母、照葉は陽雨や月緒とはまた違った意味で人の姿を取ることができた。陽雨たちは天威の〝力〟を抑えることで、また使い切る、失うことで人の姿を取るが、照葉は〝力〟でもって人の姿に化ける。

 そんな母の変化へんげを、見ただけで分かるはずがない。まさか母が町中で正体を晒すわけがないと陽雨は食い下がるが、

「〝代々黒羽楼に仕える一族の生まれ〟と、先ほど言いましたが――」

 同じく足を止めた裏白は肩越しに視線を投げ、意味深な笑みを浮かべてその疑問に答える。

「実はですね、私の家は神護を先祖に持つのですよ」

「――神護の、末裔だと?」

「それも祖先の神護は、天威について深く知ろうとしていたようでしてね。試行錯誤の研究の跡が文献にて残っておりました」

 一瞬、裏白がなにを言ったのか分からなかった。天威と同じく――いや、ある意味それ以上に謎を秘めた神護という存在。そして裏白の祖先は天威の研究を行っており、彼自身は母照葉の正体を直感で見破ったと言う。

「照葉さまをお見かけしたとき――今思えば〝血が騒いだ〟と言うのがいちばん近いのでしょうね。しかしそのときの私はそれがなにを示すのか理解できずにいました」

 裏白は肩を竦めてみせる。思惑の見えない陽雨は。苛立ちを抑えながら先を訊ねた。

「……その後は?」

「衝動に駆られ、ふたりの後を尾けました。しかしながら銀麗山に入った途端に姿を見失い、気づけば黒羽楼に戻っていました。そのときの私はすごすごと帰路に就きましたがね、ふと思い出したのですよ――天威というものの存在を。そして大急ぎで帰ってある物・・・を探しました」

「ある物?」

「これです」

 言葉とともに裏白は黒い羽織を翻し、そしてその内の己の左の腰もとを――差してあった漆黒の太刀を示して見せた。

「書庫――研究室と言っていいかもしれませんが、そこに文献と一緒に置いてあった刀です。特別な製法で作られた刀らしく、〝天威の感覚を狂わせる力〟があるとのことです」

 ぞわりと、それに相対した陽雨は身を震わせた。雪山での出来事が思い起こされるなか、彼女は刀から意識を離さず問いを続けた。

「銀麗山に来たときも、それを?」

「ええ。あなたがたに気取られないよう山を登りました。苦労しましたよ。三十人弱の気配を隠すのは」

〝天威の感覚を狂わせる力〟――確かに、陽雨は裏白玄也の気配を捉えられないことがあった。

 口振りから、それは祖先である神護の研究の賜物ということなのだろう。人の身でありながら己を翻弄する裏白と、その祖先と漆黒の刀に、陽雨は険しい目を向ける。

「話が逸れましたか。私は次の機会にこれを持って再度ふたりの後を尾けました。結果、私はあなた方の山小屋を見つけることに成功しました」

「……小屋の近くまで来たということか」

「ええ。陽雨さまと月緒さまのお姿も、遠目ながら拝見させていただきました」

 この男は五年以上前から自分を知っていた。言いしれぬ不安が陽雨を襲う。

「そして後日、榊さまには私の素性を明かしながら話を聞かせていただきました。天威のなんたるかを知りたいのは榊さまも同じだったみたいですね。……しかしながら、その話は何者かに聞かれていたのでしょう。榊さまが天威とともにいる、との噂がいつしか城に広まりました」

 そんな噂が広まれば黒羽楼に居づらくなったはずだ。いや、嘘のつけない父のことだ。きっと認めてしまったのだろう。己の妻が天威であると。

「黒羽楼がああなったのはその後間もなくです。私は丁度城の外にいて難を逃れましたが、なんでも榊さまが黒羽楼に反旗を翻したと聞きました。榊さまは混乱に乗じて山へ逃げたと聞きましたが……」

「直後に死んだよ」

「惜しい人を亡くしました」

 陽雨は被せるように――あえて簡潔に――言い、裏白は踵を返して歩みを再開させた。

 ――裏白の語ったことは驚きもあったが、概ね陽雨の想像通りだった。過去が明らかになって下りた肩の荷、解けた謎もあれど、しかし陽雨にとって重要なのはこれからだ。

「あんた、母が――照葉がどうなったのか知っているか?」

 行方不明の、生死不明の母親。五年も音沙汰のない、しかし国ひとつ程度と相打ちになるとも思えない天下無双の天威。

 陽雨は暗い廊下をゆく漆黒の背に向けて問いかけるが、

「――それはこの先にてお話しましょう」

 角を曲がって、そして行き止まりの壁をまさぐる裏白は、ある一点を押し込んでそう告げた。

 次いでなにかが噛み合う小気味良い音が響く。途端にその壁が横にずれ、その先には石造りの階段が地下へと続いていた。

「暗いので足もとにお気をつけて」

 暗く昏い、深淵へ続くが如きそれを示して、裏白は微笑みながら陽雨を見ていた。

 

