第23話 藤堂周子 6
「スー…なんて綺麗なんだ…」
「…お世辞でも嬉しいわ。」
「お世辞なんて言うものか。」
マシューがディナーに誘ってくれた。
ジェフが来なくなった事を気にしてくれていた隣家の夫婦は、あたしがマシューに誘われた事を話すと、自ら瞳を預かってくれると言った。
「スーはまだ若いんだから、たくさん楽しまなきゃいけないよ。」
そう言って、あたしの髪の毛を撫でてくれた。
久しぶりに美容院にも行った。
新しい服も買った。
今まで全てを瞳のために…と、自分の事は後回しにしてきたけれど、自分を整える事も瞳のためだと思えた。
…ふと、晩年はいつも疲れていた母の顔を思い出す。
あたしは…母みたいにはならない。
「まさかスーと…ああ、夢みたいだ。」
マシューはあたしの腰に手を添えて、嬉しさを隠しきれないようだった。
「オーバーね。」
「君が知らないだけだよ。みんな、君に憧れているのに。」
いい気分だった。
やはり女は、もてはやされて綺麗になるものだと思った。
ジェフとは気が合ったし、一度夫になった人。
安心感もあったし、仲間意識もあった。
だけど…新鮮さやときめきは、なかった。
マシューは、ジェフとは違う気遣いのできる男性で。
若い頃に一度結婚したけれど、奥さんの浮気で離婚したと聞いた。
「素敵ね…」
ホテルでディナーなんて…何年ぶりだろう。
夏希とは外食しなかったし、ジェフとは結婚する前に一度来たぐらいだろうか。
マシューと乾杯をした。
業界以外の話を聞くのが、とても楽しかった。
夏希やジェフとは、こんな会話はできない。
美味しい料理と弾む会話に、あたしは満足していた。
「ちょっと電話をしてくるわ。」
瞳の様子が気になって、隣家に電話をした。
隣家の夫婦は、瞳はラジオから流れてくる音楽に、ゴキゲンになっている。と、笑いながら言った。
…やっぱり、血は争えないわね。
小さく笑って電話を切った。
レストルームで口紅を直して、席に戻ろうと…
「………」
あたしの足が止まった。
夏希が…あの小娘と一緒にいる。
…なぜ?どうしてここに?
焦ったあたしは、もう一度レストルームに逃げ込んだ。
そこに…
「隣のテーブルにいるのって、Deep Redのニッキーじゃない?」
「やっぱり?似てるなって思ってたのよ。」
「でも、テレビと全然印象違うわ~。彼女にメロメロだったわね。」
「何かの記念日って話してたわよ。」
「何、会話聞いてたの?」
「聞こえたのよ。」
「結婚してないわよね?」
「じゃあ、付き合い始めた記念日とか?」
「そういうの大事にしてくれる人っていいわよね。」
………記念日?
夏希は…あたしとの記念日なんて、祝った事はないわ。
深呼吸をして、席に戻った。
少しだけ…夏希のテーブルを見たけど。
二人は、本当に…二人の世界に入り浸ってる。
見つめ合って…微笑み合って…
「…スー?何かあった?」
「…えっ…?」
「顔色が良くないよ。」
「……」
マシュー…
優しいマシュー。
「…久しぶりに、お酒を飲んだから…酔っちゃったみたい。」
「大丈夫かい?」
「…部屋を取ってもらえる…?」
「……わかった。」
それからあたしは…
何度も、何度も、マシューを受け入れた。
耳元で『愛してる』と言われれば、あたしも同じように返し。
まぶたを閉じると浮かぶ、二人の残像を消し去りたくて。
ずっと…目を開けたまま。
何度も果てた。
あたしと別れて、夏希は一度もあたしを追わなかった。
そして…小娘と付き合い始めた。
…悔しかった。
あたしと暮らしている時も、もうきっと…二人の間には何かが始まっていたんだ。
マシューとは恋人になった。
いい関係だった。
だけどまだ日が浅いから…結婚なんて言葉を出されても、あたしは笑って話を変えた。
自分が幸せになればいい。
それだけの事。
なのに…
あたしは、どうしても許せなかった。
夏希を…
あの小娘を…。
そしてあたしは、夏希に会いに行く決心をした。
「夏希。」
事務所で声をかけると、夏希は振り返って。
「…久しぶりだな。元気だったのか?」
目を丸くして、あたしを見た。
「…ええ。今日、何時に終わる?」
「え?」
「時間取れない?話があるの。」
「今日は無理だな。」
その即答に…あたしはカチンときた。
「…今は?」
「え?」
「今、少し時間ない?」
「……」
夏希は通路の掛け時計を見て。
「ちょっと待ってな。」
どこかに走って行った。
そしてまた走って戻ってくると。
「表のカフェでいいか?」
外を指差しながら言った。
「ええ。」
…別れて一度も会わなくて。
小娘とのツーショットを目の当たりにして。
夏希は、酷い男だ。と…頭に来てたけど。
…そうよ…。
夏希は、いい人なのよ。
こうやって、時間を割いてくれたり…
「で?話って何だ?」
コーヒーを手に、夏希が言った。
「…先週、見かけたわ。」
とりあえず…そう切り出すと。
「あ?」
「気付かなかった?二つ隣のテーブルにいたのよ?」
「…え?」
夏希はキョトンとした後。
「そっか。悪かったな。気付かなくて。」
髪の毛をかきあげた。
…ますます…いい男になった。
「一緒にいたの…付き合ってる子?」
コーヒーを手にしようとしたけど…
手が震えて…やめた。
「ああ。」
「一緒に暮らしてるの?」
「ああ。」
「……」
ずっと…言わないつもりだった。
あたしは勝った。
そう、勝手に思ってたから。
だけど…
「…あのね、夏希。」
「なんだ?」
「……」
…いいの?
