第28話 森崎さくら 4

 サイモンバーガーには朝の内に行って、辞める事を告げた。

 急で悪いけど…一身上の都合で…って。


 その後…突然ヒロが来て。

 あたしは、ホテルの一室に連れて行かれた。



「何?何があるの?」


「いいから入れ。」


「……」


 ドアを開けると…中には。


「えっ…!!」


 かしらがいた。


「あっ!!ヒロ!!ヒ…」


 あたしを部屋に残して。

 ヒロは出て行った。



「さくら。」


 背中に…頭の声。


「…は…は…はい…」


「こっちにおいで。」


「……」


 恐る恐る振り向いて…ゆっくり…頭の近くまで行く。


「座りなさい。」


「…はい…」


 頭の前にある椅子に…スローモーションみたいにして座った。

 こ…怖い…


「さくら。」


「…は…ははははい…」


「顔を上げなさい。」


「……」


 顔を上げたら、目に何か飛ばされるとか…


 あたしは目を細めて…ゆっくり顔を上げた。

 すると…

 頭は何だか…ニコニコしてる。



「生活はどうだ。」


「……すすすみません……」


「生活はどうだって聞いてる。」


「……何とか…やってます…」


「そんなに怖がるな。」


 怖がるな。と言われても…

 あたしは…逃亡したのよ?



「…追いたい物があるなら、それを追っていいんだぞ?」


「えっ?」


 それまで細めてた目を、大きく開けた。

 今、頭…なんて?


「…二階堂のみんなには…本当に感謝している。」


「……」


「外の世界を知ることもなく、その道を歩く事しか教え込まれない。」


 あ…ちょっと辛い訓練とか思い出しちゃうな…


「夏に…子供が産まれてね。」


「…え?えっ…えっと…でも…」


 死産だった…って噂が…


「…頭失格だ。」


「え?」


「子供達を…自分の子供達を危険な目に遭わせたくないから…こんなに早い世代交代をしたんだ。」


「……」


 そう言えば…誰かが言ってた。

 本当は、頭は40代にならないとなれないって。

 だけど…今の頭は20代。

 …それこそ……はっ…!!

 なっちゃんと同じ歳!!


「変えたいと思ってる。」


「……」


「もっと、二階堂の人間が…夢を持ってもいい環境…外の世界を知る自由…」


 …もしかしたら…頭にも夢があったのかもしない。

 そう思った。


「だから、俺はさくらを応援したいと思う。やりたい事があるなら、それに向かって進みなさい。」


「頭…」


「…まあ、さくらの思うようにすればいい。今ホームシックみたいなものだとヒロが言っていた。」


 ちっ。

 ヒロめ…


「頭…子供達、って…」


 あたしの恐る恐るな問いかけに、頭はふっと優しく笑って。


「ああ、双子なんだ。写真見るか?」


 胸元に手を入れた。


「!!」


「あっ、さくら。違う違う。」


「えっ…あっ…あー…すみません…」


 あたし…つい、椅子を盾にして身を守ってしまった。

 武器が出てくるものだとばかり…


「ははは。落ちこぼれと聞いてたが…今のは速かったぞ。」


「は…恥ずかしいです…」


 逃げ出して随分経つのに…

 体が覚えてるなんて。



「えーっ…すごく可愛い…」


 頭が見せてくれた写真には、小さくて…可愛い双子の赤ちゃん。


「こっちが女の子で、織(しき)。こっちが陸(りく)、男の子だ。」


「うわあ…」


「…可愛いだろ…」


「……」


 頭が…可哀想に思えた。

 二階堂を抜けるには、養子か結婚。

 頭…この可愛い赤ちゃんたちを…手放したんだ…



「…きっと、幸せになってくれる。」


「…そうですね…」


 写真の双子ちゃんは、ハーフである姐さんの血を濃く引いたのか。

 日本人離れした感じ。

 すごく…ニコニコな笑顔で…

 こんな可愛い子達、写真でだけなんて…!!



