ギリギリ三分

ピクリン酸

ギリギリ三分

23:57

「棚井、まずい事になった!」

草地は棚井の部屋の扉を開けると、足の踏み場が探さないと見つからないところを、遠慮なしにずかずかと入っていった。部屋の中央に置かれた炬燵の奥に手が見えた。草地は炬燵で寝ていたらしい。その手が、

「どうした。何かあったのか」

と言った。

「説明の前に、パソコンを借りるぞ。このあいだの原稿、ここに入ってるよな?」

 草地は炬燵の上にあったラップトップを開き、テキストファイルを探しながら、この部屋に来た理由を説明した。

「このあいだの原稿を出す、新人賞の期限、来週と言ってたろ。あれな、今日だった」

棚井は上体を起こし、ラップトップを取り上げると、ディレクトリを示した。

「今日か。急だな。ファイルはそこじゃなくて、ここ」

草地はテキストファイルをエディタで開き、スクロールして文章を一通り確認した。

「もうちょっと焦ってくれよ。とはいえ、原稿が完成していてよかった。このまま出せる」

「何時までに送ればいいんだ」

「郵送じゃなくて、ネットにアップロードする形だから、今日中なら二十三時五十九分五十九秒まで大丈夫なはずだ」

棚井は少し考え、こう言った。

「その原稿、書き直したいんだけど」

 草地は唖然とした。彼らは二人で小説を書いている。棚井がプロットを考え、草地が文章を作る、という分業だった。棚井がプロットを少し変えるだけで、草地は膨大な量の修正をさせられる事になるのだ。さらに、原稿の期限は今日中なのである。

「書き直すって、昨日はこれで完成だ、って言ったじゃないか」

「それはそうなんだが、やはりトリックが納得いかないんだ。探偵が結論を出すシーンをエディタに出してみろよ」

23:58

草地は画面をスクロールし、原稿の解決編の辺りを映した。何度も推敲したので、草地はほとんどの展開を記憶していた。

「どんな謎だった?」

自分で考えたプロットである。棚井も確認として聞いていた。

「劇場で映画の上映中に殺人があって、衆人環視のなかでどうやって殺したのか、が謎だ」

「トリックは?」

「犯人は、アリバイ作りのために映画を見て、上映の途中で抜け出して被害者を殺害し、上映終了間近に戻ってくるんだ」

草地はトリックをこれ以上ないほどに簡潔にまとめたので、より無味乾燥なものに聞こえた。

「で、どうなった?」

「実は映画の最後三分間に大どんでん返しがあって、映画のストーリーを説明できないのは、唯一犯人だけだった」

「どうだ、全然面白くないだろ」

棚井は自作とは思えないほど冷ややかな感情を作品に抱いていた。要は、冷静になったのである。

しかし、草地の賛同は得られなかった。

「確かに、このトリックは面白くないほど単純かもしれない。でも、俺たちは、当たり前でありそうな事を使ったトリックを考えるって決めただろ。非現実的なアクロバットでなく」

草地と棚井は、自分たちの小説がどうあるべきか、について過去に何度か話し合っていた。草地が言ったことは、その結論であった。

「素朴で単純なものこそ最も可能とする、これは俺たちの方針だが、そのトリックって本当に可能なのか? それに第一、ひねりがない」

「そんなトリックを考えたのはお前じゃないか。今さらどうにもならんよ」

「このプロット、一言で言えば、陳腐だ」

陳腐、草地にはそう思えなかった。映画館と犯行現場をどうやって往復したか、など、見どころもあるように思えた。

「もう一言付け加えるなら、チープだ」

草地は呆れた口調で言った。

「面白くないぞ」

「そう、面白くない」

「違う、お前の駄洒落に対して言ったんだ。

 じゃあお前は、その陳腐でチープなプロットをどう変えるつもりなんだ」

棚井は、

「そうだな……」

と言ったきり、黙り込んでしまった。特に考えてなかったのだ。草地は言葉も出なかった。

23:59

「例えば、作中の映画の大どんでん返し、ってどんなのだろう。そもそも、どんな映画なんだ」

「特に描写はしてないが、どんでん返しがあるようなストーリーなら、ミステリかもしれないな」

ふと、棚井は思いついたようだった。

「こういうのはどうだ」

棚井は少し前のめりになった。

「今までのを全部、なしにしてだな」

普段はあまり自分の主張をしない草地だったが、流石に声を荒げた。

「この期に及んで、全部書き直すって言うのか!」

「違う、実は、今までの話は全部、ミステリ小説の中の話だった、ってことにするんだ」

「ミステリ小説の中も何も、現に今書いている話だ」

「俺たちが書いている小説の中で、とある作者が書いている話だった、とするんだ。それが映画の展開で、最後の三分間に述べられるんだ。読者は犯人を当てるつもりだったのが、結末になってみると、状況としては犯人と同じになるわけさ。犯人は血眼になって結末を予想することになるんだからな」

 草地は心の隅で、ありかもしれない、と思った。それが、少しの変化だが、表情に出た。棚井はそれを見逃さなかった。彼は今まで、この草地の「ありかもしれない」を察知して、自分のプロットを通してきた。

「そうなると、小説の映画の中で、さらに映画を見ていることになるだろ」

「そうだな、小説の映画の中では、同じように映画の展開が鍵になるんだ。で、その映画の中でも、映画の展開が鍵になるんだ」

草地には、無限に遠方へ伸びていく筒がイメージされた。筒の底に映った映画は、どんどん遠くへ小さくなっていく。

「あり、だな」

草地はついに言った。

「書き直せるか?」

「かなり厳しい。不可能かもしれない。でもやってみよう」

草地は奮い立った。なんとか、なんとかして期限に間に合わせるのだ。

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