第22話 藤堂周子 5

 出産までの間は、本当にあっと言う間だった。

 それまでの間、あたしは必至で詞を書いた。

 時には曲も書いた。

 それまでの印税でも十分な生活をしていたが、子供のために。

 とにかく、子供のために稼がなくては。と、思いつくもの全てを歌にした。


 もちろん、夏希との別れも歌にした。

 醜い嫉妬も、苦しい憎悪も、子供が出来た喜びも、これからの希望も。

 全てを歌にし、そして…あたしとは違う名前で発表した。


 ジェフが上手く立ち回ってくれて。

 それらの曲も、ほぼ全て…ヒット曲となった。


 書けるうちにたくさん書いて、印税で生活が出来るぐらい…

 ううん、印税で贅沢ができるぐらいにならなければ。

 あたしはともかく、子供には…色んな意味で愛を注ぎたい。


 そして…9月6日。

 あたしは、女の子を出産した。



「スー…素晴らしいよ…」


 ジェフは、どうしても、と。

 朝からずっと、病院にいた。

 仕事に行ってくれと言っても、これだけは譲れない、と。



「素晴らしい赤ちゃんだ…スーが…命をかけて産んだ…本当に、素晴らしい赤ちゃんだ…」


 ジェフは涙ながらにそう言って、あたしの手を握った。


「ジェフ…」


 抱かせてもらった我が子は…小さくて、しわしわで…

 見た目は決して可愛いなんて言えないのに、すごく…

 すごく、可愛く思えた。



「ふふ…髪の毛…薄いわね…」


 ほんの気持ち程度の黒い髪の毛に、そっと触れた。


「なんて可愛いんだ…天使のようだよ…」


 この子を見て天使って言うなんて…って。

 少し笑いたくなったけど。

 今は…ジェフがここにいてくれた事。

 すごく…感謝した。



「……目が……」


「ん?」


「ニッキーに…似てるな。」


「…彼、こんなに純粋な目をしてたかしら?」


「スー…本当に…」


「言わないわ。あなたも…これからも言わないでいてね。」


「…分かった。」



 あたしは、その天使に。

ひとみ』という名前をつけた。

 ジェフは意味を知りたがったけど、日本の名前で、響きが好きだから、と答えた。


 瞳…

 夏希に似て、真っ直ぐな瞳の人間になって。


 あたしはこの頃。

 夏希の事を…



 思い出の人にできてたのに…。







 穏やかな生活だった。

 瞳と二人…近所の人達にも、親切にしてもらって。

 母親としての自覚を持った事で、あたしの中にも余裕ができた。


 …子供って…なんて素晴らしいのだろう…。


 時々ジェフがやって来て、一緒に食事をする。

 ジェフは瞳の成長を目を細めて見つめて、優しい笑顔をする。


 そんな…幸せが、永遠に続くわけがないのを、あたしはどこかで気付いていながらも。

 知らん顔をしていた。



 瞳が産まれて、半年。

 三月の、少し暖かい夜。

 ジェフが言った。



「…いい人がいるから、会ってみないかって言われてるんだ…」


 それを聞いた時、あたしは瞳を寝かしつけたばかりで。

 さっきまで抱いていた胸には、瞳のこぼしたミルクがついていた。


「…いい人…」


「いや…もちろん…俺は今でも…スーの事を愛してる。」


「……」


「…だが…母も年を取ったしね…」


「……」


 あたし…

 なんて事…


 自分の幸せのために、ジェフを巻き込んで…

 ジェフの幸せについて、全く考えてなかった。

 あたしが居れば。

 瞳が居れば。

 夫婦、親子という形じゃなくても、ジェフは幸せなんだろう。

 なんて…

 勝手に思ってた。



「エディにも…ミックにも、子供が産まれてね…」


「え…」


 久しぶりに、Deep Redのメンバーの名前を聞いた。

 エディは…二人目ね。


 ミックは…結婚二年目で…

 …ナオトの所は、まだなのかしら…


 ジェフの事を考えまいとしたのか、そんな事をボンヤリと思った。



「…これからも、何かあった時には…頼って欲しい。」


 ジェフが、あたしの手を握る。


「……」


 あたしの袖口は、何かで汚れていて。

 なぜか…今はそういう小さな事が…酷く目についた。


「…そう…ね…あなたも…幸せにならなきゃ…」


「スー、俺は…」


「今まで、本当に…ありがとう。」


「……」


「…感謝してる…」


 ジェフはゆっくりとあたしを抱きしめて。


「…君を…もう一度妻にできたら…どんなに…」


「……」


 ジェフのその言葉に…

 あたしは、答えられなかった。

 この人となら…瞳も幸せになれる。

 分かってる。


 なのに…



「…幸せになって…」


 あたしは…また、土壇場で怖くなった。

 毎日、そこにいてくれたジェフを。

 あたしは…もう、いて当たり前としてしまってた。


 ジェフが来る時間は分かっているのに。

 あたしは、着替えて…オシャレをして彼を待つでもなく。

 化粧もせず、瞳のよだれやミルクがついた服のまま、ジェフを迎えた。

 こんなに…

 あたし達の幸せを願ってくれている人を、だ。


 子育てしてるなら仕方ない?