「…いつか…一緒に暮らせるといいですね…」


 写真を見ながらつぶやくと。


「…そうだな。」


 頭も、小さくつぶやいた。



 それから、あたしはLipsに行って。

 オーナーとショーンに、辞める事を伝えた。

 理由も聞かれたし、引き留められたけど…

 オーナーにだけは、実年齢を明かした。


 騙してごめんなさい。


 そう謝るしかなかったあたしに。

 オーナーは無言で…頭を撫でてくれた…。


 …痛かった…。


 胸が。




 Lipsの帰り道。

 重い足取りでダラダラと歩いてると…ヒロがいた。


「浮かない顔だな。」


「…なんて言うかさ…」


 あたしは、自分の爪先を見ながら考える。


「うん。」


「…頭の事思うと…ちょっと…色々悩んじゃうな…」


「……」


 そういう環境に生まれたから。

 頭の行く末は頭でしかなくて。

 今の二階堂を変えたいって言ってたけど…それは、頭一代ではどうにもならない事だ…って。


「…赤ちゃんの写真…ヒロ、見せてもらった?」


「えっ、おまえ見たのかよ。」


「えっ…う…うん…」


「ずりーなあ。」


「ご…ごめん…」


「なーんてな。俺も見せてもらった。」


「もっ…もー!!」


 バシン。と、ヒロの背中を叩く。


「…俺、いつか頭が子供達と暮らせるよう、頑張ろうと思う。」


「…ヒロ…」


「それが俺の夢って言ったら…おまえからしたら、ちょっと変だって思うかもだけどさ…」


「そんな事ないよ…あたしだって…写真見たら、そう思えた…」


「……」


 ヒロは少しだけあたしとの距離を縮めて…


「俺さ…」


 あたしの頭を、抱き寄せて…自分の肩に乗せた。

 …ヒロとは、昔からこんな感じで。

 悩んでたり、落ち込んだりすると…お互いの肩を貸し合った。


「…頭、きっといつかは自分の子供達を…二階堂に戻すと思うんだ。」


「えっ?」


「あの人、厳しいって思われてるけどさ…本当はすごく優しい人だよ。」


「…うん…それは…感じた。」


 ヒロは…すごく優等生で。

 こうしてヒロがあたしの様子を見に来たりできるのも、ヒロが頭のお気に入りで、周りもそれを認めてるからっていう理由がある。


「将来…世代交代があった時に、頭に子供がいないってなると…誰かが二階堂を継ぐ事になる。」


「…それって…」


「たぶん、俺かな。」


「……」


「だけど、頭はそれを望まないはずだよ。」


「…どうして?」


「俺がそれを喜んで引き受けたとしても、きっと…俺を危険な立場に置く事に苦しんで…子供達を呼び戻すと思う。」


「…ヒロ…」


 昔から、いつも誰よりも、一歩も二歩も先を行ってたヒロ。

 超エリートで、あたしなんて足手まといにしかならないのに、気が向かないと立ち上がらないあたしを、引き返してまで引っ張ってくれてた。


「俺さ、その時に…頭の子供達…坊ちゃんとお嬢さんを、しっかり守ってサポートする…頼れる影になりたいんだ。」


「影…」


 ヒロの言葉は、二階堂の人間らしい言葉だった。

 その世界しか知らない者からすると、涙してエールを送りたいぐらいだと思う。

 だけど…外の世界を知り過ぎたあたしには…

 ヒロの夢が、とても…


 だけど。

 ヒロにしかできない事だとも思う。

 それを、ヒロが望んで夢とするなら…


「…うん。ヒロなら出来るよ。」


 あたしは…応援するしかない。


「…サンキュ。」


 ヒロはあたしの頭をくしゃくしゃっと撫でて。


「戻るかどうか、結果を急ぐな。おまえには、ちゃんと夢がある。」


 低い声で言った。


「…でも…」


「…高原夏希さんは、信用できる人だと思う。」


「…本当の歳を言ったら、ドン引きされちゃったんだよね…」


「ははっ。」


 ヒロは小さく笑って。


「ま、7つもサバ読んでたおまえが悪いよ。」


 …ごもっとも。


「どっちに転がっても、俺はおまえを応援するよ。」


「ヒロ…」


 そこで、ヒロとは別れた。



 …サイモンもLipsもやめて…

 あたし…

 明日から、どうしよう。

 訓練所に戻るか…

 また…

 居場所を探すか…。


 * * *



「こ…こんばんは…」


 やっぱり、緊張する。


 あたしの前には…頭。

 なぜか今日は、頭が…あたしのアパートに来た。

 …ヒロを従えて。

 外には、大きな車が停まってたけど。

 いつの間にかどこかへ消えてた。



