第12話 高原夏希 12

「……」


「……」


 変な沈黙のまま。

 とりあえず、さくらちゃんが住んでるアパートまで、歩き始めた。

 以前はバーガーショップの子と暮らしていたらしいが、年末から一人暮らしを始めたそうだ。

 そのアパートまで、歩いて15分。


 が…

 二人とも無言。

 無言ゆえに…その15分の長い事長い事…


 …確かに…

 14と聞いて、俺はかなり引いた。

 ドン引きだ。

 13違い。

 しかも未成年。

 日本で言うと中学生。

 …ないだろ。



 ギュッ


 突然、手を握られた。



「…やっぱり…嫌いになったよね…」


 …嫌い?

 いや、嫌いじゃないが…



「…聞いていいか?」


「何?」


「なんで21って?」


「21って言わなきゃ、バーで歌えない。」


「…最初、お金を貯めて歌うために来たって言ってたけど、留学中とも言ってたよな。学校は?」


「……」


 俺の質問に、さくらちゃんは黙り込んでしまった。



 …ただでさえ14歳と聞いて引いたのに…

 この無言には、さらに落ち込んだ。

 あまり考えたくないが、不法だの違法だのという言葉が脳裏に浮かぶ。

 14歳が一人でアメリカに来て、バーで歌い、バーガーショップで働き、一人で暮らしてるなんて…

 だいたい、パスポートは?ビザは?そしてやっぱり…学校は?



「…孤児も嘘か?」


「…それは本当。」


「…今まで話した中で、本当っていくつある?」


「え…?」


 さくらちゃんが、俺を見上げた。


「…何も話してくれないんじゃ、信用できない。」


「……」


 繋いでた手を、ゆっくり離す。


「教えてくれ。」


「……」


 さくらちゃんは唇を噛んで…うつむいた。


「…そうだよね…こんな、怪しい子…嫌になるよね…」


「そうじゃなくて。ちゃんと聞きたいんだ。」


「…言えない。」


「なんで。」


「…でも、悪い事はしてない。」


「悪い事はしてない?年を誤魔化してバーに出入りしてるのに?」


「そんなの、夢のためならそれぐらいって思うよ。」


 一気に目が覚めた気がした。

 いや…夢から覚めたのかもしれない。


 俺は溜息をつくと。


「…年齢の事は、話してくれてありがとう。」


 低い声で言った。


「…そうだね。もっと早く話しておけば良かった。」


 さくらちゃんは…震える声でつぶやくと共に俯く。


「そしたら…もっと早くに嫌われてたのに…」


「……」


「そしたら…」


「……」


「そしたら、こんなに好きにならなくて済んだのに…」


「……」


 …好き?


「ロリコンって思われるのが嫌なんでしょ。」


「ロ…」


 さくらちゃんの言葉に絶句してしまう。


 ロリコン?


「そんなの、あたしと並んでたら、最初っから思われてるもん。」


 …それは確かに…思われても仕方ない。

 それほど、さくらちゃんは21にしては童顔…って、14なら年相応か…


「もう、なっちゃんなんて、絶対…ロリコンって、みんな思ってるもん。」


「…はあ…あのなあ…」


 つい、大きく溜息をついてしまった。

 そんな俺にカッと来たのか。


「いいもん。なっちゃんじゃなくても、あたしの事、可愛いって言ってくれる人、たくさんいるから。」


 さくらちゃんは、今までになく早口に言った。


「ロリコンって思われても、あたしの事好きって人、いっぱいいるんだから。」


「……」


「もう、Lipsにもサイモンにも来ないで。」


「……」


「…あたしの事、見かけても知らん顔して。」


「……」


「気安く、さくらちゃんなんて呼ばないで。」


「……」


「…何か言ってよ…!!」


「……」


 言葉が…出て来なかった。



 可愛い。

 大事にしたい。

 守りたい。

 …それは、本当の気持ちだ。


 だけど…

 俺は14歳に恋をしてたって?



 俺が何も言わない事が頭に来たのか。


「…なっちゃんのバカ!!」


 そう言うと、さくらちゃんは駆け出した。



 俺は髪の毛をかきあげて、大きく溜息をついて。

 一人…夜空を見上げるしかなかった…。




 翌日。

 仕事の合間にサイモンバーガーに行った。


 事情があるに違いないが…

 話せない?

 そりゃないだろ。

 やはり、ちゃんと話を聞きたい。

 そう思ったからだ。


 だが…



「…辞めた?」


「ええ。今朝来ていきなり…」


「…そうですか…どうも。」



 …俺が、追いつめたんだろうか…。

 もしかして、この調子だとLipsにも…?


