第20話 藤堂周子 3

 年が明けた。

 あたしは年越しもジェフと、その身内と過ごした。


 …夏希といたかったクセに…

 …どうしてあたしは…素直になれないんだろう。


 夏希を愛してる。


 その一言を口にすれば、何かが変わる気がするのに。

 夏希に先に言ってほしい。

 そう思ってるの?

 待ってたって、夏希は言わないわ。

 だって…

 あたし達は対等で、同士で…

 この関係が崩れたら、夏希はあたしを必要としなくなる。



 ジェフの母親から懇願されて、年が明けて一週間ほどは、ジェフの実家にいた。

 夏希に電話でそれを告げると、少しの沈黙の後にOKと言われた。

 …帰って来いって…言うわけないわよね…


 それよりも…

 こうやって夏希を試してばかりのあたし。

 これじゃ…いつかあたし達はダメになる。



 ところが。

 一週間後、部屋に戻ると。

 夏希はご機嫌な様子だった。

 ソファーでギターを手にして、次々と新しいフレーズを作って、譜面に書き込んで行った。



「…調子戻ったの?」


「どうかな。」


「…怒ってない?」


 あたしの言葉に、夏希はギターを弾く手を止めた。


「え?何が?」


「…ううん。何でもない。」


「…そのスカーフ、似合うな。」


「ああ…ジェフのお母さんが買ってくれたの…」


 夏希はじっとあたしを見て。


「俺は周子は原色が似合うって決めつけてたけど、そういうパステルカラーも似合うんだな。」


 小さく笑った。


「…夏希…」


 夏希の隣に座って、横から抱きついた。


「…もうシャワーしたの?」


 乾きかけの髪の毛に触れる。


「ああ。リハで汗かいたから。」


「そう…」


「どうした?」


「…ううん…」


 あたし…なんて女だろう。

 夏希があたしの思う通りにならないから…優しいジェフの言葉に甘えて…


 ジェフの身内は、みんなあたしに優しくて…

 それが心地いいからって…

 夏希の事、愛してるって思うクセに、逃げてる。



「抱いて…」


 キスしながら言うと、夏希は一瞬…考える顔をした。


「…嫌なの?」


「今、すげーノッてたからな…」


「……そ。ならいいわ。」


 あたしはスカーフを外しながら立ち上がって。


「シャワーしてくる。」


 バスルームへ向かった。



 …こんな事もあるわよ…

 実際、ノッて書いてたじゃない…



 バスタブに湯を張りながら、窓の外を眺める。

 …最近のあたし…

 ガツガツし過ぎてる…



「…ふう…」


 溜息をつきながら、服を脱ぐ。

 クリスマスから、食べて飲んでばかり。

 少し太ったかな…


 鏡に映った自分の裸を見て、また溜息をついた。



 …あの小娘は…どんな裸なんだろう…

 十代なんて…きっと、肌は水をはじくように瑞々しくて…

 弾力性もあって…

 30近いあたしの肌とは、比べものにならないはず…



「…はあ…」


 また…溜息をついてしまった。

 髪の毛をクリップで留めて、シャワーを浴びる。


 …愛されたい…

 夏希に…

 愛されたい…


 苦しい気持ちを抑えながら、バスタブに体を沈めると…


「…なんだ。今日はそっちか。」


 夏希が顔を覗かせた。


「え…」


「ベッドで待ってる。」


「…すぐ出るわ。」


「すぐじゃなくていいさ。」


「だって、寝ちゃうでしょ。」


「起きてるよ。」


「…じゃ、20分待って。」


「OK」



 ああ…

 考えるだけで、体の芯が疼いた。

 言葉にしなくても…

 あたし達は、愛し合ってる。


 あたしは…

 愛されてる。


 …きっと。



 * * *


 新曲作りやテレビ出演、雑誌の取材と…夏希は忙しそうだった。

 帰ってすぐにベッドに倒れ込む夜もあった。

 だけど…

 仕事量が少ない日。

 夏希は、また22時に帰って来るようになった。


 …あの小娘のボイトレは、いつどこでしていたんだろう。


 もしかして…再開したの?

