第15話 高原夏希 15

「えっ…。」


 メンバー全員が、丸い目で俺を見た。


 スタジオでのリハが終わって、それぞれ荷物をまとめている時に。

 俺はみんなに打ち明けた。



「こ…子供って…」


周子しゅうこが産んでた。」


「……」


 みんなは口を開けたまま。


「そ…それで、周子さんとヨリを戻すって?」


 ゼブラが言ったが。


「いや、それはない。」


 俺は、キッパリ。


「認知はした。父親として、出来るだけの事はしようと思う。」


「……」


 みんなは顔を見合わせて。


「…ジェフの子供って線は?」


 ナオトが切り出した。


「俺の子だと思う。周子はそんな嘘はつかない。」


「まあ…そうだろうけど…なんで別れた後で…」


「周子は子供を欲しがってたからな。別に言わなくてもいい話かなとも思ったが、娘が生きにくい環境は作りたくないんだ。」


「……」



 嘘だろ?

 本当に俺の子供かよ。

 おまえ、ピル飲んでるって言ってたじゃないか。



 本当は…何度も…口から出かけた。


 だけど…言わなかったし、言えなかった。

 子供が出来てもおかしくない状況に俺たちはあったし、俺はともかく…周子は望んでた。


 …一緒に居ながら意思の確認をしなかった。

 それは俺にも責任はある。



 もしかしたら、周子は最初からピルなんて飲んでなかったのかもしれない。

 本当に子供が要らないなら、俺がきちんと気を付けなければいけなかった事だ。

 …そう考えると、こうなった責任は、俺にある。

 周子は何も悪くない。


 何より…

 ひとみには、何も罪はない。



「ナッキー。」


 スタジオを出て、それぞれ車に向かってると。


「乗ってかないか。」


 ナオトが俺を車に誘った。


「ああ…サンキュ。」



 助手席に乗ってすぐ。


「さくらちゃんは…知ってるのか?」


 ナオトは前を向いたまま、言った。


「…いや、言ってない。」


「どうするんだ?彼女とは…」


「…結婚…」


「するのか?」


「…する気でいたんだが…」


 車が動き始めて、俺は流れる景色を眺めた。


「…プロポーズしようと思った日に、周子から子供の事を打ち明けられてさ。」


「そりゃまた…」


 ナオトは苦笑い。


「それでも…俺の中には結婚するって気持ちはあった。」


「…過去形か?」


「…何事も即決の俺が言い渋った時点で…迷いがあり過ぎるよな。」


「……」


「自信がないんだと思う。」


「……ま、結婚が全てじゃないさ。」


 俺らしくない。

 たぶん、ナオトはそう思ったはずだ。

 自信がない。なんて…

 自分でも口にするとは思えない言葉だ。


 ナオトはハンドルを切りながら。


「おまえが結婚したいって思えただけでも、大進歩さ。それだけでも、これからまだ考えが変わる事があるって分かったろ?」


 笑った。


「ははっ…そうか…そうだな。」


「でも…子供の事は、いつか話さなきゃな。」


「ああ…」



 ナオトに感謝した。

 結婚が全てじゃない。

 今まで頑なに拒絶していた結婚を、さくらとなら…と思えた。

 なのに、欲しくなかった子供が産まれてると知って…

 それはそれで、思いがけない喜びと信じられない気持ちとで…複雑ではあるが、新しい命を祝福し受け止める覚悟は出来た。


 ただ…

 その覚悟の裏で。

 さくらとの結婚についての気持ちが。

 形を変えていった…。



 * * *


「検診?」


『ええ。行く?』


「……」


 周子から電話があって、瞳の検診に行くかと誘われた。

 正直…興味がないわけじゃない。

 自分の血を分けた子供の健康は、気になる。



 周子から子供の事を打ち明けられて二ヶ月…

 俺はいまだに、さくらにそれを話せないでいる。


 さくらが愛しい。

 誰よりも大切だ。

 そう思うからこそ…

 傷付けたくない。


 結婚も子供も望まないと言っていた俺に、子供が居ると知ったら…

 さくらはどう思うのだろう。


 …傷付けたくないと言うより…

 嫌われるのが怖いんだな…俺は。



「行くよ。」


『そ?じゃ、明日10時にうちに来て。』


「分かった。」



 翌日、周子の家に行くと…


「…大きくなってる。」


 ベビーベッドに、見るからに成長した瞳が。


「当たり前じゃない。ずっと同じサイズのままだとでも思ってるの?」


 いや…

 当たり前だが…

 メンバーの子供達には、少なくとも週一ペースで会う機会がある。

 そのせいか、驚くほど成長した!!と思う事はない。



「もう首も座ってるから、抱いてみたら?」


 そう言って、周子はキッチンへ。

 抱いてみろと言われても…

 光史こうしを抱き始めたのも、一歳を過ぎてからだ。

 ふにゃふにゃの体を俺に任せていいのか?

 俺は怖いぞ。


 ベビーベッドを見下ろしながら、俺は無言で瞳を眺めた。

 瞳は『あー』とか『うー』とか言いながら、俺を見つめ返して手を広げる。


「……」


 とりあえず、頬を軽く突いてみる。

 すると…にぱっと笑顔になる瞳。


「……」


 つい…俺も口元が…


「もしかして、怖いの?」


 俺と瞳が笑い合ってると言うのに、ズカズカとやって来た周子が、瞳をベッドから抱き上げて。


「はい。」


「わわっ…ちょっ…」


 無理矢理、俺の腕へ。


「大丈夫。手をそっちに…そう。」


「……」


 …なんだろう。

 いい匂いがする。

 そして…柔らかくて…

 癒される。


「…夏希でも、そんな顔するのね。」


 しばらく黙ってた周子がそう言って。


「病院、近いけど歩く?」


 バッグを手にした。


「…悪いけど、あまり時間がない。」


「ああ、そう。じゃ、車で行きましょ。」


「ちょ…おおおおい、周子、もう引き取ってくれ。」


「…ダメねえ…」


 周子が…笑顔になった。


 それは…

 一緒に暮らしていた時にも、見た事のないような…


 幸せそうな笑顔だった。



 * * *



「なっちゃん…」


「ん?」


 瞳の存在を打ち明けられないまま、夏が来た。

 その夜は…何となく、さくらの様子がいつもと違った。



「…したい…」


 シャワーの後、先にベッドで横になって本を読んでた俺に、さくらがキスをしながら言った。


「…どうした?」


「何が?」


「さくらから誘うなんて…珍しいな。」


「…はしたないって思う?」


「思うわけない。」


 本を閉じて、背中に手を回す。


 同棲を始めて伸ばし始めたさくら髪の毛は、背中の真ん中辺りまである。

 俺としては、出会った頃のボブカットがお気に入りだが…

 子供に見えるから嫌だ。と、さくらは意地になって伸ばした。


 キスをしながら、さくらを下にする。


「…あっ…」


 時間をかけて、全身に唇を這わせて…


「…なっちゃん。」


「ん?」


「今日は…つけないで?」


「え?」


「安全日だから…そのままして?」


「………」


 俺は、少し目を丸くしたかもしれない。

 今さくらは…

 避妊をするな。って言ったか?



「…ダメだ。」


「どうして?」


「さくらこそ。」


「…つけてない方が気持ちいいって…」


「誰が。」


「…みんな。」


「みんなって?」


「……」


「誰かと試したのか?」


 俺は冗談で言ったんだが…


「酷い!!」


 さくらはいきなり大声でそう言うと。

 ポロポロと泣き始めた。


「お…おい。冗談だよ…」


「酷いよ…なっちゃん…」


「ごめん。無神経だったな…」


 顔を覆うさくらの手を取って、目元にキスをする。


「いや…」


「ごめんって…」


「バカ…」


「悪かった…」


 何度かそうやってキスをしていると、機嫌が直ったのか…

 さくらは、俺の背中に手を回して。


「…お願い…本当に…今日は大丈夫だから…」


 そう、耳元で言った。


「…それは、ダメ。」


「…どうして?」


「……」


「気持ちいい事したいって、思っちゃいけないの?」


「…さくらがそんな事言うなんて、違和感があり過ぎる。」


「なっちゃん、いつまであたしを子供扱いするの?」


「……」


「…なっちゃんがしてくれないなら、本当に他の人で試しちゃうよ…?」


「冗談だろ?」


「本気かもよ?」


「させない。」


「あっ…」


 さくらは…不満そうだったが。

 俺はコンドームをつけた。

 それが100%じゃないのも分かってる。

 だけど、こんな状態でさくらを妊娠させるわけにはいかない。

 ましてや…さくらはまだ16だ。

 シンガーになる夢もある。



「バカ…」


 俺の背中に爪を立てながら。


「なっちゃんのバカ…」


 さくらは、そう繰り返した…。



 * * *


 8月の終わり。

 午後からの仕事がキャンセルになって。

 急遽、予定が空いた。

 メンバー達も思わぬ束の間のオフに、車を飛ばして帰って行った。


 さて…

 俺も久しぶりに、さくらの歌でも聴きに行くとしようか。



 カプリに行くと、ステージには見知らぬ男が立っていた。

 店員に聞くと、さくらは今日は用事があると言って帰った、と。


 …用事?


 何となくざわつく気持ちを押さえながら、俺は家に帰った。

 トレーラーのドアを開けると…


「……」


「あ…」


「……」


 リビングで…さくらが、男と抱き合っていた。


「……なんなんだ?これは。」


「なっちゃん…違うの…」


「おまえ…あの時の…」


 さくらを抱きしめていたのは…


「…ご無沙汰してます。」


 もう、会う事はないから名乗らない。

 そう言った、さくらの『身内のような者』の男。



「…俺の留守中に、男を連れ込んでたとはね。」


「だから、違うの…」


「でも、今抱き合ってたよな?」


「……」


 さくらは言葉を飲み込んで…黙った。


「…今日は、別れを言いに来たんです。」


 ふいに、男が口を開いた。


「別れ?」


「はい。俺は研…留学期間が終了したので、帰国しますから。」


「……」


 さくらを見ると…涙目。


「ずっと一緒でしたから…さくらをここに残して帰るのは俺も心配ですが…」


「……」


「…どうか、さくらを幸せにしてやって下さい。」


 男は、俺に深々と頭を下げた。


「……」


「本当に…どうか…宜しくお願いします…」


 …正直、ドアを開けた瞬間、男の腕に抱かれているさくらを見て…少し引いた。

 よく考えたら、俺はさくらの留学先やその内容も詳しく『話せない』と言われたままだし。

 おまけに…今までも、今日みたいに男を連れ込んでたって、俺は知る由もない。

 …疑えばきりがない。


 ずっと信じてたものが、一瞬で崩れ去る気がした。



「…で、別れは済んだのか?」


 俺がイライラした口調でそう言うと。

 さくらが。


「…あたしも…日本に帰る…」


 男の腕を取って言った。


「な…」


「さくら、それはダメだよ…」


「でも…」


 お…おい。

 何なんだ?

 いきなり…


「お願い…あたしを一人にしないで…」


 さくらはそう言って泣き始めた。


「…俺とじゃ、満足出来ないって?」


 ソファーに座って、足を組んだ。


「だって…」


 さくらは、男の肩に額を乗せて泣いている。

 …ムカムカする…


「だって…なっちゃんには…」


「…なんだよ。」


「…なっちゃんには、血を分けた赤ちゃんがいるじゃない…」


「…………え…」


 ずっと。

 言えないままでいた。

 もしかしたら、言わなくていいんじゃないかとも思った。

 だけど、こんな日が来るのを想定出来なかったわけじゃない。

 なのに…俺は何の対策も立ててなかった。


 …さくらが傷付くのを分かっていながら。



「さくら…」


「なっちゃんには、もうすぐ1歳になる女の子がいるんでしょ?」


「どうして…」


「あたしに隠してるけど、毎月会いに行ってるんでしょ?」


「……」


 俺の頭の中は、パニックだった。

 いや…

 パニックを通り越して、真っ白だった。



「やだよ…もう…」


「さくら。」


 男がさくらの肩に手を掛ける。


「…この人と生きてくって決めたんだろ?ちゃんと話し合って、上手くやってけよ。」


「やだ…あたしも帰る…」


「…シンガーになるんじゃなかったのか?」


「あんなの…別になりたかったわけじゃない…」


「え…」


 さくらの言葉に、俺と男は同時に声を出した。


「どうしても…逃げたかった…あの世界から…だから…逃げる手段が欲しかった…」


「……」


 待てよ…

 シンガーになるって、あんなに目をキラキラさせて…

 楽しそうにステージで歌ってたのは…嘘だったって言うのか?

 あんなに一生懸命レッスンを受けて…

 歌うために、色んな物を捨てて来たって言ってたのは…嘘だったのか…?


 逃げるって、何だ?

 あの世界って…?



「なっちゃんとだって…生きてくために、必要だったから…」


「…何…何言ってんだ…さくら…」


「じゃなきゃ、こんな年上の男なんて…」


「……」


 俺は…

 さくらに騙されてた?



「だから、帰る。」


「ま…待てよ。」


 立ち上がって、さくらの肩を掴む。

 ようやく体が動いた。

 だけど…


「やだ!!触んないでよ!!」


「……」


 さくらは泣きながら、俺の手を振り払った。

 そんなさくらを見た男は…


「…なんて事するんだ。ずっと一緒にいた人に…」


 まるで子供を諭すかのように、優しく言った。


「だって…要らないって言ったのに…子供要らないって…」


「……」


 俺が何も言えずにいると。


「…さくらの事、よろしくお願いします。」


 男が、さくらの肩を押すようにして、俺に追いやった。


「っ…どうして…?」


「おまえが決めたんだ。逃げるなら…最後まで逃げ切れ。」


「いや!!あたしも帰る!!」


 ドアを開けて、男が駆け出した。


「待って!!」


「さくら!!」


 追って走り出しそうだったさくらの肩を掴む。


「やだ!!離して!!」


「さくら…!!」


 嫌がるさくらの肩を引き寄せて、胸の中に抱きすくめる。


「…ヒロ!!待って!!ヒロ!!」


 俺の腕を拒みながら、さくらは男の名前を叫び続けた。


 ヒロ…。


 教えてくれよ。

 俺にはまだ…


 さくらを幸せにする力が、残ってるのか…?

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