目が覚めたら隣にキミがいなくて最高に嬉しい

綾坂キョウ

人生、プラス思考でいかないと

「睡眠は人生の三分の一を占めているわけですよ」

 そんなふうに講釈するキミの顔はどこか得意気で。具体的に言えば鼻の穴がいつもよりちょっと膨らんでいて。ほんのり頬も赤かったりして。それを指摘すると、途端に額まで赤くしてそっぽを向くのも、いつものことで。


 「お値段以上の品質を!」というポップが張り出された店内で、サヤは巨大な低反発枕を腕いっぱいに抱き締めていた。

「だから、睡眠に投資するのは賢いことなワケ。だいたい、残りの三分の二の人生を支えるのも良質な睡眠なワケだし」

「それ、なにで読んだの?」

「枕購入のポイント解説してる記事。まとめサイトの」

 ちゃんと調べてきたんだから、とまたサヤの鼻が膨らむ。きっとまた、企業のPR記事をそれと知らずに踏んだんだろうに、疑りもしない。


「だから、ほら。これを買うのだよ透クン。わたしはもうキミに決めた」

 そう言って、サヤは懐かしいキメ台詞と共にむぎゅっと枕を抱きしめた。まだ買ってもいない商品にそういうことをするのは、如何なものかと思う。


「そうは言っても、サヤ。それ結構するよ? まだ買うものは他にもあるのに」

「もちろん。ベッドにシーツに毛布に……金に糸目はつけん。全て最高級のもので取りそろえるつもりさ」

「おまえはどこの大富豪だ。小市民たる俺らには、予算というものがあるんだよ予算というものが」

 それを聞いた途端に、サヤの頬が膨らんだ。実に分かりやすいムッとした顔だが、年齢を考えるとそろそろ卒業して欲しい表情だ。

「分かってないなぁ透クンはぁ。健康のためなのだよー。ね? 健康第一。そのためには良質な睡眠だって、先から言ってるじゃないか」

「まぁ……言ってることは間違ってないとは思うけど」

 問題は予算だ。だいたい、予算内でそこそこのものを買えば良いという、それだけの話なんだが。


 僕の顔から、言いたいことを察したのだろう。サヤは枕をますます抱き締めながら、「買おうよ買おうよぉ」と、とうとう駄々をこねはじめた。

「食後のアイスもセールので我慢するからぁ。しばらく三食カップ麺生活でも良いからぁっ」

「健康第一はどこへ行ったどこへ」

 こうなると、それこそイヤイヤ期の二歳児のごとく面倒なのを、これまでの経験上よく知っている。まったく、と僕は深く溜め息をついた。ちらっと、サヤに抱き締められている枕を見る。気が進まないのは、なにも金額だけの問題ではなかった。


「ダブルサイズの枕、ねぇ……なんか、寝ずらそうじゃないか? お互いの寝返りとかで起きちゃいそうだし。そしたら、良質な睡眠っていうのも、本末転倒っていうか」

「人生なにごともプラス思考だよ、透クン」

 ちっちっ、と得意気に、サヤが指を振る。

「目が覚めて、愛しい人の寝顔が隣にあると思えば、それ以上の幸せなんて」

「いや、だから良質な睡眠は」

「透クンのやたら明瞭な寝言も、この枕を使っていればわたしきっと、我慢できると思うんだよなぁ。この前も、『だからわかめじゃないって何度も言ってるじゃないですかっ』などと急に怒り出すから、いったいなにごとかと」

「え。僕、そんな寝言言ってるの?」

 それはちょっと恥ずかしすぎる。サヤはにやっとすると「まだまだストックはあるけども」などと宣った。やめてくれ。ひとの不可抗力な寝言をストックなんてしないでくれ。と言うか、そんなに寝ながら喋っているのか僕よ。


「夫を辱しめてまで欲しいのかその枕が」

「買って良い!?」

 たちまち、サヤの顔に笑みが咲く。そのコロコロと変わる表情ときたら、本当に、もう。


「奮発するのは、枕だけだからな。あと、アイスも一週間は抜きだ抜き」

「えー、そんな殺生な」

「人生なにごともプラス思考だろ」

 にやっとして言う僕に、サヤはまた頬を膨らませ、だが腕にはしっかりとお気に入りの枕を抱き締めているのだった。


※※※


 さすが、奮発して買った枕だ。ぐっすりと眠っていたらしい。おかげで、目覚めもスッキリとしている。これでトーストとウインナーの良い薫りでもしてきたら最高なのだけれど――いや、考えるまい。人生はなにごともプラス思考だって、さっき夢の中で言ったばかりじゃないか。


 ベッドに腕をつき、ゆっくりと身体を起こす。ちらっと隣を見ると、当然――空っぽだ。ない。誰も、いない。

 そうだ。隣にサヤはもういない。おかげで、寝返りの気配で目が覚めてしまうこともないし、布団を奪われて寒い思いをすることもない。寝言を聞かれて、恥ずかしい思いもしないで済む。おかげでぐっすりと眠れ、今朝も気持ちよく起きることができた。


 枕に触れる。サヤが駄々をこねて買った枕。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も。数えきれない日々と年月を、この枕と共に過ごしてきた。低反発だった部分はすっかりへこみ、固くなり、僕の頭がうまい具合にフィットするようになっている。

 

 僕は完全に起きあがり、伸びをした。朝食は、枕元に置きっぱなしにしてある携帯食だ。ぼそぼそとした、粘土のような食感。美味しい、とは言い難いものの、このご時世に朝食を食べられるというだけで、最高に幸せなことだ。


 人類は滅んだ。いや、正確には滅びかけている。でもまぁ滅ぶだろうきっと。

 『世界同時多発的天変地異』というものが、地球を襲った――らしい。そのせいで、人類文明の二割が瞬間的に滅び、そして今年中にまた四割程度が滅ぶであろう見込み――らしい。

 らしい、と言うのは、僕にそれを確かめる術なんてないからだ。かつかつの日々を送る僕の手元には、それでも屋根のある寝床と、配給によるシンプルな食料と、それから立派な枕がある。

 あの日、僕はたまたま家にいて。サヤは、たまたま友人と遊びに行くんだと出かけていて。

 それ以来、どれだけ遊びほうけているのか、いまだに帰ってこない。マイペースな彼女だから、まあ仕方ないことだ。

 こう言ってはなんだが、サヤが隣にいないことは、僕にとって嬉しいことだらけだ。


 こうして良質な睡眠とやらのおかげで、目覚めも最高なのが嬉しい。少ない食料を奪い合わずに済むのが嬉しい。お腹が空いたと不機嫌なキミを見ないで済むのが嬉しい。アイスが食べたいと駄々をこねるキミをなだめないで済むのが嬉しい。キミがまだ無事だと、信じていられるのが嬉しい。キミはまだどこかにいるだけなんだと、思える余地があるというのが――。


 人生はなにごともプラス思考でいかないと。そうしないと、またキミが不機嫌になるだろう? 夜中にふと体温を感じることもないし、不意に手を繋がれることもない。それでも、僕は。僕は。僕は。


 ――あぁ。

 ほんとに、もう。

 涙が出るほど、今日も良い日だ。



※※※

※※


「え? どうした起きるなり急に抱きついてきたりして。怖い。今日もなんか寝言言ってたし。泣きながら『僕は生きて待ってないと』とかなんとか。……ほんと大丈夫?

 ほらほら、もうお日さま昇ってるし。枕のおかげで、随分ぐっすり寝たんじゃない? 今日も一日、良い日にしましょ!」

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目が覚めたら隣にキミがいなくて最高に嬉しい 綾坂キョウ @Ayasakakyo

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