 気になりつつも、事務所に戻った。

 取材が夜までかかって、事務所を出たのは21時だった。



「ナオト、悪いけど…」


 居候先の家主であるナオトに声をかける。


「ああ、寄り道な。いいよ。カギは植木鉢の下な。」


「サンキュ。」


 まさか…昨日の今日で、大変な事態になってるとは…ナオトも思わないだろう。

 俺も…話すつもりはない。


 Lipsに向かうと、中からはかすかに賑やかな音。

 …ああ、今夜はバンドの日か。

 中に入ると、バーテンダーが磨いてたグラスを置いて、俺に駆け寄った。


「シェリーと何かあったのか?」


 …て事は…


「来てないのか?」


「辞めるって。」


「…いつ?」


「20時前に来た。」


「…分かった。ありがとう。」


 俺は礼を言うと、店を出た。

 アパートに向かって走る。


 二つ目の信号をまがった所で…


「……」


 俺はさりげなく、足を止めてビルの影に身を潜めた。

 …さくらちゃんと、いつかの男がいる。

 ただ、今夜は言い争ってはいない。


 しばらく身を潜めて、ガラスに映った二人を見ていた。

 …さくらちゃんが泣き始めて、男が頭を撫でる。

 14歳…

 もしかしたら、同じぐらいの年齢か?

 あの時は、知らない男だと言っていたが…この雰囲気、どう見ても知り合いだし…

 二人の距離が近い。

 これは、きっと身近な人間だ。



 しばらくすると、さくらちゃんはアパートの方向へ歩いて行った。

 男はしばらく後姿を見つめていたが…くるっと向きを変えて、こっち側に歩いて来た。


「……」


 俺は知らん顔をして通り過ぎようとして…


「…高原夏希さん。」


 すれ違いざまに、声をかけられた。


「…え?」


「ちょっと…いいですか。」


「…君は?」


「…さくらの身内みたいなものです。」


「身内?孤児だと聞いてるけど。」


「孤児です。俺も。」


「……」


 身長は俺より少し低いぐらい。

 年は…高校生ぐらいか?

 俺を真っ直ぐに見る目は…心の中まで読もうとしているかのように、鋭い。



「ずっと、小さい頃から、同じ施設で育ったので…さくらは妹みたいなもんなんです。」


 男はさくらちゃんのアパートを振り返って。


「…詳しい事は話せませんが、さくらは年齢詐称以外は怪しい事なんてしてませんよ。」


 遠い目をした。


「詳しい事は話せないのに、怪しくないと言われてもな…」


「意外と頭が固いんですね。」


「…何?」


「さくらは決断が早い。ボヤボヤしてたら、二度と会えなくなりますよ。」


「……」


「それでは。」


「君。」


 歩きかけた男に、声をかける。


「何でしょう。」


「…名前は?」


 俺の問いかけに、男は小さく笑って。


「もう会う事はないので、名乗りません。」


 そう言って、歩いて行った。



 くそっ。

 俺の名前は知ってたクセに。

 名乗れよ。


 そう思いながら…


 俺は、さくらちゃんのアパートを目指した。




「……」


 アパートの前に立って、部屋の窓を見る。

 さくらちゃんの部屋は一階。

 …居る。


 ドアの外に立つと、部屋の中からは忙しく響く足音。

 …何やってんだ?


 コンコンコン


 ノックをすると…それまで聞こえていた足音が、ピタリと止んだ。

 …おい。

 あからさま過ぎるだろ。



「……」


 反応無し。


 コンコンコン


 ……しーん。


「…さくらちゃん。」


 少し大きめの声で呼びかけると。


『…誰。』


 ドアのすぐそばで、声が聞こえた。


「…俺。」


『俺って誰。』


「…高原です。」


『高原?高原誰?』


「…高原夏希です。」


『は?誰?』


「……な…」


『は?』


「…なっちゃん…です…」


『……』


「……」


『……』


「……」


『……ぷっ…あははははは!!自分でなっちゃんって!!なっちゃんです。って!!』


「……」


 プチッ


 意外と温厚と思っている俺でも、ちょっとイラッとした。

 そして軽くキレた。

 ドアノブに手を掛けて、ガチャガチャと嫌がらせのようにしてやろうか。

 ガキみたいに、そう思ってドアノブをひねろうとすると。


 ガチャ


 いきなりドアが開いて、俺の額が激突。


 ガン


「あたっ。」


「えっ。」


「あっ…いってぇ~…」


 い…痛い。

 フリをしよう。

 と思ったけど…

 これは、本気で痛い。


 額を押さえてうずくまると。


「えっ…だっ大丈夫!?」


 さくらちゃんは部屋から出てきて、俺の顔を覗き込もうとした。

 が…

 痛い俺は額から手も離せず…


「そんなに痛いの!?切れてたりする!?血は出てない!?」


 まくしたてるように、さくらちゃんが叫ぶ。

 …耳元で。


「み…耳も痛い…」


「え?あっ!!ごめん!!」


 だから…耳元で大きな声を…


「入って?冷やした方がいいよね?」


 さくらちゃんは俺の空いた方の手を引くと、部屋の中へ。


「……」


 昨日、あんなに険悪に別れて。

 サイモンもLipsも辞めてて。

 さっきの男には、二度と会えなくなると脅されて。

 …なのに、この普通具合はなんだ?

 俺は…おちょくられてんのか?