 途端に、不安になった。


 そうすると…あたしはセックスをしないと不安で。

 さすがに、どうしても無理だと断られる夜もあったが…

 昼間、あたしとジェフが居る所を見た夜は…夏希は積極的だった。

 嫉妬される快感に、あたし自身…溺れていたと思う。

 わざと、ジェフと一歩近い距離で接していたかもしれない。


 …ジェフを利用するなんて…

 嫌な女だ…



 抱かれた翌朝は、一緒に目覚めたいのに。

 そういう時に限って、夏希はさっさと仕事に行ってしまう。


「……」


 今日のあたしは、オフ。

 何の予定もない。

 そんな時は、余計な事を考えてしまう。

 ああ…休みなんかなければいいのに。



 あたしは着替えて化粧をすると、サイモンバーガーに行く事にした。


 何を気にしてるの?

 何に怯えてるの?

 夏希は…堂々と二股かけれるほど器用じゃない。



 店の近くに車を停めて、車から店内を見ていると、あの小娘は忙しく動き回っていた。

 …以前ここに来た時…とっさに憎しみが湧いたけど…

 別に、夏希とあの娘が何かあった証拠があるわけじゃない。

 ボイトレをしてた。

 それだけ。

 本当なのかもしれない。

 いくら夏希が魅力的でも、あんな小娘の恋愛対象になるだろうか。

 たぶん一回りぐらい違う。


 …でも、シンガーを目指してるなら…

 Deep Redのニッキーを恋愛対象にする女の子は普通にいる。

 華やかで、カッコ良くて。

 見た目は派手でも、人一倍仕事にストイックで、プライベートが恐ろしく真面目だなんて、ファンは知る由もない。



「……」


 小娘が店の外に出て、デッキにあるテーブルを片付け始めて。


「シェリー、ここはいいから休憩入っていいわよ。」


 後から出てきた、体格のいい女性が声をかけた。


「あ、はい。」


「ランチ食べるなら、新しいコーヒーをみんなで試飲するって。」


「あー…あたし、ちょっと買い物に行きたくて。」


「あら、そう?じゃ、シェリーの分は残しておくわね。」


「ありがとう。」



 ……


 耳に入って来る、他愛もない会話。

 それでも、あたしは酷く敏感に彼女の声を拾っていた。


 …買い物…



 小娘はエプロンを外して上にジャンパーを羽織ると、小走りにどこかへ向かった。

 …買い物に行くために走るなんて。

 あたしが最後に走ったのは、いつだろう。

 その若さにさえ、少しイラついた。


 今日のあたしは、きちんと化粧もして髪の毛もセットして、体の線がハッキリ分かるようなニットスーツを着た。

 真っ赤な口紅に、まつ毛にはたっぷりのマスカラ。

 大人の女だ。

 動揺して、どうでもいい格好で来店した前回とは、別人のようだと思う。

 何より…今日はサングラスをしていない。



 車で小娘の後をつけると…彼女が辿り着いたのは、レコードショップだった。


「……」


 あたしは車から降りると、店内に入って…さりげなく小娘の行動を追った。



「やあ、シェリー。いらっしゃい。」


「こんにちは。今日も10分だけ…いい?」


「ああ、いいよ。」


「ありがとう。」



 小娘は店長と顔見知りなのか、親しげにそう話すと…

 レジの近くにある小さなテーブルに座って…ヘッドフォンをつけた。

 レコードを物色するふりをして、小娘の背後に近寄る。


「……」


 小娘は…Deep Redを聴いていた。

 歌詞カードに落としていた視線を、窓の外に向けて。

 そして…目を閉じた。

 針の位置から見て…たぶん4曲目。

 …夏希の作った曲だ。



 立ち止まるな。

 自分で見つけた物がそこにあるなら。

 迷うな。

 自分が信じる物がそこにあるから。


 夏希らしい歌詞で…あたしのお気に入りの曲だ。

 …それを、小娘が聴いているのが…すごく嫌だった。

 ああ…

 あたし…なんでこんなに…



 気分が悪くなって、店を出る。


 …あたし…バカだ。

 あの娘が…



 怖い。




「…大丈夫ですか?」


 店の外の柱に手をついて呼吸を整えてると…声をかけられた。

 まさかと思って振り返ると、小娘がいた。


「…ありがとう。大丈夫よ。」


「あ…」


 小娘は大きく目を見開いて。

 あたしをマジマジと見た。


「…何。」


「あ、いいえ…前にお店に来られた時と、随分雰囲気が違われたので…」


「え…」


 バレた?

