ドリームループ
つばきとよたろう
第1話
「みんな助かったんだ!」
「ふざけるな。これが助かったと言えるのか?」
「ケンカは後にして、みんなを起こそう」
「ねえ、唯が目を覚まさない」
「死んじゃったのかな?」
「分からない」
三十九名が教室の席に着いて、退屈な授業に居眠りしたみたいに、目を覚ましたところだった。が、そのうちの一人が、机に顔を伏せまま、幾ら体を揺すっても動かない。
「きゃー!」
唯を揺すっていた子が、急に恐ろしい悲鳴を上げた。唯の顔には、大きな穴が開いて、見るも無残に黒焦げになっていたからだ。
「ぼくは、もうこんな事はしたくない」
「じゃあ、どうするの?」
「ここから抜け出すのは簡単だろ。黒板に答えは書いてある」
男の子は、先生が板書したような、黒板の文字へ視線を向けた。
「そんな事、信じるの?」
黒板には、こんな文句が綴られている。
「ここから抜け出したいのなら、教室の扉を開けて、出て行けばいい。ただし、一度外へ出れば、二度とここへは戻れない」
その信憑性は別として、この教室にそれを書いた者は居なかった。
「どうして、夢から覚めると元に戻っているんだろう」
「この教室の時間が、リセットされているってことでしょ」
「何のために?」
「分からない。でも、何か間違っているから、やり直せってことだと思う」
「確かにね。そうじゃなきゃ、私さっきの夢で、死んでいたもの」
「でも、今は甦った」
「はは、お前悪い物でも食ったんだろう」
「ふ、ふざけないで」
女の子は、顔を赤くして怒鳴った。
「仲間同士で言い争って、どうするんだ」
「仲間? 何で俺が、こいつらと仲間なんだ。さっきは寄って集って、仲間はずれにしたくせに」
金髪の子が眉をつり上げ、脅しみたいに大声を出した。
「それは和解したはずよ。まだ根に持っているの?」
「俺は別に」
教室が静まり返り、立ち上がったり、席を離れていたりした生徒が、一様に席へ戻った。しばらく沈黙が続いた後、体の痩せた色の白い男の子が、口を開いた。
「ぼく、分かっちゃたんです」
別の誰かが、じれったいように尋ねた。
「何が?」
「この教室の法則です?」
「法則?」
「勿体振らずに、はっきり言えよ!」
金髪の子が、怒鳴った。
「分かりません? なぜ死ぬのかですよ。おかしいと思いませんか。全く何の落ち度も無かった生徒が、夢から覚めたら、死んでいるなんて」
「どういう事なの?」
「鈍いなー」
「おい、新山!」
「あっ、ごめんなさい。今のは失言でした。悪く取らないで下さい」
彼は頭を下げ、丁寧に誤った。
「詰まりですね、原因は、本人にあるんじゃない」
「じゃあ、誰にあるんだ?」
「他人です」
「それじゃあ、防ぎようがないじゃないの」
「いえ、そうとも限りません。恐らく極親しい人が、原因になっているんだと思います」
「でも、その原因て何なの?」
「そ、そこなんです。ぼくの言いたいことは」
新山は、目を輝かせて自慢げな口をした。
「いいから早く言えよ!」
「あっ、はい。例えば、このクラスの誰かに、敵意や憎しみを抱いている人が居るとします。するとですね。その人の代わりに、その人と関わりが深い人が選択され、次に目覚めたときに殺されてしまうんです。分かります?」
「要するに、誰かを恨むと友達が殺される?」
「必ずしも友達とは限りませんが、そうですね」
「じゃあ、友達の居ないお前は、絶対に死なないな」
新山は唇を噛み締めると、俯いてしまった。別の女の子が口を開いた。
「それって、凄いことでしょ。絶対に誰も殺さないんだからね」
「ちょっと止めなよ。京佳、無神経すぎるよ」
京佳の袖を引っ張った、女の子が居た。
「ここに居る全員が、全員のことを恨んだり憎んだりしなければ、誰も死なないってことだろう」
「そして、全員無事なら堂々と外へ出て行ける」
今まで暗い霧に包まれていた教室に、一筋の光が差し込んできたように思えた。
「でも、そんな事できる? 誰だって一つや二つの恨みとか持っているはず」
「そこが解決出来ないんじゃ。意味が無いよな」
「パラドックスだね」
「そ、そうだ。み、みんなで、あ、握手し合えば、い、いいと思う」
「お、おい。そんな事何の意味も無いだろう」
「待って、全く意味が無いって訳でもないでしょ。とにかく何でも試してみましょ。それとも、他に代案はあって?」
「それじゃあ、それぞれの憎しみを帳消しするって意味で、許すと声に出して握手をしよう」
大人しそうな男の子に、便乗した形で意見がまとまった。
「取りあえず、フォークダンスの要領で、男女が握手して回りましょう」
三十九の生徒が二つの輪になった。許すと言って握手をし始めた。最初こそ、みんな恥ずかしがっていたが、慣れてくると、自然と手と手を握り締めていた。許すと宣言することにも、生徒たちを寛大な気持ちに導く効果があった。全てが上手くいったように思えた。
