第14話 高原夏希 14

 さくらと暮らし始めて、丸一年が経った。

 その間に、俺はアルバムを一枚出し、短いツアーにも出た。

 ハロウィンには仮装をして、近所の人達とパーティーをした。

 俺は袴を着ただけで喜ばれたが、さくらの仮装と言うか、変装は天才的だった。

 そう言えば、Lipsでも21に見せるためのメイクは別人に見えてたからな…

 男装したさくらは、声を出さなければ誰も本人だと気付かないぐらいだった。


 感謝祭は、二人で七面鳥を焼いた。

 ただ、大きな物を選び過ぎて…何日もそれを食べる羽目になった。

 クリスマスは一緒にケーキを焼いて、星空の下で乾杯をした。

 年越しは、初日の出を見よう。と、あまり高くない山に…一応、登山をした。

 バレンタインは、俺がさくらにバラの花束を買って帰ると、さくらはバラの花の形をしたチョコを用意していて、二人で笑いながら食べた。



 さくらと暮らし始めて、こんなに笑える自分がいる事に驚いた。

 そして、イベントを楽しむ自分にも驚いた。

 隣にさくらがいてくれたら…

 俺は、何でも出来る。

 そんな気がしている。



 夕べ、同棲一年のお祝いに。

 俺は、さくらをディナーに連れ出した。

 いつも家で俺を待ってくれているさくらに、束の間の贅沢をと思った。

 15歳のさくらが、堅苦しいディナーを好むとは思えなかったが…

 そういう世界を知っておくのもいいかと思った。


 マナーなんていいから。と言おうと思ったが、意外にもさくらはちゃんとマナーを熟知していたようで…

 反対に俺が驚かされた。

 …さくらには、まだまだ俺の知らない引き出しがあるようだ。



 来週、4月4日は…さくらの16歳の誕生日。

 俺は密かにサプライズを用意している。



 ずっと、俺の生歌を聴きたいと言っていたさくら。

 テレビやラジオでDeep Redを見聞きする事はあったものの、目の前で。と言われると、なかなかそのチャンスもなかった。


 いや…

 なかったわけじゃないが…

 何か、特別な日に。

 特別な歌を歌いたかった。



 それで俺は…

 さくらのために、歌を作った。


『If it's Love』


 誰もが、俺の愛し方を『それは愛なのか?』と言うだろう。

 だけど俺は、胸を張って言える。

 愛以上だ。と。



 さくらの誕生日の夜。


 俺は、この曲をさくらに捧げて…



 そして。

 プロポーズする。



 さくら。

 俺と、結婚しよう。


 * * *


「夏希。」


 事務所で声をかけられて、振り向くと周子がいた。


「…久しぶりだな。元気だったのか?」


 周子とは、別れてからは一度も会う事はなかった。

 事務所で見かける事もなく、関係を断つとこんなにも会う事はなくなるのかと思ったほどだ。


「…ええ。今日、何時に終わる?」


「え?」


「時間取れない?話があるの。」


 今日は、さくらの誕生日。

 仕事が終わったら、ソッコーで家に帰る。


「今日は無理だな。」


「…今は?」


「え?」


「今、少し時間ない?」


「……」


 通路の掛け時計を見る。

 今日は雑誌の取材と、2時間後にスタジオ。


「ちょっと待ってな。」


 周子にそう言うと、個人練でスタジオに入ってるマノンに声をかける。


「マノン、俺、前の店に居るから、取材が始まる前に呼びに来てくれるか?」


「あ?オッケー。」


「サンキュ。よろしく。」


 スタジオを出て、周子と事務所の向かい側にあるカフェに向かう。

 周子の横顔を見ると…何となく、以前より柔らかくなったような気がした。



「で?話って何だ?」


 コーヒーを手に座ると。


「…先週、見かけたわ。」


 周子が小さく笑いながら言った。


「あ?」


「気付かなかった?二つ隣のテーブルにいたのよ?」


「…え?」


 もしかして。

 記念日のディナーか?

 二つ隣のテーブルにいた…と言われても。

 全く気付かなかった。


「そっか。悪かったな。気付かなくて。」


「一緒にいたの…付き合ってる子?」


「ああ。」


「一緒に暮らしてるの?」


「ああ。」


「……」


 周子は小さく溜息をつくと。


「…あのね、夏希。」


 低い声で言った。


「なんだ?」


「……」


 周子は何か言おうとして…だけど飲み込んで。

 その繰り返しだった。

 俺は周子が言葉を出すまでは…と、何も言わなかった。



「…可愛い子だったわね…」


「は?ああ…まあな。」


「…結婚…するの?」


「……」


「…するんだ…」


「まだ、言ってないけど…プロポーズするつもりではある。」


 ゆっくりとそう言うと、周子は唇を噛みしめた。

 そして。


「お願いがあるの。」


 顔を上げた。


「なんだ?」


「…認知…して欲しいの。」


「…認知?」


「……」


 そう言って、周子は…バッグから写真を一枚取り出した。


「……これは…?」


「去年産んだの。」


「……え?」


「夏希の子供よ。」


「…………え?」


 写真を見入る。

 俺の…子供?


