第17話 高原夏希 17
さくらのプレシズ出演が決まって、俺はさらに自分の仕事も頑張った。
Deep Red のフロントマンが、若い女に入れ込んでると噂されたとして。
さくらが恥じないような男でいたいと思った。
まだ、残念ながら…そんな噂は立たないのだが。
今すぐにでも、結婚したい気持ちはあったが…焦るのもカッコ悪いかな。と、俺の残り少ないプライドがそうさせた。
三月末には、リトルベニスで式を挙げる。
その後で、メンバーにも紹介しよう。
プレシズは三月一日に開催される。
さくらは、目下そのトレーニングに必死だ。
「ね、あたしのファルセットって、弱いよね。キーを落としてでも、ファルセット失くした方がいいかなあ?」
ギターを片手に、さくらは真剣な顔。
「俺はおまえのファルセット好きだけどな。」
「…何でも好きって言わずに、客観的に意見してよ。」
「ははっ。言うなあ~さくら。俺は今、ちゃんとボーカリストとしての意見を言いました。」
「…ほんとに?」
「ほんとに。さくらのファルセットは、独特の声質に聞こえるから武器だと思うぜ?」
組んでた足をおろして、さくらの顔を覗き込む。
「それに、極端に薄くならない。さくら自身が弱いって思うのは、意識し過ぎて力の分散が出来てないからじゃないか?」
「力の分散…」
「そ。ノドに負担かけるなよ。」
さくらのうなじに手をかけて。
「ほら、ここ意識して。」
「あー、はっはっ、あっあー…んー…」
「そうそう。」
カプリで…
アンコールを終えたさくらは、控室ではなく、真っ直ぐに俺の所に来た。
「…なっちゃん…っ。」
涙目で俺に抱きつくと。
「愛してる…愛してる、以上よ。」
もう、すでに号泣してた俺の耳元で、そう囁いた。
「…ちくしょ…いい歌だな…」
さくらを抱きしめて言うと。
「…愛があるからね…」
さくらは、体を離して…泣き笑いしながら、俺にキスをした。
客席からは、冷やかしと温かい拍手。
俺は涙を拭って、さくらの手を取って。
ステージに置いたままにしてたギターを持って、控室に。
…そして…
控室の鍵をかけて。
そのまま、そこで…さくらを抱いてしまった。
それぐらい、自分を抑えられなかった。
さくらのステージのおかげでか、大入りとなった客にカプリは大盛況で。
俺たちが控室でコトに及んでいても、誰一人気付かなかった。ようだ。
初めて…避妊しなかった。
俺の中で、少しずつ変化がある。
さくらとの結婚。
そして…さくらとの子供。
だけど、その一回で妊娠はしなかったようで…
その後のセックスには、なぜか…さくらの方が避妊に熱心で。
旅行できなくなると困るから。と、言われた。
「プレシズ、楽しみだな。」
さくらの頬に触れて言うと。
「うん。こないだみたいに、わんわん泣かないで聴いてね?」
さくらは、満面の笑みで言った。
「俺は犬か。」
「わんわん泣いてたの、ステージから見えたもん。」
「…おまえが、あんな歌い方するから。」
「感動した?」
「……したよ。くそっ。」
「なっちゃん、可愛いっ。」
「……」
毎晩…さくらを抱いた。
さくらを欲しいと思う気持ちが止まらなかった。
誰か。
もう止めろと言ってくれ。
このままじゃ、俺は…
さくらなしでは、生きていけない。
* * *
プレシズ当日。
「さくら、忘れ物はないか?」
「なっちゃん…もうそれ五回目よ?」
「あっ、ああ…そうか…」
「落ち着いて?」
「う…」
なんてこった。
ステージに立つのは、さくらだと言うのに。
いや、さくらだから、だ。
朝から…いいや、三日前から。
俺は緊張と楽しみな気持ちと…また緊張と…の繰り返し。
自分がステージに立つ方が、よっぽど楽だ!!
「時間には行くから。」
「うん。待ってる。」
さくらをホテルの前まで送って、俺は仕事へ。
本当は仕事する気分じゃないんだが…
いや、さっさと片付けよう。
「ナッキー。」
ロビーでナオトに声をかけられる。
「おう。」
「さくらちゃん、大抜擢だな。」
「…バレてた?」
ナオトは俺の目の前に一枚のフライヤーを出して。
「名前、載ってるし。ほら、ここ。シェリーって。」
笑った。
「あー…そりゃそうだよな。」
プレシズぐらいのイベントともなると、音楽業界では誰もが興味を持つ。
きっと、今日のステージを見に来る音楽事務所の輩は、どのシンガーが自分の会社を潤してくれるか、耳を研ぎ澄まして聴くはずだ。
俺の気持ちを察したのか、ナオトが段取り良く取材やスタジオを進めてくれて、スケジュール終了予定より早く事務所を出る事が出来た。
本当に…ナオトには感謝だな。
俺に代わってリーダーになって欲しいぐらいだ。
「なっちゃん、もう来たの?」
会場につくと、真っ先にさくらの元へ向かった。
関係者以外立ち入り禁止だが、俺は前もってパスをもらっている。
俺の顔を見た途端、さくらは笑いながら駆け寄って来た。
そのさくらに…俺は目を見開いた。
「さくら…髪の毛…どうした?」
腰まで伸びていたさくらの髪の毛が。
出会った頃のように、顎のラインで切り揃えられている。
「ん?切っちゃった。どう?」
「似合うよ。俺はこっちのが好きって、ずっと言ってただろ?」
腰を抱き寄せる。
本当に…可愛い。
「でも、なんで急に?しかも…このタイミングで?」
俺の問いかけに、さくらは俺の耳元に口を近付けて。
「…他の出演者、みんな同じように見えるから、異質なのがいた方が目立つかなと思って。」
「異質って。」
「みんな髪が長くて巻いてて、同じに見えるの。この方が目立つでしょ?」
「まあ、確かにな。」
ハグをして、キスした。
「リハ、どうだった?何歌ったんだ?」
「ん?映画音楽のやつ。すごく歌いやすかった。本番楽しみ。」
「…いい度胸してんな…」
「毎日なっちゃんに聴いてもらってたんだもん。怖いものなんてないよ。」
「……」
さくらは…本当に、最高の女だ。
今日の他の出演者の経歴を調べてみたが、さくらのように街のレストランで歌ってたような人間は誰もいない。
誰もが、何かのオーディションで賞を獲っていたり、海外で名の知れたアーティストもいた。
そんな中で…なぜさくらが?と、思ったりもしたが…
「……」
控室のある階のロビー。
何となく…雰囲気がおかしい。
みんなが遠巻きに、さくらを見ている。
「…らしいよ…」
「…って…本当?」
「…で…なんだって…すごいよね…」
なんだ?
あれ、Deep Redのニッキーじゃない?
知らないの?彼が口利きして、あの子がここに立てるって噂よ?
え?そんなのってあり?
じゃなきゃ、無名のレストランシンガーがプレシズに出れるなんて、あり得ないでしょ。
若いっていいわね~。それだけで武器になるんだから。
「…さくら。」
さくらの肩を抱き寄せる。
「大丈夫よ、なっちゃん。」
「…え?」
「あたし、何言われても平気なの。」
「…さくら…」
さくらは一度下を向いて。
そして、顔を上げた時には…
「大丈夫。なっちゃんの株を下げるような歌、あたしは歌わない。」
「そんな心配は要らない。俺は…」
「安心して聴いてて?」
「さくら…」
「だって…あたしを歌わせるのは…」
「……」
「愛以上の物なのよ?」
俺が、この世で一番大切だと思わされる…笑顔だった。
「…まいったな。俺はおまえを尊敬するよ。」
さくらの前髪をかきあげる。
すると、さくらはくすぐったそうな顔をして。
「レストランシンガーの意地、見せてやるっ。」
小さく、ガッツポーズをした。
プレシズの会場は、音楽業界のみならず、出版社やCM会社、各界の著名人に有名タレント等でごった返していた。
…俺はと言うと…
さっきのロビーでの雰囲気に、静かに怒っていた。
確かに…さくらがプレシズに抜擢されたのは…俺も不可解だ。
だからって、俺にはさくらをここに立たせるほどの権限も権力もない。
そんなのを持ってる知り合いも、さくらにはいないはずだ。
『会場にお集まりの皆さん!!今宵はプレシズへようこそ!!』
会場の明かりが暗くなり、スポットライトと共にステージ中央に駆け出た司会者が、大声であいさつをした。
アルコール片手に、沸き上がる会場。
『今日は、ここに5名の初々しく素晴らしいアーティストが登場します!!彼らはプレシズに名を残すアーティストになれるかどうか!!さあ!!皆さん、温かい拍手を持って、お迎えください!!』
割れんばかりの拍手。
そこへ、5名のアーティスト達が現れた。
初々しい者もいれば、堂々としている者も。
こういう時は、場数が物を言うが…プレシズだからな…
いくら経験を積んでいても、足は震えるだろう。
…が。
「あの子、堂々としてるなあ…」
「可愛いな。って、まだ子供か?」
そばにいた客が、さくらを指して言った。
ははっ…
早速印象付けてるな。
確かに、さくらは堂々としていた。
共演者たちが作り笑顔を引き攣らせている中、さくらは会場を見渡して俺を見付けて笑顔になるほどの余裕だ。
…あのハートの強さ…
俺も見習わないとな…
今日はステージにバックバンドもいる。
下手くそなDeep Peopleの生演奏でしか歌った事のないさくら…
大丈夫なのか?と、少しヒヤヒヤな俺。
一人30分の持ち時間。
…短いような、長いような…
そして、ステージが始まった。
さくらの出番は、四番目。
トップバッターは、ロスを拠点として歌っている23歳の女性だった。
ピアノに合わせて、しっとりと歌い上げるその声は…確かに高く評価されそうだ。
…上手い。
さくらの力を信じてないわけじゃないが…
手に汗を握った。
さすが。と思わせるシンガーが続いた。
歌も上手いが、MCも上手い。
抜擢されて、ここに立つだけの事はある。
…さくらは…大丈夫なのか?
しかも、なぜ四番目という出演順なんだ?
さくらのようなヒヨッコは、トップで良かったんじゃ…
…いや。
さくらは大丈夫。
あいつも言ってた。
信じよう。
そして、さくらの出番が来た。
確か、今日の衣装は白のミニワンピース。
これまでの出演者は、かなり着飾っていた。
…プレシズだから、それぐらいが当たり前だと思う。
俺も、もっと派手な方がいいんじゃないかと言ったが…
さくらは『歌で勝負するから』と、それを選んだ。
『次のアーティストは、街の人気者!!シェリー!!』
司会者の紹介と共に、さくらが手を振りながらステージに登場した。
その可愛らしさに…
「…ははっ、シンガーか?アイドルタレントかと思った。」
周りからは、そんな声が…
俺は今日の選曲を知らないが、さくらは何を歌うんだろう。
「…ん?」
バックバンドのメンバーが、少し代わった。
『こんばんは!!シェリーです!!』
今までのアーティストと違う元気な挨拶に、少し音楽に飽きてきてた著名人たちが、ステージに視線を向けた。
『今夜は一緒に盛り上がりましょう!!』
そしてさくらは…
「えっ…」
Deep Purpleの『Burn』を歌い始めた…。
口をあんぐりと開けてステージを見る者もいれば。
腕を振り上げて、盛り上がっている者もいる。
俺は、前者の方だ。
まさか、プレシズでこの曲をやるとは…
しかし…さくらの『Burn』は、初めて聴いた時のそれとは大きく違った。
…上手い!!
俺も歌いたい!!
そんな衝動に駆られた。
「……ん?」
ふと、ある事が気になって目を凝らす。
いや、耳を研ぎ澄ます。
…このキーボード…
口髭に、黒い大きなサングラス。
タキシードを着た、白髪交じりの…
見た目は違う。
だが…この音は…この、聴き慣れた弾き方は…
「…ナオト?」
ギターソロもキーボードソロも短くて、原曲よりかなりアレンジしてあった。
そうしないと、この曲は長い。
持ち時間を有効に使うには、適切なアレンジだったと思う。
そして…インパクトも大きかったようで…
「すごいな!!あの娘!!」
客席はほぼ、さくらに釘付け。
そして二曲目は…キャロル・キングの『I Feel The Earth Move』
一曲目からガラリと変わった雰囲気に、客は料理に目もくれず、さくらに注目している。
…いや…さくら…
その歌、そんなにセクシーに歌わなくても…いいんじゃないのか?
…楽しそうには見えるが…どこかさくらがムキになっているような?
…気のせいか?
だんだんと、ステージ前に集まっていく客が増えた。
今までのアーティストの時にはなかった光景。
それだけでも、さくらがどれだけ客を引き付けているかが分かる。
だけど当然、それを良く思っていない人間もいるわけで…
さっきステージで歌っていた面々は、客席の端の方で爪を噛んでいた。
『みんな!!一緒に楽しもうよ!!』
続いては…Three Dog Nightの『Joy to the World』
確か、バックバンドにはスコアを提出しなきゃいけなかったはずだ。
さくらは譜面が書けない。
俺が聞いた時、何とかなった。とは言ってたが…
この、高度なアレンジ…
やっぱ、あのキーボード…ナオトだな?
客席は大盛り上がり。
最初は複雑な顔をしていた司会者も、今はステージ下で飛び跳ねている。
『ふう…熱いっ。みんな、盛り上がってる!?』
三曲が終わって、さくらが髪の毛をかきあげながら笑う。
まるで、さくらのライヴだな。
…と。
突然、それまでの出演者がゾロゾロとステージ前に集まった。
『…?』
それには、さくらも面食らっているようだった。
「シェリー、あなたの歌、とても素敵!!あたし達も一緒に盛り上がっていいかしら!?」
…おい。
そういうのありか?
俺は眉間にしわが寄ったが、さくらは満面の笑み。
彼女たちの手を引いて、ステージの上に招こうとして…
パシャッ
『あ。』
一人が持っていたワインが、さくらの胸元にかかる。
みるみる、さくらの白いワンピースの胸元に、赤いシミが広がる。
『……』
「あっ、ごめんなさい!!どうしよう…!!」
…これは…
持ち時間を減らす作戦か?
さくらは途方に暮れてシミを見下ろしていたが。
『次の曲、聴いて下さい。』
ニッコリ笑うと、シンディ・ローパーの『All through The Night 』を歌い始めた。
歌いながら客席に降りると、テーブルに置いてあった花を手にした。
そして、そばにいた男にマイクを持たせて…さらに、その男のネクタイピンを取ると、自分の胸元に花を飾った。
マイクを持たせた男の胸元にも花を飾り、周りから拍手をもらってステージに戻った。
その一連の動作の自然な事…
あいつ、カプリでトラブルに慣れてたな…?
さくらはステージ前でオロオロ(フリ?)してたワインをかけた張本人にも、花を挿した。
それからステージに戻ると…見事な歌いっぷりだった。
Lipsでもカプリでも、聴いた事のない選曲。
今日は、新しいさくらを観れて、本当に…なんて言うか…
「本気の目やなあ。」
「…え?」
「ま、仕方ない。あんなに可愛くちゃ。」
「隠してんじゃねーよ。」
「……」
いつの間にか。
俺は、ナオト以外のメンバーに囲まれていた…。
「…あれ?なんで…」
三人を見渡して言うと。
「気付いてんねやろ?」
マノンが俺の肩に寄りかかって言った。
「…ナオト。」
ステージを指差して言うと。
「正解。」
三人は同時に言った。
そして…
「FACEも出てる。」
「えっ?」
「バックバンド、連れ込みOKやってんなあ。」
「連れ込みって言うと、ニュアンス怪しいけど。」
「ま、プレシズなんて、なかなか出れないからな。」
「あ~俺も弾きたかったな~。Burn、アレンジもかっちょえかったやん。」
「………なんで、こういう展開に?」
俺の問いかけに、三人は顔を見合わせて…
「おもしろいからだよな。」
笑った。
ステージでは、さくらが四曲目を歌い終えた所だった。
「…最後の曲か。無事終わればいいけど…」
ゼブラの言葉が、引っかかった。
無事終わればいいけど…?
「それ、どういう意…」
『次が最後の歌にな』
プツッ
突然、さくらの声が途切れた。
そして、会場の明かりも落ちた。
「え…?」
ざわめく会場。
停電…か?
「…向かいのビルは、照明ついてるな。」
ミツグが外を見て言った。
「……」
そんな中…テーブルにあったキャンドルに、灯りが点された。
一人が点けると、それを真似てみんなが点けて、足元が見えるぐらいの明るさになった。
「次がー!!最後の歌でーす!!」
ふいに…さくらが大声で言った。
「ふっ。ナッキーの彼女、肝据わってるなあ。」
ゼブラが笑う。
そして…アコースティックギターを担ぐと、客席に降りて来て。
「こんな事になったから、曲変えるね。一緒に歌ってもらえたら嬉しいかも。イマジン。」
自然と、誰かがライターの火を高く掲げて。
さくらの歌と一緒に、揺らし始めた。
着飾った金持ちが、そばにいたホテルのスタッフと肩を組んで、一緒に歌い始めた。
俺たちも…自然と肩を組んでしまった。
「俺も入れて。」
変装したままのナオトがやって来て、マノンの隣に入る。
なんだこれ。って笑いながら…
でも…嫌じゃない。
自然と出来た道を、さくらは歩きながら歌った。
そこには、一緒に口ずさむ人が必ずいて。
さくらは、目でそれに応える。
…さくらの選ぶ曲は、恋の歌が多くて。
こういう、世界平和を願う歌を選ぶのは…意外な感じがした。
さあ想像してごらん みんなが ただ平和に生きているって...
…今まで、歌詞を深く気にした事はなかったが…
こういうシチュエーションで聴くと…入るもんだな。
停電は、さくらの印象をより深い物にした。
歌い終わったさくらは、会場中から大きな拍手をもらい。
まるで歌い終わるのを待っていたかのように照明が点くと。
さくらは走るようにして会場を出て行った。
「行って来る。」
「おう。」
さくらを追って会場を出て。
控室の前で…
「さくら。」
腕を取ると…
「…さくら?」
「…悔しい…」
「……」
「なんで…こんな晴れ舞台で…」
「…おまえ、サイコーだったけどな。」
そのまま、ゆっくり抱きしめると。
さくらは…俺の胸の中で…静かに泣き続けた。
「…仕組まれてた?」
予定より20分遅れて、最後のアーティストがステージに上がった。
俺は、メンバー達と会場の隅っこで密談。
「そ。プレシズでは、よくある話らしいぜ?」
口髭を外したナオトが、鼻の下についた糊を指で取りながら言った。
「だいたいいつも当て馬的な存在がいてさ、それがさくらちゃんだったらしいんだけど…バックにナッキーがいるって知って、こりゃ本物じゃないのかって慌てたらしくてさ。」
「だけど当て馬には、どーしてもいいステージをやられちゃ困るってんで、トラブルを起こす。」
「…バカバカしい。」
「そ。ほんとバカバカしい。プレシズもとんだ茶番イベントだな。」
「ちょっと待て。なんで俺に言わない?」
「さくらちゃんが、おまえには純粋にステージを楽しんで欲しいから、言いたくないってさ。」
「……」
トリを見事に飾るはずだったアーティストは、思いがけず大盛況となったさくらのステージに圧倒されたのか…ボロボロだ。
客のほとんどが、料理と談笑に夢中になっている。
こうなると、さくらの前に歌った三人はラッキーだったって事だな。
「なんで、こんな隅っこにいるの?」
突然、さくらがやって来た。
…Tシャツに、ショートパンツといういでたちで。
「もう着替えたのか?まだステージに呼ばれるんじゃ?」
「お腹すいたから、帰ろうかなって。」
「え?」
さくらの言葉に、俺たちは目を丸くする。
「で…でもおまえ、絶対どこかの事務所が…」
「あたし、カプリで歌ってる方がいいから。」
「……」
まさに、俺たちは『ポカーン』状態。
「競争とか、やなんだ。あ、ネクタイピン返して来なくちゃ。」
さくらはそう言うと、ポケットからネクタイピンを取り出した。
「誰のか分かんの?」
ナオトが聞くと。
「うん。背の高い日本人だった。」
「日本人…結構いたような気がするけど。」
「空色のシャツに、右手に時計はめてた人。」
「……」
「行って来るね。」
そう言って、歩いて行くさくらを見つめて。
「彼女、何者?変装技術もすごかったよな。」
ゼブラが苦笑いしながら言った。
「そうそう。FACEの奴らなんて、俺の事気付いてなかったし。」
確かに。
変装に関しては、ハロウィンでも実証済み。
…それだけじゃない。
さくらは、一度聴くと、だいたいの事は覚えている。
俺の歌にしてもそうだが…誰かの誕生日や、記念日。
…むしろ、譜面が書けないのが不思議なぐらいだ。
「返してきたー。」
跳ねるようにして帰って来たさくらは。
「カプリでカニ食べよ?」
俺の腕にしがみつくようにして、そう言った。
「…行くか。」
「じゃ、俺らも邪魔しに。」
「ついて来んなよ。」
「行こ行こ。」
こうして…
俺たちは、みんなでカプリへ行った。
その後、会場では、イベントスタッフがさくらを探し回ったらしいが。
控室の鏡に口紅で残したメッセージで、さくらは辞退した。と発表されたらい。
「ぷっ…」
「おまえ…そんなの書いて残すなよ…」
「だって、天下のプレシズって聞いてたのに。ガッカリじゃない。」
さくらが書き残したのは…中指を立てた絵と…
さくらの口からは聞きたくないスラング。
「ま、ええんちゃう?俺はスッキリやけど。」
「ナッキーは意外と真面目だからな。」
「見てみたかったな。その書き置き。」
「さくらちゃん、ナッキーの面倒、これからもよろしく頼むよ?」
「はーい。」
「おまえらなあ…」
翌日も、さくらはカプリで歌った。
ホテルに聴きに来ていたらしい客が、毎日通うようになった。とオーナーが言った。
…うかうかしてられないな。
俺も、もっと頑張ろう。
さくらを…
もっともっと笑顔にしてやるために。
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