第13話 高原夏希 13

「…なっちゃん?」


 アパートに行くと、さくらちゃんは手にバケツを持っていた。


「掃除中?」


「うん…する事なくて…」


 学校に戻るつもりで、サイモンもLipsも辞めたさくらちゃん。

 だが、それを決める期限は今週いっぱいらしい。

 それまでに…



「一緒に暮らそう。」


 玄関のドアを閉めてすぐにそう言うと。


「…え?」


 さくらちゃんは持ってたバケツを床に置いて。


「…えっと…それって…でも…」


 困った顔で、しどろもどろになった。


「学校には、結婚するって報告すればいい。」


「…結婚?」


「さくらちゃん、結婚できる年齢になるまで、まだ一年あるだろ?」


「……」


「だから、花嫁修業も兼ねて同棲を始めるから、もう学校には戻れないって。」


 俺はさくらちゃんの手を取って椅子に座ると、そのまま引き寄せて膝に座らせた。


「でも…結婚って…なっちゃん、結婚願望ないんでしょ?」


「…一年あれば、俺の考えも変わる何かがあるかもしれないし…」


「……」


「何より、一年あれば、さくらちゃんの夢はかなうかもしれないだろ?」


 俺の言葉にさくらちゃんは喜ぶかと思いきや…さらに困った顔になった。


「でも…もうLipsには戻れないし…あたしみたいなの、歌わせてくれる店なんて…」


「ああ…歌う場所は心配しなくていい。」


「え?」


「未成年でも、歌が上手けりゃ歌わせてくれる店を見つけた。」


「え?え?」


「それと、ナオトの鍵盤仲間が教会や施設を紹介してくれたから、そこへも行ってみるといい。」


「なっちゃん…」


「とにかく場数を踏め。色んな反応を見て自分自身で何かを掴め。」


「……」


「諦めるな。」


 さくらちゃんは目いっぱいに涙をためて。


「…嬉しい…ありがとう…」


 俺の首に腕を回した。


 一年で夢が叶うほど、この世界は甘くない。

 だけど…今、ある程度の基盤を作っておけば、将来性は違ってくると思う。

 さくらちゃんは俺がレッスンを始めてからと言う物、メキメキと上手くなったし期待以上の声を聴かせてくれる。

 …埋もれさせたくない…。



「…学校に、すぐ連絡できる?」


「…今は…今夜してみる。」


「そっか。ああ…それと…」


 部屋の中を見渡して。


「荷物、少ないよな。」


 笑った。


 俺も荷物は少ないが、さくらちゃんは若い女の子とは思えないぐらい、持ち物がシンプルだ。


「うん。何?」


「一緒に暮らそうと思って、物件見て来た。」


「えっ、もう?決めたの?」


「ああ。即決。気に入らないなんて言わせないぜ?」


「…大豪邸?」


「まさか。バーク公園の少し東の丘にある。」


「…バーク公園の東の丘って…あそこって、確か…」


 さくらちゃんは俺から離れて、少しだけ目をキラキラさせた。


「もしかして、トレーラーハウス?」


「そ。さくらちゃん、そういうの好きかなと思って。」


「好き!!どうして分かったの!?」


「俺も好きだから。」


 さくらちゃんの笑顔を見てると…本当に、色んな事がどうでも良くなる。

 目の前にいるこの子が、今14歳だと言われても。

 それでも恋してしまってるのは確かだし。


「本当にいいの?そこで一緒に暮らせるの?」


 まるで子犬みたいだ。

 そう思いながら、さくらちゃんを抱き寄せる。


「ああ。」


「…なっちゃん…」


「ん?」


「…さくら…で、いいよ…」


「…さくら。」


「…うん。」


「さくら。」


「…なっちゃん…」


「…ロリコンって思われるのが嫌だなんて思ってないよ。」


「………本当に?」


「俺の中で邪魔してたのは…」


「……」


「意外と強い道徳心だったのかもな。未成年がバーで歌う手助けをするなんて。って。」


 いや。

 少しは思った。

 14歳相手に熱くなった自分に、引いた。

 だけど…

 俺が好きになったのは、ただの14歳じゃない。


 さくらちゃんだ。



 さくらだ。



 * * *


 即決したトレーラーハウスには、すぐに引っ越せた。

 さくらも学校に連絡をした。と言った。

 ちゃんと辞める手続きを取るとなると、色々面倒らしく…学校側もさくらの夢を知っているのかどうか、留学期間中の扱いのままにしてくれたらしい。


 …そんなに甘いのか?と、色々気にはなるが…

 丸く収まるのなら…それでいい。



「わあ!!すごくキレイ!!」


 入ってすぐ、リビングダイニング。

 トイレと風呂があって、奥が寝室。

 こじんまりとしたトレーラーだが、荷物のない二人なら十分だ。


 近場へのツアーがトレーラーハウスでの移動で、俺はいつもその快適さに満足していて。

 冗談でトレーラー購入をほのめかした事もあった。

 …まあ、そのトレーラーはさすがに豪華で申し分ない物だったからだろうが。


 ナオトに物件を決めた事を話すと、大笑いしながら。


「夢が叶ったな。」


 と言われた。



 周子と別れてすぐだと言うのに、女と暮らす匂いを察知したのか、他のメンバーは特に何も言わなかった。

 マノンは『まあ、らしいっちゃーらしいよなあ』と笑ったが、遊びに来るとは言わなかった。

 …ま、仕方ない。

