我を食らう獣
明弓ヒロ(AKARI hiro)
勇者と獣
少年の前で殺戮が繰り広げられている。
虎のような牙を待った魔物が、逃げ惑う人々を、噛み砕く。
蝙蝠のような羽を待った魔物が、隠れる人々を、空から襲う。
少年は短剣を振るうが、人々の盾となるのがやっとだ。傷ついた体は、次第に動きが鈍くなり、ついに立ち上がることも出来なくなった。
獣が言う。
「お前の体を喰わせろ。そうすりゃ、助けてやる」
「なんだと!?」
「お前、勇者なんだろ? 自分の身を犠牲にしてでも人を助けるんじゃないのか?」
獣の言葉に、少年は黙り込む。
「早くしないと、あいつら皆、殺されちまうぞ。お前じゃ何にもできないだろうが、どうすんだ。まぁ、俺はどっちでもいいがな」
そう言って獣が立ち去ろうとする。
「本当に助けてくれるんだろうな」
少年の問に、
「『獣は人を喰らい人の願いを叶える。決して
と獣が答える。
「わかった。俺を喰らえ」
意を決した少年が言う。
「そうこなくっちゃな。じゃあ、左腕をいただくか」
舌なめずりをした獣が、少年の左腕にかぶりつく。少年は、激痛に叫び声をあげ、気を失った。
ぐちゃ、ぐちゃ。
しばし、少年の腕を咀嚼する音が辺りに響き、止んだ。
獣の全身の毛が逆立つ。
獣が牙を向き、雄叫びをあげる。
そして、獣は魔物達に襲いかかった。
少年が目を覚ました時、そこには血にまみれ、ばらばらになった魔物達の死骸が、あたり一面、いたるところに転がっていた。少年は、痛みに堪えながら立ち上がり、あたりの様子をうかがった。
「お前がやったのか」
少年が、恐る恐る、見知った後ろ姿に声を掛ける。
「あぁ。お前の腕は、うまかったぜ」
口を血に染めた獣が振り返って言った。一回り大きくなった獣の体は、以前よりも強い、獣の殺気をまとっていた。
「お前といっしょなら、これからもうまいもんが食えそうだ」
この世界は生と死を繰り返す。安定と混乱を。
人が強くなれば、魔物が滅びる。しかし、生き延びた魔物は、より強くなり、やがて人を滅ぼす。
かりそめの平和の時代が訪れて千年、すでに安定の時代は終わり、人は力をました魔物になすすべもなく襲われ、数を減らしていた。
魔物が
弱者は、魔物に怯え、賊に恐怖した。
そんな世界に一人の子どもが生まれた。子どもは、自分を勇者だと思っていた。根拠はない。特別な力もない。ただ、自分が世界を救うのだと信じていた。
子どもは少年となり、『喰ったものに獣の力を与える』伝説の獣を探して旅をした。しかし、その獣は『人を食わせることで力を貸しあたえる』獣だった。
少年と獣は世界を巡る。世界を救うために。
「どうすんだ、勇者?」
「左足を喰え」
魔物に襲われた町民を救う。そして、少年は体の一部を失う。
「人間が人間を襲う。もう、この世は終わりだな」
「右腕を喰え」
盗賊に襲われた農民を救う。さらに、少年は体の一部を失う。
少年が体を失うたび、世界から、魔物が、賊が消える。そして、獣は、少年を喰うごとに力を増し、人間には敵うはずのない、巨人を、巨獣を、異能の力を持った人間を、倒していった。
少年は青年となった。しかし、剣を振るうはずの腕も、大地を駆ける足も、青年にはもうない。
青年と獣は戦いを続ける。しかし、世界の滅びは止まらない。魔物を、賊を滅ぼしても、新たな、魔物が、賊が生まれる。巨大な姿となった獣を持ってしても、世界の滅びの運命に抗うすべはなかった。
青年と獣が旅をして十年。すでに青年は自分では歩くこともかなわず、獣に運ばれていた。あたかも、食料のように。そして、食料が尽きる時が来る。
「またか。もう、人間は終わりだな」
獣が言う。
そこには、母親と
日が暮れ、夜の
虫が一匹、一匹と次第に数を増やし、母娘に群がる。
「母さん、何かいる!」
娘が恐怖に震える声で叫んだ。
「どうする? 勇者」
「助けるに決まっているだろう」
「おいおい、もう俺に食わせる体が残ってねぇだろう」
そう、意地悪く獣が言った。
「すぐ、魔物達に食われる。お前には、もう、どうすることもできねぇ。お前は、あいつらが食われるところを見て、自分の無力さを思い知れ」
「助けようとは思わないのか?」
「思うわけねぇだろう」
当然といった口ぶりで獣が答える。
「助けてはくれないか。お前には俺にはない力がある」
青年がすがるような目で尋ねた。
「そうだ、俺には力がある。しかし、お前にはない」
獣が言う。
「お前が人を助けたいというのは、どういうわけか知らないが、そう生まれついているからだろう。それと同じで、俺は、無性に人が苦しむのを見たくなる。苦しむ姿を見たくて見たくて、たまらない。そう、生まれついてるんだよ」
獣が続ける。
「なんで俺がお前と一緒にいるかわかるか? お前が苦しむたびに、お前の体が、どんどんうまくなるからさ。生きたまま、体の外からと中から食われるってのは、どんな感じなんだろうな。お前もじっくり見ろ!」
