第24話 藤堂周子 7

 その後もマシューとは会った。

 優しいマシュー。

 近所の人達からも、マシューとの結婚を勧められた。

 夏希に打ち明けた事で…苦しみも味わったけど。

 隠し事がなくなった分、憑き物が落ちたような気分にもなった。


 だけど…

 もう、人の物なのに。

 夏希に会いたい気持ちが…募った。



『検診?』


「ええ。行く?」


『……』


 瞳の検診…行かないわよね。

 そう思いながらも、あたしは夏希に電話をした。

 夏希がどれぐらい…瞳の事を考えてくれてるかも、気になった。


 …行かないわよね。


『行くよ。』


 えっ…!?


 予想とは反対の返事に、あたしは目を見開いた。


「…そ?じゃ、明日10時にうちに来て。」


 声が震えていないだろうか。

 そんな事を気にしながらも、クールにそれだけを伝える。


『分かった。』


 電話を切って、あたしは飛び上がった。

 夏希が…

 夏希が、瞳の検診に付き添ってくれる…!!



 翌日、夏希は約束通り10時にうちに来た。


「…大きくなってる。」


 初めて会って、二ヶ月。

 夏希は丸い目をして瞳を見た。


「当たり前じゃない。ずっと同じサイズのままだとでも思ってるの?」


 その様子がおかしくて…つい笑ってしまう。


「もう首も座ってるから、抱いてみたら?」


「えっ…」


 キッチンにタオルを取りに行って、戻ると…夏希はまだ瞳を眺めたまま。


「もしかして、怖いの?」


 眉間にしわを寄せて問いかけると。


「いや…俺は…」


「はい。」


 瞳を抱き上げて、無理矢理夏希の腕に。


「わわっ…ちょっ…」


「大丈夫。手をそっちに…そう。」


「……」


 …嬉しい。

 夏希が…瞳を抱いてくれてる。



 その光景は、とても…言葉では言い表せられなかった。

 美しかった。

 夏希は優しい目で…瞳を見つめる。



「…夏希でも、そんな顔するのね。」


「どんな顔?」


「説明できないわ。」


「ははっ。」


「病院、近いけど歩く?」


「…悪いけど、あまり時間がない。」


「ああ、そう。じゃ、車で行きましょ。」


「ちょ…おおおおい、周子、もう引き取ってくれ。」


「…ダメねえ…」



 …穏やかで…

 この瞬間は、あたし達は家族だ。と。

 あたしの笑顔は、とても力の抜けたものだったと思う。



「はい。とても健康です。」


 瞳は愚図る事なく検診を終えて。

 その愛想の良さゆえ、ナース達からも可愛がられた。


「瞳の愛想の良さは誰に似たのかしら。」


 あたしがボタンを留めながら言うと。


「周子だろ。」


 夏希が笑いながら言った。


「…嫌味かしら。」


「ああ、間違えた。スーだ。周子は愛想悪いけど、スーは愛想いいからな。」


「イラッとする答えね。」


「ま、俺が愛想がいいのはステージの上だけだからな。」


「そうね。」


「……」


「何よ。」



 一緒にいる時間が楽しいと…

 離れたくなくなる。



「…ジェフとは会ってるのか?」


 家についた瞬間、夏希が言った。


「…ううん。ジェフは、いい人ができたんだと思うわ。」


「そうか…」


「…あたしの事は気にしないで。」


「……」


「じゃあね。」


「…またな。」


「……」


 夏希の…『またな』が。

 とてつもなく嬉しかった。


 また…会える。

 それだけで…

 あたしは、生きていける気がした。







 夏になった。

 マシューとは相変わらず付き合っている。

 瞳の事も可愛がってくれるし…色々頼りになる。


 夏希は月に一度、瞳の様子を見に来た。

 昼間に、一時間ほど。

 それだけでも…あたしは満足だった。



「周子さん?」


 キッチンツールを買いに、街に出て。

 雑貨屋でウロウロしてると…声をかけられた。

 振り返ると…


「…るーちゃん?」


 マノンの、奥さん。


「ああ、やっぱり…お久しぶりです。」


 るーちゃんの横には、息子の…


「えっと…お名前、何だっけ…?」


 しゃがんで問いかけると。


「…コーシ…」


「ああ、光史君。はじめまして。」


 この子が生まれた時…夏希は、一緒にお祝いに行こうと誘ってくれた。

 だけど…あたしは行かなかった。

 だから、これが初対面。



「……」


 あたしの前にいる光史君とるーちゃんの視線は…ベビーカーに釘付け。


「あー…」


「ナッキーさんに…聞きました。」


「…え?」


 驚いて顔を上げる。


「瞳ちゃん…ですよね?」


「…ええ…」


「瞳ちゃんが生きにくい環境は作りたくないって…打ち明けられました。」


「……」


 夏希が…そんな事を…?


「…は…あたし、バカみたいでしょ。」


 立ち上がる。


「え?」


「夏希…結婚はしない、子供も要らないって言ってたのに…」


「……」


「どうしても、子供が欲しかったの…」


「周子さん…」


 るーちゃんは、あたしの手を握って。


「ナッキーさんは…?」


「月に一度、会いに来てくれるわ。」


「そう…もう…一歳ぐらい?」


「来月で一歳なの。」


「可愛いわね~…光史、ほら、見て。」


 るーちゃんは光史君と一緒にベビーカーを覗き込んで。


「女の子…あたしも欲しいなあ。」


 笑顔になった。


「ママ、みて。て、ちっちゃい。」


「ね。本当…可愛い。」


 二人目は?

