女神の目覚め

マスケッター

女神の目覚め

 断末魔が壁を揺るがし、その若者は倒れようとしていた。一人でこの大聖堂に入ってきた彼は、我の剣技に膝を屈しつつあった。


 我はなんの感情も持たなかった。我は大聖堂に眠る女神がその小指の爪から生み出した石の守護騎士に過ぎぬ。


 若者はついに床に倒れた。あとは我の魔法で死体を消せば良い。


 もう何百年同じことを繰り返してきただろう。女神は指の爪でこの星にある全てを造った。そのせいで疲れ、この大聖堂……女神が小石から作ったのだが……の中に安置した台座の上で石像となって眠っている。


 我の役目は女神の眠りを誰にも妨げられないようにすることだ。しかし、ここ数百年の間、やたらと人間どもが大聖堂に入ってきては我に命を絶たれていた。


 人間どもの話を継ぎ合わせていくと、我を倒して女神を起こせば即ち女神の夫となれる、あるいは女神に願い事をなんでも叶えてもらうつもりだ、そんな話らしい。


 我はその考えに対してなんら批評するつもりはない。淡々と、入ってきたものは殺して片づけるだけだ。


 ただ、この若者はほんの少しだけ我にゆらぎを生ませた。


 我に一人で挑んだのはこの者だけだ。特別な手でも隠し持っているのか。ならば。


 我は、首をはねて確実なる処理を果たすつもりで剣を振り上げた。


 その瞬間、死んだはずの若者が一気に飛び跳ね、こともあろうに女神の石像の顔までとりついた。


 ああ、これがここ数十年人間どもも学んできた魔法か。もっとも、女神の具体的な起こし方など分かるまい。我も知らぬ。


 若者は紙のように真っ白になった顔を女神の口に近づけた。そこまでだった。女神にとりすがるように突っ伏した。


 我は抜き身の剣を下げたまま 若者の傍らにたった。首とはいわぬまでも胴体を二つに分ければ小賢しい魔法も利き目を失うだろう。


「コウ!」


 大聖堂の出入口で叫ぶ声がして、我は剣を振り上げたまま首をそちらに向けた。若者とほぼ歳の変わらぬ乙女が戸口にいた。


「お願いです。許してあげてください」


 乙女は力いっぱい叫んだ。我は判断に困った。


 まず若者は、今のままなら女神を起こしてしまう可能性はゼロだ。さりとて放っておくわけにはいかぬ。


 一方、乙女は戸口にいる。大聖堂に入ったものは理由の如何を問わず殺して消すようになっている我だが、戸口はどうなのか。それは境目だ。


 我は一歩でも『踏み入れば』それをやると固く決まっている。乙女の両足のつま先は戸口よりも外だ。屋内には鼻先だけ入っている。つまり大聖堂に入っている状態と入っていない状態が同時に存在している。それを解決せぬ限り我は決断ができない。


「私が連れて帰って、もうこんなことはさせません」


 涙をこらえ、震える足を隠そうともしないまま乙女はいった。


「まかりならぬ。この者は禁忌を破った」

「なら私も大聖堂で一緒に殺されます」

「ならばそのようにせよ」


 乙女は恐怖で歯をかち合わせながら、すくむ足を一歩大聖堂に入れた。それで十分だ。


 我は若者を放っておいて乙女に斬りかかった。乙女は腰を抜かして 戸口から外にへたり込んだ。


 我は戸口へ至り、座り込んだままの乙女に剣を振り上げた。しかし、それは途中で止まった。


 今、我の体は戸口にある。先ほどの乙女と同じ状態だ。つまり、今度は我が大聖堂に存在するのとしないのとを同時に実現している状態になってしまった。


「どうして私を殺そうとしないんですか?」

「我にも分からぬ。一体、我は大聖堂の中なのか外なのか」

「どうしていちいち悩むんですか?」

「女神のそばを離れるわけにはゆかぬ」

「その融通の利かなさ、コウそっくりです」


 乙女はとにかくなにか喋らないと気が済まないようだった。


「我とあの若者が同じだというのか」

「えーそうです。コウは畑仕事を嫌がって怪しげな文書だの追放された魔法使いだのとつき合って、ある日ついに村を出て一山当てるといい出して……。それから何年も待っていたんです。やっと人づてにここに向かったと聞きました」

「それのなにがどう我とあれが同じなのだ」

「人の気持ちがこれっぽっちも分からず自分勝手でアホでだいたいなんなのよあの男! 私が教えてあげなかったら畑の畝の作り方も分からなかったくせに! 私がカエルが嫌いだって知ってるはずなのに見せたいものがあるっていって村はずれの湖まで私を引っ張っていってヒキガエルとご対面させるし! 村のお祭りでおしゃれした私にどうせならこっちのを着たらどうだってクソダサい野良着を渡すし!」

