第19話 藤堂周子 2


 夏希は、モテる。

 だけど、本人は自覚があるのかどうか…

 適当に笑顔でそれをかわしてはいるが、こっちはヒヤヒヤしっぱなしだ。

 遊んでいる風にも見られるから、ライヴの後でスタッフの女の子に誘われる事もしばしば…


 あたしとは公然の仲だったが、人気ロックバンドのフロントマンともなると、女の一人や二人…三人や四人…普通に囲ってる。と、当時の風潮を真に受けてたあたしはいつも、ブロンド女達にやきもきした。

 もっと自信を持ちたいのに。


 あたしは…夏希に対して素直になれない。

 あたしと夏希は、いつも対等で。

 同士で。


 …だけど、恋人…なのに…。

 あたしは、どうしても夏希に甘えられない。

 可愛い自分の見せ方が分からない。

 真っ直ぐあたしの所へ帰って来て。と言えない。


 結婚願望はない。

 そう言った夏希は、子供も要らない。と付け足した。

 それは、音楽の世界に生きる。と断言しているのだと思った。

 夏希は、あたしよりも、自分よりも、音楽を愛している。


 毎回真面目にコンドームをつける夏希に、少し辟易とした。

 子供が要らないと言われた事にも…少し落ち込んだ。


 ジェフとは、子供ができなかった。

 流れに任せればいい。と、ジェフは言っていたが、あたしは子供はたくさん欲しかった。

 結婚に夢を持たなかったあたしも、出産にはかなり希望を抱いていた。

 自分の血を分けた子供なら。

 もしかしたら、信じ合えるんじゃないか。

 母とはそんな絆を作れなかったが、あたしは意識して作りたいと思った。


 ジェフなら…いいお父さんにもなると思う。


 だけど、避妊は一度もしなかったのに、妊娠しなかった。

 恐らく、どちらかに問題があったのだろう。

 お互い子供は要らないなんて言わなかったのに、あたし達に子供はできなかった。

 その寂しさを拭うように…あたしは仕事に必死になった。



 一度も避妊をしなかったあたしの体に、コンドームは不快だった。

 夏希に言って、あたしはピルを飲むことにした。

 それでも最初は慎重になってた夏希も。

 あたしがピルを飲んでいるのを見て安心したのか、コンドームをつける事はなくなった。



 同棲生活も一年を過ぎると。

 あたしの中で、色んな変化があった。



 以前にも増して、夏希の言動に敏感になったのだ。

 それは、夏希にも変化はないのだろうかという、期待からだったのかもしれない。


 夏希のバンドメンバーに子供が産まれて…

 一緒にお祝いに行かないかと言われたが、子供は苦手だと断った。

 そうでも言わなきゃ…自分がみじめだったからだ。


 夏希は結婚しない。

 子供も要らない。

 だけど…

 あたしは、ほんの少しだけ、夢を見始めていた。

 だから、メンバーの子供とは言え、それを祝福し笑顔になる夏希を見たくなかった。

 見てしまったら…あたしは、ピルを飲むのをやめてしまう。



 そして…

 少しだけ夢見始めていたあたしの内側に。

 本格的に、結婚願望が湧いたのは…

 夏希が毎晩、どこかに通い始めた頃だった。


 元々一緒に夕食を取ることは少なかった。

 帰る時間が違っていたから。

 あたしは事務所でジェフと食べる事もあったし、夏希は帰って一人で食べている事が多かった。


 だけど…

 あたしが早く帰っても、夏希がいない。

 そして、必ず22時前に帰って来る。


 どこに行ってたの?