 って…聞きそうになったけど、飲み込んだ。

 みんな、それぞれ事情がある。



 光史君は、瞳に興味津々で。

 しばらく、ニコニコしたままベビーカーを覗き込んでいた。

 そんな光史君に、瞳も笑い返して。

 あたしは二人の笑顔に、心底癒された。

 ああ…子供って、なんて素晴らしいんだろう。としみじみ思った。



「それじゃ。」


「ええ、また。」


 るーちゃんとは、そこで別れた。



『瞳ちゃんが生きにくい環境は作りたくないって』


 …夏希…


 夏希への気持ちが、膨らんでゆく。

 もう叶わないって分かってるのに。


 何とも言いようのない気持ちになって。

 あたしは、マシューに電話した。


『スー?』


「今夜、うちに来ない?」


『行ってもいいのかい?』


「ええ。お腹すかせて来てね。」


『…楽しみにしてるよ。』



 これ以上…

 夏希への気持ちが膨らまないうちに…


 マシューと結婚しよう。


 …幸せに…


 なろう。





 マシューと結婚する事になった。


 幸いと言うか…

 あれだけ毎月来ていた夏希も、来なくなった。

 連絡もない。

 …きっと、小娘に夢中なのだろう。


 もう、いい。

 あたしはマシューと幸せになる。


 夏希には…結婚式が終わってから、知らせようと思った。

 あたしは身内がいないけど、マシューにはアメリカのあちこちに親戚がいて。

 結婚式をするとなると、年が明けてからがいいと言う事になった。

 あたしは…近所の人達だけを呼んで、小さくやるのもいいかなと思ったけど。

 将来メジャーリーガーと言われていた男の親戚は、付き合いも熱狂的だった。



『スー!?マシューからいつも話は聞いてるわよ!!』


『スー!?マシューの女神って、君だよね!?』


 結婚の報告をした途端…毎日のように電話がかかった。

 それは鬱陶しい…と思いきや。

 あたしをハッピーな気持ちにさせてくれた。



「初めて寝たのが分譲中の家だってのは、秘密にしといてくれる?」


 マシューがベッドで言った。


「あ~…あなた積極的だったわよね。」


「え?スーが誘って来たんじゃ…」


「あたし誘った?階段を躓いただけよ?」


「俺の胸に寄りかかったただろ?」


「…胸に寄りかかった女は、誰でも抱くの?」


「…抱かないよ…」


 深い…愛のあるキス。


 季節は秋。

 二ヶ月後には…あたしはマシューの妻になる。

 歩き始めた瞳が、あちこちに物を散らかしても。

 マシューは笑いながらそれを手にして。

 瞳に片付け方を教える。

 まだ分からないんじゃない?って言っても。

 こういうのは、習慣だよ。

 繰り返す事で覚えるさ。と。



 あたしに…

 愛のある家庭が築けるのか。

 ずっと不安だった。

 ジェフと別れて、夏希と別れて。

 また…ジェフに去られて。


 …今度は…今度こそは。

 あたしは、この愛を確実な物にしてみせる。



 12月になると、ドレスの試着をした。

 瞳を抱いたマシューが、瞳の手を持って拍手してくれた。


 綺麗だね。

 ママは、世界一綺麗だね。


 マシューがそう言うと、分かってないはずの瞳が笑顔になった。

