第9話 高原夏希 9

 それから俺は、足繁く『Lips』に通った。

 Lips

 さくらちゃんが、歌っているバー。


 ピアノの弾き語りをする彼女は、シャウトしていたさくらちゃんと同一人物とは思えないほど…

 大人びていた。

 初めて見た時は、声を聴くまで本人と気付かなかったぐらいだ。


 ロングヘアーのウイッグ。

 肩の出たドレス。

 これは…かなりの変装テクニックだ。と感心したほどだ。



「レの音が少しフラットするな。」


 ステージが終わって、化粧を落としたさくらちゃんがカウンターにやって来ると。

 そこでは、いつも反省会が始まるようになった。


「あ~、やっぱ、なっちゃんにはバレちゃうか。」


 髪の毛をくしゃくしゃにしながら、さくらちゃんが笑う。


「あたし、たぶんレが鬼門なんだよね。なんでかな。ミはちゃんといくのに。」


 …正直…

 さくらちゃんの声に、俺はどっぷりハマりまくっている。

 本当に、いい声だ。

 毎日でも聞いていたい。



「それにしても、なっちゃん暇人?」


「あーあー、毎晩来て申し訳ないな。暇人です。」


「ふふっ。あたしは嬉しいけど。」


「……」


「先生が来てくれたら、自分では分からない弱点が分かるし。」


 …だよな。



 もうすぐ、12月。

 さくらちゃんとは…あれから別に何もない。

 一度抱きしめて、手を繋いで歩いたが…あれ以降は週に一度のレッスンと、Lipsで会うぐらいだ。

 …会うぐらいと言っても、Lipsには週四で通ってる。

 そんなわけで…

 俺とさくらちゃんは、週に五日会ってる事になる。



 幸い、ライヴの予定もないし、今は暇な時期だ。

 それに…

 今は、自分の事より、さくらちゃんをシンガーとして育てるのが楽しい。

 もっと上手くなったら、事務所を紹介してもいいんだが…



「二人は付き合ってるのかい?」


 ふいに、バーテンダーが俺たちを見ながら言った。


「まさ」


「付き合ってるように見えるか?」


 まさか。と言いかけたさくらちゃんの声を遮って。

 俺は、そう返してみた。

 するとバーテンダーは俺たちをマジマジと見て。


「ん~…兄妹って感じかなあ…」


 苦笑いをしながら言った。


 …だよな。


 そう言われて当然と思いながらも、なぜかガッカリしてる自分もいる。

 俺は年齢不詳だと言われるが、さくらちゃんは21には思えないほど童顔だし…雰囲気が幼い。


 愛美まなみちゃんより一つ年上…だよな。

 ナオトが愛美ちゃんと付き合い始めた時、七つ違いってこんなに差があるのか。と思った。

 俺が今まで付き合ってきたのが、落ち着いた雰囲気の女ばかりだったからか…愛美ちゃんは俺にとって、かなり幼く映る。


 その、愛美ちゃんよりも。

 さくらちゃんは、ずっと若く思える。

 16とか17とか。


 本来若く見られるのは嬉しいのだろうが、さくらちゃんは童顔を気にしてるのか…いつも頬を膨らませる。

 …本人に言ったら怒りそうだから、これは言うまい。



「シェリーは子供だからな。」


 俺が言うまいと思ってるのに、バーテンダーが言って。


「もう!!気にしてるのにっ!!」


 案の定、さくらちゃんが頬を膨らませる。

 …そういう所が子供っぽいって言われるのにな。

 ははっ。


 と…


「シェリー?」


「ああ、あたしの事。さくらって呼びにくいみたいだから。」


「チェリーにすれば良かったのに。」


 クスクス笑いながら、さくらちゃんのピョンと上がった前髪を人差し指でおろす。


「可愛すぎると思って。」


 そんな俺の指先を、さくらちゃんは上目使いで見る。

 …表情がくるくる変わるのが、楽しい。


「ピッタリじゃん。」


「ほんとに?なっちゃん、あたしの事、可愛すぎるって思ってるの?」


 …う。

 さくらちゃんは、下から覗き込むようにして。

 しかも真顔で…俺の目を見ながら言った。


 …ほら。

 そんな顔すると…


「…うん。そういう顔すると、連れて帰りたくなるな。」


「えっ…」


「にゃ~って鳴いてくれると、もっと可愛い。」


「あたし、猫!?も~っ!!」


「あははは。」



 それから、さくらちゃんは店のオーナーに呼ばれて、手を振りながらバックヤードに消えた。

 俺は一人で飲みながら、ああ…帰らなきゃなー…なんて…


 最近、周子はあまり帰って来ない。

 どこに居たのか聞くと、事務所にいたとか友達の家にいたとか…

 …ジェフと一緒なのかもしれない。

 先週、二人がカフェにいるのを見かけた。

 元、夫。

 お互い自由な方が性に合ってる。と別れた二人。

 自由になると、親友になれた。と言っていた。


 …親友か。



「あんた、シェリーに惚れてるだろ。」


 ふいに、バーテンダーが言った。


「え?」


「彼女を見る目が、恋してる目だ。」


 その言葉に、俺は一瞬目を丸くした。


「ははっ…まさか。可愛いとは思うけど、彼女は年の割に幼すぎる。」


「まあ、それは確かに。でも、きっと誰が見てもそう言うよ。あんたは、恋してるってね。」


 恋…?


