138・人を罪へと誘う悪徳を司る唾棄すべき存在

 オルドレン王国の王城の執務室にて、キース・リグルドは苛立っていた。

 リリア・カーティス追跡小隊を三十部隊も編成し、その足取りを追わせているが、あの女は今だ見つからない

「ええい! まだ捕まらんのか!」

 苛立つキース・リグルドをミューレン・ゼオランドが宥める。

「落ち着いてください。あの女の事は世界中に手配済み。いずれ捕まるでしょう。

 それに、あの愚かな女が身を隠し続けられるとも思えません。

 事実、オルドレン王国を脱出してすぐに、ドゥナト王国冒険者支部で騒動を起こしています。

 他の国でも同じことが言えるでしょう。

 捕まるのは時間の問題です」

「だが私は一刻も早くあの女に然るべき報いを与えてやりたいのだ! あの女がなにをしたのか! 私の娘に何をしたのか! その身に思い知らせてやる!」

「そんなに怖い顔をしていては娘が怯えますよ。ほら、そこに」

 扉の所で娘が顔を覗かせていた。

「お父さまぁ」

 キース・リグルドは憤怒の形相から、娘への愛情に満ちた温和な顔へとかわる。

「おお、娘よ。すまない。怖がらせてしまったか?」

 キース・リグルドは娘を抱きかかえる。

 娘の顔の火傷は完全に治っていた。

 ミューレン・ゼオランドは約束通りキースの娘の火傷を治した。

 アドラ王国の建国祭のさい、歌姫に選ばれた女性アイリーン・ノートンは、ジルド・ハティアに酸で喉を焼かれたにも関わらず、建国祭の開祭式で歌った。

 そのことが気になったミューレンは、部下に調査させた。

 そして判明したのは完全フル回復薬ポーションの調合に成功した錬金術師がいること。

 正確には冒険者の一行が、調合法を記した物を入手し、それを錬金術師に渡したと言うことだそうだが。

 その完全回復薬で、アイリーン・ノートンは歌声を取り戻した。

 現在、錬金術師はゴドフリー・ノートン子爵とともに、完全回復薬を商品として市場に流通させ始めていると言う。

 その完全回復薬を購買し、キースの娘に使った。

 そして今、将来美人になるであろう可愛らしい顔に戻った。

 娘は父の胸に頬をすりよせる。

「ううん、怖くないよ。あのひどい女の人を捕まえる話でしょう」

「そうだよ。お前やみんなに酷いことをした、あの女だ。必ず捕まえて処罰しなくてはならないんだ」

「そうだね。私だけじゃなくて、みんなにもひどいことしたんだから、捕まえないといけないよね」

「そうだ。さあ、今日はもう家に帰りなさい。お母さんが待っているよ」

「はい、お父さま」



 娘が侍女に連れられて退室した後、ミューレン・ゼオランドが、

「さて、私の戴冠日が決まりました。私はそこでリリア・カーティスの政策を全て撤廃する旨を国民に伝えます」

「だが、問題が一つある。金だ。リリア・カーティスの政策で集まった税金や没収した金をどうする?」

「どうもしません。国庫に入れて国の運営に使います」

「返還しないのか?」

「当然でしょう。あの女の政策を実施したために、どれだけ金が浪費されたと思っているのですか。全て返還などしたら、それこそ国が潰れます」

「ぬう」

「勿論、まったく返さないわけではありません。商人などには、商売を再び始められる資金になる程度には返します。領地没収された諸侯も領地を返します」

「そうか」

 それしか妥協策は無いだろう。

「しかし、あの法令は残しておこうと思います」

「あの法令?」

「共謀罪です」

「なに!?」

「考えても見てください。犯罪の準備をしている合理的な疑いがあれば、危険分子を事前に逮捕できるのです。これは、我々の政策に反対する者を捕え、沈黙させることが可能。

 リリア・カーティスの政策で利権を得た者は多い。あの女の政策を我々が撤廃することに、反対する者も多く出るのは、簡単に予想ができます。その者たちを黙らせるのには都合がいい」

「だが、その後はどうなる? あの女の尻拭いが終わった後、必要無くなったら」

「その後は、リリア・カーティスのような人間が現れるのを未然に防ぐために用いればいいではありませんか。今後、あのような悲劇を起こさないために」

 キース・リグルドには賛成しかねた。

 共謀罪で捕まり拷問を受けたのは、他ならぬキース自身なのだ。

「どうやら貴方は反対の様ですね」

「当然だ。その法令はいくらでも恣意的に使うことが可能だ。それこそリリア・カーティスのような人間を生み出しかねない」

「大丈夫ですよ。私が王でいる限りは」

「おまえが王でなくなった後はどうなる? 次の王がリリア・カーティスと同じような人間だったら?」

「私が退位する前に、共謀罪を撤廃することにしましょう。それで共謀罪が悪用されることはない」

 本当にそうだろうか?

