あなたがいるとよく眠れる

天鳥そら

第1話眠りの天使

睡眠とは重要らしい。巷にあふれる睡眠に関する書籍では、忙しい現代人のためにあらゆる理論とアドバイスを提供している。寝具やパジャマ、寝るためのグッズもふんだんに売られている。


枕に頭をつけて目を閉じる。そして目を開けたら朝だった。子供の頃は当たり前だったが、成長するにつれて当たり前じゃなくなった。


「のび太くんが羨ましい。どんなに悩んでても、5秒で眠れるじゃん」


「3秒じゃなかったけ?いつでもどこでも眠れるのは特技だよな」


「私ダメ。一度起きるとずーっと眠くならないの」


「だからって、俺まで起こすなよ」


受話器の向こうで彼女がくすくすと笑う。寝返りを打ったのか、雑音が混じる。彼女の声しか聞こえず部屋の中はしんと静まり返っているようだ。


「どうせだったら、テレビでも見たら?ラジオ聞くんだっていいじゃん」


「真夜中に一人でテレビとか、ラジオとか寂しくならない?」


「俺、もう寝る」


少し間があって、わかった。ごめんと言う声が聞こえてきた。


「じゃあ、また明日な」


「おやすみ~。多分、眠れないと思うけど~」


スマホから耳を離して暗闇の中でじっと目を凝らす。部屋の中を暗くしないと眠れない人間もいるが、明るくしていないと眠れない人間もいる。自分は毎日電気を消して寝る。寝つきが良いわけではないが、こうやって暗闇の中に意識を傾けていると自然に眠りが訪れる。


「眠れない奴ってかわいそ」


「ほんと、かわいそ」


一人で寝ているはずなのに、返答があって驚く。どこから声がするのかと起き上がってまわりを見たが、誰もいなかった。


「空耳か」


「空耳じゃないよ」


背筋がすっと寒くなった。もしかしてこれって、もしかしなくても。


「幽霊?」


「ちがいまーす」


幽霊にしては元気な声だ。それでもおかしいことに変わりがない。布団の中でぶるっと震える。


「じゃあ、妖怪とか?」


「それもちがいまーす」


「人間?」


「ぶっぶー」


だんだん腹が立ってきた俺は思い切って起き上がった。暗闇の中で声のする方を見ようとしたが、いつもと変わらぬ自分の部屋の様子があるばかりだった。


「じゃあ、神様か何か?」


自分でも馬鹿だと思いながら目に見えぬ声との会話を続ける。しばらく考えるように間が空いてから、近いかもと呟いた。この時、俺は唐突に理解した。


これは夢だ


自分では起きていると思っていたけれど、いつの間にか眠ってしまったんだ。こんなことは初めてだが、夢の中で自分が夢を見ているとわかることがあるらしい。しかも夢の中なのに、自分の意志で自由に動けるって聞いたことがある。明晰夢というやつだ。俺ってすげー。


これが夢だとわかって途端に気が楽になった。布団の上であぐらをかいて、現実と変わらぬ自分の部屋を見る。どうせならもっと面白い場所だったら良いのに。夢なんだから。


「じゃあさ、君は何なの?神様に近いってどういうこと?」


この時、暗闇の中でぼんやりと青緑色に光る球が現れた。光る球がふよふよとさまよって、俺の膝の上にぽんっとやって来た。


「眠りの天使です」


「眠りの?何それ」


青緑色の光がぐにぐにと動くが、何かの形をとるわけではないらしい。ただぼんやりと光ったまま俺の膝の上にいる。


「天使って羽があってさ、輪っかがあったりするんじゃない?」


「それは、人間が創り上げた想像の産物です」


「じゃあ、天使ってみんな君みたいなの?」


「これは、私がまだ力がないので、こういう姿しかとれないだけです」


ふくれっ面の顔した女の子が拗ねているイメージが浮かんで、俺は思わず噴き出した。天使だという光は怒ったように、ぽーんっと飛び跳ねると俺の頭の上でぴょんぴょん跳ねた。痛くはないがくすぐったい。しばらくぽんぽん頭の上を跳ねてから、光は俺の膝の上に戻ってきた。