「…残念ながら、俺にはとびきりいい女がいてね。」


「それはそれは。じゃ、シェリーと一緒にいる所は見られないようにしなきゃな。トラブルの元だ。」


「助言ありがとう。」



 恋。


 周子に抱いたと思った愛と…

 さくらちゃんに対して抱いてるそれは、確かに違う。


 だけど…



 抱きしめたい。


 今、そう思うのは…

 周子じゃなく、さくらちゃん…なのかもしれない…。


 ただ、それは。

 抱きたい。

 じゃ、ない。


 * * *


 12月に入ると、急な仕事がいくつか入った。


 んー…このスケジュールだと、しばらくレッスンは無理だな。

 それをさくらちゃんに伝えようにも…俺たちは、連絡先の交換さえしていない。

 とは言っても…教えようがない。


 俺は仕方なく、バーガーショップへ向かう。


「いらっしゃいませ。」


 店内をキョロキョロすると…いた。

 白とグリーンのストライプのシャツ。


「制服も似合うな。」


 さくらちゃんの前に立つと。


「あっ、なっちゃん。どうしたの?」


「ん?ちょっと用があって。」


「えー、何?あっ、ご注文お伺いします。」


 他の店員の目が気になったのか、突然オーダーを取るさくらちゃんに笑いながら。


「ちょっと仕事が忙しくなるから、しばらくレッスン出来そうにないんだ。」


 声のトーンを落として言う。


「え…そうなんだ…」


「ああ、ごめん。えーと…サイモンバーガーと、コーヒー。」


「Lipsには?…コーヒーのサイズはどれにしましょう?」


「今週は行けない。Mサイズで。」


「そっか…残念…」


 さくらちゃんは、本当にガッカリした顔になったけど。


「仕方ないよね…うん。仕事、頑張ってね。」


 そう言って、笑った。


「…ありがと。」


「テーブルまでお持ちします。お好きな席にどうぞ。」


 やっぱり…心地いい。

 あれだけ毎日会ってたのに、しばらく会えないとなると…俺が寂しくなりそうだ。


 一人の女にここまで執着するのは、生まれて初めて。

 …あのバーテンダーが言う通り、これは恋なんだろうか…


 何となく、マノンにもナオトにも話せなかった。

 子供相手に!!と思われるのが嫌だったのかもしれない。



「お待たせいたしました。」


 窓際の席に座ってると、さくらちゃんがトレイを持ってやって来た。


「あと、これ…サービス。」


 さくらちゃんは店内をチラッと見た後、素早くポケットから何かを出した。


「?」


 手渡されたそれを見てみると…ドリンクチケット。


「あたし、日曜以外は居るから。」


「…通えって?」


「うーん…仕事の合間に、来れる時は。」


「……」


 ドリンクチケットを手に、それを眺める。

 バンドに集中しなきゃいけない。

 俺はDeep Redのフロントマンだぞ?


