第7話 高原夏希 7

「おう。何だ?こんな所に溜まって…るーちゃんまで?」


 ツアーの打ち合わせで事務所に出向くと、ロビーにナオトとマノン、そして…るーちゃんがいた。


 そして、三人の向こうにいたのは…


「……」


 誰だ?と、ナオトに首を傾げると。


「…あー…愛美まなみの兄貴で…」


「俺の幼馴染で、るーの友達でもある浅井あさい しんや。」


 ナオトに続いて、マノンが紹介した。


「浅井 晋…『FACE』のギタリストか。」


 FACEは俺たちと同じダリアを拠点としたライヴを展開していたバンドで、いわば後輩。

 店長の強い勧めもあって、渡米した。

 噂は聞いていたし、一度聴いた音源は、まあ…俺ら同様日本よりこっちウケする気がした。

 マノンがギターにハマったからこそ、浅井 晋のギター人生も始まったらしい。


 まだスタジオで数回見掛けたぐらいだが、関西人なのに暗い。

 そして、マノンが言ってたほど…上手くない。

 俺の中では、そんな印象しか残っていない。



「あー…そしたら俺帰るわ。」


 晋が帰ろうとすると。


「ええやんか。みんなで飯食おうで。」


 マノンがそれを制した。


 …何か深刻な話でもしてたのか?



