128・あの子はあたしと約束してるんだよ
アパートの自室であたしはあの子を待っていた。
お茶を入れる準備は完了。
お菓子も良し。
なのに、あの子いつになったら来るのよ?
もう、完全に遅刻じゃない。
新作ゲーム一緒にやるって約束したのに。
まさか売り切れてたとか?
それで他の店を回ってるとか?
それならそうで連絡入れてよ。
あたしはあの子に電話をかける。
でも留守電。
「あ、ミサキチだよー。これ聞いたらすぐ連絡してー。ゲーム売り切れで手に入らなかったんでしょ。もう、ネットで購入することにしてさ、今日はとにかく一回部屋に来てよ。待ってるから」
でも、あの子は来なかった。
連絡も無かった。
夜になって本気で心配になり、あの子の部屋に行ってみる。
チャイムを鳴らすと、しばらくしてドアが開いた。
「もー、自分の部屋に帰ってたのー。それなら連絡くらい……って、あれ? お兄さん?」
ドアを開けたのは、あの子のお兄さんだった。
「やあ、ミサキチだね。いままで妹の世話をしてくれてありがとう」
「え? えっと……世話っていうか、一緒に遊ぶだけの友達って感じなんですけど」
「それがとても助かっていたんだよ。ああ、立ち話も何だから、中に入って」
「……はい」
なんだろう?
様子が少し変。
言い回しもなんだか引っかかる感じがする。
正体は掴めないけど、なにかを間違えているような。
お兄さんは冷蔵庫からペットボトルのお茶を出すと、コップに注いでテーブルに置いた。
「ねえ、今まで大学じゃ妹はどんな感じだった? 勉強はまじめにやってたかな? ゲームばかりでサボってたとか?」
「ゲームはしてますけど、勉強もきちんとやってます。大丈夫、単位を落とすようなことはしませんから」
「そうだね。あいつ、その辺はけっこうしっかりしてたから、落とすようなことはしなかっただろうね」
「……あの、あの子、今どこにいるんですか? もしかして実家でなにかあったんですか? それで急いで帰らないといけなくなったとか」
「ミサキチ。たぶん動揺すると思うんだけど、そのつもりで聞いて欲しいんだ」
動揺する話をするってこと?
「……はい」
「あいつ、死んだんだ」
私は動揺しなかった。
ただ、理解できなかっただけ。
「……え? 死んだって……え?」
「交通事故で、車にはねられた。即死だったってさ」
交通事故。
車にはねられた。
即死。
「……え? お兄さん、なに言ってるんですか?」
「今あいつは実家にいる。通夜は今夜行われる。葬儀は明日だ。出席できるかい?」
「葬儀って、葬式のことですよね。……え? どうしてそんなことを?」
「あいつが……妹が死んだからだ!」
お兄さんが叫んで、そして涙を流し始めた。
「なんで? なんであいつが死ななくちゃならない? なんであいつが殺されなくちゃならない?