 …それは、都合のいい言い訳に過ぎない。

 あたしは…ジェフに敬意を示さなかった。


 与えられている愛に…あぐらをかいてしまった。






 ジェフが来なくなって…あたしの生活は、少し渇いた。

 当たり前のように居てくれるものなんて、何一つないんだ。

 あたしは傲慢過ぎた。

 応えられないのに、その愛を求めるなんて。



「……」


 ふと…夏希の事を考えた。

 余計な情報を仕入れたくなくて、あたしはテレビもラジオも買ってない。

 自分の歌がヒットしたかどうかは、ジェフが教えてくれていたし。

 今、誰が売れてるなんて興味はなかった。


 Deep Redは相変わらず売れているのだろうか。

 夏希は…

 今も、あの小娘のボイトレをしながら、Lipsに通っているのだろうか。


 とは言っても、確かめに行く気はなかった。

 瞳を置いて、夜の外出をしようとは思わないし、だいたい…夏希がLipsに通っていても…もう、夏希とあたしは関係ない。



 ある日…久しぶりに街に出てみる気になった。

 瞳に、新しい服を買おう。

 ついでに、外食でもしよう。

 ずっと得意じゃない料理を頑張ってきたから…たまには、美味しい物を食べて、心にも栄養をつけよう。



 久しぶりの街は、気分を高揚させた。

 だけど、もうそこに住みたいとは思わなかった。

 きっと、たまに来るからよく見える。

 そんな感じなのだろうと思った。



 ベビーカーを押して、瞳の服を買った。

 買い物の間中、瞳はゴキゲンな様子で。

 店員から「可愛い」と何度も言われて。

 それがお世辞でも…すごく嬉しかった。


 そのまま、当てもなく歩いてみた。

 ランチ時とあって、今まで行った事のあるお店は満席だった。

 ベビーカーもあるし…テイクアウト出来るものにしようか…

 そう思いながら、メインストリートから一本外れて歩いてると…

 大きなテント調の建物が目に入った。



「…カプリ…」


 あたしは、そこに向かって歩いた。



「テイクアウトしたいんだけど。」


 店の入り口で言うと。


「今ならすぐ座れるよ?」


 大きな男がニッコリとして言った。


「ああ…でも…」


「ベビーカー?問題ないよ。」


 男は大きな手をひらひらとして、ウトウトしてる瞳に笑いかける。


「…じゃあ、食べようかしら。」


「ああ…でも、もうすぐステージが始まるんだったな…」


「え?」


「30分ほど、ギターの弾き語りがあるんだ。お嬢ちゃん、泣かないかな?」


 思いがけない言葉だった。

 ギターの弾き語りライヴ。

 最近、音楽から離れてたあたしは…素直に聴きたいと思った。


「たぶん泣かないと思うけど…できるだけ迷惑にならないような席にしてもらえる?」


「泣いてもいいんだけどね。じゃあ、あっちの端でもいいかい?もし気を遣うようなら外にも出られるよ。」


「ありがとう。」


 お金を払って、席に着いた。

 本来はセルフらしいが、気を利かせた店員が、お任せメニューを持って来てくれると言った。



「お待たせしました。」


 サラダにスープにベーグル、少しずつだけど肉と魚もあって、フルーツも。


「足りなければ、呼んでください。」


「十分よ。ありがとう。」


 ベビーカーの中の瞳は、買い物の後でミルクを飲んで…今は眠ってる。



「いただきます。」


 アメリカに来て長いのに…いまだにあたしは、食事の前には手を合わせてしまう。

 小さく笑いながら、スープを口にした。

 うん…美味しい…


 ゆっくりと食事を味わっていると…


『こんにちは。今日も美味しい料理と、あたしの歌で、カプリのランチタイムをお楽しみください。』


 ステージが、始まった。

 かなり広い敷地内。

 その中央に小さなステージがあって、そのシンガーはあたしに背中を向ける位置に立っていた。

 あまり音量も大きくないし…これなら瞳も起きなくて済みそう。



 一曲目が始まって、心地いい歌声が聴こえて来た。


 …いい声してるわね…

 聞き覚えのあるその歌は、10年ぐらい前にヒットした歌だった。

 他の客も、食べながら耳を傾けている。


 二曲目は…


「…あたしの書いた曲だわ…」


