朝起きたら顔が毛皮に埋まっていた

八百十三

朝起きたら顔が毛皮に埋まっていた

 目を覚ました俺の視界には、橙色と小麦色の縞模様をした毛皮が一面に広がっていた。

 俺が目を白黒させながら、寝起きの頭を覚醒させている間に、覆いかぶさっている目の前の毛皮がもぞりと動く。

 そして俺の顔からそれ・・が、もふもふした毛皮に覆われた柔らかな胸を離し、俺の顔を覗き込んできた。


「旦那さん、目が覚めましたかニャ?」


 猫だ。ただの猫じゃない、猫獣人だ。人間の言葉を喋っている。それとも俺が獣人の言葉を聞き取れるようになったのか。

 そして把握した。これまた小麦色の毛が生え揃った、長いマズルが俺の顔にある。

 恐る恐る頭頂部へと手をやると、髪に触れるより先にピンと立った三角耳が俺の手に触れた。

 腰のあたりから尻尾が生えている感覚もある。

 俺は。


「よっしゃ獣化とケモ嫁合わせ技の神夢キタコレ!!」


 歓喜のあまり、ベッドの上で叫び声を上げた。

 ら。


「耳の傍で大声出すのはやめてって前も言ったニャー!!」

「へびち!!」


 未だ目の前にいた猫獣人にほっぺたをバシンと張られた。

 痛い。




 俺の名前は外川けがわ 堅太郎けんたろう。24歳男性。柴犬の犬獣人。らしい。

 さっき俺をビンタしたのは外川けがわ 美衣子みいこ。23歳女性。茶トラの猫獣人。俺の妻。らしい。

 先に言っておこう。俺は重度のケモナーである。現実世界に人間の彼女はいるが、脳内でケモに変換しないと息子が起きない程度には末期である。

 つまり、獣人になって、獣人の嫁さんがいて、という夢ガチャSSRの神引きを発揮したのである。

 夢なら覚めないでほしい、永遠に。

 ビンタされて痛かったけど、きっと俺の脳みそが実際にビンタされたと勘違いしたんだ、そうに違いない。


 朝ご飯のトーストを長いマズルに生え揃った牙でかじりながら、それとなく美衣子に問いかけてみると。


「え?旦那さんは私と出会った時から犬獣人でしたニャよ?」

「へ??」


 何とも予想外の答えが返ってきた。

 美衣子の話によると、俺と美衣子は幼馴染で、小さい頃から一緒に遊んでいて、そのよしみで結婚したのだが、その時から俺は柴犬獣人であったらしい。


「ははーん、これは夢かと思ったらあれだな、異世界転生ってやつだな?」

「訳わかんないこと言ってニャいで、早く朝ご飯食べてニャー」


 そうだ、俺はきっと寝ている間に熱中症か心臓発作かでコロリと逝って、獣人世界に何の因果か同じ名前で転生して、美衣子と出会って結婚して、今朝になって前世の俺の記憶がよみがえったとかそういうやつなんだ。