 先を覗き込んだ陽雨は訝しげに目を細める。

 闇へと延びる石段は、しかしその先に僅かな光が見受けられた。およそ一階分の長さだろうか。それでもその先になにがあるか判然としない陽雨は、その訝しげな目を裏白に移した。

「――榊さまと天威についてお話をしたとき、私はあることを提案しました。『天威の〝力〟の秘密を、ともに解き明かしてみませんか?』と」

 陽雨の視線を受けて、闇の先を示していた裏白が語り出す。しかしながら陽雨にはその脈絡が見出せない。急に話が飛んだ気がして彼女は首を傾げた。

「神護であった我が祖先は、こんなものを作り出せても研究を完成させることはできなかったようです。私はその遺志を継ぎたいと思っておりました」

 陽雨に構わず、裏白は話を続けながら一段、一段と石の階段を踏みしめてゆく。

「しかし榊さまの返事は否。『彼女が傍にいてくれるだけでいい。何者でも構わない』と、それだけ言って首を縦に振ってはくださいませんでした」

 陽雨は裏白の背に続き、また彼女も一段ずつゆっくりとそれを下る。

「けれど……拒まれて、それで諦められるなら最初から興味など持ちませんよね」

 薄明かりに照らされる部屋の全貌が徐々に露わになってゆく。壁、床、天井すべてが石造りのその部屋は机や棚が整然と置かれ、辛うじて地上部に当たるであろう壁の上部には採光と換気のための窓――と言うよりは細長い穴がところどころに空いていた。

「だから、私は――」

 石段を下りきった裏白。

 そしてその後ろで、陽雨は愕然と立ち尽くした。その手から〝宵空〟が零れ落ち、乾いた音を立てた後に解けるように大気に消えてゆく。

 彼女の目に飛び込んできたのは、部屋の最奥にある見慣れないものだった。炎とは違う色の灯りに照らされ、大人三人ほどが手を広げてやっと囲えるくらいの、大きな筒状の硝子の器。中は液体で満たされ、そして――

「…………母さん?」

「ええ。私は照葉さまに直接、我が野望の実現のための助力を請いました」

 光の反射で初め見えづらかったその器の中には――僅かに赤みがかった毛並みと九つの尾を持つ、人の身の丈ほどの大きさの狐の姿があった。

 それは陽雨が、月緒が帰りを切望していた――彼女たちの母に相違なかった。

「――っ!!」

 陽雨は残りの階段を飛び降り、裏白を押し退けて硝子の器に走り寄る。それを拳で叩き、強く、叫ぶように母を呼んだ。

 しかし母は、照葉は応えない。陽雨は瞳を鋭く、歯を凶暴に剥き出して再びその手に青の刀を創り、その柄尻を照葉を捕らえる器に叩き込もうとして、

「おやめなさい。自ら母親を殺す気ですか?」

 しかし裏白の言葉にその手を止めた。

 ――どういうことだ?

 陽雨は怒りと戸惑いに満ちた視線で問いかける。凶器のように鋭い瞳。それを受けながら、裏白はそれでも調子を少しも変えずに陽雨と対峙した。

「照葉さまには私の研究に協力していただいています」

「……研究……協力?」

 感情を押し込めるようにしながら、陽雨は口からその言葉だけを紡ぎ出す。裏白はゆるりと頷いてみせた。

「しかしながら少しやりすぎてしまいましてね。今は銀麗山の地下水を常時循環させたその装置にて、ぎりぎりのところで生命維持を行っている次第です」

「――っ!?」

 見開かれた瞳が母を仰ぎ見る。

 異世ことよの狐は見る者を惑わす魔性があったが、その実、身体も毛並みもぼろぼろだった。特筆すべきは右後ろ脚が失われており、腹に黒色の破片のようなものが突き刺さっている。

「照葉さまが黒羽楼を壊滅させたあと、私は説得をさせていただきました。……まあ、正直にお話をして了解を得られると思えるほど、私も楽観的ではないのでね――」

 そして漆黒の刀をすらりと抜いて、笑みを深めた。

「少々、強引な方法を取ってしまったかもしれません」

 それは天威に対し作用する黒刀。――瞬間、陽雨はことのあらましをすべて悟る。全身から殺気が迸り、尻尾がひとたび苛立たしげに振られた。

「あんたが、やったのか……」

「ええ。疲弊した照葉さまを背後から斬りつけ、説得を行いました。また、この刀のこの部分――」

 言って、裏色は己の刀の鋒の、僅かに先の辺りを示してみせる。

「ここを、照葉さまの腹に埋め込みました。〝天災〟そのものと言える照葉さまに暴れられてはひとたまりもありませんからね。首輪代わり、と言ったところでしょうか」

「……父さんのことも、つまりはそういうことか」

「慧眼。しかし私は、私と榊さまとの話に聞き耳を立てていた者が私となんの関係もないとはひと言も言っておりません。また、黒羽楼の城主に『榊さまに謀反の準備がある』などと誰が唆したのか、今はもう確かめる術はありませんね」