「私のおかげで、あなたは毎日眠れるんですよ!」


「眠りの天使だから?」


「あなたがぐっすり眠れるように、お手伝いしてるんです」


「じゃあ君は、眠りの神様のお手伝いをしてるの?」


興味津々と青緑の光を覗き込めば、天使といった光がぴかぴかっと輝いた。


「前に、眠れなくて困ったことがあったでしょう?」


「あったかな?」


しばらく考えてみたがさっぱり思い出せなかった。光は歯がゆそうに軽く膝の上で跳ねる。


「小さい頃、死ぬのが怖くて眠れなくなったことあったでしょ?」


「死ぬのが怖く……あー。ばあちゃんが死んだ時」


同居していた祖母が突然心臓をおさえて苦しみだし、救急車を呼んだがそれっきりだった。確か5歳か6歳ぐらいだったと思う。初めて死を身近に感じて怖かった。


「思い出した。一週間ぐらい怖くて目が覚めて、そしたら眠れなくって」


がたがた震えながら目を閉じたら、自分も死ぬんだと思っていた。二度と目が開かないんじゃないかと思って、得体のしれない恐怖の中で誰か助けてと叫んだ気がする。


「気づいたら眠れるようになったし、死を強く意識することもなくなったかな」


「そう!それです!あなたのご両親が心配して、夜眠れるようになるといいんだがって言っていたのを、私聞いたんです」


「それで、ずっと俺が眠れるように助けてくれてたの?」


青緑の光に微笑むと、そーいうことですと胸を張るような得意げな声が響いた。ありがとうと青緑の光をなでるように、手の平を動かす。光は嬉しいのかふるふるっと震えた。しばらく青緑の光をなでていて、眠れない彼女の姿が思い浮かんだ。俺と理由は違うが、眠れないのは辛いに違いない。


「お前はさ、天使なんだよな?」


「そうですよ」


「俺以外の人間の眠りを助けることはできる?」


「できますよー」


青緑の光がぽーんぽーんと跳ねる。どうやら頼まれるのが嬉しいみたいだ。青緑の光に仲の良い女の子が眠れなくて困っていることや名前、住んでいる場所を伝えるとふわんっと天井に向かって浮かんだ。


「いいですよー。では、ちょっと行ってきますねー!」


元気な声と共に青緑の光が天井の上に消えていく。光が去ってしまったら、また、暗闇が戻ってきた。布団の上であぐらをかいたまま、俺は、くっくっと笑う。変な夢。夢だというのに眠くなってきた。大きなあくびをして両腕を真上に伸ばしてから、ぽすっと布団の上に寝ころぶ。もぞもぞと掛け布団の中に潜り込み、そっと目を閉じた。


夢の中で眠くなるなんて、本当に変な夢だ


明晰夢とか心理学とか好きな奴に今度自慢してやろう。しばらくして意識がなくなりいつのまにか、深い眠りに落ちていた。


ちゃらっちゃらっ~


着信音がけたたましく鳴る。がばりと起き上がるが、周りはまだ薄暗い。時計を確認すると朝の6時だった。いつもより30分ほど早い。スマホを手に取り、着信を見ると彼女からだった。朝にかけてくるのは珍しい。


「もしもし」


「あっ!朝早くごめん!でも、どうしても聞いてほしくて」


「別にいいけど、一体どうしたの?」


「私ね、眠れたの。ぐーっすり」


この時、昨夜見たやたらリアルな夢を思い出した。俺が考えている間にも、彼女はいかにすっきり眠れたかを語り、気分は最高だとまくしたてる。


「良かったじゃん。眠れて」


「うん。それがね、変な話なんだけど聞いてくれる?」


彼女が言うには、昨夜眠れずに寝返りを打っていると窓から青緑の光の玉がすーっと入ってきたんだそうだ。


「一瞬、人魂と幽霊とか思ったんだけどさ、あんまり怖いと思わなくて」


じーっと見てたら青緑の光が彼女の額にとまり、気がついたら眠っていたんだと話す。


「変な話でしょ?もしかして夢だったのかな」


「まあ、夢だったんだろ」


やっぱりそうだよねと明るい声で笑う。俺は彼女の元気な声があふれるスマホから耳を離した。


「夢……だよな」


とにかく眠れておめでとうと伝えて、彼女との通話を切り自分の部屋を見回す。あの青緑の光は今も自分のそばにいるのだろうか。いやいや夢に違いないと頭を振って、いつもより早い起床時間にも関わらず起き上がって支度を始めた。

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