 きっとそうだ。そうに違いない。

 やべぇでもそうしたら飼い猫のミーコと彼女の里紗りさちゃんどうしよう、俺が急死して修羅場ってないだろうか。

 したり顔をしながら視線を泳がせる俺に、美衣子が俺の前にコトリとマグカップを置いた。

 中にはコーヒー色をした液体が、俺の柴犬の顔を反射しながら湯気を立てつつ揺れている。


「コーヒー?大丈夫なのか?」

「何を心配しているのか知らないけれど、タンポポコーヒーだから心配ニャいニャ。

 旦那さん、いつも飲んでるやつだニャ?」


 犬や猫にカフェインは毒ではないか、と心配したのだったが、美衣子は不思議そうに首を傾げている。

 しかし転生した先でも俺はカフェインがダメで、タンポポコーヒーを愛飲していたのか。何という偶然。美衣子もよく知っていたな。

 トーストを飲み込んでマグカップを持ち上げる。長いマズルだとこういうカップから人間と同じように飲むのが難しそうだが……

 そうっとカップを傾け、下あごで受け止めるようにしながらタンポポコーヒーを飲む。


「……あつっ」

「ふふっ、旦那様犬なのに猫舌なのおかしいニャ」


 熱がる俺を見て、美衣子が笑う。

 こちらの世界で初めて飲んだタンポポコーヒーは、何故か俺がいつも飲んでいる、馴染みのある味をしていた。




 昼ご飯を食べてから美衣子と二人で近所のスーパーマーケットに買い物に出かけた。

 どうやらこの世界、人間が一人もいなくて獣人ばかりである以外は、地球とほとんど同じらしい。

 コンクリート造りのマンション、アスファルトで舗装された道路、その道路を走る車やトラック。

 なんか、非常に日本っぽい。目にする言葉も漢字、ひらがな、カタカナの三種類が入り混じっていて日本語っぽい。

 別に、俺の目や耳や脳が勝手に日本仕様に翻訳して認識している、というわけではないようだ。

 ますます現実味のある状況である。


「今から行くスーパーって、この道をまっすぐ行ったら左手側にある、あそこか?」

「そうニャ、スーパーヤマオー。いつも旦那さんが会社帰りに寄ってるあそこニャ」


 前世の記憶を頼りに当て推量で問いかけてみたら、思いがけずビンゴだった。

 そしてなんというか、ここまで偶然だと怖いが、いつも寄っているスーパーそのものにこれから行くらしい。実際に前世で会社帰りに寄っていたスーパーに。


「ヤマオーか……」

「今日も揚げゴボウの甘辛和え買おうニャー」


 驚いた、いつも買っている総菜まで一緒か。

 偶然なんだか必然なんだか分からないけど、世界ってすごいなーとぼんやり思いながら、俺はスーパーへの道を美衣子と歩いて向かうのだった。




 スーパーから帰って美衣子手作りの夕ご飯を食べて(いつも食べてるような和食だった)、風呂に入って、二人して夜のテレビを見ていた時のことである。

 バラエティ番組で、ひな壇に座ってガハハと笑う虎やらライオンやらを見ながら、美衣子がポツリと呟いた。


「ねえ、旦那さん?」

「なんだ?」


 テレビを見つめたまま、美衣子に生返事を返すと、同じく真正面のテレビを見たままで、深刻な声色で美衣子が言う。


「旦那さんは、昨日までの旦那さんとどこか違うニャ。どうしたニャ?」


 俺はその途端、世界が白黒になったかのように思えた。

 テレビから聞こえる声が、どこか遠い。


「美衣子……俺は……」


 どうしよう、どう話そう。

 悩んでいるうちに徐々に視界に色が戻り、その時には俺の口が勝手に、一通りのことを喋り切っていた。

 昨日までは俺は人間で、寝て起きたらケモになっていて、見覚えある風景と土地だけど俺の元居た世界とは違う、ということを。

 そして信じられないといった表情で、美衣子は俺を見ていた。目が震えている。


「旦那さん……そんな……」

「……え、俺、今……」

「でも美衣子はどんなんなっても旦那さんのことが好きだニャー!!」

「み、美衣子……」


 と、満面の笑顔で俺に抱き着いてくる美衣子。それをぐらりと後方に傾ぎながらも、俺は受け止めた。

 ああ、幸せだ。毎日平和で、愛する妻もいて、周りはケモばっかりで。

 でも何故だか、頭の中がぐるぐるして気分が悪い。

 俺から両手を離した美衣子が、不思議そうな表情をして俺を見た。


「旦那さん?どうしたニャ?」

「悪い、ちょっと頭がぐらぐらしてきたわ……先に寝る、おやすみ」

「おやすみなさいニャー」


 寝室に戻る俺の背中に、のんびりとした美衣子の声がかかる。

 ふらりと手を振った俺はそのまま寝室に一直線、布団の中に潜り込んで自分のマズルをそっと撫でた。

 夢なら覚めてくれ、夢じゃないならこのまま柴犬獣人でいてくれ。そう願いながら。




 翌朝。


 目を覚ました俺の視界には、橙色と小麦色の縞模様をした毛皮が一面に広がっていた。

 俺が寝起きの頭を覚醒させながらそのまま動かないでいると、目の前の毛皮がもぞりと動く。

 そして俺の顔の横にその小さな前脚をつくと、ぐいっと俺の顔からそれ・・が身体を持ち上げて、俺の顔を覗き込んできた。


「にゃぁ~」

「……ミーコ?」


 そう、ミーコだ、俺の飼い猫の、茶トラでメスの。

 ミーコの首元に指を埋める。温かい。

 その指を離して俺の顔へと手をやる。マズルはない。毛も生えていない。人間だ。


「夢だけど……夢じゃなかった……!」

「に゛ゃっ!?」


 俺は表情を殊更に緩めながら、ミーコの腹へと顔を押し付ける。

 ミーコの腹の柔らかな感触が、俺の鼻や頬にもふっと当たった。


 あぁ、最高の目覚めだ。


「しゃーっ!!」

「へびち!!」


 その直後に怒ったミーコに頬を張られたけど。

 痛い。

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