「美千乃さん、どうして桜の部屋にいたの? ……それ」


「りょ、涼介さん」


 部屋の扉を開けた涼介さんは、私が手に持っているアルバムを見て笑顔を引っ込めた。

 今まで見たことのない顔に、初めて恐怖を感じる。

 それでも勇気を振り絞って、彼に尋ねた。


「今日、近所の人に聞いたの。桜さんが死んだのは、三年前だって。しかも私と桜さんは全く似ていないって」


 私はそれを聞くだけで精いっぱいだった。

 彼の雰囲気は尋ねた途端、更に恐ろしいものに変わる。


「へえ……誰がそんなことを言ったのかな。ぜひ教えてよ」


 それを聞いてどうするのか。

 言わなくても、何となく分かってしまった。

 しかし想像してしまったのは、彼とは全くかけ離れたもので。私はその残酷さに、気分の悪さを感じてしまった。


「大丈夫、美千乃さん? 顔色がとても悪いよ」


「いやっ! ……あ、ごめんなさい」


 そんな私を心配して、彼が私に近寄ってきたけど反射的に振り払ってしまう。

 叩いた手がひりひりと痛んで、呆然としている顔を見ると申し訳ない気持ちになる。

 慌てて謝ったけど、すでに彼の様子はおかしくなっていた。


「……そ……せ……どれ……だ……」


「涼介さん?」


 下を向いてブツブツと呟き、怖い顔で床をかきむしった。

 あまりにもおかしくて、私は心配になり彼に手を伸ばす。


 その手を強く握られ、私は声にならない悲鳴を上げた。

 必死に手を振ったけど、まるで逃がさないとばかりに離れなかった。

 そしていつの間にか顔を上げていた涼介さんは、私をまっすぐに見つめてにっこりと笑う。


「あはは。バレちゃったのなら仕方ないよね。もういいか。教えてあげるよ。美千乃が知りたいこと、ぜーんぶ」



 彼の話を落ち着いて聞くために、私達はリビングへと移動していた。

 ソファに座った私の隣へと、いつも通りに彼が座って来たけど、私は恐怖で肩をこわばらせてしまった。

 それを察したはずだが、彼は離れなかった。

 むしろ、距離は縮められた。


「それじゃあ、どこから話そうか。君の疑問に答えるために、最初から最後まで全部話した方がいいかな」


 彼は私の手を掴み、逃がさないとばかりに自分の方に引き寄せる。


「私……俺は美千乃のことを、ずっとずっと前から知っていた。それはもう、十年以上前からね」


「じゅ、十年以上? そんなに前から?」


「そう。君は気づいていないだろうけどね、話をしたこともある。そしてそれがきっかけで、俺は君のことを好きになってしまった」


 彼の手を外すのも忘れて、私は話に聞き入っていた。

 涼介さんと、十年以上前に会っていたなんて。全く覚えていない。

 それでも、きっと本当のことなのだろう。


「でも君に告白をした所で、振られるのは分かりきっていた。仕事が大好きな君は輝いていて、結婚なんて考えていなかったから。それでも諦めるつもりなんて、そうそうなかったんだ。だから長い時間をかけて、君を手に入れるための計画を練った」


「君が俺のものになるとしたら、どうすればいいのだろうか。そう考えた時に、一つの答えを導き出した。先に家族を作ってしまえば、良いんだって」


 彼の話は、不穏なものへとどんどん変わっていく。

 私は、その話が本当に現実に起こっていることだと受け入れたくなくて、耳をふさごうとした。

 しかし手を掴まれているから、ふさげるはずも無くて。


「だから本当は嫌だったけど、頑張って家族を作ったんだ。でも子供が出来たら用済みだから、精神的に追い詰めて死なせた。そして浩太の手がかからなくなった頃、ようやく君を手に入れるために近づいたってわけ」


 彼は私の手に頬ずりをして、顔を緩める。

 その顔は幸せだと、強く訴えかけて来た。それでも話の内容は、そんな生易しいものでは無かった。

 私を手に入れるために、彼は人一人を殺したと言ったのか。

 それは、何て恐ろしいことなのだろう。


 自然と私は、手が震えてしまった。


「最初に会った時に見せた写真はね、君のを合成して作ったんだ。我ながら、よく出来ていたと思う。だって本人の君でさえ、騙されたのだからね。あはは」


 それでも掴まれた手は、外してもらえない。


「それにしても、上手くことが運んで良かった。一か八かの賭けな所もあったからね。今では仕事のことも忘れて、すっかり主婦という姿が似合っている。家に帰ったら君が出迎えてくれるだけで、何て幸せな気持ちになるだろう。俺は毎日、そう感じている。もう君がいない世界なんて無理だ。一生、この家で浩太と三人で暮らそう」


「あ……いや……私……」


「嫌だって言うつもり? この家から出て行くの? 浩太はどうする? 今までの世界は、とても幸せだっただろう? 君が何もかも知らないふりをすれば、これまでと同じ幸せな生活を送れるよ。その方が良いと思わない?」


 私はどうすればいいのか、分からなかった。

 今日一日で、たくさんの情報が私の耳に入ってきた。

 そのどれもが信じられなくて、今すぐに答えなんて到底出せない。


 私が何も言葉を発せず静かな空間の中、外で車のエンジン音がするのが聞こえて来た。


「ほら、浩太が幼稚園から帰って来た。君はお母さんとして出迎えてあげなきゃ」


 やっと手を離してくれたのだが、私は逃げられそうになかった。



 涼介さんとの出会いは、出来すぎた偶然だと思っていた。

 でもそれは、彼が作り出した必然だったのだ。

 彼の手のひらで踊らされた私は、もうどうすることも出来ないのかもしれない。


 家族がバラバラになることはなかったけど、その形はいびつなものになってしまった。

 もう二度と戻ることは無いだろう。

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