盲た娘が何が起きているのかわからず、体をかきむしる。母親が、泣き叫びながら虫を払うが、後から後から押し寄せる虫たちに為す術もない。
「やめろ! 頼むから助けてくれ」
すがりつく青年の声を、獣が残酷な目で見つめた。
「助けてやってもいいぜ。ただし、一人だけな。一人助けて、もう一人を喰ってやる。どっちを助ける?」
獣が言う。
「お前は!?」
青年は憤るが、すでに失った手足では、何も出来ることはない。
「どうする?」
「両方、助けるに決まっているだろう!」
「いいや、一人だけだ。早くしないと、両方死ぬぜ」
獣が笑っていう。
「だめだ! 両方だ! お前が食いたいのは俺だろう! 残った俺の体を全部食え! それで、二人とも助けろ!」
青年が叫ぶ。
「おいおい、お前は勇者なんだろ。世界を救うんじゃないのか。こんなところで死んだら救えないだろうが」
獣が馬鹿にしたよう言った。
「いいから二人を助けろ。何があっても絶対に二人を守れ!」
青年が叫び続ける。
「頼む。助けてくれ」
青年が泣いた。
「お前は、勇者じゃなかったってことか」
獣が軽蔑したような目で見た。
「そうだ。俺は勇者じゃない。勇者になりたかっただけの無力な人間だ。だから、お前が代わりに助けてくれ」
青年がすがるように言った。
「その言葉が聞きたかった。絶望した人間ほどうまいものはない」
獣は青年を喰った。そして、青年の願いを叶えた。
青年を喰った獣は、その後、次々と人を襲った。しかし、滅びゆく世界において、獣に殺されるものは、わずかな一握りに過ぎない。
獣は、人を喰い続けたが、空腹は満たされない。
喰っても、喰っても、青年のような、人間はいない。
人を襲い、喰らう。世界をさまよう。
人を襲い、喰らう。世界をさまよう。
この繰り返しだ。
そして、時は流れる。
村を襲っていた獣の前に、鎧兜を身に付けた一人の騎士が立ちふさがった。それは、獣が久しぶりに感じた違和感だった。
その騎士からは、かつて喰った青年と同じ匂いがした。十年間、喰らうことがなかった匂いが。
獣の身体が、欲望と興奮で、喜びに震える。
獣は、身のうちに燃え上がった本能を抑えきれず、騎士に襲いかかった。
青年の体をあますところなく喰らったことにより、巨獣となった獣。
それに対するは、鎧兜を付けてはいるものの、ただの人間。
ただの人間に勝ち目などあるはずはない。にもかかわらず、その騎士からは、恐怖の色は微塵も感じられない。
獣の巨大な腕が騎士を穿つ。騎士は、その爪を盾で受け、腕を剣で斬りつける。
獣の巨大な体が騎士を襲う。騎士は、その動きを、事前に知っていたかのように躱す。
「人間にしてはやるな」
獣が言った。
「お前のような奴の方が喰いごたえがある。力の差を思い知り絶望した時の味は格別だからな」
そう言う獣に、
「お前が私を喰らうのではない。私がお前を喰らいに来たのだ」
と騎士が答えた。女の声で。
獣の牙と、騎士の剣とが切り結ぶ、甲高い戟音が轟く。そして、ついに剣の合間をぬった獣の牙が騎士の兜を切り裂いた!
巨大な獣の手が、騎士の頭を握りつぶそうとした時、その動きは止まった。
「お前は、私を殺せない」
兜の下から現れたのは女の顔だ。それも、盲た女の顔だ。
「お前は、あの時の」
獣の記憶が蘇る。
「そうか。あの時は喰いそこねたな」
再び、巨大な獣の手が騎士を襲う。しかし、女に当たる寸前で、また、止まる。
「お前は、私を殺せないんだよ。勇者との誓いを忘れたか!」
そう言いざま、女は、獣の首を一太刀でなぎ払った。
『獣は人を喰らい人の願いを叶える。決して違えることはない』
それが世界の掟だった。
『獣を喰ったものに獣の力を与える』
それもまた、世界の掟だ。
女は獣を喰い、眠りについた。
『ここは、どこだ?』
獣の声が問う。
『目が覚めたか』
青年の声が答えた。
『お、お前は!』
『喰われたんだよ。お前も』
『なんだと』
『俺を喰ったお前を、彼女が喰った。だから俺たちはここにいる』
青年は言葉を続ける。
『お前は生まれながらに、無性に人が苦しむのを見たくなる、と言っていたな』
『それがどうした』
『ならば、人が幸せになるのを見るのは、さぞ辛いだろうな』
と青年の声が言った。
『ここで、人が幸せになるのを見るがいい。それが、お前への罰だ』
女は目覚め、目を開いた。生まれてから一度も開いたことのない目を。
そして、世界を見た。
勇者の目で世界の希望を、獣の目で人々の恐怖を。
そして、戦った。
勇者の心で人を守り、獣の力で魔物を屠る。
ついに、世界から魔物を滅ぼし、人々の心に幸せが満ちた時、苦しみに
女は獣の力を失い、片目から光が消えた。
女は残された目が閉じる日まで、平和となった世界を見守り続けた。
我を食らう獣 明弓ヒロ(AKARI hiro) @hiro1969
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます