祥太郎と水族館に行ってから、すでに半年の月日が経っていた。

 現在の私はというと、知り合いのいない田舎でひっそりと生活している。

 誰にも私だとバレないように、息を潜めているのだ。


 どうして、こんなことになってしまったのか。

 その理由は、半年前の出来事が原因だった。



 クラゲの水槽の前でキスをされた私は、時間はかかったけど我に返って、慌てて祥太郎の胸を押して離れた。

 しかしその時にはもう、全てが手遅れだった。


「お、おばさん! あんた祥太郎君に何しているの!」


 少し遠くの方で、女の子の叫び声が聞こえてきたかと思ったら、次の瞬間には勢いよく肩を掴まれた。

 いつのまにか祥太郎の手は離れていたので、私は何の邪魔をされることなく後ろを振り向く。

 私の肩を掴んだのは、祥太郎と同年代ぐらいの可愛らしい女の子だった。


 祥太郎の名前を呼んだから知り合いなのだろうけど、どうして私はにらまれているのだろう。

 キスをされた衝撃から抜け出していないまま、私はその女の子と対峙する羽目になる。


「えっと……あなたは?」


「教えるわけないでしょ! あんたなんかに!」


 とりあえず誰なのか、それが知りたくて友好的に聞いてみたのだが、返ってきたのは嫌な態度だった。

 私はどう対応したらいいか分からず、困ってしまう。


「ねえ! おばさん、今祥太郎君とキスをしていたよね! そういうの青少年保護育成条例に違反するんじゃないの?」


 しかし何かを言おうとする前に、彼女が叫んだ言葉に場の空気が凍った。


「え……えっ?」


 私もまさかそんなことを言われるとは思わなくて、時間が止まったように固まる。

 そんなことをお構いなしに、彼女はなおも叫び続けた。


「逃げようとしても無駄だから! 私、写真に撮っているからね」


 周りが私と彼女を見比べて、こそこそと話をしている。

 その顔は、私に対して負の感情を持つものだった。


「私は、えっと」


 何を言えばいいのか。

 私からキスをしたわけではない。

 無理やりされたようなものだ。

 それを言おうとする前に、いつの間にか祥太郎が私の手を握って、その場から連れ去った。


 女の子の叫び声がずっと聞こえてきたけど、私は返事を全く出来ず結果的に逃げるような形になってしまった。



 帰りの車は、お互いに無言だった。

 私は祥太郎がキスしてきた理由や、女の子をどうするべきかと色々と考えていた。

 祥太郎は何を思っているのか、窓の外を見続けた。


 それでも家に帰って別れた後は、いつもの日常が戻ってくると思っていた。

 先ほどまでのは、ただの非現実だったと。

 しかし、そんな都合のいいようにことは運ばなかった。


 次の日、私を待っていたのは悪意だった。

 SNS上に、私と祥太郎がキスしている写真がアップされていて、一気に拡散された。

 そして私は、未成年をたぶらかした大人として見られることになった。

 私の親や勉さんは味方になってくれたけど、他の人達はそういう人ばかりではない。

 外を歩くたびに向けられる、嫌な視線と言葉。


 それに私は精神的に耐えきれなくなって、最終的に逃げることとなった。



 現在私のいるところは、ものすごく田舎で年配の方が人口の大半を占めている場所だ。

 そのおかげでネットやテレビを見る人が少なく、私のことを誰も知らなかった。

 この地域に住むにしては若すぎるという理由で、最初は好奇の目を向けられたけど今はよくしてもらっている。

 私はこの場所にきて、久しぶりに呼吸が楽になった。


 近所の人の紹介で仕事にもありつけ、休みの日に畑を手伝えば野菜をたくさんもらえる。

 少し前だったら考えられない生活が、今の私にとってはとても心地よかった。

 このまま、静かに暮らしたい。

 穏やかな気持ちになった私は、そう考えている。

 だから連絡先は知っているけど、親に連絡を全くしていない。


 祥太郎はどうなっただろう。

 たまに、そう考えてしまう時がある。

 私も好奇の目で見られたけど、それは祥太郎も同じだった。

 水族館から会わなくなったから、どんな状況だったかは詳しくは知らないが。

 私が家を出ていくとなった時も、挨拶をすればと言われたけど結局しなかった。


 でも元はといえば、祥太郎のせいでこうなったのだ。

 私の人生をめちゃくちゃにした原因を、いまだに許していない。

 出来れば二度と関わりたくない、今はそう思っているぐらいだ。



 今日も、穏やかなまま生活が終わる。

 もらった大根を抱えて、ほくほくとしていた私は家の前に誰かが立っているのに気が付いた。

 夕暮れの明かりだけでは、暗すぎて誰だか分からない。

 それでも、きっと近所の人だろうと思って、私は待たせてはいけないと走って近づいた。


 しかし近くなった距離で、私はそれが誰なのか分かってしまった。


「……祥太郎」


 音にならなかった呟きは、なぜか届いた。


「朝姉!」


 立って違う方向を見ていた祥太郎は、私に気が付いてパッと顔を輝かせる。

 そして止まってしまっていた私の方へ、走って向かってきた。


 逃げなくては。

 頭では分かっていても、体は石のように固まって動けない。

 そうして目の前に来た祥太郎は、にっこりと笑いかけてきた。


「久しぶり、元気そうだね。良かった。寒くなってきたから、風邪でもひいていないかと心配になっていたんだ」


「祥太郎」


 どうして普通に話しかけてくるのか。

 私はにこやかな祥太郎が、場違いすぎて怖かった。


「離れている間、寂しかったんだよ。朝姉の作るごはんも恋しかったし。あー、いくら自分で決めたこととはいえ、何度くじけそうになったか。それでも、ここまで来られたから頑張った甲斐あったよ」


「これからは、ずっと一緒だよ。朝姉」


 私が何も言えないのにも関わらず、祥太郎は特に気にせず私の手を握って口づけを落とした。

 その感触が気持ち悪くて、意識が遠のきそうになる。

 祥太郎の言った意味をもっとよく考えてみれば、おかしいことはたくさんあった。


 しかしそのどれも聞けずに、私は完全にとらわれることとなった。

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