第二章 ―― 騒がしい日々 其の三

 

       ◇◆◇

 

 稽古三日目。逃げる桐悟とそれを追う陽雨が雪原をゆく。

「あーっはっはっはっ!」

「ちっくしょー!」

 大熊の騒動、陽雨と桐悟の勝負から二日が経ち、陽雨の哄笑と桐悟の悲鳴が銀麗山に響き渡る。その光景は稽古とは名ばかりで、いっそ私刑にしか見えなかった。稽古の内容は〝ひたすら陽雨に追い回される〟というものだった。

 いや、それは語弊があった。はじめのお題目は地稽古――〝お互いが攻め合う〟ものだった。

 素振りでも体力づくりでもなく、小難しいことは抜きにしての手合わせ。陽雨曰く『直にやり合うのがいちばん手っ取り早い』とのこと。

 もちろん両者の実力は雲泥の差があるので、陽雨の刀は例によって自壊するもので当然刃はついていない。ちなみにではあるが、二日前にやり合ったときも刃はついていなかった。

 初日、桐悟は安全な得物を持ちたがるも、陽雨の持つ得物は彼女にしか扱えないので木刀を自作した。しかし刃がついていないとはいえ立派な鈍器。桐悟はそれを振ることに躊躇いを見せていたが、陽雨に、

「まず当たることはないから安心して振れ」

 ときっぱりと言われてしまった。

 それに桐悟は目に物見せてくれよう、といきり立っていたのだが――無理だった。

 消えるのだ。陽雨は。向かっていけば死角から一本。後の先を取ろうと対峙しても、瞬時に間合いを詰められ一本――で済まない数が叩き込まれる。それはいちばん初めに一戦交えたとき以上の速さであり、よほど手加減してくれていたのだと気づいた桐悟は一瞬感動し、すぐのちに己の不甲斐なさを思い知り、溜め息をついた。

 そして試行錯誤がありながら、逃げる桐悟と追う陽雨という今の形ができあがる。ふたりは小屋の前の切り株に腰を下ろす月緒が見守る中、元気に雪原を駆け回った。

「逃げるな桐悟。神妙にして縛につけ!」

「それはおまえの台詞じゃないだろ!」

 少なくとも賊が兵士に吐く類いのものではない。

「四の五のぬかす前に刀で語れ!」

 陽雨は余裕の表情で桐悟を追い回す。もちろん全力で走ってなどいないのだろう。それでも彼我の距離はどんどんと詰まっていった。

 そして間合いを捉えた陽雨の刀が振るわれ、

「分かってる――よ!」

 しかし丁度振り返った桐悟がそれを弾く。

「お?」

 ただ追い回されるだけに見えた桐悟だったが、ただ逃げているだけではなかった。

 逃げて、追われる。追う陽雨の斬撃は当然背後からのものになり、その背後にのみ注意を払う――つまり攻撃範囲を限定し・・・・・・・・対抗・・反撃を行う・・・・・という策を取った。

 昨日までの二日間で優に三百本を入れられた彼の、――過労で気絶し、風呂で溺れかけながら考えた――文字通り苦肉の策だ。

 だがしかし。

「遅い!」

「あだっ」

 反撃に転じた桐悟の剣をひょいひょい躱し、策を弄してから一本目の青の刀が砕け散った。

 青い破片がきらきらと風に散る中、早速策が破られた桐悟は、それでもその目に戦意を変わらずに漲らせて、体勢を整え再び一目散に走り出す。それを見た陽雨は一瞬足を止め、その顔に薄く笑みを作った。

「よーし、走れ桐悟! 目標は百本以下だ」

「ど畜生!!」

 そしてその背を追っていった。

 

 ちなみに。

 自壊する刀の一撃は、驚きはするもののほとんど痛みは感じない。むしろ例の張り扇でひっぱたかれる方が何倍も痛い――とのこと。

 昨晩稽古の様子を訊いた月緒に、桐悟がそう語っていた。

 