 普段なら、何気なく言えるその言葉が。

 なぜか…この時は出て来なかった。

 …女だ。

 すぐに、そう思ったからだ。


 だけど、夏希は相変わらず優しかったし。

 相変わらず真面目だった。

 仕事は全力だし、あたしを抱く時も…


 夏希が愛おしい。

 誰にも渡したくない。

 なのに…愛してるって言えない…

 だって、夏希も言ってくれないから…


 …もし…

 もし、子供ができたら…

 夏希は、結婚する気になるのだろうか。

 誰かの所へ通う事をやめて。

 まっすぐ、うちに帰って来てくれるのだろうか。


 そうして。


 あたしは、ピルを飲むのをやめた。



 * * *


 さりげなくマノンに探りを入れてみた。


「最近、忙しいの?」


 Deep Redのスケジュールは熟知してる。

 なのに、敢えて知らないフリをしてしまった。


「え?ああ、まあまあやなー。」


「でも、毎晩遅いと、るーちゃんも子育てが一人で大変じゃない?」


「遅い言うても、20時には帰ってるし。それに、結構俺、育児参加中。」


「…そうなんだ。あ、行かなきゃ。またね。」


 笑顔でマノンと別れる。


 …マノンは、何も知らない。

 だとしたら…やっぱり、メンバーにも秘密で誰かと会ってる。


 Deep Redは…他のバンドにはないような、絆があるように思える。

 だから、夏希に女がいるとしたら、みんなも知ってるか気付いてると思った。

 特にマノンは顔に出やすいから…知ってたら、あたしにバツの悪い顔をすると思ったけど…



「…ナオト。」


 ロビーでナオトを見かけて、声をかける。


「ああ、周子さん。今日、もう終わり?」


「ええ。たまには早く帰って料理でもしなきゃね。」


「ははっ。じゃあ、ナッキーを早く帰らせなきゃな。」


「ああ、いいの。仕事はきちんとさせて。」


「だって、なかなか一緒に飯食う時間なんてないんだろ?」


「え…?」


「ここだけの話…」


 ナオトは、あたしの目線まで顔を近付けて。


「ナッキー、あれで結構気にしてるんだぜ?」


 小さな声で言った。


「…気にしてる?何を?」


「ジェフと周子さんの事。」


「……え?」


 意外な言葉だった。

 ジェフとの事を聞かれたのは、同棲を始める頃…一度だけ。

 元夫だと話した時、もう何もないんだな?って…


「あいつ、あんなキャラのクセにくそ真面目だろ?正直に妬いてるって言えばいいのに、周子さんの仕事に差し支えちゃいけないから、言わないんだよなー。」


「あ…あたしの仕事にって…」


「どうしても、ジェフと絡む事多いだろ?それをいちいち妬いてちゃ、仕事になんないからさ。」


「……」


 ど…

 どうしよう。

 あたし…

 すごく嬉しい。


「…あれ?怒った?」


 ナオトが眉間にしわを寄せた。


「…まさか。怒らないわよ。」


「でも、今怖い顔した。」


「…してない。」


 ナオトとは、そこで別れた。

 あたしは、すごく嬉しくて。

 それが少しでもにじみ出たと思ったのに…

 怖い顔になった…と。


 夏希の前でも、そうなのかな…



「…さ、買い物して帰ろう。」


 その夜。

 夏希は、どこにも寄り道をせずに帰って来た。

 むしろ、もう少し遅くなって欲しいぐらいだったのに。

 …何だか、元気がない?


「…疲れてる?」


 サラダを取り分けながら夏希に言うと。


「え?ああ…急なイベントがいくつか入ったし…」


「…入ったし?」


「…いや、12月だからな。師走ってだけあって、気忙しい。」


 何だか…疲れてるってだけじゃない気がした。

 あたしは、ナオトから嬉しい話が聞けて…テンション高めなのに。


「これ、美味いな。」


「え?ああ…ありがとう。」


 本当は、跳び上がるぐらい嬉しいクセに。

 あたしは、クールに返事をする。

 あまり、料理は得意じゃないけど。

 今日は、頑張った。



「そう言えば、明後日、ミツグの新居でランチするけど、行くか?」


「え…?」


 ミツグ。

 それはDeep Redのドラマー。

 事務所の近くの病院のナースと、去年結婚した。


「…あたし達だけ?」


「いや?みんな来る。俺らはその後で仕事に行くけど。」


 …となると…

 マノンとエディ(あたしはどうしてもゼブラと呼べない)は…子供も一緒に?