 どう見ても、別人に見える自信があったのに…


「…お店って…?」


 とりあえず、苦し紛れにしらばっくれてみたが…


「サイモンバーガーです。あたし、そこでバイトしてるんです。」


 小娘は、ジャンパーを開いて制服を見せながら…屈託のない笑顔。


「…行ったかしら…覚えてないわ…」


「声を…覚えてるので。」


「…声?」


「はい。お客様の声、とても素敵だなって印象に残ってたので。」


「……」


 あたしの声は…喋る声は違うけど…

 歌うと、夏希と似てる。

 よく、そう言われる。

 だけど…


「…声なんかで、人を覚えられるもの?」


 あたしが苦笑いすると。


「あたし、耳はいいんです。」


 小娘は、自慢そうにそう言った。


「…………ああ、Deep Redのニッキーに、ボイトレしてもらってたって言った子ね?」


 あたしは、すごく…わざとらしかったかもしれない。

 だけど、もう止まらなかった。


「あ…思い出してもらえましたか。ありがとうございます。」


「あなたは?どこかで歌ってるの?」


 できるだけ…優しく笑った。

 小娘は「え?」って顔をしたけど、すぐに笑顔になって。


「Lipsってお店で歌ってます。」


 そう言った。


「Lips…何曜日の何時から?」


「えっと…今週は火曜日から金曜日まで、20時からです。」


 …もしかして…

 夏希…いつも、それを見に行っているの?


「そう…20時…残念ながら、あたしは夜は行けそうにないわ。」


「そうなんですか…」


「一人だと自由だけど、家族がいると、そうもいかないから。」


 あたしがニッコリ笑って言うと。


「そうですね。あ、休憩終わっちゃう…またお店にもいらして下さい。」


「ええ、ありがとう。」


「じゃあ。」


「……」


 無言で小娘の背中を見送る。


 …Lips…

 20時…


 今夜のあたしの予定が、決まった。



 だけど、この格好でバレたなら、Lipsに行っても店内には入れない気がした。

 とりあえず下見に行ってみよう。

 あたしは電話帳でLipsを調べると、番地を頼りに店の前まで行ってみた。


 まだ、開店準備中。

 …なるほど…ライヴバーね。

 幸い、お店の外からでもカウンター席は見えた。

 夏希は一人で行くなら…テーブル席には座らない。


 …あたし…何やってるの?


 ふと正気に戻る。

 小娘が歌う所を夏希が観に来る。

 別に…大したことじゃないでしょ…?

 教え子のステージを気に掛ける先生。

 ただ、そんな関係なんじゃないの?


 どうして夏希を信じられないんだろう。

 夏希が今夜ここに来たとしても…

 それは浮気にならない。

 そんな事言ってたら、ジェフの実家に一週間もいたあたしは…

 …あたしの方が、酷い。


 こんな、コソコソと夏希と小娘の事を探るなんて…

 あたしには、それを知る資格さえない気がする。



 Lipsの近くにあるカフェに入って、マフィンとコーヒーを買った。

 窓際の席について、ぼんやりと外を眺めながらコーヒーを飲む。


 …人を愛するって…何なんだろう。

 そもそも、愛って何?

 相手を疑ったり…苦しくなったり…

 あたしの愛は、窮屈過ぎて。

 これじゃ、夏希はいつまで経っても、結婚願望なんて湧かない。



「……」


 小さく溜息をついて、決めた。




 …帰ろう。

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