突然と布を引き裂く嫌な音と共に、女の子の悲鳴が上がった。みんなぞっとして、辺りを見回した。京佳の隣に居た萌美が、新山に首を絞められている。彼女の制服は無残に引き裂かれ、胸の白い下着が露わになっていた。新山は、間もなくその手を離した。と同時に机や椅子が音を立てて、そこへ倒れ込んだ。京佳が息を荒くし、新山を見下ろしていた。彼女が、新山の顔を殴り付けたのだ。
「何やってんだよ、お前はよ!」
彼女は唇を震わせ、その度に怒りが込み上げてくるようだった。新山がようやく机と椅子の間から立ち上がった。が、彼は不敵な笑みを浮かべている。
「何とか言えよ、新山!」
「あれ、仲良くするんじゃなかったの?」
挑発的な彼の態度に、京佳は逆上し、再び拳を食らわそうとにじり寄った。クラスの全員が、彼女の味方をし、罵声が飛んだ。
「こんな奴は殴ってやれ! どうせリセットされるんだ」
「やれ! やれ! やれ!」
その時、狂気になった生徒たちの声を掻き消すくらいの戦慄が、教室内に走った。
キーン、コーン、カーン、コーン
予鈴と共に生徒たちは、耳に手を当て必死にそれを塞いだ。頭がおかしくなるくらい、苦悶の表情を浮かべている。
教室の中に、何かが侵入してきたみたいに、あちこちでブンブンと、風を切る音が鳴り響いた。こっちではバットを素振りする音、扇風機の羽が回る音、金物が弾き合う音、そしてバネが縮む音がしている。
「止めて!」
教室の至る所で、絶叫に近い声が飛び交った。鳴り響いた全て音が、最後にその音を、不快に濁らせて止まった。その後に、机と椅子が動かされる音と、何かが床に倒れる音が重なった。予鈴は鳴り止んでいた。と、今度は男の子の叫び声が、教室の中を満たした。
わーと声を上げたまま、新山が夢から覚めて顔を起こすと、教室は元に戻っていた。いつ泣いたのか、濡れた頬を手の甲で拭った。彼は、自分の席に座っていた。振り向くと、既に目を覚ましていた、金髪の子が彼に手を上げた。他にも男の子が一人と、女の子が一人、詰まらなそうに自分の席に座って、ぼんやりしていた。
「派手にやってくれたな。お陰で清々したけど」
金髪の子が、ニヤニヤしている。
「で、どうする? 教室を出る?」
新山は、首を横に振った。
「ぼくは、リセットを待つよ」
「じゃあ、俺もそうする。あそこの席、誰だか覚えている?」
「いいや」
新山は答えると、黙った。しばらく退屈な時間が過ぎて、恐怖の予鈴が始まった。再び恐ろしい叫び声と共に、教室が元に戻った。悲鳴を上げて目を覚ましたのは、先ほど体をバラバラに引き裂かれ、死んでいた生徒たちだった。
「生き返った!」
あちこちで、生還を喜び合う声が上がった。それが収まってくると、怒りの感情が、彼らから湧き起こった。
「新山! やってくれたな」
生徒が彼の前に集まってきた。
「お前だけは、許さない!」
そんな声が、新山を取り囲んだ。彼は表情一つ変えずに言った。
「これで、分かっただろ」
「何がだ。ふざけるな」
次々に湧き起こる怒号の中に、別の声が混じっていた。しかも、全ての声をかすめるくらいに、意味深な声だった。
「待って、ぜ、全員が生き返っている」
その声に促され、みんなが教室を確かめた。席に座って動かない生徒は一人も居ない。
「やった。これで帰れる!」
生徒たちの歓声が、教室に戻った。
「ちっ。新山、救われたな!」
数人の生徒が、彼を睨みつけた。
「すぐに教室を出よう」
一人の生徒は、教室の扉に向かっていた。
「行っちゃ駄目!」
誰かが叫んで、その生徒を止めた。新山に服を裂かれた萌美だった。
「どうしてだよ。もう解決しただろ!」
「まだなの。まだ、みんなの恨みや憎しみが取れてない」
「どうだって言うんだ」
「みんな、きっと死ぬ。今度、死んだら、きっと放って行かれる」
新山は、ただ笑っていた。
「だから、私は嫌だけど許す」
萌美は、新山の手を取ると握手した。面食らった顔をした、彼の元へ次々と生徒が集まった。
「許す、許す、許す」
そう言って、彼と握手した。最後に京佳が不満そうな表情で、彼の前に立った。
「京佳」
彼女は、萌美に背中を押されるように、新山と握手した。
「許す!」
突然と教室内に予鈴が鳴り始めた。しかし、それは今までとは、全く違う清らかな鐘の音に聞こえた。生徒たちは、互いに目配せして頷いた。扉を開けて、一人ずつ教室を出て行った。
「ねえ。あの席、誰が座っていたんだろう?」
「さあ? そんな事いいから行こう」
誰かがそう言いながら、外へ出て行った。
小宮藍子は、教室の席で目を覚ました。授業中に居眠りしてしまったのだ。彼女は、先ほどの夢に居た四十人目の生徒だった。黒板の言葉を見つけると、慌てて教室を飛び出してしまった。それからは、彼女は自分の居ない夢を見続けていた。彼女が目覚めた、教室には新山も萌美も京佳も金髪の子も、夢の中の生徒は誰も居ない。しかし、ずっとここで過ごしていたような気もする。夢に、もしということは有り得ないが、あの教室に残っていたなら、どうだったのだろう。彼女は、許すと小さく囁いた。
ドリームループ つばきとよたろう @tubaki10
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