 そして――

「五十二ぃ!」

 ぱぁんと青の刀が弾け、それを額で受けた桐悟は崩れた体勢を立て直せずに雪原に転がった。

 ほとんど走り通しだった桐悟の膝は限界に近い。しかしなんとか脚に力を込めて立ち上がろうとしたところで、新しく刀を創らないまま陽雨が言った。

「桐悟、ちょっと待て」

「な……なんだ?」

 全身で息をする桐悟は警戒を怠らず、木刀を構えて振り返る。しかし陽雨に戦意や得物がないことから一時中断の意思を見て取ると、ついに雪原に膝を突いた。

「小屋からあんまり離れるな。帰れなくなるぞ」

「こ、この程度で……迷子になんか……なる、もんか」

 桐悟は木刀を地に突き立て荒い呼吸を繰り返す。満身創痍の彼に対して、陽雨は額に浮かんだ汗を拭う程度。桐悟は天威の理不尽さを新たに思い知りながら陽雨の言葉に異を唱えた。

「うーん、そういうことじゃないんだが……」

 陽雨は困り顔の頬を掻きながら、なにか考える素振りをする。そのとき、

 ――ぱぁん!

 と、どこかから破裂音が鳴り響いた。

「なんだ!?」

「大丈夫。月緒が呼んでるだけだ」

 陽雨は慌てる桐悟を宥めると、小屋の方に視線を遣る。桐悟も視線を移すと、小屋の上空の低いところで破裂音とともに火の粉が散っていた。月緒の〝力〟を利用しての合図だ。

「休憩しろってさ。丁度いいか」

 言って、陽雨は踵を返してさっさと小屋へと向かう。

「ちょ、陽雨……待って……」

 震える脚をなんとか立てて、桐悟は慌ててその背を、規則的に揺れる金の尻尾を追った。

 