「こっちに残るって決めたか。」


「…はい…」



 頭に写真を見せられた日の夜…思いがけず、なっちゃんが来た。

 なっちゃんは…意外にも、あたしがこっちに残れる手段を聞いてきて…

 あたしが結婚か養子縁組だと答えると…

 その翌日。


「一緒に暮らそう。」


 部屋に来たかと思うと、開口一番そう言った。

 花嫁修業も兼ねて同棲を始めるから、もう学校には戻れないって言え、と。

 結婚願望のない彼が、あたしのために捻り出した策が…結婚へ向けての同棲。

 それに…


「何より、一年あれば、さくらちゃんの夢はかなうかもしれないだろ?」


 そう言って、歌う場所まで見つけてくれてた。


 …胸がいっぱいになった。

 あたしの事…こんなにちゃんと見てくれてて。

 こんなにちゃんと…想ってくれてたなんて…。



「一緒に暮らす人は、さくらを大事にしてくれそうか?」


 頭が真顔でヒロに問いかけた。


「さくらの事になると、常に真剣ですね。ここ数日は特に、さくらのために走り回ってました。」


「なっ…何それ!!ヒロ、なっちゃんの事、調べたの!?」


 あたしが大声で言うと。


「どんな人間か気になったしな。」


 頭は首を傾げて。


「…『なっちゃん』か…。さくらにそう呼ばれると、有名人も形無しな感じだな。」


 ヒロに笑いかけた。


「有名人なのに気取った感じもないし、さくらの夢も本気で応援してくれてます。」


「そうか…なら、安心して任せられるな。」


「頭…」


「本当なら、親代わりとして挨拶の一つでもしたいところだが…事情が話せないだけにそれは難しいな。」


「い…いいです…そんな、恐れ多いです…」


「…さくら。」


「はい…」


「頼みがあるんだが。」


「…頼み…?」


 頭からそんな事を言われて。

 あたしは、息を飲んだ。

 こっちでの生活を許す代わりに、何か…その…

 調査員にでも…なんて…言われるのかな…



「一曲、歌ってくれないか。」


「……え?」


 予想もしてなかった言葉に、あたしの顔はマヌケだったと思う。

 頭は小さく笑って。


「今、ここで一曲。」


 優しい声で言った。


「い…いいい今…?」


「ああ。」


「……」


 ヒロを見ると、無言で頷かれて…

 あたしは生唾を飲み込みながら…ギターを手にした。


「な…何かリクエスト…ありますか?」


 上ずる声で問いかけると。


「残念ながら、歌はそんなに知らなくてね。」


 頭は苦笑い。


「……じゃあ…」


 あたしは少し悩んで…曲を決めた。


「イマジンって歌を…」


 想像してごらん…って歌。

 頭もヒロも…目を閉じて聴いてくれた。



 天国も地獄もなくて、空には雲があるだけ。

 みんな、ただ…今日という日を生きてる。

 国も、殺す理由も死ぬ理由もなくて、宗教もない。

 ただ、平和に生きてる。

 そんな想像をする僕は、夢想家だって言われるかもしれないけど。

 でも、きっと僕だけじゃない。

 いつかは仲間になって、世界は一つになる。



 たぶん…頭の目指してる世界って…本当はこうなんだよね…

 たまたま二階堂は、悪の根絶のための組織だけど…

 …あたしも、願いたいし…祈りたい。


 短い歌だけど、途中からヒロが泣き始めて…

 あたしも、それにもらい泣きしそうになった。

 だけど、頑張って…心を込めて歌った。



「…素晴らしい。」


 歌い終えると、頭が立ち上がって拍手をしてくれた。


「あ…ありがとうございます…」


「…さくら。」


「はい…」


 頭が、両手を広げた。


「…え…」


「おいで。」


「……」


 すごく…緊張したけど…

 あたしは、ゆっくりと頭の腕の中に入った。


「…ありがとう。素晴らしい歌だった。」


 優しく抱きしめられて…頭はなっちゃんと同じ歳だけど…

 …お父さんがいたら、こんな感じなのかな…って思った。



 間もなくして、アパートの前に大きな車が来て。

 二人は帰って行った。

 帰り間際に…ヒロが。


「…ありがと…さくら。」


 そう言って、涙を拭いながら…あたしの頭を抱きしめた。


 …ヒロ。

 あたし、どこにいたって願ってる。

 ヒロが…頭が…

 二階堂全体が…


 闘わなくても済む世界が…いつか。


 …いつか。

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