第10話 高原夏希 10

「……」


 イヴに一人なのが寂しいからじゃない。

 何となく…足が向かってしまった。

 …Lipsに。



 夕方、周子しゅうこはドレスアップしてジェフの家に向かった。

 本人は何も言わなかったが、事務所の人間が言ってるのを聞いた。

 ジェフの母親が、ひどく周子を気に入っていて復縁を願っているらしい、と。

 ジェフもまんざらではないようだし…

 そうなると、ますます俺は邪魔者だ。



 店の前で躊躇する。

 もし、さくらちゃんが居たら…


「……」


 傷付けたクセに、こんな時に会いたくなるなんて。

 なんて自分勝手なんだ。


 俺は店に背中を向けて歩き始めた。

 帰って、一人でテレビでも見よう…


「離して!!」


 突然、大きな声が…この日本語…さくらちゃん?


「言う事聞けよ!!」


「離してったら!!」


 声の方向に走っていくと、さくらちゃんが背の高い男に手を掴まれている。


「さくらちゃん!!」


「…なっちゃん…!!」


 さくらちゃんは男が一瞬怯んだ隙に、腕を振り払って俺の胸に飛び込んだ。


「おまえ…この子に何を?」


 俺が低い声で言うと。


「……」


 男は唇をくいしばって俺をキッと見据えた後。


「もう知らないからな。」


 向きを変えて、走って行った。


 …暗がりだったが…まだ10代に見えた。



「…知り合いか?」


 男が去っても、俺の胸にしがみついてるさくらちゃんに問いかけると。


「…知らない。」


 泣きそうな声。


「でも、最後の言葉は知ってる風だったけど。」


 ーもう知らないからな―

 男は、さくらちゃんを心配してやって来た…的な?