「女同士で語らうのもいいんじゃないのか?」


「話が合わないし。気を使わせるだけだから、遠慮しとくわ。」


 小さく笑いながら言うと。


「…周子はクールだな…」


 夏希はフォークでソーセージを転がしながら言った。


 …今のあたし…

 可愛くなかったわ。


 分かってる。

 本当は、メンバーの奥さんたちが妬ましい。

 幸せな家庭を持てて。

 妻という座につけて。


 …どうしたの、周子。

 今まで、結婚なんて…って思ってたのに。

 あたし…

 こんなに、夏希の事を…独占したいなんて。

 こんなに…


 愛してるなんて…。



 * * *


「…最近、調子悪そうね。」


 コーヒーを置くと、夏希は溜息をついて首をすくめた。

 事務所でも話題になっていた。


 ニッキー、何かあったのか?声が出てないけど。

 ストレスでもあるのか?



 明日はクリスマスイヴ。

 夏希はテレビ出演が二本ある。

 特に何も聞いて来ないし…


 あたしは、誘われるがまま、ジェフと約束をした。


 別れた夫と特別な日を過ごすなんて…本当は、おかしいって気付いてる。

 だけど、そうでもしてなきゃ…あたしは、夏希を束縛してしまう。


 夏希が不調なのに…

 あたしはそれに対して、どうすればいいのかが分からない。

 むしろ、何もしない方がいい気さえする。

 それほどに、あたしは自信も力もない。

 夏希は…あたしに癒しを求めてはいない。



「明日の予定は?」


 夏希に聞かれた。


 …どうして今聞くの?

 もっと早く聞いてくれたら…


「…ジェフの身内のパーティーに行くわ。」


「…そうか。」


 それだけ?

 行くな。とか…

 俺と過ごそう。とか…

 どうして、何も言ってくれないの?


「…あなたも、誰かと過ごしたら?」


 そんな憎まれ口しか出て来なかった。

 あたしは小さく溜息をつくと、バスルームへ。


 ああ…

 自己嫌悪…



 服を脱いで、髪の毛をクリップで留める。

 シャワーを浴びながら、目を閉じると…


「周子。」


 突然、夏希が入って来た。


「…どうしたの?」


 夏希は力強くあたしの肩を抱き寄せると。

 首筋に唇を押し当てた。


 …ああ。

 嬉しい…



「あっ…夏希…もう…」


 あたしが何度イッても、夏希はやめなかった。

 体中、あちこちに唇を押し当てて、痛いぐらい吸われた。

 …キスマーク…残してるの?

 どうして?

 ジェフと過ごすって言ったから?

 だから…嫉妬で?



