第十二段階


 私が小説家を夢見たのはいつだったか。それは間違いなく幼少期である。それは覚えている。なぜなら、この歳になって、今更こんな夢を見出すのであれば、それは多分、外の世界がまるで見えていない、見ようともしないような人間であることが間違いないだろうから。

「博士」と私を呼ぶ声が聞こえる。聞こえるだけなので、別に私が返事をする義理もない。私は隠れて小説を書いている。それは部下にも助手にもバレないように書いていることと同義である。

 私を除く他の人間が、娯楽の生産から手を引いたのはいつだったか。

 幼少期には、既に機械がその生産を担っていたと聞くので、私の出生時期よりも遥かに前なのは確かだろう。人間が決してなることのできない職業として、小説家の存在を知っていたならば、今頃こんなことはしていない。

 実質、人類自ら娯楽の生産を手放したのではなくて、機械がそれを奪いとったのである。だから、それに対する僅かな反抗心と、幼少期から動くことのない「夢」として、今私は小説を書いている。娯楽を生産しなくなった人間の思考力はとんと下がって、地の底を這いつくばるようになった。

 私は違う。

 こうして娯楽を生み出している。それが万人に受けなくても、私は構わない。



 人類が自ら娯楽を生産することから離れていったのは、調べてみると、遥か昔の数百年前だったことが明らかになった。その頃の文献を繙いてみると、「人類は自らの頭で物語を想像し、それを発表して生計を立てていた」だとか、「別の人間がもともと作りあげた物語に、新たな解釈を加えて別物に仕立てあげる職人も存在していた」など、我々人類の想像を遥かに超える思考の人間が大量に存在していたことを知った。

 自らの頭で考えることをしない今の人類にしてみれば、これはちょっとした事件である。

 ならば尚更、その例外となる人間の出現が求められているはずだ。

 いくら機械がそれを自制しようと、私の知るところではない。私は書く。書き続ける。書いて、完成させて、世間に発表し、人類の手に「娯楽の生産」とやらを取り戻す。おそらく、そうするしかない。ただただ娯楽を享受するだけなら、それは人類でなくてもいいはずだ。

 人類自身が娯楽を生産することが当たり前だった時代であれば、私のこの小説も、他の小説に埋もれて消えてしまうだろう。しかし今のこの時代であるからこそ、人類自身が書く小説に意味も価値も付加されるのだ。

 だから私は書く。

 幼少の頃に抱いた小説家の夢を、今こそ開花させる。



 先ほど、この世界を分析してみた。大昔であれば、「世界を分析する」という行為そのものが不可能とされていたようだ。恐らくそれは、今よりももっと世界が複雑に構成されていたからであろう。

 人類という種族が誕生した頃、世界の各地域に共同体ができていて、それが徐々に拡大していき、そうして衝突が発生、「国」という概念はその結果として生み出された一つの解答である、という資料を読んだ。人類自身が娯楽を生産していたという時代、「国」は世界を網羅しており、その「国」にも、述べ数百種類はあったらしい。

 だから解析が困難だったと。

 そんな概念が消滅し、全てが一つに繋がった今では、世界分析のなど誰にでもできる。その分析結果の中に、私の名前がある。

 理由は「人類最高レベルの知能を持っている」。

 過去の人間がこの結果を目にした時、一体全体どのような反応をするだろう。

 大半は嘲笑に終わるだろうか。何しろ、自分自身で娯楽を生み出し、その娯楽を生み出す機械すら作り上げてしまったほどだ。よほどの知能の高さが垣間見える。図らずも機械自身が成長し、人類が娯楽を生み出すことを罰するという境地にまで到達してしまったのは、一種の皮肉であるような気がしてならないのである。



 娯楽を自ら生み出した、或いは生み出そうとしたことに対する罰則として、彼ら機械達が設けたのは「死」。いわばこれは自分たちが作る娯楽をつまらないものだと批判されている、と受け取ってしまったのだろうと思われる。

 いわゆる被害妄想であり、娯楽を生産した、しようとしたからといって、機械よりもその人間が優れているなどという根拠はどこにもない。

 つまり言ってしまえば、どこにもない根拠を勝手に信じて、その上に罰則を成り立たせているのだが、思うにそれは既にバグであって、直さなければならない部分なのであるが、皮肉なことに、機械を治すのは人間ではなく機械自身であるため、我々に手出しはできない。

 このバグに対抗することもできないまま、私は小説を書いたことが発覚して殺されるのである。

 過去の資料によれば、人類は殺されるとすぐに死ぬらしい。なんと潔いのだろう。

「殺す」という行為が、そのまま「死」に直結するとは。

 昔の人類とは、なんとも恐ろしい構造をしていたものだ。それはそうと、私は、歳も重ねに重ねたため、そろそろ死んでもいいと思っていた。だからいっそ殺して死なせてほしいと思ったのだが、彼らは幾度も私を殺し続けて、そのまま放置してしまったのである。


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