「……」

「だんだん腹がたってきたわ! ちょっとあんた、突ったってないでなんとかいいなさいよ!」

「我はそのコウとやらいう若者ではない」

「だから同じだっつってんでしょ! あんた石でできてるだけあって石頭ね! トーヘンボク! せめてコウの体だけでもここまで持ってきてくれたっていいじゃない!」

「そのような義務は我にはない」

「その言い方もそっくり!」


 本当に我はそのコウとやらと同じなのだろうか。すると我は、自分で自分を倒してしまったのか。では、誰が女神を守護するのか。


「……なんか迷ってるようだけど、私が手だてを教えてあげよっか?」

「なんだ」

「コウを連れて帰るの、なにもしないで見ているんだったら教えてあげる」

「うむ、そうか」


 と答えて我は気づいた。そういってしまった以上、 やはり我とコウは同じだ。


「それで、手だてとはなんだ?」

「簡単よ。私たちが出て行ってから女神様を別の場所に移してしまうといいわ。私たちはどこに移ったかまで知るつもりはないから」


 なるほど、確かに大聖堂に入ってきたものを云々とは命じられたものの、女神をどこかに移してはならぬとは命令されていない。眠っているという状況さえ変わらなければそれはそれでよかろう。どのみちここにいる限り永遠に人間どもの相手をし続けねばならぬ。


「あの、それと……」


 と、乙女が気まずそうにいった 。


「悪いんだけど、起こして手を貸してほしいの。本当に腰が抜けて歩けないから」


 そういうことか。入ったのならいかぬ。入れるのは良い。


 我は剣を収め、膝を屈めて乙女を両腕で自分の体の前になるよう抱きかかえた。そのまま大聖堂に入り、女神の頭にかぶさったままの若者のところまで連れてきた。もはや心臓は止まり呼吸もしていない。


「うっうっう……。コウのバカ。私を置いて死んじゃって。絶対許さないから。葬式もあげてあげない。女神様、ごめんなさい。もう二度とお具合をわずらわせません」


 乙女は台座のそばに両膝をついて若者と女神に語りかけた。涙があふれ、それが一粒女神の唇を濡らした。


 その直後、女神の体が石から生身に……人間のような意味での生身ではないが……なり、両目が開いた。


「ずいぶんと恋人想いの乙女よのう」


 女神は柔らかく語りながら起き上がろうとし、若者の頭が自分の額を抑えた状態なのを知った。そして涙が止まらない乙女に瞳を向けた。


「お前はこの両名を通してしまったのか」


 女神は我に聞いた。


「申し訳ございません」


 我はどのような罰をも受ける覚悟で頭を下げた。


「ふむ。おおよそのあらましは分かった。人間の世界がどうなったのか久しぶりに確かめるのもまた乙な思考じゃ。故に、そなたらの罪は問うまい」

「ありがとうございます、女神様」


 乙女は泣き腫らした目を自分の指でぬぐい、しゃくりあげる声でいった。


「人間たちの間でどのような噂が広まっているかはともかく、我を起こしたのはそなたじゃ。そなたの言い分を聞こう」

「女神様! もしお許し頂けますならば、コウを元通りにしてくださいませ!」

「先ほどからわらわの額の上に自分の頭を重ねておる若者か。そういえば、そろそろどいてもらった方が良かろうの」


 女神が告げると、我が斬り割った傷口がたちまち元通りになり若者は目を覚ました。


「やったぞ! やはりあの魔法は正しかった! 俺の力で女神様が目を」

「なにいってんのこのドアホ!」


 乙女が全力で若者を殴った。


「うげえっ!」

「あんた私がどれだけ心配で心細くて殺されそうになってまでここにきたのか分かってないでしょ! あとカエルと野良着の件はさっさと謝ってよ!」

「その若者はそなたに意地悪してカエルや野良着を持ち出したのはではないぞよ」


 女神は若者の頭が自分の額からどいて、ようやく起き上がりながらいった。そのあと自分が横たわっていた台座に腰をかけ直した。


「その湖にはその日しか咲かぬ特別な花が咲いておったのじゃ。次に咲くのは何十年もあとになる。しかし、不心得者が先回りして花を株ごと持って行ったせいで空回りになったばかりか、運悪くヒキガエルのすみかになってしまっただけじゃ」

「ええっ!?」

「野良着については、祭りの裏方でそなたの母親が 屋台のゴミを回収する仕事をしていてたまたま腰を痛めた。それを娘の気分を壊したくないからと黙っていたので、心配した若者が少しの間だけ変わってはどうかといいたかっただけじゃ。若者は別な仕事をしていたのでな」

「なんですって……」

「そうした行き違いが積み重なって、若者はそなたに自分の気持ちを打ち明けることができなくなり、わらわに恋の力を授けてもらわんとしてここまで至ったのじゃ」


 女神はわざわざ確かめるまでもなく全ての事情を見抜いていた。


「そうだったの!?」

「ああ、間違いないよ」

「悪かったわ……許して」

「俺の方こそ。今まで悪かった」

「さあさあ二人とも。わらわの前で気持ちが固まったのならば、愛を誓い合うが良い。それこそが望みであろう」


 乙女と若者はうなずき合い、ひしと抱き合って唇を重ねた。

 女神は微笑ましく見守ってから軽くあくびした。


「少々意外ではあるが最高の目覚めじゃな」


 軽く目をぬぐいながら、満足げに我と二人にそう告げた。

              

                終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女神の目覚め マスケッター @Oddjoh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