それから、祥太郎が何かをしてくると恐怖に怯えていたのだが、予想に反していつもと変わらなかった。

 二人きりになるたびに緊張しても、結局肩透かしするばかり。


 あの出来事は、夢だったのではないか。

 あまりにも何も無いので、最近ではそう思うようになってきた。

 今まで一緒にいた祥太郎のイメージと、この前の顔はイコールで繋がらない。

 だからソファでくつろいでいて寝ぼけていた私が、想像で作りだしてしまったのだ。

 そういう結論に至ったので、いつしか私も普段通り接するようになった。


 前まで避けていたことを忘れるぐらい、私は単純に考えていた。

 それでも祥太郎が全く怖い部分を出さなかったので、仕方の無いことだと思う。

 そんなわけで、いつも通りに接するようになって、数週間が経った頃。


「朝姉。今度の日曜日、暇ならさ。一緒に水族館に行かない?」


 祥太郎が突然、水族館に行こうと私を誘ってきた。


「水族館? 私と? 友達とかじゃなくていいの? 別にいいけど」


 ちょうど私は本を読んでいた時なので、少し話半分に返事をしてしまった。


「本当に? それじゃあ約束だね。楽しみだなあ」


 言われたことを理解して慌てて断ろうとしたけど、すでに祥太郎が喜んでしまっていて出来ない。

 こうなってしまったら、水族館に行くには決定事項だ。

 私は諦めて、祥太郎の好きにさせてあげる。


「日曜日ね、分かった。どこの水族館に行くつもりなの? 近くのところ?」


「ううん、最近出来たところ。朝姉も知っていると思うけど。アクアランドっていう名前の」


「ああ! なんか聞いたことある!」


 行こうとしているのは、私も何となく聞いたことのある場所だった。

 数週間前に開業したばかりで、確かクラゲが有名だと聞いた。

 私がクラゲが好きなのを、祥太郎は知っていてくれたのか。

 話を聞いて、にわかに私のテンションは上がる。


「クラゲがたくさんいて、大きな水槽が目玉なんだよね! すごい見たい!」


「そう言うと思った。だから朝姉を誘ったんだ。絶対にクラゲを見に行きたいだろうから」


 年甲斐もなくはしゃぐ私に、祥太郎は優しい顔をしてくる。

 まるで可愛いものを見ているような目だから、だんだんと居たたまれなくなる。

 私は咳ばらいをして、真面目な顔をとりつくろう。


「日曜日ね。それなら私が車を出すよ。電車とかで行くより楽でしょ」


「……ああ、うん。お願い」


 それでも楽しさが隠しきれなくて、私が率先して計画を立てようとした。そのせいなのか祥太郎は、口をとがらせて拗ねているアピールをしてきた。

 さすがに子供じゃないのだから、わざわざ聞くこともしない。

 私は日曜日のクラゲが楽しみで、祥太郎に構っている余裕がなかった。


「クラゲクラゲクラゲ〜」


「はしゃぎすぎ。そんなにクラゲ好きなの」


 自分でもテンションが高いのは分かるけど、久しぶりにクラゲを見に行くのだから馬鹿にしないでほしい。


「クラゲ以外も好きだよ! えっとウーパールーパーとか、ウミガメとか、そういうのも!」


「イルカとかラッコとかアシカとか、メジャーなところじゃないのが朝姉らしいよね。まあ、そんな朝姉を俺は……」


「イルカとかも好きだよ! ……ん? 何か言った?」


「何も言っていないよ。とにかく日曜日、絶対に忘れないでね」


 なにか小さく呟いたのが聞こえたと思ったけど、私の気のせいだったのか。

 水族館のことしか頭にない私は、深くは追求しなかった。



 そして迎えた日曜日。

 仕事に行く時よりも早く目が覚めてしまった私は、約束の時間の前なのに準備が終わっていた。

 祥太郎が家に来る予定なのだが、もう少し待つことになりそうだった。


「そんなにソワソワして、デートかしら?」


「そういうのじゃないから!」


 楽しみすぎて、落ち着いていられないのを見たお母さんに、そうからかわれる。

 しかしデートでは絶対に無いから、強めに否定した。


「そう? それにしては顔がユルユルよ。本当は、久しぶりの春が来たんじゃないの?」


「だから違うって!」


 それでも、お母さんはしつこかった。

 くだらないやり取りをしていれば、意外にも時間が経っていたらしい。


「おはよう、朝姉。準備は出来てる?」


 いつものように勝手に家に入ってきた祥太郎が、ドアから顔を覗かせた。


「あらあら、祥太郎君とだったの。それなら、早く言ってくれれば良かったのに」


 何故か残念そうな顔をするお母さんをおしのけ、私は祥太郎の元に寄った。


「準備はバッチリだよ。それじゃあ行こうか」


「うん。それじゃあ、行ってきますね」


「いってらっしゃい。お土産よろしくね」