「…なんでここにいるの?」


 突然、さくらちゃんは何かを思い出したように俺から離れて。


「来ないでって言ったのに…」


 うつむいたまま、つぶやいた。



「…まだ怒ってる?」


「……」


「傷付けたのは…本当、悪かった。でも、君が孤児だからとか、そういう理由で隠してたわけじゃない。」


 さくらちゃんは、全然俺を見ない。

 ずっと下を向いたまま、寒さで赤くなった鼻を時々袖口でこするだけ。


「…ちょっとした…出来心と言うか…」


「何それ…分かんない…」


「さくらちゃんが可愛かったから…俺の事知らないなら、知らないままでいてくれたらな…とも思った。」


「…意味わかんない…」


「Deep Redのボーカリストとしてじゃなく、高原夏希として一緒に居たかったんだ。」


「……」


 さくらちゃんが、顔を上げた。

 唇はアヒルみたいになってるし…鼻は赤いし…寒さのせいか、目は少し潤んでるし…

 つい、可哀想に思えて…ゆっくりと抱きしめる。


「…寒くて死にそうって顔してるな。」


「…なっちゃんも、そうなの?」


「え?」


「寒くて死にそうだったから、ここに来たの?」


「……」


 年下の、子供みたいな女の子に。

 図星を言い当てられた。



 周子とは気が合う。

 肌も合う。

 愛もある。

 だけど…ずっと、張り詰めてる。

 周子は戦友でもあって、息を抜ける隙間がない。

 …たぶん、周子も同じだ。


 だから…周子はジェフに会いに行く。

 一度失敗した間柄とは言え、失敗したからこそ…抜き方を分かっている。

 俺に甘えられない周子は、ジェフには甘えるのだろう。



 ボーカリストとしてじゃなく、高原夏希として一緒に居たかった。


 これは、もう…

 恋…じゃないか…。


 周子に抱いた事のない感情。



「…さくらちゃん。」


「何…?」


「どうやら俺は…」


「……」


「君に、恋をしているらしい。」


「え……」


「困る?」


「……」


 俺の告白に、さくらちゃんはしばらく黙ったままだった。

 だけど…俺の胸辺りで止まったままだった手が…

 ゆっくりと、背中に回った。


「…困る…」


「…そうか…そうだよな。」


「でも…」


「……」


「でも、すごく嬉しい…」



 雪が、降り始めた。

 Lipsではきっと、賑やかな音楽が鳴り響いてる。

 さくらちゃんを抱きしめて、そのぬくもりを感じて。

 だけど…

 俺は、親父と同じなんだな…と。


 絶望にも似た感情に、押しつぶされそうにもなっていた。



 * * *


「ニッキー。」


 大晦日。

 事務所ではカウントダウンパーティーが予定されていて、多くのアーティストや関係者、スタッフが朝からめまぐるしく出入りしている。


「ああ…ジェフ。久しぶり。」


 周子とはよく会っているみたいだが、俺がジェフに会うのは久しぶり。

 と言うのも、ジェフはDeep Redから離れて、今は新人のプロデューサーをしている。



「ちょっと…話したいんだが、時間いいか?」


「ああ。」


 俺はジェフに誘われるがまま、自販機でコーヒーを買うと空いているミキサールームに入った。


「…スーの事なんだが…」


 ジェフは俺の顔を見ない。


「ニッキーは、スーと結婚する気はないのか?」


 そう来たか…


「…そうだな。結婚する気はない。」


「スーがしたいと言っても?」


「は?」


 眉間にしわを寄せてしまった。

 周子が結婚したい…?


「それは、本人がそう言ってたのか?」


「いや、例えだよ。たとえば、スーが結婚したいと言ったら…君は結婚するかい?」


「……」


 周子が大事だ。

 周子に対して、愛はある。

 目の前にいるジェフに、渡したくないとも思う。

 だけど…

 俺は、さくらちゃんに恋をしている。

 きっと、これは初恋だ。

 あれだけ、マノンと付き合い始めた頃の、るーちゃんを笑ったクセに…

 俺も、とんだ『はじめてちゃん』だ。



 周子を抱きながら、さくらちゃんを想う事はない。

 周子を抱いている時は、周子だけを想う。


 だが…さくらちゃんと一緒にいると、肩の力が抜けて、優しい気持ちになれる自分がいる。

 彼女の可愛い表情に、こっちまで幸せな気分になれる。

 その時…

 俺の中に、周子はいない。


 同時に想う事はない。

 …だが、それがなんだ?