 出迎えてくれた銀の狐の少女は、小屋の外の大きな切り株の上にお茶を準備して座っていた。

 湯呑と手拭いを受け取った桐悟は、礼を言って崩れるようにそこに座る。ようやく人心地がつき深く息が漏れたそのとき、彼と背中合わせに座る陽雨が声をかけた。

「桐悟。さっきの話だが」

「さっきの? ああ、迷子が云々って?」

「そう、その迷子が云々だ。いい機会だから話すぞ。よく聞け」

 そう言って、陽雨は人差し指を立てた。

「銀麗山は標高が高く天険と呼ばれてる。でもただ向こう側へ抜ける分には、まして踏み入るだけならそこまで危険はないんだ」

「……そうなのか?」

 銀麗山には近寄るなというのが暮日崎の常識だ。小さな集落が麓にあるも、そこに住む人々は山のごく浅いところのみで木々を伐ったり獣を捕らえたりして生計を立てていた。

「なのに人が足を踏み入れない理由、あんたはどう思う?」

「どうって言われても……」

〝危険であるから〟以外に、何か理由があると陽雨は言う。と、さほど悩まずに桐悟の頭に思い当たる語句が過ぎる。

 ――〝噂〟や〝曰く〟だ。

「まさか、例の噂とかって――」

「その通り。大半は〝霊山の狐わたしたち〟が原因だ」

 噂――迂闊に入山すれば生きては出られない。反対に迷ったという自覚もないままに、いつの間にか出発地点に戻っていた。等々。

「じゃあ、その中のひとつ、『吹雪の中に見えた女の影』とかは――」

「昔からある噂なら、ほぼ間違いなく母だな。……最近ならわたしか月緒かも」

 もうここまでくるといっそ当然のことだと思ってしまう己に呆れながら、お茶を一服。桐悟は落ち着きを取り戻して素早く思考をまとめた。

「噂の出所は分かった。つまり常識の範疇にない〝力〟で迷うようにできてるってことだな」

「さすがに察しがよくなったな」

「おかげさまで」

 この山では超常は日常なのだと馴染んだ桐悟は、嬉しくない褒め言葉を流して耳を傾ける。

「銀麗山は――特にこの小屋の周りには、なんて言えばいいのかな。〝結界〟みたいなものが張り巡らされている」

「結界?」

「効果は察しの通り人除け。ここに到達させないための、人を迷わせるものだ。……ついでに言うと、迷っても元の場所に戻るだけの親切設計になってる」

「二度と出てこられないっていう噂もあるけど」

「尾ひれのついた出任せか、もしくは余程下手に迷ったんじゃないか」

 陽雨は「それから、遠くから小屋を視認できないようにもなっている」とつけ加えた。

「……俺は?」

「あんたは例外だ。ここに運んだのはわたしたちだし、まさか崖から落ちてくるとは思わなかった。それももう塞いだけどな」

「どういうことだ?」

「また崖を下ってこようとしても無駄だってことだ」

 そう言えば陽雨の正体を知ったとき、『あとでなんとかしておく』と言っていたな、と桐悟は思い出す。

「だから下手に小屋から離れれば、あんたひとりじゃ戻ってこられないぞ」

 天威の超常現象を語ってくれたが、要約するとそういうことらしい。

「……注意する」

 普通に暮らしていた中では得られない知識を得、桐悟は暮日崎の誰も知らないであろうことへの優越感と、しかしその知識を披露も利用もできない虚脱感に苛まれながら空を見上げる。

 抜けるように青い空。白い雲との対比が美しい。鳥が鳴きながら行き過ぎていくのを見ていたら、ぐい、と茶を飲み干した陽雨が飛び跳ねるように雪原に立ち、大きく伸びをした。そして手のひらに光を集めたかと思うと青の刀――〝宵空〟を生み出し、ひゅひゅんと振り回して桐悟を見た。

「休憩は終わりだ。桐悟、構えろ」

「は!? ちょ、ちょっと待」

「十、九――」

「だから」

「八七六五四――」

「速っ!?」

 慌てふためく桐悟は湯呑を呷って手拭いを纏め、それを月緒に預けて脇目も振らずに飛び出した。

『頑張ってください』

 少し苦い笑みを浮かべた月緒が言うのを背中で聞いて、木刀を構え――たところで、

「そぉら、五十三っ!」

 容赦なく青の刀が叩き込まれた。

 

       ◇◆◇

 

 明くる日。今日も刀の弾ける音が鳴り響き、桐悟が派手に尻餅をついた。

「――だあっ!」

「三十六本目。まあ、多少は進歩の形跡が見られないではないな」

「褒めてんのか……それは」

「もうちょっと善戦してくれるとわたしも稽古になるんだが。うーん、どうしたものか」

「あまり無茶を、言わないでくれ……」

 恒例のように息を弾ませながら、手が止まったことを休憩と受け取って桐悟はよろりと立ち上がる。

「はぁ――。ちょっと、速すぎだろう」

 そして近くに雪から顔を覗かせる岩を見つけると、それに座って小声でぼやいた。

 その呟きは、しかし陽雨の金の狐の耳にしっかりと届く。彼女は「ふむ」と首を傾げ、新たに創った刀で宙に連撃を奔らせた。

「なあ、速いと言ってもまったく見えないというわけじゃないんだろ?」

「へ? そりゃまあ、たまに見えるときはあるけど」

 稽古開始当初はただ滅多打ちにされるだけだった桐悟は、今では三本に一本は捌くことができるようになっていた。常に動きを止めないことに加えて、完全に防御に回ればの話だが。

「桐悟、立てるか?」

「あ、ああ」

 桐悟の言葉に頷いた陽雨は、刀を肩に担いで向き直った。

「じゃあ、そこ。岩から離れて構えろ」

「陽雨? なにを――」

 陽雨の言葉を訝しみながらも桐悟は彼女の言うとおりに動く。陽雨はそのまま後退して桐悟と距離をとった。

「そうしたら、構えて――見ろ・・

〝見ろ〟という単語を強調して陽雨は漂う空気を鋭いものに変える。

「わたしの目を見て、同時に肩や膝、重心の挙動に意識を傾けろ。次にどこが動くのかを読み取れ。いくら速くてもわたしは走って近づいてる・・・・・・・・んだ。必ず先に動く箇所がある」