「ど…どういう事だ?」


「…あたし、あなたに言ったわ。」


「…何を…」


「あたしと居たいなら、子供を産ませてって。」


「……」


「だけど夏希は子供は欲しくないって言った。あたしは産みたかった。だから出て行った。」


「…待てよ…おかしいだろ…」


「育ててくれなくていいの。ただ、父親っていう肩書だけ背負って欲しいのよ。」


「……」


「お願い…」


「……」


 頭の中が、真っ白になった。

 周子は何を言ってるんだ?

 俺の子供?

 子供ができたなんて、一言も…



「おーい、ナッキー…あ。」


 事務所の前で、マノンが大声で俺を呼んで。

 周子が一緒に居る事に気付いて。


「あー、まだええよ。何なら、ナッキーは後にしてもらうし。」


 そう言って、手をヒラヒラとさせた。


「…行って。」


 周子が溜息をつきながら言った。


「……」


「…即答してくれるとは思わなかったけど、ちょっとガッカリ。もう、いいわ。行って。」


 俺は立ち上がる。

 そして…言った。


「…子供に会わせてくれ。」





 俺の取材だけ、先延ばしにしてもらった。

 ライター泣かせだと言われたが、俺の我儘は初めてだ。

 いつもサービスしてる分、今回は許してもらおう。

 ついでに、スタジオも遅れるかもしれない、と。


 …それぐらい、重要な事だ。



 周子に連れられて行った先は、郊外にある小さな一軒家だった。

 ジェフの所にいるとばかり思っていた俺は、その時点で胸が締め付けられた。



「…一人で暮らしてるのか?」


「ええ。近所の人が優しくしてくれるから、何の不自由もないわ。」


 周子の言う通り、この間にも子供を見てくれていたのは、近所の初老夫婦だった。



「…あなたの娘よ。」


 周子が連れて来たのは…白い服を着て、バスケットの中で手をパッと開いている女の子だった。


「……」


 俺の娘…と言われても…全く実感はないし…

 嘘だと言って欲しい気持ちの方が強い。


 俺は今夜、さくらにプロポーズするんだぞ?

