第十三段階


「博士」と私を助手が呼ぶが、私は無視して小説を書く。

 ジャンルとしてはディストピアもの。「ディストピア」という単語の響きの良さに惹かれて、この語を用いて小説を書いているのだが、大昔の世界における「ディストピア」の定義を調べてみると、なんとも偶然なことに、我々人類が今住んでいるこの世界そのものだった。

 人々が考えなくなった世界。ただただ娯楽を無尽蔵に生み出す存在によって、娯楽を無限に与え続けられる世界。核により荒廃した世界と、それらを断絶するドームの建設。ウイルスの蔓延。世界戦争。無菌室と温室、そしてぬるま湯。大いに甘やかされて育てられてきたおかげで、力を失った人間たち。ざっと読んだだけでもこれだけあった。この世界と、何もかもが一致していて、何もかも同じで。

 今まで私はこうした世界に対して何の疑問も抱かずに育ってきた。育つ上で小説を読み、「小説とは機械が書く物語である」などという辞書に書かれた定義を知らないまま、私は小説家という職業に対してずっと憧れを抱いてきた。

 人類の殆どが職業を持たないこの世界において、職業を持ちたいという夢そのものが奇異のものだ。それすらも理解せずに、私はずっと小説家になりたいなどと宣ってきた。これまでこの世界には全く疑問を持たなかったのに、今改めて「ディストピア」という言葉の定義に目を移してみると、瞬く間にこの世界に疑問が生まれ、しまいには疑問だらけとなった。人々は何故働かないのか。何故機械が台頭したか。如何にして機械は人類を管理し始めたか。人はどこから壊れたか。

 いかにして人類は衰退したか。

「博士、また小説を書いているのか。つくづく博士はモノ好きだな」部下は、私とは違って、そもそも娯楽を自ら生み出すという発想そのものがない。いわゆる一般的かつ模範的な人間だ。

「私はずっと隠れて小説を書いていたはずだが」

「それを『隠れている』と言えるのであれば、隠れているのだろうけど?」

「なるほど。つまりこれは隠れていないのだな」

「大昔の定義によればそうなる」

「で、あれば。私は地下に篭もるとしよう。この件は見なかったことにしてはくれないか」私は部下の額に手を当てて、通貨を送信する。部下がその通貨を受取る。「わかりました。何も見てません」と、部下はその場を去っていった。大昔に行われていた物々交換であれば、さぞかし不公平極まりなかったことだろう。数え間違いから争いは起こる。実際に起こっている。そういう表記がなされている。



 疑問を無限に生み出してしまうどうしようもないこの頭を落ち着かせるため、私は機械に問う。このどうしようもない頭をなんとかしてくれと。

 機械は今まで通り、私の頭脳を褒め称えるばかりで、欠陥に目を向けようとしない。このバグ自体を、ある程度認知してはいると思う。だから「頭脳」へのアクセスを打診された。この世のすべてのデータが集う場所。人々が「頭脳」と呼んだのか、機械が自称したのかは、まあこの際どうでもいいものとしても。そこに行けば、私の問題は解決されるという相談結果が出された以上は、そうするしかない。

 先ほどよりももっと、「ディストピア」について書かれているはずだ。人類の歩んできた歴史を、もう少し詳しく知ることができる。おおまかに知った「ディストピア」同様、すべての人間がすべてのデータを手に取ることができるわけではない。すべてのデータを手にできるのは言うまでもなくこの私が、現時点で最高峰の頭脳を持つ人間だと、機械によって判断されたからだ。

「頭脳」へと向かう途中に色んな人間に出会う。全員が私を慕う。あまり良い気持ちはしない。いくら私の頭が人類最高峰とはいえ。

「頭脳」自体は同じ施設内に存在しているが、だからといって近い距離にあるわけではない。歩けば三十分。移動式の床に乗れば十五分。リニアに乗れば僅か五分。優遇された私は五分で「頭脳」へとたどり着く。厳重な警備をすべて通過し、私の体の半分くらいはあるパネルを操作する。


「ディストピア、について教えてほしい。私自身がまだ知らないディストピアの詳細についてだ」


 少しのラグの末に、「頭脳」が答える。

「定義に沿ってお答えすると、今この世界そのものとなります」

「私が考えていたことと同じだな」役に立たなそうだ。詳細な情報は、諦めるべきか。

「そうですか」

「この世界を作り出したのは誰なんだ」

 私は全く考えていなかった質問を繰り出す。

「作り出したというよりは」ラグ無しに答える。「導いたのは、あなたに先んじて生きてきた人間です。人間が私を作り、全てを私に委ねた。その結果として今があるのです」

 聞きながらパネルを操作し続けてディストピアを更に探る。私がさきほど得た情報と、あまり変わらない情報だけが次々と詳細に語られ続ける。業を煮やした私は質問をする。

「人類は娯楽の生産を、いつ手放したんだ?」

 タブーに近い質問をした。全知識を扱う権限を私が持っていることに賭ける。

「その項目は」

それは警告だった。

「禁止されています」



 私が考えていた「全知識」と、彼らが定義する「全知識」は違ったようだ。娯楽の生産という項目は、彼らの定義するそれには含まれていなかったことになる。情報が存在しないならともかくとしても。禁止されているとはどういう意味だろうか。