「天威の〝力〟が優れたものでもそれは変わらない」と続ける陽雨に、緊張感を増していく雰囲気の中、桐悟は狼狽えて声を上げる。

「待ってくれ。いきなりそんなこと言われても――」

「いいから心を鎮めろ。全身の力を抜いて、大気を感じ、頭を空にしてわたしを見ろ」

 びりびりと迫る圧力に戦慄くも、桐悟は陽雨の言葉の通り、まずは心を落ち着けようと試みる。深く呼吸をして、肌を刺す冬の風を肺腑に満たした。

 ――次は全身を脱力。

 もちろんだらりと力を抜くという意味でないことは分かっていた。両脚にて大地に根を下ろすように立ち、構える。力が抜けると、木刀がすとん、と自然と正眼に収まった。

 頭を空に、というのは正直なところ怖くもあったが、陽雨の言うことなら安心できた。彼女を通して、いっそ空と雪山を見渡すように身を任せた。――そのとき。

「行くぞ」

 呟くように重く言った陽雨の姿が、その場から消えた。

「――――!?」

 ――ぱぁん!

 桐悟は驚きに目が覚める思いでそれを聞く。もうすっかり聞き慣れた、陽雨の刀が弾ける音だ。それと同時に軽い衝撃も受ける。

 しかしその衝撃は彼の手のひら――己の右側面を庇うように立てられた木刀を伝って、彼のその手にのみ伝わったものだった。

「お見事」

 砕け、消えてゆく刀を右手に、陽雨は満足そうな笑みを浮かべる。対する桐悟はしばらく呆然としていた。

 ――立てた木刀とかち合った陽雨の刀が砕けた。あの〝舞月〟を受けたときと同じように。しかし目にも留まらぬ剣撃を、どうやって受けられたのか自分でも理解できていなかったのだ。

「今、なにが……?」

「まずは見ることを高めろ。ある程度土台はでき上がってるみたいだから、少しでも捉えられれば今みたいに身体が反応することもある。その感覚を使いこなせるようになれ」

 未だ信じられないといった様子の桐悟に、肩を小突いて行き過ぎる陽雨。

「陽雨、もう一回! もう一回頼む!」

 桐悟は我に返って振り返ると、昂揚を露わにしてその背に声をかけた。そのとき、振り仰ぐ陽雨の顔に笑みを見る。

 それは『仕方がないな』と嘆息しながらも、どこか嬉しそうな笑みであった。

 

       ◇◆◇

 

 そしてまたの日。

 今日もまた――いや、ここ最近は刀の弾ける音は少なかった。刀と刀のぶつかり合う音がよく響く今日このごろであった。

 がつん、と鈍い音を鳴らして刀と視線が交錯する。それらがぎりぎりと噛み合い、一時戦況が膠着した。

「これまでおよそ八百本! ついにここまできたぞ、陽雨」

「呆れたな、数えてたのか」

 自虐的にも見える笑みを浮かべて口の端を吊り上げる桐悟に、陽雨も皮肉げな笑みを浮かべて対峙する。陽雨は有効打の本数を数えるのをやめていた。曰く、『飽きた』とのことである。

「きっともうすぐ年貢の納め時だ。覚悟しろ」

「それを『今日こそ』と言わないあたり慎ましいな」

 ちなみに、今日稽古が始まってから今に至るまでに入った本数は二十三本。これが初日ならその三倍以上が数えられていたはずだ。進歩の跡は確かに見て取れた。

「わたしもよく八百本も入れたものだが――」

 刀の噛み合う最中だというのに、ふたりは軽口を叩き合う。しかしそれで集中力が途切れることはなく。互いに互いの隙をつこうと眼差しを鋭くさせている。

「最近はちゃんと稽古になってる気がする。……うん、誇っていいんじゃないか」

「それは重畳。だが、誇るのは一本入れさせてもらってからにしよう」

 そう言って桐悟は陽雨を捻じ伏せようと、ぐい、と木刀に力を込める。彼の言うとおり桐悟にはまだ有効打は挙がっておらず、正しい戦績は八百五十四対零。だがその栄えある一本目の到来が近いことを確信する桐悟は――

「ほう。面白い、やってみろ」

 するりと鍔迫り合いから抜け出した陽雨に、込めた力を利用されて体勢を崩される。そして、

「〝朧月おぼろづき〟!」

「――!?」

 陽雨は刀を一回転させた足払いにて桐悟を雪原に転がし、間髪容れずに剣撃を放つ。本日二十四本目の刀の弾ける音が雪原に渡った。

「――っ、今のは」

 桐悟は今の感覚に覚えがあった。あの熊の騒動の後の一戦、そのときに今のようにされた覚えがある。あのときは何とか受けることができたはずだが――と思いながら即座に陽雨に向く。

