第4話 髙原夏希 4

 マノンが高校三年になって、すぐのライヴの後。

 控室で珍しく思い出し笑いをするマノン。


「…何笑ってんだ?」


 ゼブラが気味悪そうに問いかけると。


「いや、今日な、おもろい女がおってん。」


「おもろい女…客席で重量挙げでもやってたか?」


 俺だったら、それは面白いとは言わずに怖いと言うけどな。

 そんな事を思いながら、二人の会話を聞き流していると。


「なんやろな…も一回会うてみたいな。」


 マノンの口から出たとは思えないような、純粋な言葉。

 もう一回ヤリたい。じゃなくて?と、つい言いそうになった。

 しかし、純粋だと思ったのも束の間…

 マノンが『おもろい』と言ったには、わけがあった。


 何もかもが、初めてづくし。


 それを聞いた時、俺はマノンがその女の初めてを全て奪ってやる気でいるのか。と不安になった。

 実際、初めてのタイプだから落としてみたい。みたいな事も言っていたし。

 初デートから初キスから初セックスまで…

 俺たちの周りには好奇心で早くに済ませてしまう女が多い中、そんな希少価値な女がいる事自体が奇跡だ。

 ライヴの後で近寄ってくる女の大半が、打ち上げで酔ったふりをして、抱きついてくる。

 そして、この後どうなってもいい。なんて言うんだ。


 ライヴが盛り上がった夜ほど、誰かを抱きたくなる。

 本当に割り切れるタイプかどうかを見極める慎重派な俺と。

 寝れるなら誰でもいいマノン。

 ライヴの後は打ち上げも出ずに帰る、年寄り体質なナオト。

 派手な俺とマノンの影に隠れて、実は美味しくやっているミツグとゼブラ。


 誰が聞いたって、そんな『はじめてちゃん』の相手に相応しいのは、ナオトだろう?



 しかし…はじめてちゃんに出会ってからというもの…

 心なしか、マノンに熱が戻って来た。

 久々の熱いマノンに納得がいったのか、ダリアの店長からGoが出た。


「おまえら、ワンマンライヴやらないか?」


 ワンマンライヴ。

 当然、みんな盛り上がった。

 一気にプロへの階段を駆け上がれる気がした。

 まあ…実際は、そんなに甘くはないのだが。



 そして、Deep Red初のワンマンライヴは、ダリア最高の総動員数を記録するほどの大盛況ぶり。

 もちろん、アンコールで同じ曲はやらない。

 相変わらず地道に売ったカセットテープと、回数を重ねたライヴで、客も一緒にノってくれた。


 歌いながら思った。

 俺たちサイコーだ!!


 そんな興奮冷めやらぬ数日後…

 事件は起きた。


 マノンの取り巻きが、はじめてちゃんに突っかかったらしい。

 偶然マノンが通りかかって、事なきを得たようだが…マノンは落ち込んでいた。

 自分と関わると、ああいう事が起きる、と。


 俺は目を疑った。

 今まで、マノンの女絡みのもめ事なんて、山ほどあった。

 いくら俺が注意した所で、空返事しかしてなかったマノンが。

 うなだれてる!!

 反省もしている!!


 いったい…はじめてちゃんは、どんな子なんだ!?