 理由は何であれ、とにかく嬉しかった。

 いつもは優しくあたしを抱く夏希が。

 この夜は、別人のようだった。

 何度も何度も、あたしの中で果てた。

 あたしは…


 もう、ピルをやめて、一か月以上経っていた…。






 昨日…

 夏希に激しく抱かれて。

 愛されてる。

 そう…思った。

 あの流れで…もしかしたら、プロポーズされるんじゃ…?なんて。

 勝手に、盛り上がってしまってた。



 だけど、夏希はプロポーズをしなかったし、朝起きると仕事に行っていた。

 ベッドに一人残されたあたしは…とてつもなく寂しくなった。

 体中に残された、夏希の痕を見ても。

 ただ…むなしいだけだった。



 洗濯でもしようと立ち上がって、夏希が仕事部屋にしている南向きの部屋に入る。

 椅子に重ねてかけてあったシャツを手にすると…

 一枚のシャツのポケットに、何かが入っていた。


「…ドリンクチケット…?」


 何枚か束ねられたそれは、事務所から歩いて数分の場所にある『サイモンバーガー』というファストフード店の物だった


 夏希がファストフード…

 行かないとは思わないけど、ドリンクチケットを持つほど、頻繁に行くようにも思えない。

 ああ見えて、夏希は睡眠と食事には気を付ける。

 ジャンクな物は好まない。


 何気なく、ドリンクチケットの裏を見ると…


「…え…」


 ーいつでも来てね♡さくらー


「……」


 さくら…


 心臓が、変な音を立てた。

 やっぱり…女がいたんだ…


「はっ……はっ…」


 どうしたんだろう。

 息が…息が苦しい…

 あたしは震える手で胸を押さえて。


「……」


 唇を噛んで、決めた。


 この女…

 どんな女か、見に行こう。



 簡単に着替えを済ませて、サイモンバーガーに行った。

『さくら』というからには、日本人だ。

 メッセージも日本語だったし。


 あたしは店内をゆっくりと見渡して…


「……え…」


 つい、目を細めた。

 レジを打っている日本人がいるけど…

 どう見ても、まだ十代…


「……」


 あたしはサングラスをかけると、その子の前に立った。


「いらっしゃいませ。」


「おススメは何?」


「あ…そうですね。サイモンバーガーは一番人気です。」


「そう。じゃ、それ…あら…」


「はい?」


「あなた…この前Deep Redのニッキーと一緒にいなかった?」


 ドキドキしながら…カマをかけた。

 この子は…どういう反応を見せるんだろう。


「え…」


「ごめんなさい。あたし、彼のファンなの。声かけたかったんだけど、あなたと楽しそうにしてたから。」


「ああ…」


 あたしの問いかけに、その子は表情を変えることなく。


「ボイストレーニングの先生なんです。」


 背筋を伸ばして、そう言った。


「…先生?」


「はい。あたし、シンガー目指してるので、レッスンしてもらってたんです。」


「…してもらってた?」


「あー…もう、やめたんです。先生、忙しいみたいなんで。」


「……そう。残念ね。」


「ご注文は、サイモンバーガーでよろしいですか?お飲物は?」


「…じゃあ、コーヒーを。」


「はい。少々お待ち下さい。」



 …夏希が…ボイストレーニングの先生…

 …この子が夏希に何の感情も抱いてないとしても…

 きっと、夏希はこの子を好きだ。

 そうでなきゃ、ボイトレになんて…やるわけがない。


 常に自分のバンドの事を一番に考える夏希が…

 こんな小娘のボイトレなんて…


 あたしの中に…憎悪の気持ちが湧いた。

 夏希に対して…じゃない。


 この…目の前の…


『さくら』という小娘に対して…だ。



 * * :



「…あたしには魅力なんてないのね…」


「スー、飲み過ぎだ。」


 あたしはワイングラスを片手に、ジェフの腕に寄りかかった。

 ジェフの身内とのパーティーは、相変わらず楽しかった。

 なんでこの人達は、ジェフと別れたあたしを…こんなに大事にしてくれるんだろう。



「もう一杯飲みたいわ。」


「やめておけ。」


「……」


「…何があった?」


 ジェフはあたしをゆっくりと抱きしめて、髪の毛を撫でた。


「君は…ずっと魅力的だよ。」


「……そんな事ないわ。」


「…ニッキーか?」


「……結婚する気も、子供を作る気もないみたい。」


「スーだって、結婚する気はないって言ってただろ?」


「……年を取ると、考えも変わるわ。」


「…スー。」


 ジェフはあたしの肩に手を掛けると。


「…俺と…もう一度結婚しないか?」


 目を見つめて言った。


「…え?」


「結婚…して欲しい。」


「……」


 突然の申し出に、あたしは茫然とした。

 結婚…


「子供も…もし出来ないなら、養子を取る手もある。」


「ジェフ…」



 そりゃあ、ジェフは優しい。

 それに、一度失敗をしているからか…お互いのダメな所は分かっている。

 だから、修正できる…気はする。

 だけど…


 あたしは、夏希を愛している。


 ジェフとなら、幸せになれるかもしれない。

 別れてからもずっと、あたしを支えてくれていた人だ。

 信頼もできる。

 だけど…



「…ごめんなさい…」


「…そうか…いや、いいんだ。」


 ジェフは大きく溜息をつくと。


「これからも、いい仕事仲間でいるよ。」


「ジェフ…」


「だけど、覚えてて欲しい。スーに何かあった時は、俺が一番に駆け付けるってね。」


「…ありがとう…」


 切なかった。

 ジェフを愛する事ができれば…あたしは、きっと幸せになれるのに。


 …あんな小娘に…

 嫉妬なんてしなくて済むのに…。

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