 しかしその先の陽雨は新しく創った刀に太陽を映して、満足げな表情をしていた。

「うん、やっぱり技名は叫んでこそだな」

「なにを子供みたいなことを」

「今までそんな機会に恵まれなかったからな。嬉しいぞ桐悟」

 桐悟は半眼になって彼女を見る。それに構わず陽雨は嬉々とした様子で腰を落とし、跳躍して彼を飛び越しながら、その頭上から斬撃を放った。

「続けていくぞ! 〝墜月おちづき

 ――これも、あのときの。

 既視感もあったせいか、なんとかその技は受けきることができた。が――

「これが陽雨の修めた剣技?」

 桐悟は当然の疑問に行きつく。陽雨は『黒羽楼の剣術家から教わった』と言っていたのだ。つまり、彼の疑問とは――

「その技は本当に人が遣えるのか!?」

 およそ人が遣えないだろうそれを、どうして、どうやって陽雨に伝授したのかということだ。

「前に言っただろ。わたしの剣はもはや我流だよ。今の〝墜月〟だって本当は段差が利用できる場での限定的な技だ」

「それにしたって無茶だろう。こんなの」

「あえて誰にも遣えないような流派を作ったって言ってた」

 以前の桐悟の感想――〝一般に出回っている流派ではない〟という予想は的中した。陽雨は僅かに視線をあさっての方向に向けていた。

「そんなもんをものにしたのか……」

 その剣術家も、陽雨自身も、よほどの物好きなのだろう。

 ――この存在自体がでたらめな少女に、そんなでたらめな剣術を教えたのはどこのどいつだ。

 桐悟は声を大にして叫びたい気持ちだった。

「あ、でも普通の人でも――辛うじて――使えるような技もあるぞ」

 弁明せずともよかろうに。桐悟は苦笑いに顔を歪め、〝辛うじて〟が小声だったことをひとまず追いやって応じる。

「へぇ、どんな?」

「ん、こんなだ。――〝結月ゆいづき〟!」

 再び、景気のいい音が雪原に響き渡った。

 

「はぁ――――」

 そして休憩。

 桐悟は疲労からくる声を上げながら、大木の根本にどかりと座った。空を仰ぎ息を整えながら、隣に立つ陽雨に目を移す。

 陽雨は幹に寄りかかり深く呼吸を漏らした。今日は暖かく息はもう白くない。春は桐悟が居候生活をしている間も、順調にその歩みを進めているようだった。

 ――一体、どうしたものかな。

 すっかり慣れつつある今だからこそ、桐悟は思う。

 降って湧いた災難のような状況。しかし得るものもあって、正直楽しくもある。けれど――ときたま忘れるが――桐悟は兵士で陽雨は賊だ。状況的にはまごうかたなき敵である。

 もちろん桐悟は助けられたときにそのような認識は捨てているが、先延ばしにしたところで解決する問題ではなかった。

「なにか言ったか?」

 声にならないほどの小さな呟き。その欠片を聞き取った陽雨が桐悟を見下ろして腕を組む。

 それに桐悟は首を振って答えた。

「いや。ただ人生ってのは思い通りにいかないもんだなーと思ってさ」

 ――良くも、悪くも。

「なんだそれ?」

 陽雨は前置きもなく妙なことを言い出す桐悟を半眼で見遣り、

「まあ、そうだな。なかなか上手くはいかないな」

 しかしその言葉に同調し、視線を空へと移した。

 ちょっと珍しいその様子に、桐悟はまじまじと彼女を見つめ、

「なんだよ、文句あるのか?」

 陽雨は手に光を集めて振り下ろす。

 ――べいん。

 情けない音を鳴らしたのはもはや恒例となった例の張り扇で、桐悟ももはや恒例のそれに驚きも怯みもせず、

「べつに。なんでもないさ」

 陽雨と同じくまた空へと顔を上げる。

 ――どうにかしなきゃな。

 その想いは確かにあるのに、現状維持しか選択できない己に、桐悟は細く溜め息をついた。

 

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