 そして、偶然…たまたま乗った電車で。

 俺は『はじめてちゃん』と遭遇した。

 正直言って、ガッカリした。

 マノンほどの男が、口説き落としたいと思うようなタイプじゃない。

 彼女には申し訳ないが、俺はマノンの好みを疑った。


 その時の俺は、どうかしていた。


 まるで、マノンにマリを『くれてやった』ような感覚でいたのだと思う。

 パッとしない印象、冴えない女をマノンが連れて歩く姿なんて、想像したくなかったのかもしれない。



「何だよ。物珍しいから落としたいだけだっつってたじゃん。まさか、本気なわけ?」


「……」


「あれれー?なんで黙るの朝霧君?マリが悲しむぞ?」


「…マリはナッキーの女やんか。」


「俺が何も知らないとでも思ってんのか?」


「……」


「俺がいない夜、おまえらやってんだろ?」


「……」


「はじめてちゃんなんて、マリを自分から離すための口実だろ?」


「ちゃうわ!!」


「はーん。じゃ、おまえの好み疑うな。マリの後があれじゃ、誰も納得しねーよ。」


 本当に、どうかしていた。

 まさかとは思うけど…

 俺はこの時すでに気付いていたのかもしれない。

 マノンが、はじめてちゃんに本気になっていることを。


 そして…

 自分でも認めたくないが…


 取られたくない。


 そんな気があったのかもしれない。



 その後、マノンと『はじめてちゃん』は恋人同士になった。

 あの時、取られたくないと思った感情が何なのか、自分でもよく分からない。

 ただ、彼女を侮辱した自分が嫌で、俺は『はじめてちゃん』に会いに行った。


 最初の印象と違った。

 それだけで、『こういう子もいるんだな』なんて思えたのが嬉しかった。


 マノンのために、変わろうとしてくれている。

 それは、マノンが変わろうとしているのと同じで、二人の気持ちが近寄ろうとしていることでもあった。


 偶然にも、彼女…『るーちゃん』は、我が弟、陽世里ひよりの婚約者である、七生ななお頼子よりこちゃんの親友でもあった。


 会社の立て直しに一役買わされた若い二人。

 俺が期待されてない事は百も承知だったが、陽世里ひよりが高校を中退してまで結婚すると聞かされた時は、ショックもあった。



 俺の感情はさておき、マノンに熱が戻って来たのが嬉しかった。

 るーちゃんの言動一つで、あのマノンがあたふたするサマがおかしくも思えたし、嬉しくもあった。



 日本に来て、ナオトと出会って、バンドに夢中になった。

 女は出来ても、夢中になるほどじゃない。

 そんな俺が、弟の結婚式のために…ラヴソングを書いた。

 もっとサクサクッと書けると思ったが、意外にも苦戦した。

 当然か…。


 まだ本当の愛なんて知らない俺が、それを書こうとした所で。

 なんの説得力もありゃしない。



 結婚式当日。

 パーティー会場では、着飾ったるーちゃんにも会った。

 なるほど、彼女は原石らしい。

 あまりの可愛らしさに軽くハグをすると、マノンに怒鳴られた。


 いつもは目立つ場所で堂々としているマノンが、なぜかこの日は会場の隅っこで、るーちゃんに寄り添っていた。


「なんだあいつ。あんな隅っこで。」


 俺がワインを飲みながら笑うと。


「今日、やたら可愛いから、離れたくないらしい。」


 ナオトも苦笑い。


「あはは…確かに可愛いな。見違えた。」


「こっちに連れて来ればいいのにって言ったら、隅っこで一人占めしときたいってさ。」


「……」


 俺とナオトは顔を見合わせて。


「ガキかっ。」


 笑った。



 新婦の頼子ちゃんは、とても綺麗だった。

 義理の妹が出来た喜びは、ほんの少しあったように思う。

 とは言っても、陽世里は婿養子に行くのだが。

 決められた結婚とは言え、小さな頃からお互いを知って交流を持っていた二人には。

 それなりの絆と愛情があったらしい。


 ウェディングドレスに身を包み、極上の笑みの頼子ちゃんの隣で。

 我が弟、陽世里は号泣していた。

 …それは、今から重くのしかかるであろう色んなプレッシャーからなのか。

 ただ、幸せの涙なのか。

 それは分からなかったけれど。


 俺は、二人を心から祝福した。



「ではここで、新郎陽世里さんのお兄様、夏希さまより、歌のプレゼントです。」


 マイクを手に、俺は二人の顔を見る。


「陽世里、頼子ちゃん、結婚おめでとう。」


 全体にシャンパングラスを掲げて、乾杯のポーズをした。


「俺は早く『おじちゃん』って呼ばれてやってもいいから、早婚ついでに子供も早いとこよろしく。」


 そう言うと、会場からは冷やかしの声。

 陽世里は『あちゃー』みたいな顔をして首をすくめて、頼子ちゃんはガッツポーズをした。

 何とも頼もしい義妹だ。



 いつもはロックだけど、今日はバラード。

 マノンも今日はアコースティックギター。


「今日は、二人のために作った新曲を。二人にしか訪れない人生を、二人で分かち合って欲しいと願う曲です。聴いて下さい。」


 歌いながら、母を思い出した。


 母さん。

 あなたは愛人という立場だったけど。

 そこに、真実の愛はありましたか?