 俺がしてるのは、浮気とか二股とか、そういう類のものだ。


 親父と同じ血が流れてる。

 そう思うだけで、悲しい気分になった。


 母は、いつも泣いていた。

 愛されてるのが自分だけじゃない、と。



 …俺は、結婚したとしても、きっと繰り返す。

 誰かに安らぎを求めてしまう。

 なぜ…周子にそれを求めないんだろう。



「…彼女が結婚したいと言うとは思えないが、言ったとしても結婚はしない。」


 俺がそう言うと。


「…そうか。」


 ジェフは、小さく溜息をついて頷いた。


「…実は、イヴに会った時…プロポーズしたんだ。」


「また…?」


「ははっ。失礼な奴だな。そうだよ。また、プロポーズした。」


 ジェフは笑いながら。


「結婚する気はないって言われたよ。ニッキーとも、願望のない者同士だから、一緒にいるってさ。」


 コーヒーを飲んだ。


「母が…スーの事をとても好きでね。なんで別れたんだって、俺はずっと責められっぱなしさ。」


「彼女を、愛してるのか?」


 真顔で問いかける。

 するとジェフはコーヒーの缶を指でなぞりながら。


「…それを言ったところで、この状況は変わらない。」


 目を伏せながら言った。



「子供でもいれば…違ったのかもしれないけどな。」


「どう違う?結婚願望と同じで、彼女は出産願望もないだろ?」


 俺の言葉に、ジェフは小さく『え?』と言って。


「いや、スーは子供を欲しがってたよ。」


 思いがけない言葉を出した。


「…え?」


「両親を早くに亡くして、家族が誰もいないからな。結婚はしたくないが、自分の血を分けた子供をたくさん産んで、家族を作りたいと言っていた。」


「……」


 それは…初めて聞く話だった。

 周子とは、誰かの出産祝いを買いに行く事はあっても…周子自身が子供を望んでるとか、そう言った話は一度も出て来なかった。


「…そうか…俺との間にはあり得ないと思って話さなかったのかもな。」


 懸命かもしれない。


「ニッキーは、子供は欲しくないのか?」


「よその子供は可愛いが、俺は自分の子供は要らないな。」


「なぜ?」


「…俺自身がガキなんだろう。欲しいと思った事は一度もない。」


 ジェフは少し残念そうな顔をした。

 もし、ここで俺が子供を欲しいと言ったら。

 ジェフは朗報として、周子にそれを告げる気だったのかもしれない。



「スーと仲良くな。」


「サンキュ。」


 ジェフと別れて歩きながら。

 俺は、周子の幸せについてを考えていた。



 * * *



 イヴにLipsの前で告白して以来、さくらちゃんには会わなかった。

 俺としては、若干落ち込んだのも手伝って、しばらく会う気はなかった。


 ジェフとミキサールームで話した後、メンバーと軽く乾杯をした。

 来年はどんな新しい事をするか。

 そんな軽いミーティングをして、解散した。


 夜はビルの最上階でパーティーがあるが、メンバーはそれぞれ家族で年越しをする。と帰って行った。

 周子は…今夜もジェフの実家らしい。

 俺は、何となく一人の部屋に帰るのがつまらなく思えて。

 エレベーターで最上階へ。



「…え。」


 つい、声を出してしまった。


 カウントダウンパーティーの会場に、さくらちゃんがいる。

 俺は目を凝らしてもう一度見て。


「どうしてここに?」


 声をかけた。


「仕事中なので、詳しくはこれを。」


 そう言ったさくらちゃんは、俺の手に紙を。

 見渡すと、どうやら、サイモンバーガーも出店しているようで。

 会場に広がる香ばしい香りに、サイモンバーガーのブースは大人気だった。


 少しだけ緊張しながら、紙を開く。

 そこには、告白の事は一切書かれていなかった。

 ただ…

 年が明けたら、公園で会わないか、と。

 自分のオフは、1月5日だ、と。

 良かったら、その日にランチしないか、と。


 俺はそれを読んで、さくらちゃんを振り返った。

 しばらく見ていると、彼女がこっちを向いた。

 OK

 口パクでそう言うと。

 さくらちゃんも、同じようにやり返した。


 何となく残っていたが…

 とんだハプニングというか、ラッキーに出くわして。

 …良かった。



『three!!two!!one!!』


 MC担当のDJが、大声でカウントダウンをして。


『Happy New Year~!!』


 窓の外に打ちあがる花火。

 そばにいた何人かが、缶ビールを合わせて来た。

 花火をよりよく見せようとしたのか、会場のライトが少し落とされて。

 俺は会場と花火を見渡せるよう、隅っこにあるステージの階段に向かい…ゆっくりと、そこに座った。