 つい、瞳に話しかけてしまった。

 確か、モデル上がりの歌手に提供した歌。

 一応売れたけど、それは歌唱力ではなく…モデルとしての人気のおかげ。

 …あきらかに、この子の方がダントツに上手い。


 どんな子なんだろう。

 顔が見たい。


 長い髪の毛をポニーテールにして。

 ギンガムチェックのシャツに、デニムのショートパンツ。

 すらりと伸びた足。


 その子がギターを弾きながら、ゆっくりと…こちらを向いた。


「…………え…」


 瞬きが出来なくなった。


 ステージの上で歌ってるのは…

 …さくら。



 あの、小娘だった。








 カプリで歌う小娘を見て以来…

 思い出したくないのに、夏希の事が頭に浮かぶようになった。


「ああ…どうしたの…」


 瞳が泣き始めた。

 顔を覗き込んで…あたしまで泣きたくなった。


 瞳を産んだら、夏希の事は諦められる。

 そう思ったし、実際…そんな日々が過ごせてたのに。


 それはきっと…ジェフが居てくれたからだ。

 仕事があって、仲間が居て。

 そして、あたしに愛をくれる人がそばにいて。

 …どこまでも、自己中心的な願望。


 こんな気持ち…初めてだ。

 誰でもいい。

 誰かに…抱きしめられたい。



 あたしはストックしてる名刺を並べて、数人の男をチェックした。

 名刺をくれた男の中には、あきらかに下心がある男も数人いた。

 後腐れなく会ってくれそうな男…


 …そうだ。


 あたしは受話器を手にすると、この家を世話してくれた不動産エージェントに電話をした。


『もしもし。』


「あ…マシュー?あたし…スーです。」


『スー…ああ、何かありましたか?』


「あの…ここからそんなに遠くない場所に、何かいい物件ないかしら。」


『え?お引越しをお考え中ですか?』


「悩んでるの。相談に乗ってくれないかしら。」


『もちろん。じゃあ…明日の午後伺います。』


「よろしくね。」



 マシューは、ジェフより一つ年下の不動産エージェント。

 大学野球ではかなり活躍したそうで、肩さえ壊さなければ今頃はメジャーリーガーだった。と、彼が連れて来た庭師が言っていた。


 背が高くて、今も鍛えているのか…スポーツマンらしい体格。

 家を買ってから何度か、点検に…なんて、わざとらしくうちに来て。

 あたしがシングルマザーなのを知ると、結婚の予定はないのか、彼氏はいるのか、などと根掘り葉掘り聞かれた。

 ジェフの存在を正直に話すと、うなだれたように帰って行ったが。



 翌日、マシューは気持ちいいほどの笑顔でやって来た。

 あたしは瞳を抱いたまま、マシューを迎える。


「やあ…大きくなったね。」


 マシューは瞳の顔を見て、さらに笑顔になった。


 今日のあたしは化粧もして、ちゃんと服も着替えた。



「こちらはどうでしょう?」


 マシューは色々なパンフレットを用意してくれていた。

 恐らく、瞳がいるからすぐには見に行けないと思ってくれたのだろう。

 あたしも、その方がいい。

 今日だけで全てが決まったら、会うことが無くなる。



「それじゃ…あなたさえ良かったら、明日こことここに連れて行ってくれないかしら?」


 あたしがパンフレットを手にして言うと。


「ああ、僕はいつでも大丈夫。スーのためなら予定も開けますよ。」


「ありがとう。」


「その…彼は一緒に来なくていいんですか?」


「…ああ…彼は、もう来ないから…」


「あ…」


「……」


「じゃあ、明日。」


「ええ、よろしく。」



 そして…翌日。

 あたしは隣家の気のいい夫婦に瞳を預けて、マシューと家を見に行った。

 引っ越す気なんて…本当はない。

 てっとり早くデート出来る方法だと思ったからだ。


 …デート…

 いいえ、セックスが。



 最初の家の二階で。

 マシューはあたしを抱いた。

 ずっと恋をしていた、と…耳元で囁かれて、いい気分になった。

 あたしは、そのマシューの声を聞きながら。


 これで…闘える。




 そう、思った。

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