 …俺にはまだ、見つからないけど。

 陽世里と頼子ちゃん。

 二人の愛が、永遠に真実であり続ける事を、心から願って歌った。


 * * *


「…メジャーデビュー…?」


 俺は口を開けたまま、何度か瞬きをした。


 ダリア、昼の部。

 つまり、喫茶店。

 そのダリアの片隅で、俺の前に座って話している人物は…

 キース・バーネット。

 アメリカの音楽事務所のお偉いさんだ。


 なぜ、そのアメリカの音楽事務所のお偉いさんが、ダリアにいるのか。

 なぜ、俺を前に、メジャーデビューの話を持ちかけているのか。

 …これは、もしかして…あれか?

 俺たちの夢を逆手に取った詐欺…?


「ショウからデモテープとビデオテープが送られて来たよ。」


 ショウ。

 それは…

 ダリアの店長の名前。


 店長…いつの間に!!


「この目で見てみない事には…と思ったが、一昨日のライヴ、あれは良かった。」


「え。来てたんですか?」


「ああ。見せてもらったよ。」


 それからの、メジャーデビューって事は…


「俺たち…認めてもらえるんですか?」


「それは、君たち次第だろう。」


「……」


 カウンターにいる店長を振り返ると、笑顔で親指を突き出してる。


 …本当の話か?


「春から二年、アメリカに来てみないか?」


「えっ…」


「いい返事、待ってるよ。」


 これは…

 これは、夢じゃないのか?


