29・いい気味

 歌姫選抜大会から三日が経過した。

 アイリーンさまは私と同じ年だけど、すでに結婚されていて、夫のゴドフリー・ノートン子爵と一緒に、広い館で暮らしている。

 アイリーンさまはアドラ王国歌劇座の一員で、ご結婚された後も現役を続けているという。

「妻を見初めたのも歌劇を観に行った時でした」

 昨日のことのように話すゴドフリーさまは、まだ二十代中頃だが、事業で大成して莫大な資産を得た人物だ。

 住む館も広く、使用人も多い。

 しかし、成金と言った感じではなく、館にある絵画や彫刻品は落ち着いて品がある。

 芸術にも造詣が深く、その関係で歌劇を観に行った。

 そこでアイリーンさまの歌声と姿に心奪われ、熱烈なアプローチを開始し、アイリーンさまはその情熱的な求婚プロポーズに応えたという。

 そのアイリーンさまとゴドフリーさまの愛の巣である館に滞在させてもらう代わりに、アイリーンさまに前世での歌を歌うことになったけれど、少し問題があった。

 まだ三つしか翻訳 翻案が済んでいない。

 そこで私は、練習のために一日一曲だけということにしてもらい、その一日の間に一曲だけ急いでこの世界の言葉に換え、晩食の前にアイリーンさまの前で歌った。

 全てアイリーンさまは聞き惚れてくれていた。

「本当に素晴らしいですわ。いったいどのようにすれば、そんな素敵な歌が創れるのかしら?」

 うぅー、本当のことは言えない。

 でも 自分で創ったわけでもないのに、自分が創ったと言うのは、後ろめたさが。

「まあ、なんというか、心のままに、と言う感じで」

 私は誤魔化した。

「その通りですわね。既存に囚われず、自分の心から生まれる物を形にする。歌や曲に限らず、創作に関して全てに言えることですわ」

 ううぅ、ここまで感動してくれると、良心の呵責まで。



 私は心にわだかまりはあったものの、この三日間は問題なく過ごしていた。

 その間にも情報収集は怠らなかった。

 アドラ王国建国千年祭にはもう一つイベントが発生する。

 それは、可能なら事前に防ぎたい事件だった。

 だけど、違う事件が四日目にして起きてしまった。



 ラーズさまたちに次のイベントの調査を任せている間、私は客室で、今日の歌を翻訳 翻案していると、突然 悲鳴が聞こえた。

「キャアー!」

 何事!?

 今の悲鳴は確かにアイリーンさまだった。

 声の方向からすると、食堂か調理場のあたり。

 時間から考えれば、アイリーンさまが料理人と一緒に昼食の準備をしているはず。

 私は客室を飛び出ると、悲鳴の下へ走った。

 そして調理場に到着して、そこで見たのは、窓から外へ出ようとしている、体格のいい男。

 口を布で隠していたけど、その髪型と目付きに見覚えがあった。

 ジルド・ハティア!

 どうしてここに?!

 ジルドは私を一瞥すると、窓からそのまま逃走した。

 調理場の床には腹部から血を流している料理人と、気を失って倒れているアイリーンさま。

「アイリーンさま!」

 逃げたジルド・ハティアのことよりも、先ず 私はアイリーンさまの様態を見る。

 体に怪我はないけれど、口の周りが変色している。

 これ、毒物の反応なんじゃ?