あいつはまだ十八歳だったんだぞ。これからの人生がまだまだたくさん残っていたんだ。
それなのに、あの運転手、ブレーキもかけないで。いったいどういうことなんだよ!?」
お兄さんの怒りも悲しみも、私には理解できなかった。
だって、あの子はあたしと約束してるんだよ。
一緒に新作ゲームをする約束してるんだよ。
それなのに死ぬはずないじゃない。
「……ミサキチ、葬儀に出席してくれるかい?」
「……あ?……はい……」
私は理解できないまま、了承した。
葬儀は簡素に行われた。
親戚が集まって、あの子の棺の前に線香を添えて、お坊さんが御経を唱えて終わり。
荼毘に付され、その後の墓に入れるのは、家族だけで行うので、あたしは立ち会わなかった。
あたしは部屋に帰って、しばらくぼうっとしていた。
明日からまた大学だ。
講義を受ける準備をしないと。
そしてあたしの日常はなにも変わることなく進んでいくように思えた。
でも、新作ゲームを買った日。
あの子と一緒にする約束だったゲームを買ってプレイした日。
あたしは全然楽しくないことに気付いた。
敵を倒しても、爽快感がまるでない。
だから適当でいいかげんな操作になり、すぐにゲームオーバーになる。
ねえ、あんたがいないと、ゲームやったってつまんないよ。
他のゲームをする気も起きない。
なにも楽しくない。
あたしはいつの間にか目から涙がこぼれているのに気づいた。
もう、あの子と一緒に遊ぶことができない。
二度と遊べない。
話をすることができない。
永遠に会えない。
そのことを、その日、思い知らされた。
あたしはその日からゲームをしなくなった。
三ヶ月ほどして、あたしはあの子の家族に呼ばれた。
裁判の証人になって欲しいとのことだった。
あの子を轢いた犯人が、無罪を主張しているそうだ。
自分は青信号を確かめて車を運転していた。
そこにあの子が赤信号を無視して横断歩道を渡ってきた。
ブレーキを踏む時間もなかった。
そう主張しているという。
そして赤信号を無視した証拠に、スマホを持っていたことを上げている。
あの子がスマホゲームに熱中しており、それで赤信号に気付かずに渡ったのだと。
そんなことありえない。
あの子はスマホなどの携帯ゲームが嫌いだった。
小さな画面は迫力がなくて、いじっているとストレスがたまると言うのが理由で、大画面のテレビでしかゲームをやらなかった。
だけど警察は犯人の方の主張を信じて、あの子の家族の告訴を取り下げた。
家族は自分たちで裁判を起こし、犯人に責任を追及することにしたと言う。
そしてあたしは裁判であの子のことを説明した。
大画面のゲームしかやらなかったことを。
小さな画面のゲームを嫌っていたことを。
「聞きましたか。重度のゲームオタクであることが以上の証言でハッキリしました。
日常的にゲームにのめり込んでおり、事故のさいもゲームに夢中になっていた可能性があるに違いありません。そのため信号が赤だったにもかかわらず、それに気付かずに横断歩道を渡った」
犯人の弁護士があたしの話を曲解して裁判官に伝えていた。
「目撃者も信号は赤だったと証言しています。まあ、確かに当初、記憶違いから青だったと言っていましたが、現在はハッキリと思いだしており、赤だったと供述書に書いております。
またポケットの中にスマホが入っていた。これはゲームをしていたことのハッキリとした証拠といえましょう」
あたしはあの子が据え置き型のゲームしかやらず、スマホゲームの類には興味を示さなかったと何度も証言したけれど、オタクは空想ばかりしているので嘘がうまい。
よってオタクの証言は信ぴょう性がないと断じられ退けられた。
それなのに、あの子がゲームオタクだという部分だけが取り上げられ、ゲームをしていたか(・)も(・)し(・)れ(・)な(・)い(・)という仮定は、いつの間にかし(・)て(・)い(・)た(・)という断定にすり替わっていた。
あの子の家族は、過失を追及したが、全て退けられた。
そして判決。
「オタクなどによって健全で将来有望な若者の未来を潰してしまうなど、言語道断。
全ての責任は信号の確認すらできないほどゲームにのめり込んでいたオタクにあり、運転手に責任はないとする。
よって、無罪」
無罪。
人を轢き殺しておいて、なんの罪にも問われなかった。
そして事はこれだけで終わらなかった。
加害者の両親が、あの子の両親を責めたて始めた。