「仕事が一段落ついたら来るよ。これ、ありがと。」


 そう言いながら、チケットをポケットに入れる。

 …使う日はしばらくないかもしれないが。


「コーヒー、お代わり自由だから、呼んでね。」


 さくらちゃんは小声でそう言って、持ち場に戻ろうとした瞬間…



「あの…もしかして、Deep Redのニッキーですか?」


 高校生ぐらいの男二人が、やって来た。

 …ああ…こんな時に…


「……」


 案の定、さくらちゃんが俺と彼らを交互に見る。


「…ああ。」


「やっぱり!!CD全部持ってます!!」


「ありがとう。」


「サイン書いてもらえますか?」


「いいよ。」


 渡されたマジックを手にすると、二人はそれぞれ着ているTシャツとブルゾンにサインを書いてくれと言った。

 その一部始終を、さくらちゃんは茫然としながら見ていた。


「ちょっと、シェリー。」


「あ…あ、はい…」


 カウンターの奥から呼ばれて、さくらちゃんが持ち場に戻って行く。


「頑張ってください!!ずっと応援してます!!」


「ありがとう。」


 マジックを返して、握手をする。


 …カウンターの奥を見る勇気がなかった。

 俺は嘘をついた。

 きっと彼女は、俺が素性を明かさなかった事を、責めはしない。


 …こんな所で時間をつぶしてるわけにはいかない。

 早く食って、事務所に帰らなくては。


「…ちくしょ…美味いじゃないか…」


 こんな時でも、サイモンバーガーは美味かった。

 胸の奥がモヤモヤして、気持ちが悪いのに。



 帰り間際にカウンターを見たが、さくらちゃんの姿はそこにはなかった。

 店の外に出ると、駐車場に居るのが見えた。

 エプロンを外してる…って事は、休憩中。



「…あ…」


 俺に気付いたさくらちゃんは、息を飲んだ後…小走りにやって来た。


「なっちゃん、有名人だったんだね。今、お店のみんなからも言われた。有名なバンドのボーカリストだ、って。」


 さくらちゃんは笑顔…だが、今までのそれとは違う。


「…悪かったな。言わなくて。」


「ううん。仕方ないよ…」


「仕方ない?」


「警戒したでしょ?あたしみたいに、孤児で素性が確かじゃない子なんて…」


 さくらちゃんの言葉に、俺は距離を詰める。


「それは違う。」


「ううん、いいの。」


「いや、本当に違うんだ。」


「今まで楽しかった。ありがと。じゃ、ね。」


 そう言って駆け出そうとするさくらちゃん。


「ちょ…待てよ。何言ってんだ。」


 腕を掴んで振り向かせると…


「…さくらちゃん…」


 さくらちゃんは、ポロポロと涙をこぼした。


「……ほんとは、知ってたの…」


「え…?」


「知ってたけど…言いたくなさそうだったから、言ってくれるまで待とうと思ってた。」


「……」


「もう、来ないで。」


「え…」


「ここにも、Lipsにも。」


「……」


 無言の俺の腕を振り払って。

 さくらちゃんは駆け出した。



 …傷付けた…


「…は…」


 溜息にならない溜息。

 誰かを傷付けるのは、自分が傷付くよりもずっと…



 辛いものだと、初めて知った…。



 * * *



「最近、調子悪そうね。」


 周子が俺の前にコーヒーを置いて言った。

 メンバーからも、声が出てないと言われる。

 別にそんなつもりはないが、みんなから言われるということは、そうなんだろう。


 …情けない。


「…ああ…」


「どうしたの。夏希らしくない。」


「…俺らしくない…か。」



 明日はクリスマスイヴ。

 午後からテレビ出演が二本。

 それ以降は何もない。


 窓の外からは、近くの店から流れるクリスマスソング。

 今や、テレビをつけてもラジオをつけても、流れてくるのはそればかりだ。

 街中がイルミネーションに輝いて、まるで世界中の誰もが幸せなんじゃないかと錯覚してしまう。



「周子、明日の予定は?」


「…夜はパーティーに行くわ。」


「パーティー?何の?」


「…ジェフの身内のパーティーがあるの。」


「……」



 周子と同棲を始めて、二年。

 最初のクリスマスは一緒に居た。

 去年のクリスマスは、俺はツアー中だった。

 …周子が何をしていたかは…知らない。



「…そうか。」


 小さく溜息をつくと。


「あなたも、誰かと過ごしたら?」


 周子はそう言いながら、バスルームへ向かった。

 …誰かと過ごしたら?か。


 お互いを束縛すること無く、上手くやって来た。

 一緒に暮らしていても、痒い所に手が届くような周子に不満はない。

 あるわけがない。

 だが…


 ジェフとは離婚した。

 だけど、きっと今はいい関係が築けているのだと思う。

 夫婦という形さえなければ、周子はジェフとも、その身内とも上手くやれていたのだろう。


 …俺はここにいて、いいんだろうか。

 ふと、そんな考えがよぎる。

 周子は、本当はジェフとよりを戻したいんじゃ…?




「……」


 俺は立ち上がって服を脱ぐと、バスルームに向かった。


「…あら。」


「周子。」


「…どうしたの?」


 シャワーを浴びていた周子の首筋に、唇を押し当てる。


「…ここで?」


 周子が、俺の髪の毛に指を絡ませながら笑った。


「ここでも、ベッドでも…」


 周子の体は魅力的だ。

 初めて会った頃は、いつもメンズのシャツを着ていたせいか、そのスタイルの良さには気付かなかった。

 一緒に暮らし始めて…身体を重ねるようになって…

 今までで一番の、抱き心地の良さだと思った。



「あっ…夏希…」


 指を絡めて、体中にキスをした。

 強く吸って、あちこちに痕を残した。

 明日、もしジェフがドレスを脱がしたとしても…気分が萎えるぐらいに。


 まるでガキだ。

 …これは、嫉妬か?



「夏希…もうダメ…もう…」


「…まだダメだ…」


「あっ…あ…夏希…っ…」


 周子が何度頂点に達しても、俺は周子を攻めた。


「…もう…」


「周子…」


「夏希…お願い…やめ…あっ…はあっ…」


 渡したくない。

 誰にも。


 …これは…



 これは。



 愛、だ。

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