「誰か来てください! 調理場です! 早く!」

 私は館中に聞こえるよう大声で叫ぶと、次は料理人の様子を見る。

 腹部を剣で斬られて血を流してはいるが、傷は浅い。

 これなら命に別状はないだろう。

「お、奥様……奥様は?」

 料理人は斬られた事と出血で意識が朦朧としているようだが、それでもアイリーンさまのことを気遣っている。

「喋ってはダメ」

 私はとにかく、料理人の止血を始める。

「おい! なにがあった?!」

 スファルさまが調理場に駆け付けた。

 後で聞いたのだけど、私が指示した調査を終えたので、報告にするために、いったん館に戻ってきたそうだ。

「スファルさま、アイリーンさまをお願いします」

「あ? ああ、分かった」

 アイリーンさまの容態を見てスファルさまは、

「こいつは、酸だ。酸を飲まされたんだ」

 私は愕然とした。

 酸を飲まされたのだとしたら、喉を焼かれている。



 ゴドフリーさまや他の使用人も駆け付け、酸を飲まされたアイリーンさまと、腹部を斬られた料理人を寝室へ運ぶと、治療のために急いで医者を呼んだ。

 医者が来るまでの間は、スファルさまが二人に治癒ヒーリングの魔法をかけていた。

「火の魔力ではなかったのですね」

 治癒は水の上級魔法に分類されている。

「ああ、この赤い髪と眼でよく誤解されるが、俺の魔力は水だ」

 スファルさまは水の魔力の保有者で、上級まで使えると言う。

 先入観で火の魔力だと思っていたけど、この状況では良かった。

 そして医者がやってきて、治療が終わると、診察の結果をゴドフリーさまに報告する。

「手当が迅速だったこともあって、二人とも命に別状はありません」

 ゴドフリーさまは安堵したようだったが、医者の次の言葉で青ざめる。

「しかし、奥方様の喉は、普通の方法では元に戻らないでしょう」

「そ、そんな……もう歌うことができないということか?! 妻にとって歌は命なんだ! 人生そのものなんだ! 私よりも歌を愛しているほどなんだ!」

「大丈夫です。治す方法はあります。水の魔法、再生リカバリーを使うことです。部位欠損も治す あの魔法でなら、喉も元に戻るはず」

 ゴドフリーさまは安堵した様子。

「おお、そうか。では早速、手配しよう」

「落ち着いてください。再生の魔法が使える者を探すところから始めなければなりません。再生の魔法は達人級の魔法。使用できる者は世界中を捜しても少ないでしょう」

 スファルさまが手を上げた。

「それなら 俺の国の宮廷魔術師団に一人いるぜ。あいつは確か再生の魔法を使えたはずだ」

「本当ですか、スファル殿下。どうか紹介していただけないでしょうか」

「もちろんだ。一ヶ月もあればここに来られるだろ」

「一ヶ月……では、建国祭には……」

「あー、無理だと思う。いくら急がせたとしても、さすがに十日間じゃ……」

「そんな……妻は建国祭の歌姫になることが夢でした。それも建国千年目を迎えた今年の歌姫に。その夢が……妻の、私たちの夢が……ああ、なんてことだ……」

 ゴドフリーさまは頭を抱え項垂れた。



 魔法通信でジルドが連絡してきた。

 わたしの言うとおり、でしゃばり女のアイリーンの喉を酸で焼いてやったって。

 いい気味。

 ヒロインのわたしを差し置いて歌姫になったりするからよ。

 ジルドが わたしを歌姫にするために、選考委員会と交渉しているところだって。

 渋ってるみたいだけど、軟弱な臆病者の集まりだから、わたしが歌姫に決まるのは間違いないって。

 だから、すぐにアドラ王国に出立するようにだって。

 ジルドって頼りになるわー。

 口先だけの誰かさんとは大違い。

 安全のために、事前に集めておいた選りすぐりの騎士隊と一緒に来るようにだって。

 手際が良いのね。

 始めからこれくらいのことしてくれれば、アイリーンとかいう女が歌姫に選ばれることもなかったのに。

 でも、これでわたしを狙う頭の悪い連中の問題も解決したし、歌姫になれるから許してあげる。

 早速 準備しないと。

 でも、ちょっと気になることがあったんだって。

 悪役令嬢のクリスティーナ・アーネストに似た女を見たって。

 でも 一瞬だったから ちゃんと確認できなかったし、髪形も色も違っていて、顔もけばけばしい厚化粧をしてなかったから、本人かどうか自信ないって。

 そんなの見間違いに決まってるじゃない。

 悪役令嬢は竜の谷で竜のエサになったんだから。

 アハハハ。

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