「……目的は、なんだ?」

「人に、天威の〝力〟を宿すこと。先祖代々の悲願です」

 しばらく、淡々とした会話が続いた。しかし――裏白はともかく――陽雨の心中は荒れ狂うような感情が渦巻いていた。もし感情が目に見えるものだったら、部屋の中は嵐の只中にあることだろう。

 そして、そのひとつが言葉となって零れ落ちる。

「…………わたしが、月緒が、どれだけ――」

 それは、たとえば桐悟が見たとしたら、〝泣いている〟と思ったかもしれない。右手の〝宵空〟が呼応するように光を湛え、それが彼女をより憂いの色に染めていた。

 それでも裏白は変わらぬ様子で話を続ける。

「あなたがたには苦労を強いることとなってしまい、大変申し訳なく思っております。しかしご安心を。これからは一緒にいられるのですから」

 裏白の言葉に、陽雨は顔を俯かせたまま呟いた。

「それが〝協力〟の内容か?」

「ええ。あなたには照葉さまの代わりに、私の研究にお付き合いいただきたい」

 陽雨を待ち、この場に連れてきた理由。裏白は協力・・を申し出ながら、一切の有無を言わせぬ口ぶりで語る。

「もう少しなのです。もう少しで辿り着ける。苧環さまも成果を心待ちにしておりますし――逆に言えば成果を挙げられなければ私は見限られてしまう。私は今の環境が気に入っていましてね、それはとても困ります」

 大仰に手振りを加えて、恭しく――俯く陽雨に――頭を下げる。

「何卒、ご協力をいただけませんか? あなたと、それから――」

 そしてふい、と顔を上げる。

「妹君、月緒さまに」

 裏白の目は城正面の庭を映していることだろう。そこには未だなお奮戦を続けている月緒がいるはずで――

 瞬間、陽雨の姿が掻き消えた。

 ――榊眩耀流〝墜月〟。それを何度も受けた桐悟なら即座に反応できるかもしれないが、天威の〝力〟でもって死角より放たれる、手加減抜きの一閃は通常防げるものではない。

 ――きぃん。

 しかし防げないはずのそれは黒い刀に阻まれる。

「――っ!?」

 並べられた机の上に着地した陽雨はその手に持つものを見て目を剥いた。全力の一撃が防がれただけに留まらず〝宵空〟は、打ち合った衝撃で刀身を半分ほど失っていたのだった。

「見事な技の冴えだ。しかしこの黒刀は、いわば〝天威殺し〟の魔剣。あなたが天威の〝力〟を揮う限り私には敵いません。ご理解頂けたなら大人しく――」

「〝綺羅星きらぼし〟!」

 裏白の語ることなどもはや耳に入りはしない。陽雨は犬歯を剥き出しにしたその口より、新たな刀のを叫んだ。

 次いで手に顕れるのは、輝く星が如き光を放つ細く薄く美しい刀――いや、諸刃作りのつるぎであった。

 ――通常、刃物は〝反り〟があって初めて斬れる。ゆえに反りのない剣は速さと重さと圧力で〝力任せに潰す〟ものである。

 しかし陽雨の白き光を放つ剣――〝綺羅星〟はその例にあたわず。

 触れれば切れる・・・・・・・

 天威〝霊山の狐〟の奥の手。多量の〝力〟を注いで創るそれは、そういうものであった。

 

「素晴らしい」

 裏白の言うそれは素直な賞賛だった。そして鷹揚に黒の刀を陽雨に向ける。

「それほどの〝力〟ならば、この黒刀とも渡り合えるかもしれませんね。ならば私も力を尽くしましょう。天威の血肉を練り込んで・・・・・・・・・・・作り上げられ・・・・・・を得た・・・、祖先の研究の成果。とくとご覧あれ」

 陽雨の目に禍々しい闇色が映る。その製法を聞いて、彼女は対峙したときの悪寒の理由を知った。

「――――殺す」

 煽るように嘯く裏白に、陽雨はぎり、と手の剣に一層の力を籠めた。そして脚に力を込め、石畳を蹴り、神速をもって再び斬撃を放つ。

 仄暗い部屋に火花が散った。

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