 なのに…



「あ…笑ってる…」


 バスケットの中で、赤ん坊が笑った。

 それを見た周子が、嬉しそうに笑う。


「……」


 その赤ん坊の笑顔を見てると…つい、俺も口元がほころんだ。

 …可愛いな…



「言っておくけど…」


 俺が赤ん坊に目を奪われていると。

 周子が低い声で言った。


「ジェフとは、離婚してから一度も寝てないわ。」


「…何だよ、急に。」


「本当に俺の子か?って疑ってると思って。」


「…疑ってないよ。」


「……」


「名前は?」


 赤ん坊の手に、指を近付けると。

 ギュッと握られた。

 …おかしな気分になった。


「…ひとみ。」


「瞳?」


「…目が…あなたに似てるから…」


「……」



 …この子には、何の罪もない。

 だけど…


「…一人で育てる気なのか?」


「ええ。」


「……」


「夏希は、あの子と一緒になればいいわ。」


「…棘を感じる。」


「そりゃそうよ。棘のつもりで言ってるもの。」


 …俺の知ってる周子は…

 クールで、物分りのいい大人の女。

 そんなイメージだったが…


「あたし、この子は何があっても幸せにしたいの。」


「……」


「あなたは、あの子と幸せになっていいの。」


「……」


「できれば、この子にも高原の姓を名乗らせて。」


 女は…

 守る物が出来ると。



 したたかになる。



 * * *



「ただいま。」


「おかえりー。」


 トレーラーのドアを開けて。


「さくら、誕生日おめでとう。」


 目の前に、チューリップの花束を差し出した。


「あっ…あーっ!!すごい!!可愛い!!」


 さくらは花束を抱きしめると。


「ありがとう!!なっちゃん!!」


 俺に抱きついた。



「ケーキ届いた?」


 さくらを抱きしめたまま、リビングに。

 テーブルの上にはケーキと夕食が並んでいた。


「ははっ。早速だな。」


「お花も飾るね。」


「…さくら。」


「ん?」


「…いや、後で。」



 それから…

 ケーキにロウソクを立てて。

 部屋の明かりを消した。


「願い事していいのかなあ?」


「もちろん。」


「でも、これ以上幸せになるのは怖いよ。」


「どんな願い事だ?」


「…内緒。」


 さくらは笑ったと思うと、一気に吹き消した。

 その炎の残像を見ながら…

 まるで、今の生活が消えてしまったかのように思えた。


「ありがとう、なっちゃん。」


 パッ。と照明がついて。

 さくらが自分で拍手をしながら、俺の隣に座った。


「あ…ああ、おめでとう。」


 頭を抱き寄せて、額にキスをする。


「…あたし、16歳になっちゃった…」


「そうだな。」


「……」


「……プレゼントがあるんだ。」


「えっ、何?」


「…食ってからでいいか?腹ペコだ。」


「あっ、そうだよね。うん。じゃ、後で。」


 シャンパンで乾杯をして。

 さくらの手料理を食べて。

 すぐそこに、愛しい笑顔があるのに…

 俺の心は、落ち込んでいた。



 このまま…さくらと結婚したら。

 俺は…

 瞳を、俺と同じ境遇にしてしまう。


 だが…

 さくらを幸せにしたい。

 一生、そばにいたい。



 食事を終えて、二人で片付けをした。

 コーヒーを飲みながら、今日のさくらのステージの話を聞いた。

 今日が誕生日だと言うと、客席からアンコールがかかった、と。

 おまけに、ステージを降りた後に三人の男からプレゼントをもらった、と。


 一人は顔なじみの父親ぐらいの年齢の男から、近くの店で急いで買って来た。というTシャツを。

 一人は以前告白された事があるガソリンスタンドの店員で、すでに誕生日を知っていたのか、バラの花束を。

 もう一人は出張で来てる日本人で、初めて来た店で素晴らしいステージが観れた、と、持参していたらしい日本の絵ハガキをくれた…と。


 俺はそれを笑顔で聞いて。

 さくらの一日が充実した物だった事を、心から嬉しいと思った。



「…じゃ、俺からも…その男達に負けないプレゼントを。」


「えー。そんなの、なっちゃんが一番に決まってるじゃない。」


「分からないぞ?つまんないって言われるかもしれないしな…」


「何?どんなプレゼント?」


 あきらかに、ワクワクした顔のさくら。

 俺はソファーの下に置いてるアコースティックギターをケースから出すと。


「さくらのために作った曲。」


「え…」


 驚いた顔のさくらを前に…


 心をこめて、歌った。





 歌い終わる頃には、さくらの目からは…

 …洪水かよ。

 と笑いたくなるほどの、涙。


「……」


「…ご清聴、ありがとうございました…」


「…だっじゃん…」


 涙で鼻が詰まったのか、全然俺の名前も言えないさくら。


「ははっ。何だよ、その声。」


 ギターを元に戻して、さくらを抱き寄せる。


「あーあー…こんなに鼻水まで…」


 ティッシュボックスを取って、さくらに渡すと。


「うっ…うっ…あたし…」


 さくらは鼻をかんで。


「もう…これ以上…これ以上なんて、要らないよ…」


 泣きながら、俺の胸に飛び込んだ。


 …これ以上が要らないなんて…

 なんて、欲のない女だ。



「…さくら。」


 両手でさくらの頬を包む。


「16歳、おめでとう。」


「…なっちゃん…」


「愛してるよ。」


「…あたしも…」


 ゆっくりと、唇を近付けた。

 嫌がるかな…と思ったけど、さくらは素直に受け入れた。


 …見た目より、柔らかい唇。

 キスをしながら、腰を抱き寄せて…足を持ち上げて膝に座らせる。

 角度を変えながらキスを深くしていくと…さくらがたどたどしい手つきで、俺のシャツのボタンを外し始めた。


「…さくら?」


「あたしのも…脱がせて…」


「……」


「…恥ずかしいから…早く。」



 長い夜になった。

 さくらの体は…

 壊れそうだから、気を付けないといけない。

 まるで、初体験を思い出させるようだった。

 俺自身、久しぶりのセックスに、笑いが出そうなほど身震いした。


 さくらが大事だ。

 さくらを幸せにしたい。

 悲しませたくない。



「なっちゃん…」


 俺の髪の毛をかきあげながら。

 さくらは、俺の腕の中で女になった。



「…すごく…いい歌だった。」


「そうか?」


「うん…サビのところは、あたし歌えるよ?」


「え?すごいなおまえ…」


 俺の腕の中で。

 さくらが、If it's Loveを口ずさむ。

 俺がそれに合わせて歌い始めると、さくらは俺を見上げて…

 幸せそうに笑った。



 もう…

 止められない。



 例え、俺が親父と同じであっても。

 娘を俺と同じ目に遭わせるとしても。

 世界中が俺を悪人だと思っても。



 俺は、さくらと結婚する。




 さくらを…



 妻にする。


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