 あたしは…

 自分が生まれて初めての笑顔になっている気がした。


 なんて…

 なんて簡単なんだろう。

 夏希といた頃は、素直になる事が難しくてたまらなかったのに。

 今は…自然と笑顔になれる。


 教会の下見もし、パーティー会場もおさえた。

 後は…

 結婚式の日が来るのを待つだけ。


 待つだけ…だったのに…。





 それは、あまりにも残酷なニュースだった。


 風邪気味の瞳を病院に連れて行って。

 その帰りに、シャンパンを買った。

 今日はクリスマス。

 マシューのご両親も一緒に、食事をする。



「スー!!早く病院へ!!」


「…え?」


「早く!!マシューが大変なんだよ!!」


 家に帰ると、近所の人達がうちの周りに居た。


 何?

 マシューが大変って…何?


「こっちへ向かってる最中に…事故で…」


「……」


 何…?



「スー!!乗って!!」


 近所の大学生が、車を出してくれて。

 あたしは隣家の夫婦と一緒に、それに乗り込んだ。


 どういう…どういう事?

 車の中…

 そのニュースは、ラジオからも流れてきた。


 対向車線をはみ出した車と…正面衝突…


 病院について、瞳をギュッと抱きしめたまま…走った。


「マシュー…」


 あたし達が連れて行かれた場所には、四人が並んでベッドに横たわっていて。

 それはきっと…

 マシューと、ご両親と、弟さん…


 相手の車の二人は…即死だったと聞いた。



 みんな…大きな機械をベッドの横に置かれて…

 ピーという大きな音と共に、医者が走って…弟さんの容態を確認する。


「……マシュー……」


 あたしはマシューのそばに駆け寄って、包帯のまかれた手を握る。


「マシュー…あたしよ…目を開けて…」


 次々に…ピーという音が鳴り響いて。

 そのたびに…医者が電気ショックや注射を試みたけど…


「…ご臨終です。」


 マシュー以外、ご両親と弟さんは…

 立て続けに亡くなられた。


「マシュー…お願い…」



 神様。

 どうして…?

 あたしは、幸せになっちゃいけないの?


 やっと…

 やっと幸せになれると思ってたのに…



 長い長い夜を病院で明かして。

 クリスマスから二日後。

 マシューは、一度も意識を戻すことなく…旅立った。



 近所の人達は落ち込むあたしの力になりたい。と、言ってくれたが…

 あたしには、何も答える事ができなかった。

 力になりたいって言われても…

 マシューは帰って来ない。

 あたしが着るはずだったドレスも、もう用はない。


 教会もパーティー会場もキャンセルして。

 招待状を送った人達には…一人一人に手書きで。

 とても残念な結末を迎えてしまった…と、書いて送った。



 誰か…。

 誰か、なんて。

 もう、思わない。



 あたしは幸せになれない星の下に生まれついた。



 せめて。


 せめて、瞳だけでも幸せになれるなら。


 あたしは、なんでも。





 どんな事でもする。

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