「やったな。」


 キース・バーネットが席を立って。

 店長が俺の背後で肩に手をかけた。


「…いつ?」


「ん?ワンマンライヴの前かな。」


「…俺らの事、信じてくれてたんですね。」


「うちみたいな小さなハコでやってるのが不憫でさ。」


「何言ってるんですか。ここがなきゃ、俺ら何も始まらなかった。」


 店長は何度も他のライヴハウスを勧めてくれたし、ホールに掛け合ったりもしてくれた。

 でも俺たちが。

 ここじゃなきゃ、と言い張った。


「それにしても、いきなりアメリカって…」


 俺が髪の毛をかきあげて言うと。


「あー…実は日本の事務所はどこも相手にしてくれなくてさ…」


 店長は苦笑い。


「まあ…全部英語の歌詞ですしね…」


「俺はおまえの日本語の方が違和感あるよ。」



 …確かに。

 陽世里の結婚パーティーで披露した曲だけが、唯一の日本語歌詞だった。

 好評につき、ライヴでも一回やってみたら…


「やっぱナッキーは英語やなあ。」


 歌った直後に、MCでマノンが言った。

 …よほど似合わなかったらしい…



「さあ、忙しくなるな。」


「そうですね…って、みんな行く気あるのかな。」


「当たり前だろ?夢が叶うんだぜ?」


 俺は…特に何も困る事はない。

 明日にでも行けと言われれば行ける。

 ただ…


「女のいる奴ら、大丈夫かな…」


 今の所、ゼブラとマノン。


「うっ…確かにな…場所が場所だけに…でも、夢だからな。」


「…そうですよね。」


「ああ。きっと、分かってくれるさ。」



 この時。

 俺と店長は。


『きっと、理解して別れてくれる』


 と、思っていた。

 しかし、恋人の熱というものは…

 そう簡単に理解して別れるという着地点には、向かわなかった。


 * * *


「…結婚?」


 その報告に、俺は目を丸くした。


 クリスマスイベントを来週に控え、スタジオ練習。

 三時間の練習を終えた所での、結婚報告。


「ああ。一緒にアメリカに行く事にした。」


 俺の目を丸くさせたのは…ゼブラ。

 だからか…

 今日、ゼブラはずっとソワソワしてた。



 アメリカでのメジャーデビューの話をすると、ミツグとナオトは手放しで喜んだ。

 そして…予想通り、一番喜んだのはマノンだった。

 ゼブラは…少し複雑な顔をした。



「デビューが決まったって言ったら、泣いて喜んでくれて…身を引くって言われた。」


「……」


「俺の夢が叶うのを泣いて喜んでくれるのに…なんで別れなきゃなんねーんだって思って…」


 ゼブラは、今まで見た事もないぐらいの真顔。


「苦労かける事は百も承知だし、もちろん不安もある。だけど…俺自身、向こうに行って頑張るためにも…あいつが必要だって気付いた。」


「…おめでとう、永治。」


 そう言って、ゼブラの肩を抱き寄せたのは、ナオトだった。


「何だよ…急に。」


「なんか…バンドメンバーとしてじゃなくて、幼馴染として祝いたかったからさ…」


 ゼブラとミツグは、幼稚園から高校までずっと一緒だった。

 そこへ、中学からナオトが加わって…腐れ縁の三人が出来上がった。

 確かに…『ゼブラ』はバンドを組んでから付けたニックネームだと言ってたな…



「それにしても…結婚か。驚いたな。」


「式とかどうするんだ?」


「よく親を説得できたな。」


 俺とナオトとミツグがゼブラを囲んで話してるそばで。


「…結婚…」


 マノンがつぶやいた。


「…おまえは大丈夫なのか?るーちゃんに、ちゃんと話したのか?」


 小声で言うと。


「…まだ言うてない。」


「え?」


「デビューの事も、アメリカの事も…まだ言うてないんや。」


「……」


「クリスマスに会うし…そん時に言う。」


「…ついでに…」


 俺はマノンの肩を抱き寄せると。


「マリとの事も、きちんとしとけよ。」


 マノンに耳打ちした。


「……」


 マノンは無言。


「出てけって言ったのに、あいつ…まだいるんだろ?」


「…ナッキーがきちんとする事やないんか?」


「あ?」


「マリはナッキーの事、まだ好きやねんで?」


「……」


 俺は、おまえ、何言ってんだ?って顔をしたと思う。


 マリとは別れた。

 部屋も出て行けと言った。

 マリは理由を聞かなかった。

 だから、解ってるんだと思った。

 寂しさに負けて、居候させてる男と寝る女。

 マノンもマノンだが、マリには幻滅した。



「そう言われても、俺にはもう気持ちはない。」


「マリがあの部屋に戻って来るのは、ナッキーが恋しいからやん。ちゃんと会うて話しせんと、マリも前に進めんのとちゃうん?」


「おまえが言う事じゃない。」


「は?」


「人の女に手を出しとして、よくそんな事が言えるな。」


「…ナッキーがちゃんとマリを大事にしてたら、こうはならんかったんやん。」


「俺とマリの問題だろ?おまえが変に慰めるから、こういう事になったんだ。」


「俺のせいか?」


「るーちゃんがおまえに会えないって寂しがってるなら、俺が抱きしめてもいいのか?」


「っ…」


「おまえがしてたのは、そういう事だ。」


「……」


「るーちゃんを裏切ってるって、気付いてないのか?」


「…そういうんやないやん。」


「そういうんじゃない?バカ過ぎて笑いが出る。」


 俺は前髪をかきあげて、マノンに言った。


「どういうつもりか知らないが、おまえはマリも傷付けてる。」


「…なんでやねん。」


「おまえがマリに応えるから、マリがおまえを拠り所にする。たぶんマリが部屋に戻るのは、俺が恋しいからじゃない。」


「……」


「おまえがいるから、だよ。」


「……」


 るーちゃんに心底惚れてるのは分かる。

 だけど、マノンは『それとこれとは別』…そんな考え方だ。

 るーちゃんを大事にする傍ら、愛のないセックスは裏切りにはならない。

 …馬鹿だ。



「ま、るーちゃんはそんなマノンを受け入れられないだろうからな。アメリカ行く前に、キッパリ別れた方がいいんじゃないか?」


「アホか!!」


 俺の言葉にキレたマノンは。

 そばにあった椅子を蹴飛ばして…ギターを担いでスタジオを出て行った。


「……」


 振り返ると、みんな無言。


「…よし。飲みに行こう。」


 俺が笑顔で言うと。


「あいつ、意外とデリケートなんだから、あんまりいじめてやるなよ。」


 ナオトが笑いながら、俺の肩に手をかけた。

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