「子供がオタクなのが事故の原因なのを私たちの娘のせいにしやがって! 娘を犯罪者にしようとした責任をどう取るつもりだ!?」
家に押しかけて怒鳴り散らし、賠償金を請求してきたそうだ。
当然断り、追いだしたそうけど、轢いた犯人の両親は、興信所を使って近所に噂を流し始めた。
死んだのは娘自身が原因なのに、その責任を人になすりつけようとした。
オタク娘のせいで一人の人間の人生が台無しにされるところだった。
それを信じた近所の人間が、健全な若者の未来を潰そうとした責任をどう取るつもりだ、と責め立てた。
やがて家の窓に石を投げてガラスを割る。玄関や庭にゴミを撒き散らし、それを写真にとり、これがオタク娘の家なのですと、住所まで記載してネットに曝し始めた。
両親は警察に訴えたが、相手にされないどころか、
「娘をオタクに育てたのが原因だ。全部おまえらの責任だろ。自己責任なんだよ!」
と両親の方を責めた。
度重なる嫌がらせも、近所だけではなく、遠い地区からまで大勢来くるようになり、ついには会社にまで押し掛けるようになった。
そして全員、仕事を解雇された。
あの子も家族も何も悪くない被害者のはずなのに、あの子がオタクだというだけで、轢き殺した加害者の方に誰もが味方した。
あたしはネットを使ってこの酷い一連の事実を広めようと試み、そして裁判の資金を募金で集めて、あの子の両親を助けようとした。
でも募金してくれる人はほとんどおらず、集まったのはスズメの涙ほど。
そして、公序良俗を掲げる団体が、あたしがネットにアップしたことを、オタクの危険な妄想の実例としてマスコミを使って報道し、オタクがいかに空想と現実の区別が付いていないか、いかにオタクが危険であるのかと世間に広めた。
あたしは公序良俗を掲げる団体とマスコミに曝し者にされ、各企業のブラックリストに載り、大学はなんとか卒業できたけど、就職することができず、アルバイトで暮らしていた。
ある日、仕事帰りにオタク狩りあった。
「あー! おまえの顔、知ってるぞ! オタクだろ! ヒャヒャヒャヒャヒャ!」
「現実と空想の区別ついてないんだってなー!」
「こういうのが犯罪者になるんだよなー!」
「おらあ!」
突然、殴打された。
周囲に人はいるけれど、関わり合いになりたくないのか、無視して通り過ぎるだけ。
「はーい、みなさーん、見てくださーい。これがキモオタでーす」
あたしは殴られ、蹴られ、殴打され続けた。
「おい、おまえらなにやってんだ?」
警官だ。
「あ、おまわりさん。オタクを治してやってるんですよ。ほら、知ってるでしょ、こいつ。空想と現実の区別がつかなくて、冤罪を作ろうとしたっていうオタクですよ」
「あー、そいつか。知ってるぞ」
「おまわりさんもやりませんか。オタクを治してやらないと、大変なことになりますよ」
「そうだな。オタクは思い知らせてやらないと犯罪者になるからな」
警官まで暴行に加わった。
それが終わる頃には、あたしの身体に怪我の無い所は無かった。
「あれー、ちょっとやりすぎちゃったかなー。ごめんねー」
「どうしたのー? あやまってやったんだから感謝しろよ」
「そうだぞ。感謝することもできんとは、まったくこういうところでオタクの頭がおかしいってのがハッキリわかるな」
「そうですねー、おまわりさーん」
不良グループが立ち去り、痛みで立つことも困難な私は、救急車を呼ぼうとした。
でも、警官がスマホを取り上げて踏みつけて壊した。
「おいコラ、救急車はタクシーじゃないんだぞ。病院くらい自分で歩いて行けんのか。まったく、運動もしないとは。これだからオタクは不健康で気持ち悪いんだ」
そう言って警官も去って行った。
「ねえ、なにあれ?」
「見ちゃダメよ。オタクだって」
「構って欲しくて演技してるのよ」
「うわ、きもーい」
周囲の人はあたしを見て見ぬふりして通り過ぎて行く。
あたしはしかたなく、病院まで歩いて行こうとした。
でも、十メートルも歩けずに、あたしの意識は途切れて、長い闇が訪れた。
ねえ、あたし、なにもできなかったよ。
一生懸命頑張ったつもりだけど、あんたの家族、助けることできなかった。
ごめんね。
これじゃ死んでも、あんたのところへはいけないね。
本当に、ごめん。
倒れていた彼女を助けようとした者は誰もいなかった。
二十三歳だった。
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