 そして腕を掴み、さっさと家から出て行く。

 後ろからお母さんのゆるい声が聞こえてきたけど、面倒だから返事はしなかった。

 車に乗り込めば、祥太郎が少し頬を赤くさせて私を見る。


「朝姉、今日の洋服可愛いね。スカートなんて久しぶりに見た」


「なんか気合い入っちゃって。でも私よりも、祥太郎の方が格好いいでしょ。一丁前に、ませた服着ちゃって」


 エンジンをかけながら、私はちらりと助手席を見る。

 今日の祥太郎の格好は大人びていて、最近伸びた身長も相まって高校生といっても通用しそうだ。

 いつものイメージと違うので、少しだけ見とれてしまった。


「ああ、これ? 今日は一日、朝姉と水族館だから。隣にいても変じゃないように。この前みたいに、姉弟とか言われたらへこむし」


「まだ、それ引きずっているの。別にいいじゃない。親子に間違われたら、さすがに私もへこむけど」


 私と祥太郎が一緒にいて、まず思いつく関係は姉弟だ。

 カップルや親子と思う人は、そうそういないだろう。


「とにかく、姉弟とは間違われたくない! だから朝姉、今日は弟のように接するのは止めて」


「そう。そこまで言うのなら、今日はお姉さんぶらない」


 別に勘違いされても良いのだけれど、祥太郎はそうじゃないらしい。

 いつになく強い口調で言うので、私は素直に従う。


「絶対だからね」


 そう念を押す祥太郎は、少しだけ焦っている気がした。

 何故焦る必要があるのか。

 私は不思議に思ったけど、下手につついて怒ったら嫌なので、気がついていないふりをした。



「わー! 水族館に来た!」


 やはりいくつになっても、水族館は特別だ。

 外観を見ただけで楽しくなってきた私は、祥太郎の手を掴んで走った。


「そんなに走らなくても、水族館は逃げないよ」


 手を振り払うことなく、苦笑気味に言う祥太郎。

 これじゃあ、どちらが年上なのか分からない。

 それでも人の目を気にせず、私は水族館の中へと入った。



 イルカショーやアシカショー、ウーパールーパーにウミガメの赤ちゃんを見て、そして私達は最大の目的であるクラゲの水槽の前に来ていた。


「わー、綺麗……」


 私は見上げるほど大きい水槽の中を、たくさんのクラゲが泳いでいるのを見て、感嘆の声を上げる。


「本当だ。すごい綺麗」


 その隣で一緒に見上げている祥太郎も、私と同じ気持ちみたいだ。

 透き通った体を、光で明るく照らされているさまは、水槽以外の場所が暗いのもあって映えていた。

 私はこの感動をなんとか写真に収めようと、たくさん写真を撮る。

 しかしどう頑張っても、肉眼で見るより綺麗には撮れなかった。


 それでも満足いくぐらいは撮り終えると、放置してしまっていた祥太郎の方を見る。


「ごめん。つい夢中になっちゃって。今日は来て良かった」


「そう言ってくれて嬉しい。俺も来て良かった」


 怒っているか拗ねているかと思ったけど、特に気にしていないみたいだ。

 何だか覚えのあるとろけるような顔をして、私を見ていた。

 その顔を見てしまった私は、勢いよく別の方向を見て早口で話す。


「そろそろ閉園時間になりそうだね。名残惜しいけど、出ようか」


 そして水槽の前から離れようとしたのだが、


「待って」


 祥太郎に腕を掴まれてしまい動けなくなった。


「祥太郎……?」


「朝姉、大事な話があるから聞いて。俺ね、朝姉のことが好きなんだ」


 何となく、その言葉を言われる気がしていた。

 最近の祥太郎の様子は、そのぐらいおかしかったから。

 家族愛じゃなく、恋愛の意味で好きだと言っているのだって分かった。

 でも、言われることが分かっていたといっても、驚かないわけじゃない。


 どうして。

 急すぎる。

 無理だ。

 私は色々と考えて、言葉を絞り出す。


「あ、あのね……私も、祥太郎のこと、好きだよ。……でもそれは……家族としてで」


 もっときちんと断らなければならないのに、私は上手く話せない。

 それでも祥太郎には、意味が伝わったみたいだ。


「そっか……そうだよね」


 良かった、諦めてくれる。

 下を向いている祥太郎の姿に、私は安堵して手を離そうとした。


「分かっていたよ。朝姉がそう言うってこと。だから……ごめん」


 しかし急に力強く腕をひかれ、前へと倒れ込んでしまう。


 そしてすぐに感じたのは、唇の柔らかい感触。

 キスをされたのだと理解したのは、しばらく経ってからだった。


 私がぼんやりとキスを受けている間に、視界のすみの方で一瞬光った気がした。

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