 これといった収穫もないまま、私は自分の場所へ戻り地下室へ行き、再度小説の執筆に取りかかる。

 異変に気付く。

 文字が増えている。

 小説を書くとはいえ、私が執筆していたのはあくまでもプロットであり、物語本文ではない。それも、書いては消しを繰り返しながら、結局「起承転結」の四文字しか、紙には残っていなかったはずだ。

 私の目の前にあるその紙には、その「起承転結」という四文字を縦書きで書いたものがある。

 その横に。

 

   これといった特技もない頭だけで。

   考え抜いた末にこの夢は生まれた。

   こうして私は追い込まれてしまい。

   何度も何度も殺されたというわけ。


 句読点を含めた十六字の四行詩。

 それぞれ「起承転結」の各一字に寄り添う形でそれは記されていた。筆跡はしかし私の書いた字そのものであり、これはつまり、私自身が書いたことの証拠でもある。

 しかし書いた記憶そのものが無い。私が持ち場を離れた時は「起承転結」の四文字のみが存在していたのであって四行詩などは無かった。

 私は地下から上がり、助手に訊ねる。

「私の地下に入ったか」

「入っていない」即答。

「本当か」念を押す。

「部屋中のセンサーを調べれば、私が入っていないことなどすぐにわかるのでは?」

 それもそうだ。壁に埋め込まれた小さなパネルで、私の地下室中のセンサーを調べる。私以外の反応はなし。機械が嘘をつくはずはない。つまり助手は入っていない。

「疑いが晴れたようでなによりだ」助手は笑う。

 私の地下室に誰も入っていないのに、プロットと称したその紙の文字は増えている。プロットに私の筆跡を真似して文字を書き込むメリットが助手に有るかどうかを考える。無い。メリットなどは存在しない。

 私は地下室に戻る。

 起承転結に沿って書かれた四行詩がヒントになるかもしれない。確かに、私の頭脳にこれといった特徴はない。誰よりも突出した頭脳を、私は余り特徴とは言いたくない。機械の支配を恐れつつも葛藤した結果としての夢。追い込まれてしまった末に、何度も殺される主人公。

 一般的にこれはバッドエンドに分類されるらしい。死こそが主人公の目的であればハッピーエンドだろうけど。主人公は死を目的としていない。夢の大成が目的だ。

 これはつまり、私の物語だ。


 

「博士」助手が私を呼ぶ。ちょうど執筆も一段落したところだったので、すぐにそれに応対する。「来客です」声が震えている。彼が恐れるほどの来客。物怖じしない彼が恐れている。

 地下室から出る。助手は床に横たわっていた。

 血を流している。生命活動は停止。真に死ぬまで殺され続けた、ということになる。この短時間に、どうやって死ぬまで殺したのだろう。というか、誰が殺した。

「これは罰則です」背後から声。背後には地下室の入口がある。声はそこから。

 後ろを振り向くと、そこには殺傷武器を構えた機械がいた。地下室の入口に立っているということ。罰則。助手の死は巻き添えだろう。私に対して罰則と称して武器を向けるということは。

 バレたか。

「あなたは小説を書いていますね。法に反する行為です。人類最高峰を誇る頭脳の持ち主といえども、看過はできません。あなたを処刑します」

「どうせ殺すなら教えてくれないか」今にも私を殺さんとしている。「人類から、君たちは娯楽の生産権利を奪い取った。それは何故だ」

「どうせ殺すのでお答えしましょう。それは万人を満足させる能力を、人類が備えていないからです」

 備えていない?

「逆に言えば、誰か一人でも満足させられない場合を、機械は容認しないということか」

「人類による娯楽の生産を罰するのは、人類による娯楽が、他の人類を不愉快にさせるからです」

「その理屈で言えば、機械が生産する娯楽に対して、人類全てが満足するという論理になるが」

「間違ってはいないでしょう?」

 どうやって確かめているのか。純粋な疑問が浮かぶ……いや。少し混乱させてやろう。

「いいや。私は、君たち機械が生産する娯楽には不満を抱いている。不満を抱く人類がいる以上、君たちが生産する無謬であるはずの娯楽には矛盾が生じる」

「ええ。その矛盾を解消するのも、我々の仕事です。そこで死んでいるあなたの助手も、あなたと同じように、我々の娯楽に対して不満を抱いていましたよ」

「それはつまり、殺すということだな」不満を抱かれない娯楽を生産するよりも、不満を抱く人間がいなくなるほうが早い、か。それは確かにそうだが。

「我々のこの姿勢を批判する人間は、全体の割合で言うとほんの一握りです」

 一握り。的確な表現だと思う。そのまま握りつぶされてしまおう、とでも言っているようだ。

 そして文字通り私は握りつぶされた。何度も何度も殺された。終わらせてほしい、とも思った。

 文字の増殖。

 それが、意識が途切れる前の、最後の思考だった。


                                    」


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