第25話 森崎さくら
「さくら。」
「!!」
腕を取られて、驚いて振り向くと。
そこには、息を切らしたヒロがいた。
「…やっと見つけた…何やってんだよ…こんな所で…」
ヒロはあたしの腕を掴んでない方の手を膝について、肩で息をしてる。
「…どうして…あたしがこの街に居るって?」
「…心配するな。誰にも言ってない。」
「……」
あたし…森崎さくらは…孤児だ。
そして、目の前にいる
物心ついた時には、一緒にいた。
それは、特別高等警察という、かなり特殊な機関の…その中でもまた特別な任務に携わる人間を教育する施設で。
あたし達は小さな頃から当たり前のように、色々な訓練や知識を身に着けるよう学ばされてきた。
それが当たり前だったから…
外の世界なんて知らない者の方が多い。
夢は、悪の根絶。
だけど…あたしは知ってしまった。
外の世界を。
「
「…あそこを逃げたら、殺されるって…」
「そんなの、ただの噂だよ。」
「でも…今まで逃げた人達…」
「前例がないから、そんな噂が立つんだよ。」
「……」
「ちゃんと飯食ってんのか?外の生活に馴染めてんのか?」
「…何とかなってる…」
あたし達がいる世界…『二階堂』は、ヤクザを装った秘密組織で。
かなりの知能や身体能力を要される。
あたしには、そこそこの能力はあるものの…自由過ぎる性格が災いして、いつも最終試験までも辿り着けない。
注意力も集中力もないし…
現場で敵に狙われるとしたら、間違いなくあたしだ。
14歳になって、三年間のアメリカ研修が始まった。
あたしは、チャンスだと思った。
日本だと逃げられない。
だって、二階堂は恐ろしいほどの捜査網を持ってる。
でも…アメリカなら?
上手く…逃げ回れるんじゃないかなって…。
「…頭、怒ってた?」
「怒ってはないけど、呆れてた。」
「…だよね…」
「ちゃんと話し合って、これからの事決めようってさ。だから一度帰って来いよ。」
「……」
ヒロは、何でも話せる。
だって、家族みたいなもんだもん。
だけど…そのヒロさえ、今は信じられない気がした。
あたし…帰ったら…きっと…
電気椅子とかで…
「…ごめん、ヒロ。」
「え?」
ヒロの関節を、軽く掴む。
「いって!!」
ヒロの手が離れた隙に、あたしは駆け出した。
「さくら!!」
走って、走って、走って。
いくつか裏道を抜けて、レストラン街に出た。
「…ふう…」
…ごめん…ヒロ。
心の中で謝りながら、息を整える。
少しだけ後ろを気にしながら歩いてると…
ドン
「きゃっ!!」
前に向いた瞬間、人にぶつかった。
あたしは後ろに転んで、軽くお尻を打った。
おまけに、鼻も打った。
あいたた…
「あ…ごめん。大丈夫?」
鼻に手を当てたまま見上げると。
「悪かった。よそ見してた。」
長い髪の毛の、きれいな顔をした…男の人が、手を差し出してる。
あたしは…軽く見とれた。
郊外にある二階堂の訓練所を抜け出して一ヶ月。
こんなに…きれいな人間、初めて見た。
「…あたしも…ごめんなさい…」
この時あたしは…何か感じてたのかもしれない。
この、きれいな人間が。
これから、あたしの全てになってしまう事…とか。
「日本人?」
「え…日本語…」
きれいな人間が、あたしがぶちまけてしまった荷物を拾いながら、そう日本語で語りかけた時は…涙が出そうだった。
「親父が日本人でね。」
どう見ても、日本人には見えないのに。
「ああ…あー…日本語久しぶり…」
ここんとこ、ずっと張り詰めてた。
あまり得意じゃない英語を駆使して、何とか生活できてるけど…
今まで思う事もなかったけど、母国語って…安心できるんだなあ…
それで…普段は自分から誘ったりしないのに。
あたしは、その人間を『Lips』に誘った。
Lips…あたしが、歌ってるライヴバー。
歌が好きだと気付いたのは、何歳の時だっただろ。
二階堂にいると、そんな事さえ口にするのはタブーな気がした。
ましてや…シンガーになりたいなんて。
口が裂けても言えない。
あたし達は、闘うために育てられてきたのだから。
だけど、ヒロにだけは打ち明けた。
あたし、歌が好きなの。
いつかシンガーになりたいな。
そんなあたしの夢を、ヒロは優しい顔で聞いて。
叶うといいな。
…叶わないと知ってたからか…
小さくつぶやいた。
訓練所を脱走した時…不安な気持ちより、夢や希望の方が大きかった。
一般常識や生活する知恵はついてる。
お金も、そこそこ持ってたし、何より…二階堂で身に着けた変装技術や読唇術も、かなり役に立った。
外の世界は楽しかった。
昼間はバーガーショップで働いた。
銃やナイフを持たなくていいなんて…
笑顔で人と接して、ありがとうって言い合えるなんて…
あたしのいたい世界は、こっちだ。
そう確信した。
ぶつかった人間は、『高原夏希』さんといった。
背が高くて、すらっとしてて、カッコいいと言うか…本当に、きれいな人間だ。
いや、男の人なんだけど…
何ていうか…この人からは、性別を超えた何か。みたいな物が溢れてる気がして…
仲良くなりたい。
そう思った。
「こんばんは!!Deep Peopleです!!」
Lipsで知り合ったバンドメンバー。
ぶっちゃけ上手くはないけど、みんな優しくしてくれるから。
あたしは、誘われるがままにDeep Purpleのカバーバンドのボーカルになった。
ステージに立って、カウンターに高原夏希さんがいるのが見えた時。
あ、ちゃんと来てくれてる。
そう思うと、嬉しかった。
そして、少し笑って背中を向けられたのを見て。
あ、今夜じゃなくて、明後日の弾き語りのステージに誘えばよかった…なんて思った。
だけど、バーテンダーのショーンと話してるのが見えて…
高原夏希さんは、背中を向けてたけど。
ショーンの唇が…動いてるのが見えた。
『それなら、明後日来るといい。』
ショーン!!
グッジョブ!!
yeah!!
あたしは、高原夏希さんと友達になった。
みんなから『ナッキー』って呼ばれてるから、そう呼んで。って言われたけど…
あたしは、『なっちゃん』って呼ぶことにした。
…昔から憧れてたんだよね。
○○ちゃん。って呼び方に。
二階堂では、みんな下の名前で呼び合う。
『ちゃん』は付かない。
それが当たり前だったけど。
高原夏希さんは…Lipsのカウンターで、あたしの目を見ながら『さくらちゃん』って言ってくれた。
それが…それだけの事が、すごくすごく嬉しかった。
だから、あたしも…親しみを込めて呼びたかった。
高原夏希さんは、少し面食らった顔をしてたけど。
…そんな顔も、素敵な人間だなあ。って思った。
話してるうちに、ボイストレーナーをしてるって分かって。
あたしはレッスンをお願いした。
『なっちゃん』も、喜んで引き受けてくれた。
バイトの後は、公園でレッスンを受けた。
夜はLipsであたしの歌を聴いて、ダメな部分は指摘してくれて、改善策も教えてくれた。
二階堂の研修とは違って、楽しくてワクワクした。
当たり前か。
だって、あたしの夢だもん。
ずっと一緒だったヒロには…申し訳ないけど。
「いらっしゃいませ。」
あたしが働いてるサイモンバーガーは、開店中はずっとラジオが流れてる。
それを覚えてLipsで歌う事も多いあたしには、大助かり。
ある日…
今日、やたらと流れてるロックナンバー。
この声…なっちゃんの声に似てる。
ボイトレのレッスンの時、なっちゃんは声は出すけど歌わない。
だから…確信は持てないけど…似てるなあ。
「ねえ、これって誰の歌?」
今の所、あたしが居候させてもらってるミシェルに問いかけると。
「ああ…Deep Redの新曲よ。カッコいいでしょ。」
「Deep Red…」
「シェリー、知らないの?世界のDeep Redよ?テレビや雑誌にも結構出てるわ。ワールドツアーなんかもやってるし、売れっ子よ?」
「そうなんだ…」
どうしても、女性ボーカルの歌ばかりを意識して聴いてたから…全然興味なかった。
Deep Purpleだって、カバーするから聴いてってメンバーに言われて聴き始めたぐらいだし。
「事務所がこの近くでさ、この前はドラムのミックが来たのよ。ドキドキしちゃった。」
ミシェルは両手を握りしめて、声を弾ませた。
「…ボーカルは?なんて人?」
「ボーカル?ニッキーよ。すごくセクシーなの。」
「ニッキー…」
…ナッキー…?
やっぱり、なっちゃんなのかな…
お昼休憩。
あたしはほぼ毎日、少し離れた場所にあるレコードショップで10分ほど試聴をさせてもらってる。
その代わり、あたしがもらうハンバーガーセットを店長に横流し。
いつもはバイト上がりで行くのだけど…今日は、待っていられなかった。
「こんにちは。いつもすみません。」
「やあ、シェリー。今日はマドンナだったかな?」
「あ、ううん…今日はー…Deep Redを…」
「おや。男性シンガーにも興味が?」
「うーん…友達のおススメなの。」
「ああ…確かに。彼らは見た目以上に聴かせてくれるからね。」
…レコードショップの店長もおススメなんだ…
あたしはいつものようにヘッドフォンを耳に当てると、レコードに針を落とした。
「……」
…圧倒…された。
それが、なっちゃんであろうがなかろうが。
とにかく…Deep Redのニッキーというボーカリストに…圧倒された。
何?この…ハイトーンなのに細くなくて…お腹に響くような…シャウト…
「……」
レコードジャケットを見ると、写真はなくて。
ジャケットの中に入ってる歌詞カードを取り出すと…メンバーの名前があった。
Vo:Natsuki "Nicky" Takahara
「…なっちゃん…」
体中を駆け巡るような声を聴きながら。
あたしは…複雑な気持ちになっていた。
なんで…言ってくれないのかな。
自分は、Deep Redってバンドで歌ってる。って。
言いたくないのかな。
それよりさ…あたし。
そんなすごい人に…
歌ってるから見に来て、とか。
ロックシンガーなの、とか。
何より…あんなお粗末な、Burnを聴かせたなんて…
そりゃあ、笑って背中向けるよ!!
初対面の日を思い出すと、滑稽に思えて笑えるんだけど。
同時に、悲しくもなった。
なっちゃんは…世界のDeep Red。なんて言われるようなバンドのボーカリストで。
…うん。
それ抜きでも、十分カッコいいのに。
だけど、あたしと居る時って…誰もそれに気付かないのかな?
今まで一度も、Deep Redのニッキーだ。なんて周りがなっちゃんに注目した事がない。
…歌ってるなっちゃんは…どんな感じなんだろう…
「入り込んでるね。これ、読んでみるかい?」
ふいに店長があたしの目の前に、雑誌を差し出した。
「…ありがとう。」
それはメジャーな音楽雑誌らしくて。
歌を覚えるのに必死でレコードばかり聴いてたあたしには、すごく新鮮に思えた。
表紙を開いてすぐにある目次に…Deep Redって大きく書いてある。
…うーん…
そんなに…人気バンドなんだ…
レコードを聴いても、雑誌を見ても。
なかなか…普段のなっちゃんと結びつかない。
そう思いながら、ページをめくると…
「……」
開いた瞬間…ドキドキした。
カラーのページ、めくってもめくっても…『Deep Red』の文字が。
これ……なっちゃん?
ぜ…
全然違う!!
満面の笑みでギターの人に絡んでたり…
客席から、たくさんの手が伸びてて。
それに応えるかのように、大きく両手を広げて…お客さんの声を受け止めてるみたいな表情。
…やだ…
カッコいい…
たぶんあたしは真っ赤になってたと思う。
それは、ボイトレの日に…一度だけ…抱きしめられた事や。
手を繋いで…歩いた事。
それらを思い出して…
だけど…
やっぱり、『どうして?』って思っちゃう。
なっちゃんは、あたしに…ボイストレーナーをしてるんだ。って言いきった。
…確かに、勉強になるし…間違ってはないよ…
あたしの先生だよ…
…うん。
あたしの、先生だよ。
いいじゃない。
それで。
なっちゃんが言うまで、あたしも知らん顔していよう。
……って、決めたのに。
ボイトレとLipsで、週に5日は会ってるのに…なっちゃんはなかなか打ち明けてくれなかった。
知らん顔してるあたしにも、そろそろ限界があった。
もしかして…あたし、信用されてないのかな…って。
そうやって、少しずつ不安と不満が膨らみ始めてた12月。
なっちゃんが、お店に来た。
すごく驚いたし…嬉しかったけど。
なっちゃんは、しばらくレッスンは無理だと言った。
Lipsにも行けない、と。
一気に…あたしのテンションが落ちた。
そこへ…
「Deep Redの高原夏希さんですか?」
…ファンが、なっちゃんにサインを求めた。
決定的だった。
分かってたけど、それで…さらにハッキリ分かった。
あたし達…
世界が違うね。って。
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