「なっちゃん。」


「あ?」


 気が付かなかった。

 いつの間にか、隣にさくらちゃん。


「見事な忍び足だな。分からなかったよ。」


「明けましておめでと。」


「ああ……」


 かすかに…

 頬に、彼女の唇。


 …おい。

 いい大人が。

 何…頬にキスされたぐらいで…



「…じゃ、まだ仕事あるから。」


 そう言って、暗がりを走り去るさくらちゃん。

 俺は、そっと頬に触って…

 言いようのない余韻に浸った。


 …気持ち悪いぞ、俺。

 何、ドキドキしてんだ…。



 会場に明るさが戻って。

 そこには、笑顔で料理をふるまうさくらちゃんの姿があった。


 …とりあえず。


 5日を楽しみしていよう。



 * * *


「なっちゃん、いつも早いね。」


 寒空の下、公園のベンチで横になってると。

 声が降って来た。

 顔にかぶせてた雑誌を避けると、そこには笑顔のさくらちゃん。


「この時期にベンチで昼寝って、自殺行為だよ?」


 さくらちゃんは笑いながら、落ちかけてた俺のマフラーをかけ直した。


「…サンキュ。」


「せめて、美術館の中庭にでも行かない?あそこなら、屋根もあるし。」


「え?ランチに行くんじゃ?」


「じゃーん。」


 そう言って、さくらちゃんが差し出したのは…

 大きな風呂敷包み。

 …風呂敷なんて、何年ぶりに目にしただろ。


「……」


 俺が絶句してると。


「作って来たの。中庭で座って食べよ?」


 さくらちゃんは、満面の笑み。


「…そうだな。」



 自然と…手を繋いで歩き始めた。

 片手に風呂敷包み。

 片手にさくらちゃん。

 さくらちゃんは、スキップでもしてしまいそうな勢いだ。


 美術館と言っても、街が建てた小さな物。

 無料で入れて、くつろげる。

 そこには何人か先客がいて、久しぶりに天気のいい今日は、サンルーフでは春の陽気だった。



「今日はスペシャルバーガーもあるよ?」


 ベンチに座ると、さくらちゃんは風呂敷解いた。

 まるで手品でもするんじゃないかと思うような、その指先に小さく笑う。


「じゃーん。」


 風呂敷から出てきたのは、重箱。

 懐かしい物を見た気がした。

 高原に養子に行って、何度か自宅で迎えた正月に。

 伊勢海老や数の子や…栗きんとんに黒豆に…


「さくらバーガーもあるよ。」


 蓋を開くと、そこには御節とは言えないような品々…


「どれがさくらバーガーって?」


「これこれ。」


 三段重ねの重箱。

 さくらちゃんが上の段を持ち上げると、下から出てきたのは…


「…普通のハンバーガーに見えるけど。」


「食べて食べて。」


「…いただきます。」


 具は、レタスにトマト、ハムにオリーブにチーズ。

 …うん。

 普通に美味いが…


「どこがさくらバーガー?」


「あたしの好物ばかりなの。」


「……」


 分かるかっ。

 目を細めながら、続きをいただく。


「こっちも食べてね。」


 意外と…料理は得意なのか。

 重箱は、料理でいっぱいだ。



 バラエティに富んだ御節だった。

 肉じゃがの隣にパーティーピックに巻かれたスパゲティがあったり。

 酢豚の中のキウイはいただけなかったが、さくらちゃんにとっては、パイナップルもキウイも変わらないらしい。

 カラフルな春巻きや、野菜チップス。

 …いったい、どれだけの時間を割いて作ってくれたんだろう。



「ご馳走様でした。」


 手を合わせて言うと。


「すごい。礼儀正しい。」


 さくらちゃんは笑いながら重箱を片付けた。


「美味かった。」


「ほんと?嬉しいな。」


「…俺の方が嬉しい。」


「えー、何それ。張り合う?」


「だって、俺のために作ってくれたんだろ?」


「あたしが食べたかったんだよ?」


 さくらちゃんは小さく笑いながら。


「まあ…なっちゃんと、食べたかったから…頑張ったけどね。」


 照れくさそうに、首をすくめた。


「……」


 頭に手を伸ばして、わしゃわしゃと撫でる。


「あっ、もう。せっかくセットして来たのにっ。」


「セット?洗ってほったらかしてても大丈夫な髪型だろ?」


「失礼なーっ!!」


「あははは。」



 平和で。

 穏やかで。

 心地良くて。

 この時ばかりは、何もかも忘れる。


 自分がDeep Redのフロントマンだと言う事も。

 さくらちゃんと六つ違いという事も。


 …周子と、暮らしている事も…。

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