 みんな、俺と周子が別れたと知った時は、なぜか俺以上にショックな顔をしてたからな…

 俺みたいな自由人を、しっかり手懐けてくれてる。と、みんな周子に感謝してるようだったし。

 …まさか、次の同棲相手が…周子とは真逆で、むしろ俺と似てて。なんて知ったら…

 嫌な顔されそうだ。



「ベッドだ~。」


 さくらがベッドにダイブする。


 …子供かっ。


「ベッドで寝るのって何年ぶりだろ~…」


「え?今までどうしてた?」


「友達のとこではソファーに寝てたし…ベッドを買うって頭がなかったんだよね。」


 さくらの隣に寝そべって。


「これからは、ちゃんとここで寝ろよ?ノドのためには睡眠も重要だ。」


 頭を撫でながら言う。


「うん。ちゃんと寝る。」


「よし。」


「あっ、なっちゃん。」


「ん?」


「あたし…お願いがあるんだ。」


「なんだ?」


 さくらは体ごと俺に向き直って。


「あたし…なっちゃんの歌、聴きたい。」


 真顔で言った。


「…CDなら、あっちの…」


「ううん。生で聴きたい。」


「どうした?急に。」


「だって、なっちゃんはあたしの歌聴いてるけど、あたしは聴いた事ないんだもん。」


 確かに…

 俺はボイトレの時も、声を出すことはあっても歌は歌わない。


「…あらたまって言われると、緊張するから…今度な。」


「何それ。何万人を前にして歌ったりしてるのに。」


「何万人の前より、さくらの前の方が緊張する。」


「えー?信じられない。何それ。」


「おまえは、俺イチオシのシンガーだからな。」


「…なっちゃん…」


 さくらの表情が、少し曇った。

 だけど俺はそれに気付かなかった。

 ただ、これからの事を考えると。

 楽しみでしかなかった。


 さくらの罪悪感が、どんどん大きくなっていくことに。



 気付きもせず。



 * * *


 さくらと二人の生活が始まった。


 特殊と聞いていた学校から、通信教育のカリキュラムが送られてきて。

 詳しいシステムを知らない俺は、深くを問いただす事はできなかったが。

 ただでさえ、辞めると言ったにも関わらず留学中扱いにしてくれると言っていたのに。

 まあ、ここまでしてくれるなら…甘えない手はない。

 さくらの学校に関しては、俺も気になってたし。



「なっちゃん、ジャム取って。」


「ん。」


「ありがと。」



 二人での生活は、思いのほか快適だった。

 さくらは家事全般をソツなくこなし、それを楽しいとも言う。

 出来ない時には素直に言うし、無理をしているようには…見えない。



 昼間はカプリというレストランで1ステージ。

 休日は教会や施設を回って歌った。

 年齢を明かしてからのさくらは、年相応のキャラのまま。

 もう、肩を出したドレスは着ない。



「…ねえ、なっちゃん。」


「ん?」


 一緒に暮らし始めて半年。


「あの…」


「何。」


 ベッドの上で、いつものように俺の腕枕で仰向けになるさくら。


「その…」


「…何か欲しい物でもあるのか?」


「……」


 顔だけさくらに向けて、そう言うと。


「…欲しい物…んー…」


 さくらは、しどろもどろになって。


「あのね、ちょっと…気になってる事が…」


 俺の唇に、自分の額を押し当てるようにして言った。


「…んんん?」


 さくらの額が当たってるせいで、ハミングのように答えると。


「…あたし、なっちゃんに…ちゃんと女として映ってる?」


 意外な質問。


「女とじゃなきゃ、こんな風に寝ない。」


 唇を離して言うと。


「でも…キスもしてないけど…」


「……」


 さくらに言われて気付いた。

 そして驚いた。


 俺ともあろう者が…

 女とベッドを共にしていると言うのに…

 セックスどころか、キスさえしていない!!


 半年も!!



「…ほんとだ。あまりに心地良過ぎて、そんなのどうでも良くなってた。」


 たぶん、本音。

 俺の性欲を黙らせてしまうほど。

 さくらとの時間は心地いい。


 ベッドで一緒に横になって、天井を見ながら歌の話をする。

 ある時は、さくらの好きな花の話をしたり、ある時は俺の故郷の話をしたり。

 毎晩尽きないお互いへの興味。

 さくらの好きな物を知って行くたび、俺は心が満たされていく。



「…キスしたいか?」


「えっ…」


 俺の問いかけに、さくらは絶句した後。


「…なんか…もったいないから…まだいいや…」


 さくらは、俺の胸に顔を埋めた。


 …こういう事をされても欲情しないとは…

 だけど、さくらに恋をしている気持ちは継続中。

 俺はまるでストーカーの如く、さくらの姿を常に目で追う。

 愛しくてたまらない。

 そう思う。


 額に、頬に、髪の毛に。

 それらへのキスだけでも、ドキドキしてしまう自分がいる。

 …確か俺、先月28になったんだよな。



「…さくら。」


「…ん?」


「…愛してるよ。」


 額に唇を落としながらそう言うと。


「…あたし…こんなに幸せでいいのかな…」


 さくらは俺の体にギュッとしがみついて、そう言った。

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