「痛いかなあ…冷やすね?」


「いっ…」


「あっ、ごめん…」


 椅子に座って、さくらちゃんに介抱してもらう。


「あ~…たんこぶ…」


 俺の額を冷やしながら、さくらちゃんの眉毛が八の字になった。


「なっちゃん、近い内にテレビとか…」


「…ない。たぶん。」


「……」


「それより…サイモンとLipsはどうして辞めた?」


 俺が真面目な声で言うと。


「……」


 さくらちゃんは視線を落として唇を噛んだ。


「言えない?」


「…うん…」


「俺を傷付けるって思ってるなら、それはいいから。」


「そうじゃないの。お店を辞めたのは…なっちゃんとは関係ないの。」


「関係ない?」


「うん…留学中って言ったでしょ…勉強、しなくちゃいけなくなって…」


 さくらちゃんは肩を落として。


「あたし、脱落したから…もう学校はいいかなって。それなら、夢を叶えるために外に出ようって…」


 つぶやいた。


「…ハビナス?」


「ううん。郊外にある、ちょっと特殊な学校なの。」


「特殊?」


「うん。孤児だけが行く所。でもエリートじゃないと卒業できないの。」


「……」


「ごめん…これ以上言えないの。」


 さくらちゃんは両手をギュッと握って、うつむいた。

 …本当に、話せない事なんだろう。

 特殊…

 気にはなるが、あの男も言っていた。

 年齢詐称以外は、悪い事なんかしてない。

 …その年齢詐称が、俺には結構大きいんだけどな…



「…分かった。それで…夢を叶えるためには、どうしたらいいんだ?」


「え?」


「まだ叶えてないだろ。その学校に戻ったら、こっちには来れないのか?」


「なっちゃん…」


 さくらちゃんは少しだけ目を潤ませて。


「あたし、嘘ついてたのに…」


 座ってる俺に、抱きついた。


「……」


 髪の毛から、ふわりと…いい香りが。


「…学校に戻ったら、あと二年は出られないの…」


「何か手段はないのか?」


「…あるよ。」


「どんな?」


 さくらちゃんはたくさん瞬きをした。

 言おうか、どうしようか。

 そんな顔だった。


「もう嘘はなし。」


 膝に乗せる。


「っ…」


 さくらちゃんは真っ赤になりながらも…俺の首に腕を回して抱きついた。

 …ゆっくりと、背中に手を回す。


「…手段は…」


「うん。」


「…養子か…」


「うん。」


「…結婚…」


「……」


「なっちゃんの嫌いな、結婚か…子供かになっちゃうの。」


 耳元で聞こえる声は。

 少し絶望的に聞こえた。

 さくらちゃんが夢を叶えるためには…


 俺の娘になるか。


 俺の妻になるか。



 神様。



 おい。



 * * *


「なんの溜息やねん。」


 いきなり。

 マノンのアップ。


「…可愛い顔を近付けるな。」


「俺には妻子がおるで?」


「……」


「どないしたん?」



 昼下がりの事務所。

 つい、溜息ばかりついてしまう俺の前に、マノンが椅子を引っ張ってやって来た。


「部屋見つけた?」


 俺が周子と別れて、ナオトの所に居候してる事を、メンバーには話した。

 俺は何を決めるにしても早い。

 だから、ナオトの家に二週間も居候してるのは、たぶん何か不都合があると思っているに違いない。



 実際…不都合はある。

 さくらちゃん。

 養子か結婚か。


 …嘘かもしれない。


 とは、思わなかった。

 さくらちゃんの言う『特殊』が何の事か分からないけど、それらを伏せられていても、その条件は本当なんだろうと感じた。


 …俺が、結婚にも子供にも興味がないって話した事で、余計言いにくかったんだろうしな。



 さすがに、これはナオトにも話せなかった。

 ナオトは今もさくらちゃんを21と思ったままだし、Lipsで歌ってると思っている。



「あー…目星はつけてるけど、まだハッキリ決めてない。」


 頭の後ろで手を組んで言うと。


「うちの近くに戸建のええ家があるで?」


「アパートの方が好きなんだよな。」


「Deep Redのフロントマンがアパートって。」


 マノンは前髪をかきあげながら笑った。


「ま、ナッキーが好きなようにしたらええやん。街から離れて暮らしたいんやったら、車買うのもええし。メンバーの家を渡り歩いてもええし。」


「車か…」


 免許はこっちに来た時に、みんなでノリで取った。

 メンバーは全員、結婚前に車を買った。

 俺は運転は好きだが、行動範囲は歩いて行ける距離だし、休日に出かける事もないしと思って、買うに至らない。

 事務所の車で出かける事もあるが、それは本当に稀に、だ。


 …だが、車もいいかもしれない。

 て言うか…


「いいアドバイス、サンキュ。」


「え?」


「ちょっと、見に行って来る。」


「…ははっ。やっぱ、これがナッキーやな。」


 立ち上がった俺に、マノンが笑った。



 そうだ。

 俺は一人なんだ。

 だったら、好きなようにすればいい。

 それが俺だ。と言われるように。





 さくらちゃんと暮らそう。

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