 キースは疑念と不安が拭えなかった。

 ミューレン・ゼオランドは自分の権力を強めるために、リリア・カーティスを利用した。

 民が苦しみ、多くの人間が殺されるのを黙殺した。

 そんな男に王の権力を握らせて、それを誰も止めることができない状況にしてしまったら、それこそリリア・カーティスの再来ではないだろうか。



 ミューレン・ゼオランドは結果に満足していた。

 不測の事態は幾つかあったが、結果は上々。

 自分が王となる。

 クリスティーナ・アーネストがリオンの婚約者になった時、将来アーネスト侯爵家が政敵になることを予想したミューレンは、事前にその可能性を潰す方法を考えていた。

 それは期せずして現れた。

 リリア・カーティス。

 リオンを虜にし、ジルド、ルークまで心酔させた手腕は舌を撒く。

 だが、それ以外は余りにもお粗末だった。

 学園生活でクリスティーナ・アーネストを陥れる方法は杜撰で、自分が陰でフォローしてやらなければならなかった。

 だが、結果としては、クリスティーナ・アーネストは処刑され、アーネスト侯爵家の権威は失墜し、リオン、ジルド、ルークの三人は、リリア・カーティスの言いなりとなった。

 あの愚かな女を利用すれば、王子と有力貴族の子息たちを意のままに操ることができた。

 それだけではない。

 リリア・カーティスが政治に口出ししてくるのも予想していた。

 それが愚政であることも分かっていた。

 その結果しだいでは、自分が王となることも可能性としては十分あり得た。

 予想外だったのは、余りにも早すぎたこと。

 そして損害が大きすぎたことだった。

 だが、それも利用することにした。

 国に多くいる、公認されたも同然の、腐敗した貴族、官僚、貴族、悪徳商人の不正の証拠を調べ上げ、革命を起こす大義名分を得る。

 そしてルーク・アーネストをリリア・カーティスに処刑させるよう仕向け、さらなる悪政を敷く口実を与えた。

 計算通り、あの愚かな女は意図したとおりに動き、革命の機運は高まった。

 結果、革命は成功し、腐敗した者たちを全て処罰し、自分は国を浄化した新王となることができる。

 想定外の事はあったが、概ね自分の思惑通り。

 私がオルドレン王国の支配者となるのだ。



「ゼオランド様! リグルド様!」

 兵士が掛け込んできた。

「どうしました?」

「緊急事態です! リリア・カーティスが王城に現れました!」

「……なに?」



 城門には無数の兵士だったものが倒れていた。

 だがその体はミイラのように萎びている。

 その中心にいるのは、禍々しい朧な光を纏う女。

 リリア・カーティス。

「なんだ? あのおぞましい光は」

 キース・リグルドは、最も憎悪する女が目の前にいると言うのに、怒りが湧いてこないほど理解の範疇の外の現象に戸惑っていた。

 あんな吐き気をもよおすほど嫌悪感が湧きあがる光など見たことが無い。

 こんな光が存在したなどと信じられなかった。

 ミューレン・ゼオランドは冷徹に観察した。

悪魔デヴィルと契約した? いえ、もしかすると邪神から直接 力を与えられたのかもしれませんね」

 となると、今のリリア・カーティスは、悪魔デヴィルだ。

 悪魔のような人間から、悪魔そのものになった。

 復讐したいであろうキース・リグルドには悪いが、これ以上、被害が増える前に始末しなければならない。

「兵士は下がれ! 私がリリア・カーティスを仕留める!」

 その声を受けて、兵士たちはリリア・カーティスから離れた。

 そして、ミューレンは両手を掲げ魔力を凝縮する。

氷結フリージング処刑エクスキューション!」

 対象を一瞬で氷へと変える魔力の塊が、リリア・カーティスへ。

 しかし、轟音と共に雷光がそれを迎撃した。

「ら、雷光破裂ライトニングバースト

 達人級の光の攻撃魔法。

 リリア・カーティスは手を前に突き出すと、魔法を行使。

 豪雨のような雷が王城に降り注ぐ。

 電撃雷雨ライトニングスコール

 神話級の攻撃魔法。

 一撃で城が半壊した。

 ミューレン・ゼオランドは慄く。

 この力、ランクSSS。あるいはそれ以上。

「フ、氷結フリージング処刑エクスキューション!」

 ミューレンは再び攻撃するが、それも雷で迎撃される。

 リリア・カーティスは剣を手にミューレンへと進む。

「くっ」

 ミューレンは剣を抜いてリリアへ走る。

 魔法が効かないなら剣だ。

「悪魔よ! 滅びよ!」

 剣を振り上げたミューレンに、無数の雷光電撃ライトニングボルトが襲う。

水氷アイス障壁ウォール!」

 氷の壁で防ごうとしたが、無数の雷はそれを粉砕し、ミューレンに直撃。

「ガアッ!」

 ダメージを受け、体が麻痺する。

 地面に倒れ動けないミューレンにリリア・カーティスは剣を突き付ける。

「ま、待て! 分かった! 私の負けだ! 王冠を譲る! おまえを女王にする!」

 リリア・カーティスはミューレンの言葉を聞いていないかのように無反応。

「怒っているのか!? 反乱のことは! あれは仕方がなかったんだ! ああしなければ国が滅んでいた!」

 リリア・カーティスはやはり無反応。

「わかった! おまえに私の愛を捧げよう! 今度は本当だ! 私の全てをおまえに捧げよう!」

「そう。わたしに全てを捧げるのね」

 リリア・カーティスはそこで初めて言葉を返した。

「そ、そうだ! 私の全てを捧げる!」

「なら、貴方の力を全てわたしに捧げて」

「……な、なに?」

 リリア・カーティスはミューレン・ゼオランドに剣を突き立てた。

「グボォ!」

 破滅の剣ベルゼブブがミューレン・ゼオランドの力を吸収する。

 根こそぎ奪っていく。

「オゴゴゴ……」

 その力の全てを吸い尽くされ、王国の支配者になろうと目論んだ冷酷な若者は、その野望が果たされるのを目前にして、あっさりと干乾びたミイラとなった。



 キース・リグルドは慄然とする。

 リリア・カーティス。

 あれは悪魔では無い。

 邪神だ。

 人を罪へと誘う悪徳を司る唾棄すべき存在。

 そして人が最も恐れる存在。

「いったいなにが起きたのだ?」

 リリア・カーティスが邪神となって帰ってきた。

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