周子。
言ったら…
夏希は苦しむのよ?
「…可愛い子だったわね…」
迷った挙句、そんな言葉を吐き出すと。
「は?ああ…まあな。」
夏希は…苦笑い。
「…結婚…するの?」
「……」
その沈黙が…あたしの胸を刺した。
「…するんだ…」
「まだ、言ってないけど…プロポーズするつもりではある。」
プロポーズ…
ズキズキズキズキ。
胸が痛んだ。
あたしが…言って欲しくて…でも言ってもらえなかった言葉。
あの小娘は、いったい夏希にどんな魔法を使ったの?
…あたしの心が決まった。
「お願いがあるの。」
顔を上げた。
「なんだ?」
「…認知…して欲しいの。」
「…認知?」
あたしはバッグから、瞳の写真を取り出した。
「……これは…?」
「去年産んだの。」
「……え?」
「夏希の子供よ。」
「…………え?」
夏希は茫然として、あたしと写真を交互に見た。
「ど…どういう事だ?」
「…あたし、あなたに言ったわ。」
「…何を…」
「あたしと居たいなら、子供を産ませてって。」
「……」
「だけど夏希は子供は欲しくないって言った。あたしは産みたかった。だから出て行った。」
「…待てよ…おかしいだろ…」
「育ててくれなくていいの。ただ、父親っていう肩書だけ背負って欲しいのよ。」
「……」
「お願い…」
「……」
お願い。
あの娘と結婚しないで。
あの娘と子供を作らないで。
あたしは…目の前の夏希に、強く念じた。
すると…
「…会わせてくれ。」
夏希が、立ち上がった…。
夏希を乗せて、家に帰る。
預けてた瞳を連れて部屋に入ると、夏希は恐る恐る…瞳の顔を覗き込んだ。
「……」
「あ…笑ってる…」
瞳の笑顔を見ると、あたしもつい…笑顔になった。
夏希を見ると…
夏希も、優しい顔になってる…
…胸が、締め付けられた。
夏希とあたしと瞳…
まぎれもなく、家族なのに。
夏希と瞳は、血の繋がった親子なのに。
…どうして…
「言っておくけど…」
これ以上辛くならないように、あたしは言った。
「ジェフとは、離婚してから一度も寝てないわ。」
「…何だよ、急に。」
「本当に俺の子か?って疑ってると思って。」
「…疑ってないよ。」
「……」
…ああ…ダメだ。
そうよ。
夏希は…そんなの疑わない。
責任逃れなんて、絶対しないような人よ。
あたしったら…
「名前は?」
夏希が瞳の手に指を握らせて、笑顔になった。
「…瞳。」
「瞳?」
「…目が…あなたに似てるから…」
「……」
夏希は複雑そうに…
だけど、優しい眼差しで瞳を見てる。
「…一人で育てる気なのか?」
「ええ。」
「……」
「夏希は、あの子と一緒になればいいわ。」
「…棘を感じる。」
「そりゃそうよ。棘のつもりで言ってるもの。」
…やめる。
結婚しない。
そう言って。
本当は…そう言ってほしい。
だけど…
あの時、愛してるって言えなかった…あたしの負け。
分かってる。
あたしがもっと、夏希を欲しい気持ちを強く持てば…
今頃、あたし達はこんな風に再会せずに済んだ。
あたしは…夏希を欲しい気持ちより。
自分のプライドを取った。
…バカだ。
「…できるだけの事はする。」
「…え?」
「周子がそれでいいなら…この子の父親にはなる。」
「…夏希…」
「でも、俺たちは家族にはなれない。」
「……」
「…悪い。」
「……送るわ。」
瞳をバスケットごと車に乗せて。
「あなたも後に乗って。」
夏希に…瞳の隣に座らせた。
運転しながら、泣きそうになった。
…家族にはなれない。
分かってた事よ。
あたしが産みたくて産んだ。
産んだら勝てると思った。
…あの小娘に。
バカね、周子。
それだけで満足できなかったなんて…
「あー。」
後部座席から聞こえる声に、バックミラーを見ると。
夏希がバスケットを覗き込んで…瞳と笑い合ってる。
…苦しい…
「…じゃあ。」
夏希が車のドアを開けても、あたしは振り向かなかった。
「…周子。」
「…何。」
「…俺の目に似てるって言ったけど…」
「……」
「おまえに似て、美人だ。」
「……」
「手続きとか、必要な物があったら連絡くれ。じゃあな。」
「……」
パタン
ドアが閉まって。
あたしは車を発進させる。
バックミラーには、こっちを向いて立ったままの夏希。
その夏希が見えなくなった所で…あたしは車を停めた。
「…ふっ……」
ハンドルに頭を乗せる。
バカね、周子。
夏希は…あたしの好きになった夏希は…
もう、あたしの物にはならない。
だから欲しいと思うんだ。
だけど…
どうしたらいいの?
これ以上…
嫌な女になりたくないのに…。
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