2時限目
学校での俺の仕事は、ただ柔道と、その他を幾つかの武道を教え、そして帰ってくる。それだけだ。
幸い、それ以外の時間、俺は何もすることがない。
比較的自由に学校の中を見て回ることが可能だ。
俺の正体については学校の中で知る者は誰もいない。
この学校には柔道部はない。
数年前まではあったのだが、部員の数が減少したのを理由に、廃部になったそうだ。
ただ、道場だけは存在している。
(もっとも今では殆ど物置と化していたが)
誰も手伝ってくれるものがいなかったから、俺はたった一人でそこを掃除し、青畳を入れ直し、一応、道場の体裁を整えた。
ええ?
(そんなもの、体育館を使えばいいじゃないか)って?
バカを言うなよ。
臨時雇いとはいえ、これでも肩書は『講師』なんだぜ。
表向きにしろ、それなりに仕事をせんとな。
これもギャラの内さ。
掃除を一通り終えると、俺は校内をあちこち見て回った。
『いじめ』があると聞いていたから、もっと荒れた学校を想像していたのだが、何ということはない。
生徒たちは男子は紺色のブレザーにネクタイを締め、そしてズボン。
女子も上は同じだが、下はひだの多いプリーツスカート。
特に乱れた服装をしている者は見当たらない。
概して大人しく、まあ礼儀正しいというところまでは行かないが、妙に堅苦しくもないようだ。
が・・・・それは見かけだけだった。
(おい・・・・これだけかよ・・・・)
(だって・・・・仕方ないだろ・・・・本当にそれしかなかったんだよ)
丁度俺が第二体育館・・・・つまりは柔道場として使う建物の裏手に回ったその時だ。
4人の男子生徒が、一人(これも男子だ)を取り囲んで何やらぼそぼそとやっている。
真ん中にいる背の低い眼鏡をかけた男子が、ポケットから何かを取り出した。
札だ。
恐らく千円札ばかりだろうが、5~6千円はあったに相違ない。
一人が少年の顔を平手で叩いた。
(おい、顔は止めとけよ。目立つからな)
するともう一人が、眼鏡の肩を押さえつけて、膝蹴りを鳩尾に叩き込んだ。
(ぐっ!)
声にならない声をあげ、眼鏡が前のめりに膝をついた。
『おい、何をやってるんだ?』
だしぬけに声をかけられたものだから、驚いて全員が後ろを振り向き、俺の顔を見る。
『いえ、別に・・・・』一番背の高い少年が上目遣いにこちらを見ながら言った。
『そうです。ただ僕らは遊んでただけです。な?』
彼はそういいながら、膝をついた眼鏡の肩を叩いて、わざとらしく助け起こした。
『本当か?』
俺が眼鏡に確かめると、彼はおどおどした目つきで4人を見ると、何も言わず俺に向かって頷いた。
『なんでもいいが、もうそろそろ3時限目が始まるぞ』
丁度その時、授業開始のチャイムが響いた。
『おい、いこうぜ』
5人は並んで校舎の方へ歩いていったが、一番真ん中にいたあの眼鏡君は、時折俺の方を振り向いて、哀願するような目をむけていた。
俺の授業は、次の日から始まった。
まず、受け持ったのは一年生のクラスだ。
当然といってしまえばそれまでだが、大半の生徒は柔道なんかまったく経験はない。
中には柔道着の着方すら知らないの迄いる。
それを教えると、次は礼の仕方と体捌き、そして受け身へと進む。
当然だが、柔道は未経験でも運動が得意なものとそうでない生徒の差はある。
飲み込みが早い生徒は、すいすいと覚えてゆくが、そうでない者は、柔道着の着方から先へなかなか進まない。
しかし、ここで腹を立てては講師なんか務まらん。
俺は辛抱強く教え続け、一時間でどうにか全員が、
『次は受け身』というところまで行くことが出来た。
そのクラスにあの眼鏡君の姿を認めた。
彼は背も高くなく、身体もどちらかというと貧弱だ。
だが、柔道だけは熱心に取り組んでいるように見えた。
普通は基礎ばかりを繰り返しやらせると、初心者はつまらなくなってくるものだが、彼に限ってそんなことはなく、至極真面目だった。
その日の授業が終わってからも、他の生徒のようにさっさと帰ったりせず、俺と一緒に残り、率先して掃除を手伝ってくれた。
『君、名前は?』
『ぼ、僕、宮川俊太郎といいます』
最初は警戒していたが、おどおどしながらも答えてくれた。
それからも授業の度に俺は宮川君に色々と話しかけ、信頼を得ることに勤めた。
そして、この学校の仕組みについて、彼は少しづつだが、話してくれたのである。
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