「タイミング悪かった?」


 小声でるーちゃんに問いかける。

 すると、るーちゃんは。


「ナッキーさん、飲み物買いに行くの、付き合って下さい。」


 そう言って、俺の腕を取った。


「あ?ああ…」


 マノンが妬くんじゃ?と思ったが…マノンは真剣な顔のまま、晋に向き合っている。



「…実は、プロデューサーに、ギタリストを変えろって言われたみたいで…」


 事務所の前にあるカフェで、コーヒーのテイクアウトをしながらるーちゃんが言った。


「まあ…あの程度の腕なら、掃いて捨てるほど居るからな…」


「浅井君…本当はもっと出来るんだけど…今ちょっと精神的に…」


「精神的に?何かあったのか?」


「……」


 るーちゃんはチラッと事務所を振り返って。


「…ついて来るはずだった彼女が、来なかったんです…」


 うつむきながら、言った。


「……」


 …甘い。


 と、今までの俺なら言ったと思う。

 俺の中では、誰が死のうが家が燃えようが、対リスナーには自分の全力をぶつけるしかない。


 だから、女にフラれたぐらいで…

 と、今までの俺なら、間違いなくそう思ったはずだ。



 だけど。

 周子に対する想いを持って。

 俺の考え方も、変わった。

 甘い事は甘い。

 だが、同情する。



「おい。」


 俺はロビーに戻ると、晋の前に立った。


「……」


 晋は暗い顔のまま、俺を見る。


「おまえのギター、こんなままで終わっていいのか?」


「……」


「おまえ、何しにアメリカに来た?こっちに来て、おまえの全てを出し切らない内に終わっていいのか?」


「……」


「おまえが出来ないのは誰かのせいか?」


「…ちゃいます…」


「なら、やれよ。」


「……」


「おまえのせいなら、おまえなら立て直せるだろ。」


「……」


「おまえと一緒にやって来たメンバーや、おまえらを推してくれたダリアの店長に、応えたいと思わないのか?」


「……」


「おまえの感情一つでバンドの士気を下げるな。」


「……」


「とにかくやれ。プロはそんなに甘くない。」


 俺の言葉に、晋はだんだんと目を細めて。


「…あんたの言う通りや。」


 低い声でそう言いながら、背筋を伸ばした。


 そして。


「見とれよ。俺のギターで歌いたい。言わせてみせる。」


 ニヤリともせず、真顔でそんな事を言って。


「今日は帰る。ギター弾かなあかんからな。」


 ナオトとマノンとるーちゃんに早口で言って歩き始めた。


「晋。」


 マノンが声をかける。


「俺、おまえがこっち来るの、ホンマ楽しみにしてた。」


「……」


「せやから、待ってるで。」


「…何を。」


「おまえが、FACEとしてデビューするのを、や。」


 その言葉に、ナオトとるーちゃんも頷く。

 晋はしばらく無言で何かを考えているようだったが。


「…せやな。」


 小さくそう言うと、手を上げて事務所を出て行った。



「……」


「……」


「……」


「はあ~…」


 最初に沈黙を破ったのは、マノンだった。


「ナッキー、ようズケズケ言うたな。」


「ズケズケだったか?だいぶオブラートに包んだつもりだけどな。」


「…まあ、今までやったら、もっとストレートやったか。」


 マノンは、ずっと無言で立ってるるーちゃんの肩を抱き寄せて。


「大丈夫や。晋は負けず嫌いやから…きっと立ち直るって。」


 優しい声で、そう言って。


「俺が晋の代わりに泣きそうになった。」


 ナオトは俺の肩にもたれかかって、泣く素振りを見せた。



 * * *


「マノン、もうすぐパパだな。」


 ツアーも終盤。

 毎日のように、るーちゃんに電話をしているマノンにそう言うと。


「ああ。楽しみでしゃーないねん。」


 マノンは極上の笑み。


「…聞いてもいいか?」


「ん?」


「るーちゃんの事…今も、すごく好きか?」


「は?」


 マノンはキョトンとした後。


「当たり前やん。」


 何の曇りもない笑顔で言った。


「…確か…付き合って七年ぐらいだよな?」


「ああ。」


「それでも気持ちは変わらないのか?」


「おかしな事聞くんやな。」


 マノンはクスクス笑いながら。


「形は変わった思うで。ただがむしゃらに好きや思うてたのが、なんちゅうか…愛が深くなった言うんかな…」


 優しい表情で言った。


「深く…?」


「ああ。ちょっとした事で、愛しいなー幸せやなー思うてたけど、今は日常自体が愛しい思うねん。こうやって、離れてる間もな。それって、俺が安心して仕事できる環境を、るーが作ってくれてるんやん?それでますます俺は頑張ろう思えるし、守りたい思うし、大事にしたい思うんや。」


「……」


 マノンのこれが愛だとしたら。

 俺の、周子に対するそれは…違う気がする。


 周子は、俺がいなくても自分を守れる。

 俺は、周子に対して、そばにいたいとは思うが…守りたいと思わない。

 なぜだろう。


 それに…

 俺は周子に、『好き』の一言も…口にしていない。

 もちろん『愛してる』も。


 それでも二人での生活は上手くいっている。

 と思う。

 仕事のペースは違うが、俺たちはそれぞれのスケジュールを尊重して、時間が合えば一緒に飯を食うし、出かけたりもする。

 同じ時間にベッドに入れる事が少ないのが気がかりだが…セックスはしている。

 しかし結婚という言葉は俺からも周子からも出て来ない。


 一緒に暮らして一年半。

 俺はいまだに、周子についての詳しい事は知らない。

 知ってる事と言えば…

 生年月日と血液型と、今の職業…そんなもんか。



「ナッキー、一杯飲まないか?」


 ナオトがホテルの部屋で言った。

 ツアー中、俺はアルコールを一切飲まない。

 それを知っているナオトの手には、ハニーレモンティー。


「いただこう。」


 ベッドの上にあぐらをかいて、それを受け取る。


「もうすぐ結婚して一年だな。子供の予定は?」


 ナオトに問いかけると。


「その一年の半分はレコーディングとツアーだからな…帰ったら少し二人で旅行でもして、それから考えるさ。」


 ナオトの手には、缶ビール。

 とりあえず乾杯をして、一口飲んだ。


「ナッキーは周子さんと結婚しないのか?」


 俺と周子が一緒に暮らし始めて、なぜかナオトは『周子さん』と呼び始めた。

 それまで『スー』と呼んでいた面々も、次第にそれに感化されたのか…今ではるーちゃんや愛美ちゃんまでもが、周子さんと呼ぶ。


 それについて周子は。


「何だかくすぐったいけど、自分が戻って来たみたいな感じもして…ちょっと嬉しいかな。」


 と笑った。


「夏希が…周子って呼んでくれた日の事、あたし…たぶん一生忘れない。」


 たまに…そんな可愛い事を言うが、基本周子はとてもクールだ。

 まあ、中身が甘えん坊な俺にはちょうどいいのかもしれないが…


 たまに見えてしまう、周子のバリア。

 周子は、どんなに仕事で行き詰っても、人間関係で悩んでも…俺に泣き言の一つ、愚痴の一つも言わない。

 それが…少し寂しかったりもするが…

 俺も言わないからな…



 結局俺たちは、腹を割ってない…と言われたらそうだが、お互い強がって生きていくには最高のパートナーとも言える。


 気持ちが弱っていても、抱き合って眠れる存在が居れば満足だ。

 俺はそれで満たされるし、周子もこれ以上を望む事は言わない。


 ただ…

 いつ終わってもいいように。なのか…

 先の約束をしない。



「相変わらず結婚願望が湧かないんだよな。」


「周子さんも?」


「向いてないって言ってた。」


「まあ、分からなくもない。」


 ナオトはそう言って。


「でも、俺としては…ナッキーが子供をあやしながら、デレデレな顔をする所が見たいんだけどな。」


 笑った。


「あはは。残念ながら、俺は子供は要らない。でも、マノンやおまえの子供が生まれたら、間違いなくデレデレになる。」


「なんだよそれ。」


「早く作れ。」



 俺にとって、メンバーは家族だ。

 こうやって音楽を続けながら、みんなと一緒に居られる今が…

 俺には幸せ以上の何物でもなかった。



 * * *



「な…なんなんだ…この可愛さは…」


 六月。

 るーちゃんが男の子を出産した。


 病院には駆け付ける事が出来なかったが、退院して落ち着いただろうと見計らって、今日は俺とナオトと愛美ちゃんで朝霧邸を訪問している。


 男が産まれると聞いた時は、えー、女の子が良かったのにー。と文句を言って、マノンに頭突きされた。

 しかし…

 目の前にいるマノンの息子は…


「ダメだ…連れて帰りたい…」


「…ナッキーがメロメロんなっとる…」


 マノンが苦笑い。


 赤ん坊ってのは、みんなサルじゃないのか?

 小さくてしわくちゃで、並べてみたら同じ顔ばかりで。

 赤い顔をして泣くし、その泣き声も得体の知れない生き物のような声だし。

 可愛いと思えるのは、きっとハイハイができるようになったぐらいだ。と思ってた。


 こう言っては悪いが、実際…ゼブラの娘、めいちゃんは、そうだった。

 病院で対面して、その見事なサル面に笑いを我慢して…我慢し切れなくて…

 ゼブラに『二度と会わせない』と激怒されたんだ。

 そして本当に会わせてもらえてないという…



 ベビーベッドに横たわるマノンの息子は…目がパッチリとして、茶色い髪の毛はうっすらで…


「ああ~本当可愛いっ!!るーさん、抱っこしていいですか?」


 愛美ちゃんが俺の横から顔を覗かせて言った。


「どうぞ。」


 ああ…

 俺も抱っこしたい…

 でも、こんなふにゃふにゃな赤ん坊…

 落としてしまったらと思うと、恐ろしくて無理だ。


「あっ…あっ、愛美ちゃん、気を付けて…」


 俺が両手をバタバタさせながら、愛美ちゃんの手元を見てそう言うと。


「…やだな、ナッキーさん。ナッキーさんの手つきの方が怖い。」


 愛美ちゃんは眉間にしわを寄せた。


「見て、ナオトさん…あくびしてる…」


「わ…ほんとだ…可愛いなあ…」


 ナオトと愛美ちゃんは、まるで我が子のように見つめてデレデレになっている。


 …おまえらも、早く作れ。



「名前、光史こうしだっけ。」


 俺が問いかけると。


「そ。光って漢字は親父からもろた。」


 マノンは腕組みをして笑った。


 …ああ、そうか。

 マノンの親父さんは、朝霧あさぎり光太郎こうたろうさん。

 マノンがプロデビューする事を信じてくれた。

 …晴れ姿を見る事なく、他界されたが…

 きっと、天国で今のマノンを自慢してるに違いない。



「おーっす。」


 車が停まる音がして、外を見ると…ミツグ夫婦とゼブラファミリー。


「これお祝い。」


「おっ、サンキュー。」


「お邪魔します。」


「どうぞどうぞ。」


 そんなやりとりがあって、最後に玄関に入って来たのは…

 ゼブラと手を繋いだ、めいちゃん。


「あ。」


 俺はその姿に目が釘付けになった。


めいちゃん…か…可愛い…」


 俺は相当目をキラキラさせたのか、そんな俺を見たゼブラは、かなり勝ち誇った顔をした。


「こんにちは。」


 しゃがんでめいちゃんに言うも、彼女はおびえたような顔でゼブラの後に回り込んだ。


「ははっ。よくもあの時は笑ったな!!って、根に持ってんだぜ。きっと。」


 ゼブラがそう言うと。


「間違いないな。」


 ミツグもそう言って笑った。


「ヤバいな…この可愛さ…良かったな…ママに似て…あてっ。」


 額に、ゼブラの膝が軽く入る。


「てめえ、この距離でいい度胸してんな。」


「ああ…そう言われると、耳はパパ似だな。あと、クセっ毛とか。」


めい、おじちゃん嫌いって言ってやれっ。」


めいちゃーん。おじちゃん、アイス買ってあげるよ?何なら、家も買ってあげるよ?」


「あっ、俺も欲しい。」


「俺も俺も。」


「なんだよおまえら…デカい家住んでるクセに…」


 俺以外は、みんな一戸建ての大きな家だ。

 庭には芝生もあって、なんならブランコもありそうな…



 周子も一緒にくれば良かったのに。

 少し、そう思った。

 子供は苦手だから、と、仕事に行った周子。


 こんな幸せな家族の中に一人で居ると…

 少し、羨望の気持ちが湧いた。



 …俺らしくないな。

 だけど…

 やはり、羨ましかった。


 この、溢れんばかりの愛が。

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